侍女ではなく花嫁でした
新しい環境はいつだって緊張する。
そんなことを思いながらウェンディ・ルードディアはドレスの裾を摘まみ礼をした。
そんな彼女を出迎えるのは、黒髪に青い瞳の美丈夫だ。彼は開口一番こう言った。
「よく来てくれた。今日から君は俺たちの家族だ」
「……ありがとうございます?」
それがこのあと夫婦になるディルとウェンディ、二人が交わした初めての会話だ。
貴族間の政略結婚であれば、ときに結婚当日が初対面ということもあり得なくはない。
しかし二人は聖女と辺境伯騎士団長として顔くらいは合わせたことがあった。
――侍女も家族として扱う主義なのかしら?
ウェンディは不思議に思ったが、辺境伯領ではこれが普通なのかもしれないと考えたのだ。
ウェンディがいた王都と、隣国に接する辺境伯領では文化が違う。
だから、用意されたご馳走が侍女を歓迎するにしては豪華すぎることに違和感はあれども疑いはしなかった。
辺境伯一家は五人全員が集合していた。
長男のディルこそ成人しているが、ほかは全員まだ子どもだ。
「君の好きな食べ物は?」
「好き嫌いはないですが……お肉食べたいですね」
聖女はお肉を食べてはいけない決まりがあった。
幼いころ食べたお肉が美味しかったという記憶からウェンディはそう言った。
「狩ってこよう」
長兄であり辺境伯であるディル・バルミールは和やかな笑顔で約束した。
ウェンディは買ってくるのかと思ったが、辺境伯領では一般的にお肉といえば狩るものだ。
金のロングヘアに青い瞳の長女ルネッタは少々不機嫌な表情を浮かべているが、淑女の礼はとても美しく王都の令嬢たちに引けを取らなかった。それもそのはず、彼女は王太子殿下の婚約者候補の一人なのだ。
男の子の双子、ジェフとレイは四歳。淡い茶色の髪とアイスブルーの瞳。可愛い、しかしのちほどわかることだが悪戯好きだ。
そして末っ子ミッシェルは金の柔らかい巻き毛と青い瞳の天使のような見目をしている。
ミッシェルがちょこちょこと近づいてきて、ウェンディを見上げた。
ウェンディはミッシェルの前にしゃがみ優しい笑みを浮かべた。
「……」
「初めまして、ウェンディと申します」
「……ママ?」
ミッシェルは侍女であるはずのウェンディを開口一番『ママ』と呼んだ。
しかし、二歳児の言うことだ。
バルミール辺境伯家は一年前に領主夫妻が亡くなり、長兄があとを継いでからというもの女主人が不在だ。
幼いミッシェルが間違えることもあるだろう、むしろほっぺ可愛すぎないか天使、とウェンディは思った。
ウェンディは柔らかい金色の髪に青い瞳のバルミール家の末っ子ミッシェルを抱き上げた。
するとミッシェルのすぐ上の四歳の双子の兄弟であるジェフとレイが近づいてきて、やはりウェンディのことを「「お母様」」と呼んだ。
さすがにこれはまずいのではないかと、ウェンディは助けを求めるようにこの家の長兄ディル・バルミール辺境伯に視線を向けた。
しかし、ディルはニコニコと機嫌が良さそうな笑みを浮かべるばかりだった。
当主が許してくれるなら、可愛らしいこの三人を思う存分可愛がろう。ウェンディはそう考えた。このあと衝撃の事実が露呈するとも知らないで。
ウェンディの両足にジェフとレイは抱きついたままだ。
「私はあなたを母なんて認めないわ」
ルネッタが眉根を寄せたままそう言った。
それはそうだろう母ではないのだから、とウェンディは思った。
だが、神殿で曲がりなりにも聖女を務めていたウェンディはその疑問を顔に出すことなくニッコリ微笑んだ。
神殿長も言っていた。黙って微笑めば、銀の髪に淡い紫の瞳をしたウェンディは聖女のように見えると。当時は本当に聖女だったのだが。
「でも、しかたがないから……お義姉様と呼んで差し上げるわ」
「……ありがとうございます?」
ウェンディの困惑は膨らむばかりだ。
しかし、ウェンディの疑問については歓迎の言葉を述べてから微笑むばかりだったディルの言葉により氷解する。
「さて、花嫁も来たことだ。歓迎の宴とするか」
どう見てもディルは、冗談を言うタイプには見えない。というより、彼を知っているウェンディは、彼が冗談なんて言わない人であると知っている。
彼は戦場ではあまりの強さと厳しさで、魔獣どころか味方にも恐れられているのだ。
「……ディル様、今なんと仰いましたか?」
ウェンディは助けを求めるように、ディルに視線を向けた。
ディルとウェンディは初対面ではない。もちろんそれは、聖女と辺境伯騎士団長としての関わりで会話するのは今日が初めてというくらいの薄いものだったが……。
「……君は俺からの求婚を喜んで受け入れると返事してくれた。すでに陛下にも俺たちの結婚はお許しいただいているし、神殿長が神殿の許可も取ってくれている」
「だって、この文面にはそんなこと一言も!!」
ウェンディが取り出したのは、神殿長から受け取った辺境伯家侍女の募集要項だ。
一つ、力があること
一つ、子ども好きなこと
一つ、家事全般が得意なこと――治癒魔法が使えるとなお良い
どこをどう見ても、侍女の募集要項ではないか。しかしよくよく見れば紙の一番下には花嫁の条件であることが小さな字で明記されていた。
――辺境伯家は花嫁を歓迎する
「……確かに条件には合致していますが、むしろ私しかいないと思いましたが」
「うん? 文面については、神殿長殿にお任せしてしまったがどのように書いてあったのだ?」
「力があって、子どもが好きで、家事全般が得意で、治癒魔法を使えるとなお良いと」
「――君しかいないな」
そこでようやくウェンディは思い当たった。
二十一歳になったことで聖女の役目を引退し神殿を去ることになったウェンディに、辺境伯家の侍女の仕事を紹介してくれた神殿長――彼は周囲から『縁結び老師』と呼ばれているのだということを。
曰く、彼が今までに結んだ縁は百件近く。
曰く、彼によって縁が結ばれた夫婦は一人も別れることなく幸せに暮らしているのだという。
「まさか……」
「……幸せ家族を作ろう」
勘違いでした、と言う間もなくウェンディの手には大きな魔石が輝く指輪がはめられていた。
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