末っ子ミッシェル
ディルが出掛けてしまってからも、ウェンディの家事は続く。
三人の子どもたちはそれぞれ家庭教師から授業を受けている。その中でも長女のルネッタは間もなく王立学園に入学予定だ。
そうなればしばらく王都の寄宿舎に暮らすことになるという。
――しかもルネッタは王太子殿下の婚約者候補だ。もしかするともう辺境伯領には帰ってこられないかもしれない、とルネッタのこれから先の苦労を思いウェンディはため息をついた。
まだ二歳のミッシェルだけは、「ママ、ママ」と言いながら、ウェンディと一緒に過ごしている。
追加の洗濯物をさらに干していると、ミッシェルがウェンディのスカートの裾を引いた。
「ママ、だっこ」
ミッシェルの可愛さには勝てない。もちろんウェンディはミッシェルを抱き上げた。
すると、ミッシェルが空を指さした。
「あめ、びちょびちょ」
「えっ?」
ウェンディは空を見上げた。
しかし空には雲ひとつなく、雨など降りそうもない。
「良いお天気、よ?」
「あめ、ふるよ」
「そうなの?」
「うん!」
ミッシェルが期待に満ちた目をしているので、ウェンディは朝から干してすでに乾いている洗濯物を取り込むことにした。
そして、屋敷に運び込むと急に空が真っ暗になって雷鳴まで轟き始めた。
大粒の雨――せっかく洗った二回目の洗濯物はずぶ濡れになったけれど、一回目の洗濯物は無事だった。
「不思議なこともあるものね」
「あめ、ふった!」
「すごいわ」
ウェンディは自慢気なミッシェルの頭を撫で、もしかするとミッシェルの耳にはすでに雷の音が小さく聞こえていたのかな、と思った。
しかし、ミッシェルの不思議な言動は続く。
「おトイレ」
「ああ、おトイレ行きましょうね?」
「やっ!!」
「……?」
「おトイレびちょびちょ」
ウェンディがトイレに行くと、洗面台の水が出っぱなし、しかも運悪く落ちてきたタオルで塞がって水が溢れかえっていた。
慌てて止めたため大事には至らなかった。
「ぷりんぷりん!」
ご機嫌なミッシェル、料理長が作ってくれたその日のデザートはプリンだった。
「知っていたの?」
「なーにー?」
まだ、スプーンを使いこなしていないミッシェルは、カラメルが口についてしまっている。ウェンディは彼女の口をナプキンで拭いた。
「コップ、がちゃん!」
その言葉のすぐあとに、レイがコップを落として割ってしまった。
「……まさか」
ガラスを片付けながら、徐々にウェンディの表情は曇っていった。
ミッシェルはまだまだプリンに夢中だ。
幼児の他愛ない言葉だと思うのが普通だろう。しかし、聖女をしていたウェンディにはミッシェルの言動に思い当たることがあった。
――雨が降ることや食事のメニューを言い当てる。それはあるギフトを授かった子どもが二語文を喋り始めた頃に著明に現れる特徴だ。
そのギフトを授かる子どもは歴史上でも稀。だからこそいつだって、歴史の荒波に巻き込まれてきた。
そうだとすれば、辺境伯家ほどの大貴族の家に使用人が極端に少ないこと、ましてや子だくさんのこの家に絶対にいるはずの乳母がいないことも納得がいく。
「泣いちゃ、めっ!」
「……泣いてないわ」
「ディル、いいこいいこよ」
「……ミッシェル」
ミッシェルが見ているのは、恐らく数時間以内の近い未来だ。
このあとどうなるかは、彼女の魔力量が成長に伴いどこまで増えるかにもよるだろう。
――聖女だった私を妻に迎えようとしているのは、ミッシェルも理由のひとつなのね。
ミッシェルが未来を視る力を持つことが他者に知られたら、王家あるいは神殿は放っておかないだろう。
場合によっては家族と離ればなれになり、監禁され利用され続ける事すらあり得る。
「幸せ家族……って」
「ママ、あかい」
「赤い……?」
「なかよし、なかよし!!」
ウェンディが『赤い』の意味を知るのは数時間後のことなのだが――それにはディルの帰宅を待つ必要があるようだ。
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