辺境伯家のお料理
ディルが再び仕事に行ってしまったため、ウェンディは乾いた洗濯物を片付けて夕食の仕度の手伝いに行くことにした。髪の毛をポニーテールにしてキッチリと縛り、エプロンを付け替える。
バルミール辺境伯家には現在侍女はいないが料理人と執事長はいる。
料理人のジャンは、がたいのいい壮年の男性だ。
「ジャンさん、お手伝いに来ました」
「奥様、ありがとうございます」
ジャンは大量の野菜の処理をしているところだった。
大きな手に小さな包丁を持ち、クルクルと皮をむいていく。
さらに野菜の一つ一つはお花の形に飾り切りされていく。
包丁や火がある場所は、小さな子どもは危ないのでミッシェルはルネッタと一緒に遊んでいる。
ルネッタもミッシェルをとても可愛がっているのだ。
野菜の飾り切りが終わると、ジャンは立ち上がった。
ウェンディがその後についていくと、魔法の力で冷たさを維持している冷蔵室には大きなお肉が下がっていた。
「今日はこちらにしましょう」
お肉は相当な重さがありそうなのに、ジャンは軽々と持ち上げた。
「ずいぶん大きいけれど、なんていう鳥のお肉?」
「虹色羽根鳥のものですよ」
「まあ、珍しい!」
「旦那様が狩ってきたのです」
「――かってきたって……もしかしてディル様が狩ってきたの!?」
「そうですよ、旦那様は奥様がいらっしゃってから、美味しい肉を食べさせるのだととても張り切っていらっしゃいました」
ウェンディはようやく、ここに来てから毎日のように食べていたお肉の出所を理解した。
「しまった、旦那様には黙っているようにと言われていたのでした」
「まあ……でも、お忙しいのに」
「……」
虹色羽根鳥は、その名の通り七色の羽根を持つ鳥だ。
王都では高位貴族が剥製にして飾っていたり、尾羽が貴婦人の装飾品の一部として使われたりする。
素材や飾りとして高級品であることは知っていたが、お肉が食べられるとは知らなかった。
料理長は穏やかに笑った。
「――あなた様は旦那様の人生で、たった一つだけのわがままなのです。旦那様が何を差し出してきても笑って受け取って差し上げてください」
「私がディル様のわがまま?」
「ええ、自分のための願い事のないお方ですから」
「……」
そのあとは黙り込んでしまった料理長。彼は手際よく肉を解体していく。
ウェンディはその横で先ほど料理長が切った野菜でスープを作っていく。
「ところで、奥様は聖女様だったのですよね?」
「ええ、一応ね」
料理長が手際よく料理するウェンディを見つめ、不思議そうな顔をした。
それはそうだろう。聖女に選ばれたなら彼女たちがするべきことは、精霊に祈り、神殿に訪れた者たちに治癒魔法を施すことだ。
聖女には侍女がつき、身の回りのことをなんでもしてくれる。ほとんどの者が幼い頃に『聖女の印』が現れて神殿で暮らすので、庶民というより高位貴族の令嬢のように育っているのだ。
もちろん、ウェンディもほかの聖女と同じように役目を全うしていた。
ただそれに加えて、孤児院の子どもたちのお世話をしたり、魔獣討伐任務に向かう騎士たちについていって治癒魔法を振るっていたのだ。
子どもたちにはスープを、最前線ではお肉を食べていけないから自分の食事は自分で作っていたし、もちろん身の回りのことも自分でする必要があった。
侍女たちは聖女としては変わり者のウェンディに寄りつかず、高位貴族と結婚するであろう美しくたおやかな聖女たちのお世話ばかりしていた。
ウェンディが聖女だったのに身の回りのことも家事もなんでもできるのは、そういった理由からだ。
「この辺境伯領は、王都に比べ何もないので驚かれたのでは?」
「――確かに、ここに来るまで自然がいっぱいでしたね」
それぞれのお皿に盛り付けをしながら、ウェンディは王都からバルミール辺境伯領までの道のりを考えた。魔獣討伐で来たときは景色を見る余裕などなかったが、今回はのんびりここまで来た。
道を尋ねれば領民たちは誰もがにこやかに教えてくれたし、何よりこの地を満たす魔力はとても強くて、心地よいものだった。
「私――この土地が好きです」
「そうですか」
ジャンは微笑んだ。
「さて、ここから先は執事長と共に給仕させていただきましょう。どうか坊ちゃんやお嬢様方と食卓でお待ちください」
「手伝うわよ?」
「いいえ、坊ちゃんもお嬢様も家族との団らんを求めていらっしゃいますから」
「……そう、ではお言葉に甘えるわね」
ウェンディはまだこの家に嫁いだわけではないけれど、子どもたちだけで食事をさせるより一緒に食べる方が良いだろう。
ウェンディはひとまずルネッタとミッシェルの遊ぶ部屋へと向かった。
ミッシェルはルネッタの膝の上に座りお絵かきをしていた。
ただグルグルと丸を書いているだけだが、その様子はとても楽しそうだ。
ルネッタも優しげな笑みを浮かべて、ミッシェルが描く絵を見ている。
「――ルネッタは面倒見が良くて、とても優しいお姉さんね」
ウェンディはポツリと呟いた。しかし彼女はもうすぐ王立学園に入学するだろう。しかも王太子の婚約者候補なのだ。
ウェンディが聖女だったときには、何度か王城に行く機会もあった。
けれど、あの場所はとても冷たくて、暗くて重い魔力が渦巻いているようで好きではなかった。
ルネッタは王太子の婚約者候補の一人だというが、彼女が選ばれなければ良い、とまでウェンディは思った。
視線を感じたのだろう、ルネッタが顔を上げディルやミッシェルとお揃いの色の青い瞳をウェンディに向けた。
「――食事の準備ができました」
「ありがとう……」
ルネッタはニコニコと柔らかに浮かべていた笑みを大人びた微笑みに改めた。
「ミッシェル、手を洗うわよ」
「まーだーかーくー!」
「ふふ、今日のデザートは何かしら?」
ミッシェルがグルグルと丸を描き続けていた手を止めて首をかしげ、そのあと目を輝かせる。
「あいしゅ! あいしゅ!」
「まあ、アイスクリームなの?」
「うん! あいしゅ!」
「そう、では手を洗いましょうね」
「うん!」
二人は手を洗うために部屋を出て行った。
ウェンディは続いてジェフとレイに声を掛けに行く。
二人は先ほどまで庭で遊んでいたはずだ。
エントランスホールに行くと、小さな足跡が二列点々と続いていた。
その先には泥だらけになった二人がいた。
「ジェフ、レイ!」
「「ウェンディさん」」
とりあえず、食事の前に先にシャワーを浴びさせる必要があるようだ。
その前に靴裏の泥を落とさせなければ、屋敷中が足跡だらけになってしまうことだろう。
靴裏の泥を落として、二人にシャワーを浴びさせる。
戻ったときにはルネッタが床の泥を拭き取ってくれていた。
「ありがとう、ルネッタ様」
「いいえ、弟がしたことだもの。姉の私が手伝うのは当然のことよ。それから、この家の中で私たちに様をつける必要はないわ。家族だもの」
「――ルネッタ」
ルネッタは当然のことのようにそう言った。けれど、耳が赤くなっていて褒められて照れていることは明白だ。
――ディル様とルネッタ様は照れると耳から赤くなるのがお揃いね、とウェンディは兄妹の共通点を見つけて少し嬉しくなった。
少々遅くなってしまった夕食。そこにはやはり慌てて帰ってきたディルも加わって、とても楽しく幸せな時間になったのだった。
最後までご覧いただきありがとうございます。『☆☆☆☆☆』からの評価やブクマいただけるとうれしいです。