《6》
静かな夜であった。
野犬や狼の遠吠えさえ聞こえぬ、真の闇。
夜空には月がかかり、間もなく満月を迎える頃には謝肉祭が執り行われるのだろう。
ガーウィッシュ卿は窓越しに月を眺めていたがやがて小さく嘆息し、机の上の羊皮紙にもう一度目を遣った。
実に厄介な代物を持ち込んでくれたものだ。
蝋燭の灯りに照らされた薄黄色の紙面は、王立魔導院の蠟印が押されたものと、主君であるハービィ辺境伯からのものの二通。
内容は、王立魔導院の附属学舎の元書生が王国の重大な魔導兵器を持ち出して逃走した、というもので、王立魔導院のものは普段ならそこまで気にするものでもなかった。
今回の件に限らず、王国への謀反人が出た場合には各地の騎士団にも書状が回るのが常であったし、ガーウィッシュ卿自体も罪人の捕縛は刑吏の仕事だとどこ吹く風であった。
しかし、問題は二通目である。
ハービィ伯からの手紙には、今回の下手人であるクライス魔導子爵の嫡子が我が領内に潜んでいる可能性がある、とあった。
戦場の垢を落とすつもりで久しぶりに自領へ戻ったガーウィッシュ卿も、家政婦から書状を受け取り封を切るや否や、寛ぐ暇もなく執事のデプロッグを呼ぶ羽目になってしまったのである。
ガーウィッシュ卿にはある予感があった。
王国にとっての重大な魔導兵器。
この文言から察するに、ガーウィッシュ卿が知る限り結論は一つであった。
執事にも書状を見せ、意見の一致をみたところで村名主のメロゥドを呼び出したところ、どうやら予感は当たっていたらしい。
羊が五頭も居なくなっていた。
付近の村にも同様の被害が出ているとの旨を館の使用人に確認したところで、ガーウィッシュ卿の腹も決まった。
十中八九、連中が持ち出したのは騎兵人形だろう。
となれば、王都から横槍が入る前に魔導棋士である自分の手で処理する他あるまい。
よりにもよって王国の軍事の根幹を盗み出すとは、死をも畏れぬ所業。
ガーウィッシュ卿は胸の高鳴りを抑えられなくなった。
秋が深まり雪の季節に入ると戦場も大規模な合戦は行われなくなる。
彼にとっては戦場こそ騎士の全てであり、生き甲斐でもあった。
それを冬が過ぎ去る一時であっても取り上げられるのに不満を抱いていたところに、千載一遇の好機が舞い込んだのである。
騎兵人形と死合えるかもしれない。
野蛮で血生臭く、獣じみた欲求ではあったが、元から神に許しを乞うつもりもない。
少しは退屈凌ぎになりそうだ、と、発奮していたところで、ガーウィッシュ卿は執事から別の事実を伝えられたのである。
「ご主人様、クライス家の下手人はまだ齢十六の少年です」
ガーウィッシュ卿は愕然とした。
十六となれば一応成人ともいえなくもないが、まだ尻の青さを隠しようもない年頃。
決闘をしようものなら百戦錬磨のガーウィッシュ卿とは勝負にならないだろう。
第一、彼は子供と女性には手を掛けないという騎士の戒めを忠実に守っていた。
罪人とはいえ、まだ下の毛も生え揃わないガキをいたぶる趣味はねえ。
自分の出る幕ではないとほぞを噛んでいたガーウィッシュ卿に、知らせが入った。
例の罪人と思わしき連中が村の南の外れの森に居る。
ガーウィッシュ卿は早速執事を向かわせることにした。
相手が子供であれば、魔導師のみでも十分だろう。
しかも例のクライス家の息子は附属学舎すら満足に出てないようである。
ガーウィッシュ卿とともに死線を潜ってきたデプロッグの敵ではない。
そうしてガーウィッシュ卿は執事が罪人共を引き連れてくるのを館で待つことにしたのである。
「ご主人様、ハービィ伯様からの使いの方がお見えです」
不意に私室のドアがノックされ、扉の向こうから家政婦の声がした。
「通せ」
伝えるとドアが開かれ、貴族の使用人らしく恭しく礼をして主君の使いが入ってきた。
「こんな夜更けにどうされたのか。何か火急の様でしょうか」
ガーウィッシュ卿も出立ちに似合わぬ丁重な言葉遣いで迎えた。
「お目通りが叶いまして感謝致します。
実は、我が主人からガーウィッシュ卿に例の羊の件で至急お耳に入れたいことがございまして」
「ほう、なんでしょうかな」
「実は、例の魔導兵器のことなんですが……」
使者の言葉を聞いた途端、ガーウィッシュ卿の顔色が変わった。
手を鳴らして別の使用人を呼ぶと、ガーウィッシュ卿は声を張り上げた。
「農夫どもを叩き起こして倉庫の『タイタニス』を持って来させろ!
俺も出なきゃならん様だ」