1.便利屋の息子・辰上漆紀(たつがみ ななき)
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時代は現代日本、時刻は午後13時頃。
東京都武蔵村山市の街の一角にこじんまりとした5階建てのビルがあり、その3階に便利屋の事務所があった。
出入口のドアの横には団体名の書かれた紙を入れるプラスチック製の細いボードが取り付けられていて、そこに白い背景と黒いゴシック体でシンプルにも「便利屋タツガミ」と書かれている。
「ねぇー……お兄ちゃん。土曜日だってのになーんであたしら電話対応しなきゃいけないわけ?」
気怠そうに問うのは、ショートヘアの身軽そうな少女・辰上真紀だ。
「その質問何回目だよ。愚痴ってないで早く宿題やっとけ」
宿題を促したのは真紀の兄・辰上漆紀だ。前髪をヘアゴムとワックスで真っ直ぐ束ねて、上へ六十六度の角度ぐらいに先端を向けた特徴的なヘアスタイルが目立つ。
本人は申し訳程度のオシャレで「鬼の角」と呼んでいるが、誰かに言ってウケた試しはない。滑稽に見えるのか、妹の真紀に初めて見せた際にも「ダッサ」と一言で一蹴された。
「宿題片手間に電話待機も疲れたよ。春休みで高校入学が近いってのになーんで高校から宿題が……」
「お前を始め、新入生がどんなレベルか見る為だろ? 入試とは別にさ」
真紀は高校入学を控えた中学生で、その兄・漆紀は既に高校生2年生だ。だが漆紀は真紀とは違う方面で悩んでいた。
「てかお兄ちゃん、そのアンティークじみたキューブは何なの?」
真紀がアンティークじみたと形容したのは、映画の小道具でありそうな砂色の多面キューブであった。
「へへ、こいつを春休みの時間をかけて全面揃えてICCの連中にマウント取ってやるんだ。お前らに出来ねーだろってな!」
漆紀の言うICCは高校の友人達とのSNSグループ名で「陰キャコミュニティー」という何とも生々しくツッコミ待ちの略称の事である。
「まぁーた面倒な事やってるよ。そんな事やるより陰キャの集いなら自作PC自慢した方が良いんじゃないの?」
「それは前にやったからな。今度は別の事で自慢だ」
友人間のマウント合戦に躍起になっている兄に呆れつつも真紀は渋々宿題に戻る。
「はい、こちら便利屋タツガミですが……依頼者名義は後藤様ですね? はい。草むしりですか? ええ、取り扱ってますよ……はい…………わかりました。本日は電話対応のみなので、依頼は社長の都合になってしまいますが……ええ、サイトにもそう記述してますが…………ご理解感謝します。はい、後日連絡致します。電話番号をお伺いしても?」
すぐさま漆紀はメモに依頼人名義と電話番号をメモして対応を再開する。
「わかりました。では後ほど……はい」
そして通話が終了し、漆紀は受話器を元に戻す。
「お兄ちゃん、今度の依頼また草むしりなのー?」
「ああ。自治体の人や役場の人じゃ人手が足らないのかウチに人手を貸してほしいってよ」
便利屋の依頼は基本的に何でもやるが、大半がこういった雑用である。専門的知識など持っていない単なる学生の漆紀と真紀にはこういった依頼は対応できるのでありがたいと言えばありがたい。
しかし便利屋のウリは他の業者より安価な費用で仕事を請け負って貰える点と普通では扱わない雑用を扱う点にある。
草むしりなどは専門的知識が不要な肉体労働であるが、労働時間と依頼者からの代金が割に合っていないのだ。
そこでふと真紀が心配そうな顔をする。
「同業者はいるの?」
「そこまで聞かなかったな」
「はぁ……まあいいけど。てかなんで後日連絡なんて言った訳? お父さんからは出来る仕事にはしっかり返答して良いって言ってたじゃん」
「いやだってさ……依頼人は草刈り機を扱ってくれると期待してるワケじゃん? なら結局父さんじゃなきゃダメじゃん」
「あーそういやあれはあれで免許いるんだっけ? しかも十八歳以上じゃないと受けられないってやつ」
やはり依頼者の期待通りの便利屋としての仕事など、年齢的に大人には達していない二人には出来ないという結論に達してしまいそうだが、そこは意地なのか漆紀は滅入らない。
「草刈り鎌で自治体の人より働けば良いだけだ」
「えーそれサービスの落差じゃん。客に対してぼったくりだよー。お兄ちゃんよりお父さんが草刈りやった方が良いって!」
「わかったわかった、お前がそこまで言うならやめとくよ! 父さんが戻って来たらこの話しとくから……はぁ……ゴミ掃除とかならなぁ。それか小物の配達」
そう言っていると、漆紀の願いが届いたのか再び電話が鳴る。
漆紀が受話器を取ってすぐさま対応する。
「はい、便利屋タツガミですが……はい……新田様ですね……配達ですか? ええ! はい、わかりました。今すぐ向かいます。場所は……はい……わかりました。では」
受話器を元に戻して、漆紀はすぐさま自分のロッカーを開いてヘルメットを取り出す。
「配達だ! バイク走らせてくる」
「うん、頑張って。行ってらー」
そう言って漆紀はすぐさま依頼主のもとに向かった。