2.便利屋稼業
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配達の仕事は単純で分かりやすく、漆紀としては便利屋家業の依頼内容の中で一番楽しく感じていた。バイクの運転自体は別段嫌いではなく、自分が映画さながらの運び屋に成った気分で楽しめるのだ。
郵便局ではなくわざわざ便利屋に配達を頼むような品は6割が違法な物品である。違法な物品であると依頼者から明言される事はないが、薬物なり危険物なり知らない方が良い物だろう。
実際に違法な品を運んでいる事実を意識すると、運び屋ごっこにも精が出る。
依頼者が指示した場所に着くと、バイクを路上停車して降りる。
「おう、あんたが便利屋か」
依頼人は商店街の路地から外れた目立たない所にいた。
「えっと新田様? 配達物はどこに」
「ああ。この小包だよ」
そういって茶色の包装をされた小包を手渡してくるが、その依頼人の風貌は小汚く、なんとなく落ち着きのない男だった。フードを中途半端に被っていて怪しいものの、場所が人目に付かないので他人に文句を言われる事も無い。
「あの、これ中身は」
「割れ物だよ。安全に運んで欲しいんだ。郵便じゃ最近荷物の横領が増えてるって報道されてるしねぇ……」
法治国家日本といっても、この日本は治安が悪い国であった。戦後数年で高度経済成長期を迎えたが国内では様々な問題が起こったのは義務教育の中で学んだであろう。
しかしこの国では学生運動は沈静化する事無く、政界でのスキャンダルや失態のみならず企業の公害や不正を巡っての学生運動は現在でも平然と大人数で行われているのだ。
学生たちは鎮まる事無く、暴走族やチーマー、半グレ、暴力団は未だに全国で平然と割拠し活動しており、学校の廊下をバイクや自転車で突っ走るという前時代めいた光景が一部の学校では未だに見れる国なのだ。至る所で小さな汚職が発生するような治安の悪さである。
政府は当然ながら学生運動の抑え込み、暴力団などの反社会勢力の撲滅を試み警察の尽力もあった。警察と暴力団の映画さながらの大規模な銃撃戦が戦後から現代に至るまで何十件も起きており死亡者も多くいる。しかし未だに政府と反社会勢力は拮抗しており撲滅運動は進展がなく中だるみである。そして反社会勢力はマトモな社会勢力に入れぬ落伍者の受け皿になった。
そんな治安なため、違法なものを運ばされる事も多々あるのだ。
「これ違法なモノじゃないですよね? 割れ物にしては振っても音が」
「なにすんだあんた! 割れたらどうすんだよコラァッ!」
「まあいいです。それで、どこに届けるので?」
「新所沢駅の東口から降りて真っ直ぐ進んで左にあるコンビニに受取人がいる。そいつの髪型は一世代前のウニみたいなパンクヘアーだ。さてと、先払いだったな……三千円だ。受け取りな」
先払いの報酬を受け取ると、漆紀は場所を記録して荷物を荷台に乗せてすぐさまバイクを走らせた。
バイクにせよ自動車にせよ自転車にせよ、急用があってもみだりに法定速度以上を出すとロクな目に合わない。それは道路交通法という制限での話だけではない。速度をみだりに出している所を運悪く暴走族や暴力団に見られた場合、即座に付けられて難癖をつけられるのだ。
早い話が「誰の許可でウチらのシマをかっ飛ばしてんだ、場所代だせよ」という事である。
こういった難癖も多々あり、これらの悪質な難癖と速度違反を防ぐべく地元警察は躍起になっているので速度超過しがちな直線的で長い道に張り込んでいるのだ。
(速度超過出来ないってのが難だよなぁ……最速でもきっちり四十キロとか六十キロジャストをキープで走れって難しすぎだろ……多種のズレくらい許してくれよ)
漆紀自身は普通自動二輪免許を取得してから違反切符を切られた経験は無いが、この国の生き辛さについては歳を経る事にますます実感していた。
暴走族や暴力団の厄介さや警察の厳しすぎる取り締まりの所為で年々自家用車の利用数が減っており、一部の地域では反社会勢力以外で道路を走っているのは路線バスとタクシーだけというところもある。
(俺もここら辺をシマにしてる暴走族に入ろうかな。そうすりゃ注意すべきは警察だけに……いや、真紀が怒って二度と口聞かなくなるしなぁ)
こんな世の中では暴走族に入るか否かという判断のハードルは低い。しかし安易に入ると苛烈な争いに身を投じなければならず、集団の意に反し続ければ袋叩きにされるのが常識だ。
(まあ警察になるにも地獄を味わうらしいしな……一般人は辛いなぁ)
ふとそんな思案を浮かべたが今の自分では実の出ぬ話だと判断し、運転に全神経を研ぎ澄ませた。