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VS千本桜良1

 ひび割れる寸前の氷のような、張りつめた空気が一帯を支配する。地下一階の廃工場へ崩れた天蓋の隙間から曇りの日特有の灰色の光が差し込んできている。

 千本桜良の超高速移動は既に見ている。次の瞬間にはこの三人のうちの誰が心臓を貫かれていてもおかしくはない。

 視線はどことなく茫洋としていてつかめない。しかし僕らの動きが把握されていることははっきりと感じる。

 隙を晒せば殺されうる。そんな空気の中で、千本桜良の初手は、廃工場の床を思い切り蹴りつけることだった。

 舞い上がるのは古くなったリノニウムとその下のコンクリート……かと思いきや、違った。

 泥、だった。

 泥溜まりに思い切り飛び込んだ時のように吹き上がった泥が、意思を持ったように千本桜にまとわりつこうとする。

 千本桜の目にもとまらぬ回転。殺気を放出しながらのそれは、触れようとした泥を残らず弾き飛ばし、そのまま千本桜は宙に留まる。

「えっ?」

 思わず漏れた驚きの声は、隙を千本桜に教えただけだった。獲物を見つけた獣のような視線が僕を貫く。

 空中で姿勢を変え、ロケットのように撃ち出された千本桜の肉体は、瞬きを幾十にか刻んだほんの僅かな時間で僕との距離を潰した。

 でもーー。

「間抜けな沁から狙うと思ってたぜ。《超重ゾーン》」

 僕からほんの一メートルほど離れたところに立っていた唯我さんが、僕の前方の空気に超重量を付加する。

 ちょうどそのゾーンに千本桜が突っ込むのに合わせて発動したみたいだったが、千本桜はその寸前に急停止する。直後に加重された空気が床に大穴を空け、泥を盛大に跳ね飛ばしながら、地下二階へと落下していった。

 水沼さんの〈術〉は沼にした物体の体積までは変化させない。視界の隅では、開いた大穴から数十センチの泥沼と化した天井を挟んで、荒れた地下二階の様子が見えていた。しかしその穴もすぐに修復される。

「眼がいいみたいだなッ!」

 跳躍した桜君が頭上で組んだ拳を千本桜の華奢な頭部へ振り下ろす。千本桜が冷めた視線を向ける。

「そんなにこの下に叩き落としたいの? 自分が墜ちなよ」

 そう言って千本桜は振り下ろされる組んだ拳に、横から人差し指を添える。そのまま弧を描くように腕を動かし、桜君の振り下ろしの軌道を変えた。

 千本桜の横の空間を抉る自分の両拳に引っ張られ、桜君の体勢が崩れる。独楽のように身体を回した千本桜は、桜君の下がった後頭部に振り下ろしの回し蹴りを叩き込んだ。

 ゴオンッという重い鐘が響くような音とともに、桜君が頭から床の泥沼の中へと突っ込む。

 その隙を見逃さず、唯我さんは落ちていた先の曲がった鉄筋を拾い、殺気を付与して殴りかかる。

「おぉぉらぁッッッ!!」

 そのすくい上げるような一撃を、千本桜は側面を蹴ることによって軌道をずらす。唯我さんの身体が泳いだところに宙に浮いた千本桜から蹴りが叩き込まれる。

 顔面を狙った蹴り下ろし。唯我さんはとっさの判断で鉄筋を捨て、両腕での防御を間に合わせる。両腕を交差させたその中央に千本桜の足が触れる。

 再び重たい金属が鳴るような鈍い音が響く。

「痛ッッ……だがやっぱテメェ、空中では地上ほど早く動けねぇな?」

「……正解。だけど君達を殺すには十分だよ」

 応える千本桜の声は底冷えするほどに低い。空中機動が可能であることを生かし、受け止めている唯我さんの腕ごと押し込んで、床に叩きつける。泥が盛り上がり、クッションのようになって唯我さんを受け止めた。追撃の拳を振りかぶる。

 そこに来てようやく戦闘の推移を眺めていた木偶に神経が通う。

「ーーッ、唯我さんから離れろっ!」

 唯我さんの周囲に輝く殺気の星。直後に数十倍にも膨れ上がったそれは指向性を持って千本桜の姿を消し去る。

 かわす隙間を潰すために爆風の角度をやや広く設定した《劫心・五連》は確実に千本桜の全身を飲み込んだ。

 が。

 僕の殺気が過ぎ去った後にも、拳を掲げた姿勢のまま千本桜は宙で微動だにしていなかった。

「うっそだろ……」

 手応えと呼べるものは一切なかった。海堂のように非常に堅固な〈硬〉であれば、殺気の流れが不自然になり見た目でもわかる。しかし一切の違和感もなく、千本桜は僕の殺気術をやり過ごしていた。

「やり過ごした……受け流した?」

「正解」

 思わず呟いた僕に応えながら、千本桜は自身の真下にいる唯我さんに拳を落とす。交差された腕の中央からゴウンという重い金属音が響き渡る。

 衝撃に水沼さんの泥は唯我さんを支えきれず、唯我さんは泥の中に身体のほぼ全てを埋め込ませる。

 床に沈み込んだ唯我さんの頭を千本桜の足が捉えた。唯我さんを攻撃するため……ではないッ!

「ごっっっふぉぅッッ!!!」

 直前の動きの不自然さから咄嗟に全開にした〈剛〉が僕の命を繋いだ。唯我さんの頭を地面として地を蹴った千本桜は、超高速の機動でもって僕の腹に神速の拳を叩き込んだ。 

 僕は数十メートル吹き飛ばされ、壁を三枚破壊したところで後方に《劫心掌》を撃って飛翔を終える。地に足がついた僕はそのまま崩れ落ちて膝をついた。

 ごぶぅるっと口から大量の血や吐しゃ物が溢れ出る。

「ぐげぇ……ごぼ、がっ、……はぁ、はぁ。なんだこれ……」

 殺気の上から殴られたのに、まるで内臓を直接殴打されたようだった。

「ちゃんとした地面だったら、腹を貫けてたかな」

 這いつくばって腹を抑え、唇の端から吐しゃ物混じりの血を滴らせる僕の頭上から、涼し気な声が降り注ぐ。

 

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