王太子と長女そして末っ子 2
薔薇の垣根は迷路になっている。
どうして神殿に迷路があるのか……しかも神殿長が暮らす建物の横に、なんとも不自然だ。
それについてはルネッタも不思議に思った。
「……それよりも今はミッシェルのところに行くのが先ね」
ルネッタは薔薇の迷路をミッシェルの声がする方に向かって歩んでいった。
しかし、不思議なことにどんどん声が遠ざかっていく。
迷路は思ったよりずっと入り組んでいるようだ。進んで行くと薔薇の生け垣は赤いレンガ造りの壁に変わる。
「これなら越えられそうね」
壁はルネッタの身長よりも少し低いくらい。今日のドレスは短めだし、それほど締め付けが強くない。
日々鍛え、非常時に向けて訓練しているルネッタであれば十分超えられる高さだ。
「行くわよ……」
壁に足と手を掛け、ルネッタは軽やかに舞うように飛び越える。
その瞬間見えたのは、青い空と大輪の薔薇、そして着地点には深紅の瞳を見開いた少年。
なぜか少年は、こんな場所にテーブルセットを出して優雅に読書をしていたようだ。
瞬時にルネッタが判断できたのはそのことと、少年の瞳が薔薇よりも赤い――それだけだった。
「わ、わわ!?」
少年はルネッタを抱きとめようとして、もちろん抱きとめきれず、二人はゴロゴロと地面を転がった。
怪我をするかと覚悟したが、痛みはそこまでないようだ。
目を開くとルネッタは少年の上に乗り上げていた。
「ご、ごめんなさい!?」
「う……いたた」
「怪我は!?」
「……大丈夫。君は?」
「私は」
そこで二人は見つめ合った。
雲一つない青空より青いルネッタの瞳、そして満開に咲き誇る薔薇よりも赤い少年の瞳。
二人は身動きもできず、ただ見つめ合った。
「君はいったい?」
「あ……っ、妹を探していて!」
「……ああ、小さな子どもの声が聞こえていたな。迷路に紛れ込んでいたのか」
少年は立ち上がり埃を払うように服を叩いたが、泥が付いてしまって落ちないようだ。
少年が着ている服は一目で上等だとわかる。それはルネッタも同様だが……。
「一緒に行こう。迷路の構造は頭に入っている」
「……ありがとうございます」
良く見ればルネッタが飛び越えた壁はこの場所の四方を囲んでいる。
迷路を歩いただけではこの場所にたどり着くことはなかったはずなのだ。
壁には小さな扉、少年は鍵を差し込んで扉を開ける。
「ここはあなたのために作られた場所なのね」
「ああ、神殿長とは懇意にしていてね」
「そう……失礼しました」
神殿長と懇意にしている、それはこの少年がやんごとない身分であることを示唆する。
「はは、空から降ってきたのかと思ったよ」
しばらく歩くと、アリの行列を観察しているミッシェルと行き会った。
ミッシェルは顔を上げると自慢気に「みーつけたっ!!」とルネッタに抱きついてきた。
「……あれ?」
ミッシェルは不思議そうに首を傾げ、ルネッタから離れるとちょこちょこと少年に歩み寄って背伸びした。
「君は?」
「みっしぇる!」
「……ミッシェル」
少年がしゃがむとその耳元に顔を近づけ「おうじさま」と言った。
「どうして僕が王子だと……」
さらにミッシェルは眉根を寄せると「あのね、馬車、落ちちゃう。ちゃんとつかまってね!」と言った。
「え?」
「じゃあ、またね!」
ミッシェルはニッコリ笑うとルネッタの元に再び走り寄った
「予定時間をずいぶんすぎてしまったな。ここに護衛が乗り込んできたら面倒だ」
少年はポツリと呟くと、二人に背を向けて歩き出す。
もちろん彼が乗った馬車は帰りに道にあった穴に車輪が落ち、抜け出すのに少々難儀するのだが……それは今から半刻ほど後の話になる。
「姉さま!!」
「ミッシェル、心配したわ!」
――ミッシェルは再びルネッタの胸に飛びこんで二人は抱き締め合った。
「あの、助かりました。私は……」
ルネッタは少年に名乗っていなかったと顔を上げる。しかし彼はすでにこの場から離れ、薔薇の垣根の奥へと消えていくところだった。
「……ちゃんとお礼とお詫びをしていなかったわ」
「だいじょーぶ!!」
「ミッシェル?」
「ひゃくいちくみめ!!」
「……?」
ルネッタは首を傾げたが、あとから考えればそれは縁結び老師である神殿長が成立させたカップル百一組目のことを示していたのだ。
神殿長はもちろん王太子がいることを知っていたのだろう。
だから二人が出会ったのは偶然というより精霊の導きというなの神殿長の策略だ。
それでも二人は出会い、おそらくお互いに淡い恋に落ちた。
努力しなくても何でもできてしまうことから無気力に過ごしていた王太子はこの日から変わり周囲を驚かせ、ルネッタはあとから考えれば恋わずらいのような状態になりウェンディを心配させることになるのだった。
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