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「正義VS正義」という詭弁

 ゆっくりと下半身が倒れ、貫かれた衝撃でふわりと浮いた上半身が重なるように崩れ落ちる。

「……よかったのか? 親友だったんだろ?」

 二人の背後から僕は声を掛ける。二人とも僕には気がついていたようで、振り返った。驚愕が僕の身体を震わせる。

 桜君がその両眼からとめどない涙を頬に伝わらせていた。

「いいわげないだろ」

 それだけ言うと唇を噛み締めた桜君は、額を抑えて背中を見せる。その巨体がふるふると震えていた。

 唯我さんが目を細めて優しい微笑みを桜君に向ける。僕に目を転じると気を遣ったような声色で話し始めた。

「……戦いの中で千本桜の〈術〉の効果が〈忘却〉だってわかったんだ。記憶を削り、シナプスを断ち切り、海馬を白紙へと戻す〈忘却〉」

「でももしかしたら〈癒〉で……」

「無理だろ。仮に〈癒〉で治るような〈術〉だとしてシラヒが洗脳されてから何カ月経った? 〈癒〉は古傷になっちまったもんはもう治せねぇ。どうしようもなかったんだよ」

「正解。僕の〈勿勿忘草〉は時間が経ったあとじゃ、治療はできない」

 ぞくり、と背筋が泡立つ。巨大な化け物の太い指で、背後から首をつままれているかのような感覚。

 のどぼとけが潰れ、声が出ない。

「修爾、シラヒを連れて離れて。なんとかして」

「……いえ、これはいくらなんでも……」

 躊躇いと怯えすら感じる男性の声に、中性的なよく通る声がはっきりと告げる。

「なんとか、して」

「……わかりましたよ」

 威圧的でありながらも、自分の大切なものを信頼して託すような中性的な声に、男性は渋々承諾する。

 くぐもった音が聞こえ、ざっ、と床を擦るような音が続く。

「……他の機関員が向かってきている可能性があります。早くしてくださいね」

「それはないよ。僕が〈同盟〉の内側に持ってるツテを総動員して、引き付けてもらってるから」

「そうですか……では」

 ダンと床を蹴る音が響き、静寂が廃工場を支配する。

「殺気堕ちは全滅してるのか……。自衛は命じられるような、そんな便利な〈術〉だったら良かったんだけどね」

「……っ、やっとやり合う気になったか? 楽しみにしてたぜ?」

 やはりというべきか、最初に恐慌から立ち直ったのは桜君だった。その声を頼りに硬直から回復した僕と唯我さんもは弾かれたように身体の向きを変え、その人物を正面に見据える。

 少年のような見た目をした少女。千本桜良。

 以外にもその表情は、どこか穏やかだった。

「……修爾にはああ言ったけど、シラヒはもう無理だろうな。……これで〈機関〉は僕から父親だけでなく親友をも奪ったわけだ」

 あはははは……と千本桜は乾いた笑いを上げる。そんな笑い声ですら魅力的に見えてしまう。慰めてあげたいというような心が、理不尽に引き出される。

 悲哀に満ちた、重く鋭い言葉の槍が、僕の心を突き刺す。

「死んでよ、君たち」

 千本桜が足を踏み出す。戦闘態勢に移行しようとしている。それは前に出した足が地面に着くまでの間に行われる。その瞬間までに〈剛〉を発動できなければ僕らに待っているのは、死。

 だけど、動かない。動けない。感化された心が、全身に千本桜に敵対する命令を出すことを拒否している。

 一瞬が終わる。

「シラヒを奪ったのはテメェだろ」

 千本桜の踏み出した足が止まる。桜君の巨体から殺気が立ち昇る。燃え盛る火炎のように揺らめくそれは、桜君の内心をよく表していた。その語気になにかを感じたのか、千本桜が戦意を一時的に保留する。。

「悲劇のヒロイン気取りやがって。テメェの行動が恨みを引き起こしてないとでも思ってんのか?」

「……思ってないよ。恨みは買ってるだろうね。でも、仲間以外の他人がどう感じようと、僕に影響はない。仲間ですら正直なところシラヒ以外は復讐のためのコマに過ぎない」

 理不尽で良識の欠片もなく、どこまでも自分本位な信念を、千本桜は語る。

「……ちっ、復讐のあとはどうする。何が残る?」

「スッキリした気持ちが残る」

「感情だけに従う……動物かよ、テメェは」

「……そうだよ? 人間は動物にすぎない。理性は、感情を満たすための道具でしかない。感情は理性の主であり、理性は感情の奴隷だろう?」

 千本桜はそれを滝から水が流れ落ちるかのように、呼吸をしないと人は死ぬというように、当たり前の事実かのようにそう告げる。

「テメェは馬鹿か? 理性が感情を抑えるから人間なんだろーが」

 桜君が言う? と衝撃を受けた、正直。

「……まあ、問答しても無駄だろうね。僕には僕の正義があり、君達には君達の正義がある。戦おう……勝った方がより正しいのさ」

 そう言いながら、今度こそ戦闘態勢に移ろうとする千本桜良。しかし僕はそれにだけは反応しないわけにはいかなかった。

「違うだろ」

 千本桜良があっけに取られたように僕に視線を向ける。これまでずっと黙ってたわけだから無理もない。

「勝敗と正しさは関係ない。そして相反する正義っていうのは、止揚されるべきなんだ。お互いに満足のいく、より正しい一つの正義に統合されるべきなんだ」

「……それは、現実的には無理でしょ」

「決めつけるな。それともう一つ、異なる正義を同列みたいに扱うな。僕らの正義の方が、より正しい」

「少数派の感情は切り捨てられていいとでも?」

「そうしないための話し合い、議論だろ。お互いの正義をぶつけるのではなく、融和させて変化させ、より多くの人にとっての正義にする。その試みに君は参加するつもりはないんだろ?」

「……その議論の相手は〈機関〉を擁護する奴らなんだだろ? それは、感情的に絶対に無理だね」

「なら正義なんて言葉を使うな。話し合いの拒否なんて明確に正義への反抗だろ」

「ふふふ……あっはっは」

 千本桜良は整った多くの人が可愛いと判断するであろう顔を歪め、大口を開けて哄笑する。そんな姿すら、魅力的に映る。さっきは視線を合わせないようにして思いを端から全部ぶちまけただけだ。まともに視線を合わせていたら会話どころじゃない。

「いや……面白いね。確かにそうだ。僕に正義なんてこれっぽっちもない。僕はただ自分の感情に従っているだけだ。ごめんごめん、正義って言うのは言葉の綾、ただの思いつきだよ。……あーあ、論破されちゃった」

 千本桜良は可笑しさをこらえ切れないようにお腹を抑えながらくふふと笑い声を漏らす。

「……そう、僕は悪さ。他人に構わず、自分の欲求を満たす。どこまでも自分の感情に正直な、悪」

 その弛緩した表情から口の端を薄く引き伸ばす。

 身体から噴き出した殺気が、流れるように千本桜良の全身を覆った。他の人とは違う、初めて見る水のように滑らかな〈剛〉だ。僕も唯我さんも〈剛〉を発動する。

 言葉は尽くされた。語るべきものはもうない。

 正義と正義ではなく、今ここに至っては正義と悪として。僕らは殺気をぶつけ合い、お互いの殺害を試みる。

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