VS海堂王威 Re9
僕ははっと目を開ける。微笑んでいる雀ちゃんの頭部は後ろの半分ほどが水に浸かっている。
とっさに周囲を見渡すと、左に十五メートルほど離れた位置にいた海堂がこちらを振り返った。海堂の身体の前には巨大な穴が穿たれている。
海堂の身体を覆っていた殺気が剥がれ、消えていく。頭上の紅龍の顎に続き、身体を支えていた右脚も風に散るようにその形を崩した。海堂は右半身から河原に倒れ込み、その勢いのまま仰向けに転がった。
そして永久に動かなくなった。
全身の筋肉からこれ以上の労働を拒否するように力が抜けていく。雀ちゃんの上に倒れ込むことは避け、雀ちゃんの左側に転がった。浅く張られていた水が背中側から全身を冷やしていく。
転がった時に気がついた右手に視線を向ける。その手にはしっかりと雀ちゃんの手が握り込まれていた。
繋がれた雀ちゃんの左手と僕の右手。そしてその視線の先ではクマのぬいぐるみ、ぷんぷく丸が水底から半身をのぞかせていた。その右手は励ますように、握られた僕らの両手へと伸ばされている。
つまり雀ちゃんがぷんぷく丸に瞬間移動をして、直後に僕を呼び寄せたということだろう。
この川から一直線に伸びてきている極めて不自然な浅瀬は、紅龍の咆哮の痕に川の水が入り込んだものだ。射線上にありつつも埋められていたぷんぷく丸の丁度上を通り過ぎていったのは奇跡としか言いようがない。
雀ちゃんの方へ傾けた視線の先。仰向けに目を閉じている雀ちゃんの頭の向こう側。
水が赤黒く染まっていくのが見えた。
「右腕……!」
失われた右腕からは当たり前に血が流れ出る。〈剛〉に覆われている間に止血されかけていた右腕は、海堂を殴った際に衝撃で再び出血していた。
「右腕を止血……止血しないと……!」
「もうぴくりとも、うごかにゃぁ。それにようとにぃもおなじゃぁ」
言われて初めて気がついた。散々穿たれた僕の身体からも血液がとめどなく流れ出ている。
悪寒が全身を襲った。明らかに川の水の冷たさに由来するものではない。
このままだと二人とも死ぬ……その事実に愕然とし、思考を巡らすも何一ついいアイデアは出て来ない。
ぽつりと雀ちゃんが呟く。
「……しゃっきおちになっても、あいちゅはわたちたちにむかってきちゃね。ようとにぃ、なんでぇかわかりゅ?」
「……? なんでだろう?」
目の前にいる僕達を無差別に殺そうとしたって感じじゃなかった。海堂の強い意思がそうさせたのか? それとも殺気堕ちは無差別殺戮を始める前は、殺気に覚醒する原因となったものに固執すると言われている。海堂が覚醒したきっかけが千本桜を守ることにあるなら、それも関係したのかもしれない。
僕はそのことを説明すると、付け足した。
「でも、今はそんなことを推測している場合じゃ……!」
「ううん。それでゃけきければ、じゅーびゅんやよ」
僕は唐突に濃く重い、殺気の気配を感じる。その主は閉じていた目蓋を開き、口元に微笑みを残しながらも、その瞳の色を濃く深い紅へと変貌させていた。
「な、やめ、やめろッ!」
「ごみぇん、ようとにぃ。ほんとぉはもう、そこまできててゃんりゃ。それに、こりゃしきゃにゃい。おとーしゃとおかーしゃのかたきをとってにゃぁ」
その気配は、瞳の色は、僕が何度も感じた、殺気堕ちのそれだった。
雀ちゃんの圧が強まるにつれ、口元に浮かんでいた微笑みも凶悪なものへと変わっていく。
理性と心を犠牲に、殺気を、精神力を生み出した雀ちゃんは身体を起き上がらせる。そしてその深い紅に染まった瞳を僕へと向けた。
「ググ、ルァァァアアアアアアッッ!!!」
身体を跳ね上げ、僕の上へと馬乗りになった雀ちゃんは、残された左手で僕の首を鷲掴みにする。
「ガゥゥウアアァァアアッ!」
咆哮と共に流れ込んで来る殺気は僕を包み。
慟哭と共に流れ落ちる涙は、僕の頬を濡らした。
「グゥ、ウウウ……」
止める間もなく自身の絞り出せるあらゆるエネルギーを殺気に変え、僕に〈与〉で渡した雀ちゃんは僕の胸の上に崩れ落ちた。
殺気堕ちの元となる殺気が遣い尽くされたせいか、それともただの奇跡か。冷たくなっていく雀ちゃんは、最期につぶやく。
「……じゃーにゃ、ようとにぃ。……おかーしゃとおかーしゃがいりゅよ。てをふって……ありゃ? こってにもようとにぃがいりゅ? ……ふふ、ようとにぃがいっぱい。しあわせでゃあ……」
そして雀ちゃんは僕の上で動かなくなった。
僕は。
僕は。
ようやく動くようになってきた身体に力を込め、雀ちゃんの小柄な身体を抱きかかえながら立ち上がる。
「……なにがあっても仇は取るよ。だから今は……」
小さな頭を撫でる。水底にいたぷんぷく丸も拾い上げ、河原から少し離れた土の地面があるところまで歩き、一人が眠れる空間を掘り出す。
そこに雀ちゃんをそっと横たえ、ぷんぷく丸を抱かせる。
「もし、生きて帰れたら、ご家族と同じ墓に入れてもらうから……」
謝りながら周囲の土を集めてかけ、適当な低い木を割って墓石代わりに立てた。
「……雀ちゃんの気持ち、受け取ったよ。君の願いは、僕が必ず叶える」
僕は土が盛られただけの簡易な墓を背にする。少し離れたところまで歩き、そこから両掌に殺気を集めて爆発の反動で飛翔する。少し殺気がもったいない気もしたけど、間に合わなければなんの意味もない。
空へと飛び出した直後、眼下に仰向けに倒れている海堂が目に入った。痛ましいものを見た気もしつつも、視線を振り切って、〈組織〉のアジトである工場へと一直線に飛翔していった。




