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サウナ回1- II(追憶)

 梅雨の季節だった。土砂降りでロクに外に出る人もいない、そんな日だった。

 自分の部屋でニートであることを生かして予約画面に張り付き、バイト代で買ったプレステ5をモニターに繋いでプレイしていた僕は、お菓子がなくなったことに気がついた。部屋を出てキッチンに降りるも、ストックもなくなっている。

 父親は早くに他界していて、母親は働きに出ている。平日は夜九時を過ぎないと帰ってこない。

「……買ってくるか……でも土砂降り……」

 財布には前に物流倉庫でバイトをした時の金が少し残っていた。それで何か買ってこようと思い立つが、外が土砂降りであることを思い出す。部屋には常にカーテンが降りているが、流石に雨音で外の天気は分かった。雷も鳴っている。下手をしたら死にそうな天気だった。

「……まあいいか……死んだらそれはそれで」

 僕は靴箱にかかっている傘から適当に一本を取り、サンダルをつっかけて外に出る。扉を開けた瞬間に、ゲームの環境音ではないリアルな雨音が僕の全身を叩いた。

「…………」

 僕は傘を開いて庇の下から出る。途端に幾粒もの巨大な雨粒が鈍い音とともに傘を打ち、サンダルを履いた素足がびしょ濡れになる。

 家の前の細いアスファルト道路は凸凹で、あちこちに茶色い水たまりが出来ている。僕はそれらを避けるのすら面倒くさく、水たまりの中に足を突っ込みながらまっすぐコンビニまで歩いた。汚れていく足が僕にお似合いなようで、むしろ気持ちよかった。

 コンビニが見えて、駐車場に入ろうとした時だった。コンビニの横、ほんの僅かな庇の下に誰かがうずくまっている。勿論この大雨の中、そんな三十センチくらいしかない庇が仕事をするはずもなく、その身体は雨に打たれ放題だった。

 小学生くらいの少女が体育座りで背中を丸め、顔を膝に埋めていた。それなりに高いんだろうと見て分かる服も、びしょ濡れになり今は少女の身体を冷やす役割しか果たしていない。

 僕は動揺した。リアルから目を逸らし、フィクションの世界に生きていた僕の目に飛び込んできた、フィクションのようなリアルだった。

「……殺気遣い?」

 フィクションのようなリアル。その言葉を体現する殺気遣いという存在が、数年前からこの世界にはいた。僕は僅かに警戒して少女を見るも、身体を震わせて雨に打たれているだけの、無力な少女にしか見えない。

 見て見ぬふりをするか、迷った。少女を助けたところで僕に利益があるように思えなかった。見逃して、コンビニでポテトチップスとハリボーグミを買い、元のニート生活に戻ることが、自分にとっての正解のような気がした。

「……でも、このままじゃ死ぬ……のかな……」

 そう思った時、僕の頭の中が真っ赤に染まった。僕とは違って無限の可能性を持ち、未来のある少女が、このまま死んでいくというのが、僕には絶対に許せなかった。

 怒り。

 何に対する怒りなのかはわからないまま、とにかくその時の僕は反抗心を身に宿したまま少女に近づいた。少女の前にしゃがむと、持っていた傘を腕と脚の間に無理やり差し込んだ。

 少女の身体がビクリと震え、勢いよく顔が上がる。その顔は涙か雨かわからない液体でびしょびしょで、恐怖の色が表れていた。当然だ。いきなりよくわからない棒を差し込まれて顔を上げたら髭だらけの男がいたのだから。

 そしてその瞳は、深い虚無を湛えていた。底なし沼のような。

 僕のような。

「…………」

 その瞳が僕の感情を掻き立てた。思わずなにかを口にしようとする。しばらく見つめ合ったまま、様々な言葉が僕の中を浮かび、消え、通り抜けていく。無数の言葉が、感情が通り過ぎたあと、僕から出てきた言葉はたった一言だった。

「……わかる。わかるよ」

 少女の目が見開かれた。その瞳から再び涙が溢れ出してくる。顔をくしゃくしゃにし、声を上げて泣き始めた。

 僕はそんな少女をしばらく黙って見つめていた。しかしふと我に返る。

 早く警察に電話しないと……。

 そう呟き、立ち上がろうとする。僕の声が聞こえたのか、少女はバッと顔を上げると僕の腕を掴んだ。

 風呂に入っていないせいで薄汚れている僕の手首を、少女の冷たく、小さな手が必死に握り込む。。

 か弱く、振り払おうと思えば払える手だった。でも僕にはそんなことはできない。僕は少女の身体を心配しながらも、人間の身体はそんなに弱くないと自分に言い聞かせ、少女が泣き止むまでの数十分、少女と一緒にいた。

 僕の身体を大粒の雨が叩き、傘は鈍い雨音を奏で続ける。時折遠くから車が雨の道を走るしゃぁーという音が聞こえてくる。この辺りは普段から人気がない。土砂降りの中、コンビニに来る客はいない。

 僕は雨に打たれ、髪から滴り落ちる水に視界の何割かを歪ませながら、泣き続ける少女を見て思った。

 この子をを守れるなら、死んでもいい。僕なんかの命でこの子の心を繋げるなら。

 もちろん実際に死ぬようなことはなく、数十分後に落ち着いた少女から離れてコンビニに入り、警察に電話をしてもらう。

 僕はそのまま入口から少女に見えないようにコンビニを離れる。

 帰り道に茶色い水たまりを踏む。その不快さに僕は眉をひそめた。

 翌日以降、僕は熱を出し、寝込むことになる。熱が引いた直後から始めたバイトは一度も休むことなく、殺気遣いになり訓練生として〈機関〉に入るまで続いた。

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