英雄になった幼馴染
※生きてます
長い長い間
世界を苦しめてきた魔王を倒したのは
私の幼馴染だった。
◆ ◆ ◆
エマがその吉報を耳にしたのは夕刻、配達帰りのことだった。
幼い頃に両親を失い、3年前、唯一の肉親である祖母も亡くしてから、エマは家業である花屋をひとりで切り盛りしていた。
花の世話をし、売り、店を綺麗に整えて――そんなふうに、その日もいつものように仕事を片付け、最後に注文の花束を客の家へ届け終えたところだった。
と、突然。
定刻でもないのに教会の鐘が鳴りはじめ、国軍の騎馬隊が、次々と広場へ現れた。なんだなんだと驚き集まる人の波に押され、エマも聴衆のひとりに加わる。
隊長なのだろう立派な騎士服姿の男性が、馬上から高らかな声をあげた。
「魔王が死んだ!!」
「勇者レオンハルト殿が倒したのだ!」
(え……?)
一瞬ぽかんとしたのはエマだけではなかった。
周りの人々も呆けた後、顔を見合わせ、数秒ののち、やっと言葉を理解する。
「魔王が……死んだ?」
「そう聞こえた、けど」
「ほんとうに?」
「魔王が?」
「死んだ?」
「やった……」
その誰かの呟きがきっかけだった。
「やったぞ……!」
瞬間、爆発したように歓声が沸き起こる。老いも若きも、知人も他人も関係なく、人々は手を取り抱き合い、勝利を噛み締めた。中には場にうずくまり、肩を震わせる者までいた。
けれどエマはひとり、取り残されたように立ち竦む。
(魔王が、死んだ……? レオンハルト……レオンが、倒した……?)
『エマ』
忘れることなど出来はしない、柔らかな笑顔が蘇る。
皆が名前を叫んでいるその人、魔王を倒した勇者レオンハルト――レオンは、エマの隣人で、幼馴染で、初恋の相手でもあった。
――レオンは子供の頃から正義感が強く、困っている人を放っておけない、気の優しい男の子だった。
重い荷物を運んでいるお婆さんをおぶってあげたり、畑仕事で腰を痛めているお爺さんの手伝いをしたり、迷子の猫を探したりも、よくしていた。
そんなレオンの幼馴染であるエマは、平凡を絵に描いたような、どちらかといえば控えめな女の子で。緊張すると言葉をつっかえさせる癖があり、街の子供達からしょっちゅう揶揄われていた。
けれどそんな時、レオンは決まってエマを庇ってくれていた。「何が面白いんだ?」とエマを囲む男の子たちに首を傾げて、エマが居づらくないようにしてくれていた。
レオンがいたから、エマは子供時代を孤立せずに過ごすことができたのだと思う。レオンにとってはなんてことないのだろうその優しさに、エマはとても救われていたのだ。
レオンの金色の髪はまばゆく青い目は陽を浴びた湖のようにきらきらと輝いていて。
「エマ」と名を呼ばれ、屈託のないその笑顔を向けられる度、エマは胸が詰まるくらい幸せな気持ちになった。いつしかレオンにだけは、言葉をつっかえさせることもなくなっていた。
レオンは不思議な魅力のある男の子で、周囲には蜜に群がる蝶のようにいつだって人が集まっていた。エマもそう、そんな、彼に魅了された蝶の一頭にすぎなかったのだと思う。
平凡で何の取り柄もないエマが人気者のレオンに構ってもらえていたのは、ひとえに家が隣同士だったからだろう。
いや、年老いた祖母とふたり暮らしだったことを彼の両親が気にかけてくれていたからかもしれない。
ともかくそんな境遇が重なって、同じ年に生まれたエマとレオンは、本当の兄妹のように、ほとんど毎日をいっしょに過ごしていた。
川で泳いだり、山に登ったり、互いの家を行き来するのは日常で、お泊まり会もしたし、誕生日も毎年レオンの家族とお祝いした。
エマはレオンが大好きだった。
このまま大人になっても仲良くいられたらいいと、星に願ってもいた。
レオンはとても素敵な男の子だ。
頭もいいし、街で習い始めた剣術だって誰よりも上手い。街の女の子にもよくモテる。だから平凡な自分が彼に釣り合わないことをエマはよく知っていた。恋人になれなくてもいい。隣人として、幼馴染として、ただ、そばにいられたら。それだけでエマは満足だった。けれど。
――5年前。
エマとレオンが14になった年のことだ。
古くから世界を脅かしていた魔物が急激に活発化した。生息域ではないはずの街や森に現れ、人を襲い、家畜を喰い、国々を荒らしはじめたのだ。
これまでも人は魔物に見つからないよう、結界を張り、知恵を絞り、息を潜めるように暮らしてきた。だが、その年に始まった厄災は、これまでの比ではなかった。術は破られ、家屋は壊され、命を奪われる。
どうにかしなければと、各国の王族たちは急ぎ集い対策を練った。 高位魔術師らの調査により、突然の魔物の活発化は魔王が代替わりしたためだと判明した。
これはもう魔王を討つしかない。
そう結論を出した王族たちは討伐軍を編成し、且つ市民からも兵士を募り――勇者を【探す】ことにした。
魔王は強い。長い長い間、人類は幾度も彼らに立ち向かい、その度に返り討ちに合っていた。
エマの街にも英霊の名が刻まれた石碑がいくつも建てられている。
魔物には敵わない。だから人々は、知恵を絞り、結界を貼り、彼らの領域を侵さないことで何とか生き延びていた。
そんな状況の世界だ。
ただでさえ正義感の強い少年が、名乗りを上げないわけがなかった。
「俺も討伐軍に志願する」
王からの触れが、エマたちの街にも届いたその日。
レオンはエマの家にやってきてそう告げた。いつも遊んでいた丘や森には、もう近づくことができなくなっていた。魔物が蔓延るようになったからだ。
玄関の扉を背にしたレオンが、真っ直ぐな目をして言う。
「王都に行って、訓練を受ける。そこで聖剣ってのを引き抜けたら、勇者にもなれるらしいんだ」
「勇者……?」
尋ね返すと、レオンは短く頷いた。
なんでも、伝説の鍛治師が鍛えたその聖剣を鞘から引き抜くことができれば、勇者と認められ、聖女の加護も受けられるのだそうだ。しかもその聖剣には、魔王を倒す力も秘められているらしい。
「でもそれ、今まで誰も抜けなかったんでしょう? それにすごく危ないわ。レオンが行くことない」
引き止めようとしたエマに、レオンは困ったような笑顔を浮かべる。
「大丈夫だって。すぐに前線ってことはないだろうし、それに俺、筋がいいって剣の先生にも言われてるんだぜ? もしかしたらほんとうに勇者になっちまうかも」
「でも」
「魔王を倒せたら魔物の活動も元に戻るはずだ。そしたらまた、いろんなところに出かけられる」
「……」
どこに行かなくたって、エマはレオンと部屋で本を読んでいるだけでも楽しい。でも、レオンはそうではないのだ。
暗雲が立ちこめる。はるか上空では、恐ろしい竜が飛び回っていた。
このままではいけないことは、エマだってよくわかっている。誰かが、皆が協力しなければならない。でも、わかってはいても、エマはレオンと離れるのが嫌だった。だから悪あがきをする。
「どうしても行くの?」
「人手不足だって話だしな」
「おばさまとおじさまは? なんて?」
「母さんには止められたけど、父さんは賛成してくれた」
レオンが魔物と戦うだなんて、考えただけでも恐ろしい。けれど、レオンはもう、エマが何を言っても決心しているようだった。今だって相談しているのじゃない、行ってくる、と挨拶に来ただけなのだ。
エマは思う。自分が彼の特別だったら、引き止めることができたのだろうか。
けれど現実のエマはたんなる隣人で、幼馴染に過ぎなかった。
「泣くなって、エマ」
言われながら優しく頬に触れられる。見返した先には、やっぱり困ったような笑顔があった。いつまでもいっしょ、なんて夢物語だ。エマも独り立ちするときが来たのかもしれない。青い瞳を見つめ返す。
「……絶対帰ってきてね」
「ああ」
「絶対よ? けがもしないで。かすり傷もダメ」
「わかったって。約束する」
目を細めて笑ったレオンに、頭をくしゃりと撫でられる。
「全部片付いたらまた、いろんなところに行こうな」
魔王を倒して、世界が、生活が元通りになったら。ふたりはそう約束して、小指どうしを絡めた。
そうしてその数週間後、王都で聖剣を引き抜いたレオンは、見事勇者となったのだった。
(あれから、5年)
そんなに経っていたのね。
エマはどこか夢でも見ているような気持ちで、目の前の光景を眺め上げていた。
街一番の大通りには、人がぎゅうぎゅうに押し寄せていた。
「勇者様ー!!」
「お帰りなさい!!」
「こっちを向いてー!」
「そこ! 線から出ないで!」
注意を促す警備隊と、鳴り止まない歓声。寿ぎの声。
(ほんとうに魔王を倒しちゃうなんて……)
エマは、嬉しいのと信じられない気持ちでいっぱいだった。だからぼんやりと、笑顔でいろんな場所に手を振っている幼馴染をみやる。その横顔に、こちらには向かない視線に、寂しさが募っていく。
――勇者が魔王を倒してからひと月後。
勇者の故郷であるエマたちの街では、盛大な凱旋パレードが執り行われていた。
花弁が舞い、あちこちでは祝い酒が振る舞われ、一目でも英雄の姿を見ようと観光の客も大勢押しかけている。
先頭は立派なお仕着せの兵士たちが、その後ろを踊り子が、その後ろには楽隊が……と焦れに焦らされたところで、やっと屋根のない豪奢な馬車に乗った勇者一行が現れたのだ。この熱狂も無理はなかった。
「勇者様ー!」
「レオンハルト様ー!」
若い女の子たちが、頬を染めて声を上げていた。黄色い歓声は子供の頃も浴びていたけれど。と。エマは懐かしく思う。
昔から優秀だった幼馴染は、とうとう手の届かないほど遠い存在になってしまった。魔王を討ち取ったレオンは、恩賞として貴族にだってなってしまうのかもしれない。
(立派になっちゃったなあ……)
だんだんと目の前を通り過ぎていくレオンの、変わらずまぶしい金髪を見送る。
背はすっかり伸びてしまっていたし、顔も凛々しく引き締まって、ここから見上げたレオンは、まるで別の人みたいだった。でも、わかる。彼はあのレオンだった。輝く湖のような瞳も、屈託のない笑顔も、あの頃と少しも変わっていない。エマを救ってくれていた、大好きなレオンのものだ。
でも、そのレオンが今はひどく遠い。
……レオンは、旅立った最初の数年は、手紙で近況を教えてくれていた。
聖剣を抜いたとき尻餅をついてしまったこと。
少数精鋭のパーティとやらに入れられたこと。
高度魔法を初めて見て感動したこと。
異国の地は暑かったり寒かったりして、不思議な生物もたくさん存在していること。(その手紙には、動物のイラストまで描きそえられていた)
けれど、しだいに旅は過酷になっていったのだろう――手紙の届く間隔はだんだんと開いていって、ついに音沙汰はなくなって、最後に受け取ったそれは3年も前のものになっていた。
(でも、無事でよかった)
だからエマは、声をかける。
「お帰りなさい、レオン! ……ありがとう!!」
この人の多さと距離だ。聞こえるわけもないのに。
どうしてだろう。
馬車の上にいたレオンが、不意にこちらを振り返った。そうして辺りを見回して、ついに――――目が合う。エマは自分の願望、あるいは気のせいだったのだろうかと思ったけれど、違った。
しっかり視線が絡んで、ふわりと微笑まれる。まだ彼に心を奪われているエマには、毒のような笑顔だった。と、仲間らしい騎士に小突かれ、レオンは名残惜しそうに顔を前方へ戻す。勇者一行を乗せた馬車が、再び遠ざかっていく。
「なんだったんだ? 今の」
「さあ……勇者様、こっちを見た気がしたけど」
エマの近くにいた若い夫婦が、揃って首をかしげた。
また会えるはずだと、エマは涙を堪えた。
その、翌日のこと。
「エマちゃん、お花を一輪ちょうだい。赤いのが嬉しいわ」
「はい、ただいま」
エマはいつもの日常を送っていた。
花の世話をし、売り、店を綺麗に整えて――今日の平和に感謝し、一日を過ごす。
「ふふ、いい匂い。ありがとう」
「またお待ちしてます」
常連客のお婆さんを見送り、店内に向き直る。ここ数日は天候がいいためか、仕入れもいつもよりずっと多かった。それに花の質もとてもいい。魔物が減った恩恵だ。エマは甘い匂いを放つ白い花を手にとり、鼻を近づけた。
と、そのとき。
「エマ」
声をかけられて振り返る。そこには。
「いらっしゃ……ってレオン!?」
「しーっ一応お忍びってやつなんだから」
言われて、エマは慌てて口をつぐんだ。けれど驚くなと言う方がおかしい。なぜなら、黒いフードを被り店に現れたその人は今をときめく世界の英雄だったからだ。街のひとたちに見つかったら、エマの小さな花屋など押し寄せられ、潰されてしまうかもしれない。
エマは信じられない気持ちのまま、レオンを見上げる。
「ど、どうしたの? こんな朝早く」
「朝早くないと出られなかったんだ。ったく、王様ってなんでああなんだ……酒を飲め飲めって」
忌々しそうにフードを外したレオンは、眉をきつく寄せていた。
「王様……すごいひとと知り合いになっちゃったのね」
「すごくねえよ。ただのおじさんだって」
「そうなの?」
よくわからないけれど、レオンがそう言うのならそうなのだろう。いや、それよりも今は。
「で、どうしたの?」
「どうしたのって……」
レオンが困ったようにエマを見下ろしてくる。
昨日のパレードをカウントしなければ、5年ぶりの感動の再会のはずなのに。あまりに突然すぎて、淡々としてしまっていた。
レオンは気まずそうに首元を指で引っ掻く。
「……会いにきたに決まってるだろ。昨日は、一瞬しか見えなかったし」
「やっぱり、気づいてくれてたのね」
「当たり前だろ。エマの声を聞き逃すはずない」
「ふふ、相変わらず動物みたいに耳がいいのね」
にこにこと言い返すと、レオンもやっとはにかんでくれた。
「ただいま、エマ」
「うん! お帰りなさい」
手を握られて、握り返す。
心臓はドキドキしていたけれど、想像していたほどではなくて、エマは内心ほっとする。
大丈夫。普通に話せている。
「おばさまとおじさまには? もう会ったの?」
「いや、これから。先にエマに会いたくて」
「嬉しいけど、おじさまヘソを曲げちゃうかも」
「もう大人なんだし、んなことねーって」
そうかしら。と、エマが言いかけたところで店先から、「すみません」と若い男性の声がかかる。
「あ、はい、ただいま! ごめんなさい、ちょっと待ってて」
「ああ」
レオンがそっとフードを被り直す。
エマは軒下で佇む男性客に急いで近寄った。
「すみません、お待たせしました」
「いえ。えーと、花束が欲しいんですけど、予算はこれで」
「入れたい種類はありますか?」
「そうですね……」
男性客の要望を聞き取り、価格と見合ったそれをテキパキと作り上げる。最後にリボンを結び終えて、接客は終わった。
「ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました。色合いも香りもとても素敵です。きっと彼女も喜んでくれると思います」
男性客はいたく感動したらしく、何度も何度も頭を下げ、通りを歩き去っていった。
と、店の奥からレオンが歩いてくる。
「エマ、腕上げたな」
「そう?」
「うん。あの客が喜ぶ気持ちもわかる。すごく綺麗だった」
ラッピングに使った資材を片付けながら、エマはレオンを振り向いた。
「レオンに褒めてもらえるの、嬉しいわ」
しかし近づいてきたレオンの顔はどこか浮かない。
「……レオン?」
「昔は誰と話してもしどろもどろだったのに」
言葉をつっかえさせる癖のことを指しているのだろう。エマは笑った。
「今もたまに出るわよ。でも、直したくて特訓したの」
克服と呼ぶには足りないかもしれない。でもエマは、レオンが街に帰ってきたとき、もう彼に頼らなくて済む自分になれるようになっていたかったのだ。
「……そっか、頑張ったんだな」
レオンが嬉しそうに微笑む。
「実は……別の人になったみたいで寂しくなりそうだった。ごめん」
「ううん」
帰還したレオンが別の人になったように感じていたのは、エマも同じだった。でも本質はきっと変わっていない、お互いに。だからこれからも、同じように幼馴染でいられるはず。
そう思っていたエマの手を、レオンがもう一度握ってきた。
「小さいな……」
違う、レオンが成長したのよ。とエマは言い返す。
記憶のそれより大きく、ごつごつしたレオンの手。彼はこの5年、エマの想像もつかないような危険な目に遭ってきたに違いない。見上げたレオンの顔にも、少し見える首筋にも傷の跡が残っていた。
「けがしないでって言ったのに」
言えば、レオンはごめんと笑った。
「でもこれで、またエマと出かけられる」
柔らかな眼差しが、朝日を受けて煌めいていた。
「川でも海でも山でも森でも、旅行にだって行き放題だ」
「うん。レオンのおかげ」
「違う、エマのおかげ」
え? と首をかしげそうになったエマの額に、レオンのそれがこつりと当てられる。
「……旅に出てさ、もうだめだって挫けそうになったとき、いっつもエマを思い出してた。エマに会いたいなって、また遊びたいって。そしたら、頑張れた」
「…………ほんとう?」
「ほんとう。だから全部、エマのおかげ」
嬉しいことを言ってくれる。大好きな幼馴染を前に、エマは視界を歪ませていった。涙がこぼれ、いつかみたいに優しく拭われる。
「どこに行きたい?」
「どこでも」
レオンといっしょなら、エマは家の中だって楽しいから。
伝えると、レオンはエマを抱きしめてくれた。
「俺も。エマとならどこでも楽しい、だから」
手に、何かを握らされる。
小さくて硬い……これは、円環――?
「これからも俺とずっといっしょにいてください」
むせかえる花の香りに、優しい声。エマは握らされたそれを見て、笑顔で頷いた。
「はい」
こんなに嬉しい日はなかった。エマもレオンの背に腕を回し、きつくきつく抱きしめ合う。もう離れることがないように。
そうして
長い長い間
世界を苦しめてきた魔王を倒した勇者は英雄となり
大好きな幼馴染とそれはもう末長く幸せに暮らしました
おしまい
読んでくださってありがとうございました☺︎