夢の接続
今日は遠出の帰り道、疲れたためパーキングエリアに止めた車の中で仮眠をとっていたはず。
「ここは?」
それなのに気が付いたら石の床で寝転がっており、身を起こして周囲を見れば回りは古い寺院の中に居た。
何が起きたのか理解できないまま起き上がる。念のためポケット等をあさるが財布もスマホも何も無い。盗まれたのかと一瞬焦ったのだが、寝る前に車のダッシュボード中に入れておいたの思い出しほっと胸をなでおろした。
それにしてもここはどこなのか、彼はゆっくり周囲を見回すと数人の人影がみえる。ここがどこなのか聞こうと走りよるがどうも様子がおかしい。
「あの、すみません。道に迷ってしまったようで」
声をかけるが虚ろな表情のままどこかに向かって歩いていく。彼の声などまるで聞こえていないようだ。よく目を凝らしてみると、色が薄く向こう側が微かに透けてみる。
ぞっとしたまま後ろに数歩下がり、周囲のほかの人を見てみるが同じように色が薄く透けている。それから10人ほど声をかけてみたものの、誰も答えてくれず、途方に暮れたまま10分か20分か、壁際に座り込み困り果てていた。
「右も左も分からず、どうやって帰れば……」
どうしようもなくなりかけたとき、人の足音が少しずつ聞こえて来るのに気が付いた。目を向けると質素な胴衣らしい物を着ている姿が見える。TV等で見かけるお坊さんによく似ていた。
「どうせダメだろう」
もう何人も声をかけても反応が無かった。同じことの繰り返しに心が折れかけていた。しかしお坊さんらしき人は彼に気付いたのか驚いた表情を浮かべたまま向かっていく。
「君は……生きたまま?」
「私がわかるんですか!? 良かった助かった!」
困り果てている事が表情に出ていたらしい。軽くなずきながら彼の状況を理解したようだ。
「理解できてないだろうけど、普通はここに来ると虚ろになって自分が何者かも分からない。そう思ってくれるかな」
虚ろ、あの色が薄く声をかけても反応の無い人たちの事だろう。
「見たところ死に掛けてるわけでもない、魂と肉体が別れてるみたいでもない、眠ってるだけだろうか」
彼の理解が追いついていない事に気付いていないのか、自分の理解だけを深めているようだ。
「あの、あなたは誰で私はどうなって?」
「私は元坊さん。あなたは生きたまま魂の休息地に来ている」
魂の安息地、意味が分からない事だらけだが、坊さんと名乗る人はどこだか理解している。聞きたいことは山ほどあった。
「そうではなくて! どうなってるのかと聞いてるんですよ!」
「君の事、私が知る訳ないでしょう」
表情に曇りなくあっけらかんと言い放つ。当然だ、坊さんであろうと人、他者の事を全て分かるはずもない。熱くなりかけていたものが冷や水をかけられ、冷静さを完全に見失いかけていた事に彼は気付いた。
「落ち着いて、え~と」
冷静にならないと説明できそうもない。口に出して自ら落ち着けという時点で紛れも無く混乱しているのだが、それでもなんとか彼は冷静になろうと努め思考を続ける。
「そうだ。帰り道! どうやって戻ればいいんですか」
魂の安息地というからにはあの世に近いものだろう。このままあの世の入り口らしい所に居ると死んでしまうかもしれない。
「自然と目覚めるはずだよ。最悪このまま目覚めない可能性もありますけどね」
ぞっとしたものが彼の背筋を走る。このまま目覚めない。魂の休息地をよく理解は出来ていないが、少なくとも目覚めない以上死んでしまうと同じ事のはず。
「どうすれば目覚められるのですか! 教えてください!」
「君は聞かないと何も分からないのかい?」
坊さんの言葉に一瞬いろいろなものがよぎり、詰め寄ろうとしていたのを留まる事ができた。感情に任せ詰め寄ったところで何か解決するわけではない。
「道は教えます。でも何をするかは自分で考えるといい」
お坊さんはゆっくりと胴衣の袖から腕を出すと方角を示した。
「私はこれからあちらに向かう、つまりあちらが安息地の奥。 反対に行けば入り口のはずだよ」
指差した方角は太陽光な温かみのある光が溢れ、反対側は薄暗く月明かりのような光に覆われている。
「ありがとうございます!」
彼は頭を下げると足早に月明かりの方に向かっていく。その様子を坊さんはじっと見つめたが、自らが向かう方向へと体を向けた。
「生臭坊主の私が死んでから説法するとは、これもまた何かの徳なのだろうか」
元坊さんは自らの足を安息地のほうに向けるとゆっくり歩き始めた。
月明かりの方向に向かうにつれ、徐々に石畳は荒れ始め歩き辛くなっていく。感覚的に5分ほど早歩きであるいただろうか。通り過ぎる人はみな虚ろで姿が透けて見える。お坊さんの言ったとおり生者ではないのかもしれない。
石畳が無くなり土の上を歩き始めた頃、遠目に見ていた扉の大きさに彼は驚いた。目の前まで着てみると高さ五メートル、両開きの扉の巾は3メートルはあるだろう巨大な木製の扉、彼がおそるおそるそっと押してみると羽のように軽くゆっくりと開いていった。
「あれ?」
先ほどまで寺院の中を歩いていたのだが、開けた扉の先はビルのエントランスのような場所になっている。疑問に思いつつ中に入ると透明な人たちが扉を潜り抜けていく。どうやらここが入り口らしい。
「出入り口はいったい」
扉はエントランスの二階部分にあったらしく、数歩進むだけで全体を見渡せる場所についた。エントランス中央には複雑に組み合った歯車の山、そしてエントランスの天井近くには大きなアナログ時計が時を刻んでいた。だが、アナログ時計は時を刻んでいるようにみえるのだが、その秒針は正回転しているものの、分針は逆回転、時針はほぼ停止している。
「頭がおかしくなりそうだ……」
彼が見下ろす先には多くの薄く影の見えない人々がエントランスを歩き回っている。声も足音も無い雑踏、異様な光景が目の前に広がっている。しかしここは坊さんが言ったとおり現実ではない。
きっとこれがここの常識なのだろうと彼はなんとか理解しようとエントランスを見回す。天井は光り輝いているが、まぶしく目が眩むような感じはしない。壁は青空なのか時折白い雲が流れている。
「うーん……」
理解するどころかますます混乱してしまいかねない事に気付き、深く考えず状況を受け入れる事に徹するよう彼は頭を切り替える。時折エントランスの壁に扉が現れては、人が出入りし消えていく。恐らくあそこが現実との接続場所なのだろう。なんとかそう結論付け自分を納得させる。
「おや、迷い人とは珍しい」
突然の声の主を探そうと彼は周囲を見回すが、坊さんのように色がはっきりしている人は見当たらない。
「こちらだよ」
もう一度声の聞こえたほうを見ると時計のすぐ前にある浮いた台座の上に人の姿があった。支えも何もない空間に浮く台座、異様な光景と考えるか、神秘的な現象と捉えるべきなのか彼は判断に困まった。
「物理法則も何も通用しないのか」
「夢の世界にそんなものが必要だと思うのかい?」
台座の上に見ていた人影が飛び降りると舞い落ちる羽のようにゆっくりと降下する。天井から発せられる太陽光に似た光に照らされその姿は天使のようにもみえる。彼の2m程度前に着地すると丁寧に頭を下げた。姿ははっきりしており、映画やTVでみるような天使とは違い、白ではあるが軍の礼服のようなきっちりとしたものを着用している。
「私はここの番人兼案内人、君は迷い人だね」
男なのか女なのか、声も判別が付き難く、完全に中性的で判別がつかない。
「君はね。現世との繋がりが虚ろになってる。これでは意識が覚めても元に戻れないわけだ」
即座に状況を理解し彼に構わず淡々と話を進めていく。どうやら目の前の人物はここを管理しているものなのだろう。
「手を貸してくれるなら、その空いた時間に君の繋がりをすぐに直してあげよう」
繋がりを直してくれる。元の世界に戻れる。希望が見えてきたことで一気に希望が見えてきた。
「戻れるならなんでもする! 死にたくはないんだ!」
彼の必死の願いにも似た大きな声だったが、気にも留めていないのか耳を軽く押さえる。
「時折扉が開いたまま閉じない事があるから、その扉を閉めてくれるかな」
扉が開いたまま閉じない。情報不足でいまいちわからないが、彼は手伝って元の世界に返れるのなら何だってよかった。
「道具はこれ」
どこから出したのか、その手に差し出された道具はどこからみても少し大振りのただのバールだった。
「……」
「不満がある顔だね」
彼の表情にははっきりと不信感が顔に出ていた、ずばりと言い当てられ動揺してしまう。
「君に頼める程度のものは、扉に何かが挟まって閉まらないものを動かすだけの簡単な事だよ。これで十分なのさ」
夢の世界なのに何かが挟まる。理解できないがきっとそういうことが起こるのだろう。彼が深く考えた所で理解するには時間も情報も足りなさ過ぎる。
「ほら、あの霧が揺れているような扉、あそこに挟まっている物を扉側に押し込めばいいから早く行った行った」
せかすように促され彼は差し出されたバールを握る。
「あぁそうだ。扉の中に二メートル以上入っちゃダメからね。あと黒の扉は触らなくていいし、近づかないで」
「わかりました?」
彼は言われるがまま扉の方向に向かう。
ちゃんと向かったのを見届けると管理者は懐から小さなカードを取り出した。
「さてと」
管理者は近くの何も無い壁まで行くとカードを壁に貼り付ける。カードを中心にゆっくりと壁の中から一つの扉とそれを挟み込むように二本の柱が姿を現した。扉を挟むように立っているのは記憶の柱、複雑な文字や絵柄が刻まれており薄っすらと影が掛かっている。
「ふむ、ぱっと見たところ汚れも見えないし、人格的問題はなさそうか」
人の繋がりを直す、それは人の在りを知らなければならない。生まれてから今までどう生きてきたのか、それが分からなければ縁を繋げ直すことは出来ないのだから。詳細に確認している中で柱の一箇所ひび割れが発生しており、連続性が途絶えてしまっているのを管理者は見つけた。
「さて、何が起きたのかな」
ひび割れに手を当てると目を閉じ意識を集中させた。
元の世界に戻るため、言われたとおり霧のように揺れている扉の前に向かっている。目をこするが扉の輪郭をしっかり捉えられず、距離感が上手くつかめない。到着してみると言われたとおり周りの扉と違い、消えずにずっと開いたままその場に存在していた。
半分開いた扉をじっと見ると下のほうに小さなボールのような物が転がっており、それが扉に挟まり閉じる事が出来ないようであった。
「これかな?」
彼がバールの端をボールの下に差し込み扉側に向かって押し上げると、簡単に持ち上がりころころと転がり扉の中に消えていった。挟まっていたものがなくなると扉はゆっくりと閉じ消えていく。
「なんだ。簡単じゃないか」
彼は周囲を見回すと所々霧が揺れており、まだまだ片付けなきゃいけない事が多いようだ。
次に彼が向かったのは薄く青い色をした扉だった。目を凝らしてじっと確認すると扉は積み上げられた本が挟まっていた。
「今度は本?」
彼が手に持ってみると思ったよりも軽く、一冊一冊手に持って扉の中に投げ込んでいくが、扉の中で床に落ちたような音は聞こえない。深く入ってはいけないといわれているが、覗いてダメとは言われてない。興味が沸いた彼は最後の一冊を投げ入れる前にほんの少し扉の中を覗いてみる。
彼の視界に映ったのは壁一面詰まれた蔵書庫のような部屋だった。うっすらと見える奥のほうにはランプの光を頼りに椅子に座りながら本を読んでいる初老の老人だった。彼は静かに本を床に置くと扉を閉めた。
「???」
何がなんだかさっぱり理解できなかった。何故消えたり現れたりする扉の向こうに人がいるのか、そこはなんなのかまったく理解できない。
次に訪れたのは鉄の色をした扉の前だった。挟まっていたのは少し大きめの金槌、彼が持ち上げようと手に握るがかなり重いらしく、バールを下に突っ込みてこの原理を利用して扉の奥に滑らせていく。後一押しで扉の中に完全に入るところで、扉の置くから何か叩くような音が聞こえてくる事に彼は気付き、そっと扉の中を再び覗いてみた。
「……鍛冶師?」
扉の中にあったのはTVや映画でみるような鍛冶場だった。白い装束を着た一人の男性が熱せられた鉄を叩き形を整えている。邪魔をしないようにそっと静かに金槌を扉の中に押し込むとゆっくり扉は閉じられた。
今度は海のような色をした扉、扉はビーチパラソルとサンダルが挟まり閉じれずにいる。立てかけられていたビーチパラソルを手に取ると扉の中に戻し、サンダルを手に取り中を覗いてみる。
扉の先は真夏の砂浜のように日光が強く、照りつける太陽と白い砂浜にまぶしいほどだった。まぶしい日光の下で目を凝らし、ようく中を見渡すと海に入るちょっと手前で佇んでいる女性の姿が見える。サンダルをそっと扉の中に置くと扉は静かに閉じられた。
「なんか、全部どこかでみたことがあるような?」
どの扉も共通している事は中に一人だけ人間が居る事だけ、それなのに今まで見た景色はどれも彼は以前見たことがあるような気がしてならなかった。何故なのか考えながら次の扉に向かっているとき、人のうめき声のようなものが聞こえ彼は足を止めた。声のする方向には黒い扉がある。
エントランスの端、階段の影に隠れるように配置されている。遠めに見ているだけだがなんとも嫌な感じがするのだが、彼は僅かな興味から目を凝らしてじっと見ると、閉じられていない扉は細長いものが二つ挟まっているように見える。
近寄るなといわれている事もあり、遠く離れた位置から前を横切った途端、彼は突然何かに腕を掴まれた。それは黒い扉で挟まっているように見えいてたもの、か細く汚れた人の腕だった。
扉から伸びた腕は彼を引きずり込もうと引っ張る。とっさに堪えた事で転ばずには済んだが凄い力で足元は滑り、払おうとしてもがっちり掴んだ手は腕を離そうとしない。彼はどんどん扉まで引っ張られ、とうとう中に引きずり込まれる。そう思ったとき扉のふち、完全に開かれていない左右にバールを引っ掛け、これ以上引き込まれないよう体を支える。
「なんなんだよこれ!」
彼は訳も分からず焦りながらも扉を掴み必死に閉じようとするが、か細い腕はがっちりと扉を支えびくともしない。一分だろうか、抵抗する時間が経とうとした時、何か足元に見えた気がした。
彼は視線だけを下に向けるとか細くささくれた人の足が扉から出ていた。
「うっ……あぁぁぁぁ!」
悲鳴に近い絶叫、暴れるように必死に抵抗し腕から逃れようとするが、徐々に扉の中から体が出始めようとしている。腕、足、肩、そして顔が出ようとした時、何かが彼の横を通り過ぎか細くささくれた腕に突き刺さった。
「汝ノ罪行ワレヨウ時ニテ結末ノ裁定ハ下サレル」
怒りに満ちた声に振り返ると繋がりを直してくれているはずの管理者が立っていた。髪は炎のようにゆらめき逆立ち顔は怒りに歪んでいる。管理者の周りには無数の錆びた刀剣が浮かんでおり、何本も何本も彼の横を通り過ぎ扉から出ていた体に突き刺さる。
身を掴んでいた腕を引き剥がし扉の中に押し戻していく。おぼれるものが近くにあるものを必死に掴むがごとく、空を掴もうと腕はもがくが、その腕にも刀剣は突き刺さり扉は閉じられた。最後は扉に何本も突き刺さり、消えることなく床に黒い影のようなものが広がりその先へと扉は呑み込まれていった。
安堵と恐怖で座り込んでいたところ管理者が彼の横に立った。
「あれはね。 悪夢そのものだよ。 人の心の中に眠っている悪夢に呑まれた人」
僅かな恐怖を持ったままゆっくりと見上げると、彼は先ほどとはまったく異なり、優しさの宿る口調に悲しみと憂いが織り交ざった表情を浮かべている。
「ここは現実とあの世の境目、人の精神世界がはっきり見える場所、夢を見ている間にここを尋ねる人も居れば、死ぬまで尋ねない人も居る。君は死ぬ前に尋ねた珍しい人」
あの世とこの世の境目、三途の川のようなものだろうか。そんなところに来てしまったのかと彼は冷や汗を流す。
「扉の主は、もう二度とこちらにも来れない。 魂の安息も力も得られず、地獄に落ちるだけ。 必死に落ちないように扉を支え、最後には君と入れ分かろうとしたけど、そんな事あのお方が許されるはずも無い」
あのお方、きっと閻魔様か神様の事だろう。もはや彼の理解が追いついていかない。
「悔い改める最後のチャンスだったのに、最後まで自分だけ助かろうとしたのが、最後の一瞬まで悔い改める機会を与えられても、心は変らなかった」
語る言葉と表情にいまだどこか哀れみのようなものが感じられる。何も言えず黙っていると突然表情が明るいものに代わり彼の方を向いた。
「あぁそうだ。 君の扉の接続が直ったから帰るといいよ。 ついてきて」
管理者は感情の切り替えが早いのか、もしくは完全に別離しているのか。彼は言われるまま後を付いていくと一つの扉が開いていた。
「さて、これから君は現実に戻る。 ここで会った事を覚えていられるかは分からないけど魂には刻まれている。 忘れちゃダメだよ。 人は決して犯した罪から逃れられないけど、悔い改めるチャンスは最後の一瞬まで与えられている事を」
管理者の言葉に彼は頷き扉の中に入ると視界が暗転し意識が薄れていく。
目が覚めると彼は車の中に居た。朝日が入り込みまぶしき車内を照らしている。とても大事な夢を見ていたはずなのだが彼は思い出せない。
少し霧が掛かったような頭のまま彼は車内の時計を見ると6時を回っている。キーを回しエンジンが回転し始める振動、空気を入れ替えようと窓を開け外気と朝日が生きている実感を与えてくれる。
「帰るか」
(忘れちゃダメだよ)
背を伸ばした直後に彼は一瞬何かが聞こえた気がして周囲を見回すが、車内にも周りにも誰も居ない。首をかしげながら帰路に着いた。
昔書いたものを若干手直ししたものです。夢とホラーを混ぜ合わせた企画に提出した作品ですね。
6割程度夢で見た内容を着色したものです。