月光浴
満月に近しい月は白く、恐ろしいくらいに外は明るかった。
素人目にも高価と分かる家具に囲まれた厳かな部屋。窓辺に置かれた椅子には少年が座っている。
少年は特別に華美な衣服を着ているわけでもないのに、作り上げられた豪華絢爛の一部として完全調和していた。もとより、この部屋は彼の私室であるのだから当然といえば当然の話であるが、彼の存在自体が格式高くあるのには違いなかった。
重いカーテンに塞がれた部屋にある光源は、ゆらり揺れる蝋燭の明かりのみ。部屋の全てを照らすには力ない光だが、少年にはそれが心地よい程度だった。光を遮る分厚い布を、疲労を知らない美しい指が撫でる。ほんの隙間を開けるようにカーテンをずらせば、ろうそくのともしびが目にとまらないほど、真白の光が室内へと差し込んだ。
「今夜は晴れか」
無音の空間に響いた声は十代半ばの少年にしては、落ち着き払ったものであったが、同時に年相応に透明感もある。
月光の暖かさに目を細める少年は、手はそのままにゆっくりと目線を窓から離す。見据えた先には、少年に長年仕えている執事の立ち姿があった。理由は分からないが、長く沈黙を続けている。うつむいているせいで、月光も蝋燭の明かりも頼りにならず、真っ黒な服を着込んだ男の表情は伺えない。
話がある、と部屋に訪れた執事は「失礼します」と入室の断りとともに足を踏み入れ、それから先、一言も発してはいなかった。数分なら黙って待ったであろう少年も、就寝の時間を前に「それで、何なの。話って」と優しく急かす。
肩を揺らして反応を示した執事に、少年は首をかしげる。
自分を主人とする男は、身分を壁に物事を言いよどむということは少なく、叱るべきところでは親のような顔で説教をする。そのことは長い付き合いから既知であり、体験もしていた。
「……坊ちゃんは」
ようやく口を開いたかと思えば、声は乾ききっていて、ちょっとでも雑音があれば掻き消されてしまいそうだった。
「坊ちゃんは、恋をなさっているのです」
おそるおそる自分の意見を口にした男は、糸が切れた操り人形のようにがくりと膝をついてうずくまる。かたかたと震える背中は「恋をなさって、いらっしゃる」と繰り返した。
苦しくはないのか、と尋ねたくなるほどに詰められた首元に、皺のない黒の服。完璧な見た目と食い違う彼の行動は、執事と言うにふさわしい姿からはかけ離れていた。
「……かもしれないね」
それに比べ、少年は動揺も見せない。すらりと伸びた長い足を組み、窓の外に目を向ける。何の変化もない見慣れた風景だったが、絶望を体現している執事を見ているよりかは幾分も気分が良かった。
「坊ちゃん、坊ちゃん」
「言いたいことがあるなら、言葉にしてくれないか。呼ばれるだけでは、分からないよ」
「恋をするのはかまいません。けれど、なぜ、なぜあの女子なのです」
絨毯に爪を立てる執事の背中は酷く小さく、弱弱しい。ぎちぎち、と指先を裂く音は男の心情を訴える音に違いなかった。
「僕にも、よく分からない」
ようやく顔を上げた執事の瞳に映る仕えるべき主の顔は、彼に更なる絶望を実感させるに容易い色をしていた。少年の目には映らなかったが、瞬間の執事の顔色は死人よりも白く、生きた色味を何一つ持たないものであった。
執事をちらりとも見ないまま、表情を緩ませた少年は「でも、気分は悪くない」と続け、カーテンから指を離す。重力のままに落ちたカーテンは、部屋から光を閉め出した。