《2》
「ダメだ、囲まれている、コーネリアス!」
「坊ちゃん、活路を開きます、ついて来て下さい!」
「あの娘達はどうなる?」
「無理なのはご承知でしょう!捨て置きます」
「莫迦か、コーネリアス!
そんなことをしてみろ、私はもしこの苦境を脱せたとしても、自害してやるぞ!」
焚き火に群がる蛾のように泥人形がそこかしこからわらわらと迫る中、アルバートとコーネリアスは怒鳴り合いをしていた。
そんな余裕はどこにも無いのだが、アルバートには娘を見捨てて逃走することなど出来なかったのである。
「甘いですぞ、坊ちゃん!
主君たるもの、大望の為には小事は切り捨てなけば、成るものも成りませぬ!」
「いや、ならん!
私達の野望に何の咎もない娘を犠牲にするなど、クライスの家名に傷をつけるだけだ!」
そうしている間にも泥人形はアルバート達を捕縛すべく、四方から確実に距離を詰めてきている。
「……相変わらず聞き分けのない吾子ですな。
いいでしょう、我が主君たっての願い、このコーネリアスめが引き受けます」
老侍従は溜息を一つつくと、ローブを脱ぎ去った。
老人はベルトで袈裟懸けに括り付けられた鎚矛を背負っていた。
「どれ、久々に暴れますかな。
坊ちゃんは『イカロス』の元へ行きなされ。
お嬢さんと犬は騎士の名に懸けて私が護りましょう」
「コーネリアス、お前を置いて逃げろというのか、私も闘う!」
「いい加減にしなさい!
第一、坊ちゃんのへっぴり腰では到底彼奴らには敵いません、足手纏いと云っておるのが分からんのですか!」
アルバートは遠慮の無い侍従の言葉に息を呑んだ。
こうしてる間にも、泥人形はもう目前に迫っている。
野火に照らされた人形達はどれもみな旧時代の裸体像のような筋肉質な出立ち。
彫りの深い顔立ちはアルバートと同じカンナエ人の特徴を醸し出していた。
「……術者はいい趣味をしているな、ただ、錬成が甘い。急拵えといった感じか」
己を害する存在が迫って来ているというのに、つい造形に目が行ってしまうのは性であろう。
しかし、もう一刻の猶予もない。
この場を第一線から退いた老騎士に任せるのも心許ないが、『イカロス』を一刻もはやく確保しておきたい気持ちも否定できない。
かといって、自分だけ逃げだすのも……。
「坊ちゃん!」
「……分かったよ、コーネリアス。
娘の無事を確かめたら、すぐ来てくれ!」
「仰せのままに!」
老騎士は鎚矛を振り翳すと、そのまま手近の一体を屠った。
「……流石は、仲間内で『剣聖』と呼ばれていたことはあるな」
「呑気なこと言ってないで、さっさとお行きなさい!」
一喝され、アルバートは我に返った。
「すまん、コーネリアス。必ず合流しろよ!」
アルバートは隠し場所に向かって一直線に駆け出した。
すぐさま何体かの泥人形が行手を阻んだが、コーネリアスの鎚矛で退けられる。
……術者は、このアルバート・クライスを舐めてかかっているな。
いともあっさりと倒されていく泥人形を尻目に、アルバートは臍を噛んだ。
勿論、老騎士が昔取った杵柄とはいえ、優れた戦士であることは変わりない。
しかしながら、成形が疎かといえど、本来なら泥人形の群は一人、二人で何とかなる代物でも無いのも確かだ。
術者が未熟である可能性も捨てきれなかったが、幾らなんでもそれは楽観が過ぎることはアルバートとて承知していた。
泥人形の数から見てもそれは明らかである。
ならば、可能性は一つ。
術者があえて躯体を縛る術式を弱めているのだ。
「……クライス家を舐めた代償、高く買わせてやる」
負け惜しみともつかぬ台詞を切れ切れの息を吐く間に漏らしながら、アルバートは一目散に駆けていった。
はあはあと息を整え、辺りを見回す頃には、森は静寂を取り戻したかに見えた。
取り敢えずは逃げ切ったか。
額の汗を拭い、アルバートは一息ついたとばかりに側の木の根元にずり落ちるように腰を下ろした。
……畜生、なぜ居場所が分かったんだ。
アルバートは疲労と倦怠感を引きずりながら爪を噛んだ。
幼少の頃からの癖で、高貴な身分らしからぬ行儀の悪さであったが、想定外の事態が起こると時たま顔を覗かせる悪癖であった。
……もしや、あの娘が?
いや、それはない。
あの羊飼いが誰かに何か知らせる様子は見る限り無かったし、コーネリアスもずっと付いていた。
不審な動きがあればすぐに咎めるはず。
ならば、森の樵夫辺りが注進したのだろうか。
「鼠が一匹逃げ出したと思ったら、これはこれは、話が早い」
アルバートは弾かれるように立ち上がった。
夜闇から現れたのは、魔導師の法衣を纏った一人の中年の男だった。
ぺったりと撫でつけられた髪に、丸眼鏡、短い口髭。
神経質で厳格な雰囲気が漂よう様は、まるで附属学舎の講師のよう。
方々を騒がせている魔術師の名を騙った詐欺師ではないことは姿格好からして明白であった。
この男こそが、自分達に泥人形をけしかけた張本人だろう。
「スナイダー・クライス魔導子爵の嫡子、アルバート・クライスだな?」
男がアルバートに歩み寄り、冷ややかな視線を向けた。
「そんな者は知らない。私は……」
「ああ、いや、結構。こちらも大人しく縄に付いてくれるとは思ってませんので。
しらばっくれても無駄です。王都へ引っ張ってゆき、魔導院の人間に照合させればすぐ分かります。
……それより、どうですか?
クライス君、私と取引しては如何でしょうか。
例の王立魔導院から盗み出したものさえ譲って頂ければ、私が主人に話して便宜を図ってもらうこともできますよ」
男は物腰こそ柔らかかったが、アルバートを下に見ていることを隠そうともしない。
「人と話をするときは、まず名乗るのが礼儀であろう」
アルバートが吐き捨てると、男はふむ、と感心したような、小馬鹿にしたような、どちらともとれるような態度で顎に手を遣った。
「……まあ、良いでしょう。
私はエドウィン・ガーウィッシュ卿の執事、デプロッグと申します。以後、お見知りおきを」
「ガーウィッシュ卿とやらの使いが私を捕らえに来たのか。王都の刑吏はどうしたんだ?」
アルバートもせせら笑うように返した。
無礼には無礼。
まだ口答えする気概がアルバートにも残っていた。
「ご心配なく。王都の息のかかった者は今のところは現れません。そう、今のところは」
含みがある言葉を吐きながら、デプロッグと名乗った男は不敵に口元を歪める。
「貴方は勘違いしているようだが、交渉の相手は我が主人のガーウィッシュ卿ではございません、さらにその上の御仁です」
「誰なんだ、それは」
「それは教えられません、あくまでも表向きは知らないことにしませんと、王宮に角が立ちますので」
勿体ぶってはいるものの、王宮という言葉から、この男は有力貴族と繋がっているようだ。
わざと匂わせたのだろうか。
だとしても、そんなものに尻尾を振るアルバートでは無かった。
「もし断ればどうなる?」
アルバートは腰に刺していた護身用の片手剣に手をかけた。
「条件を聞く前にもうお断りしますか。
ええ、まあ、そんな気はしておりましたが」
男は嘆息すると、懐を弄り、片手大の針を取り出した。
まさか、こいつ……!?
そして、そのままもう片方の指先に針を押し当て、血を滴らせた。
「この痛みには慣れっこですが、いざ戦場で使うとなると、やはりいつまで経っても滾るものがありますねえ」
アルバートがそれを阻止するべく駆け出そうとした瞬間、地中から泥人形が飛び出して来た。
くそ、《発動型》か!
魔導師が扱う傀儡を操る方法は、幾つか種類がある。
先程襲ってきた泥人形は《生成型》と呼ばれる操作法。
魔導師の刻印により縛り付けられた人形が魔力を付与されてからそれを失うまで動き続けるのに対して、《発動型》は一定条件が満たされた瞬間、その魔力が開放されるもの。
この場合は、予め用意されていた魔法陣の上を通過するものがあったときに発動する、仕掛け罠方式だったのだろう。
……全てバレていたのだ、隠し場所まで。
それで、夜闇に紛れて罠を張っていたのか!
周到な魔導師の仕掛けにアルバートは、泥人形に羽交い締めにされながらデプロッグが己の血で魔法陣を地面に刻印するのを忸怩たる思いで見詰めるほか無かった。
「地上の神よ、我に導きを。地下の悪魔よ、我に力を。動き出せ、我が僕、トレント!」
魔導師が口上を述べると、血の魔法陣が禍々しい朱色の反応光を発現させる。
まるで悪魔が顕現したような唸り声を上げ、同じく地中から這い出してきたのは泥人形よりも巨大な鋼鉄人形であった。