《4》
村名主のメロゥドは領主の屋敷に来ていた。
石垣が積み上げられた飾り気は無いが格調高い建物は、家主の気風がそのまま現れているよう。
窓には硝子が嵌め込まれており、純白に塗られた窓枠と屋根は燻んだ藁葺きの小屋ばかりの村で清廉なる輝きを放っていた。
メロゥドは緊張の面持ちでドアノックを叩くと、間もなく執事のデプロッグが無愛想に迎え入れた。
「遅かったな、もう一度使いを寄越すところだったぞ」
「へえ、丁度ダーツの野郎んとこの収穫を取り纏めてたもんで。
あの野郎、小麦を一クォーターもちょろまかしてやがった。
納屋の床下に隠してたんでさあ」
明らかに苛立ちを隠せずに丸眼鏡を神経質にずり上げる執事の様子を見て、これは只事ではないとメロゥドは感じながら、咄嗟に機嫌が良くなるような話を振った。
領民の年貢が増えたとなれば普段なら相好を崩しそうなものの、この時の執事はというと、ふん、と鼻を一つ鳴らしたのみで、取り付く島もなかった。
「ご主人は私室だ、ついて来い」
にべも無く言うと、執事はつかつかと歩き出したので、メロゥドも慌てて付いて行った。
私室。
平時なら大広間か食堂に通される筈が、私室ときた。
いよいよこれは只事ではないと不安が押し寄せてくるのを感じ、メロゥドは心当たりを幾つか見当しつつ、重たい足取りで私室へと続く階段を一歩ずつ上がっていった。
私室も屋敷の質実剛健な見た目とまた同様、白を基調とした無駄の無い作りであった。
三つもの荘園を抱える騎士様とあればさぞ豪華絢爛な調度品に溢れているものかと思えば、拍子抜けするぐらいに何もない。
あるのは本棚と簡素な寝床、書斎机くらいのもので、高貴な身分が好みそうな絵画や美術品、毛皮といった類のものは見当たらない。
騎士らしいものといえば、精々鎧兜付きの板金鎧が飾られているくらいである。
メロゥドは初めて入ったのもあり、騎士の私的空間をきょろきょろ物色したところで、背後の、バタン、と半ば乱暴に閉められたドアの音で飛び上がりそうになった。
「ご主人様、お連れしました」
執事が慇懃に礼をし、直ぐ様後ろに控えると、代わりに弾き出されるようにメロゥドが書斎机越しに領主と向き合った。
「あんの、領主様、今日はどういったご用件で」
地方訛が抜けきらないメロゥドであったが、それでも精一杯の敬意を机越しの男に向けた。
男は羊皮紙の束から目を離し、メロゥドを睨め付けた。
その出立ちは獅子を連想させ、騎士らしい屈強な身体付きは北方に似合わず日に焼けているのが上っ張りをたくし上げた腕からも分かる。
日頃屋敷に来るのは年数回ほどで、後は仕えている貴族の元か、さも無くば東方の戦場に馳せ参じているのが常であった。
領主はメロゥドが怯えているのに気付いたか、ふっと笑ったかと思うと再び羊皮紙に視線を戻し、鷹揚に話し出した。
「なに、忙しいところを済まなかったな。
俺は呼び立てるほどでもないと言ったんだが、其処の農奴監督官様が急いで確認したいと言ってきたもんでな」
デプロッグの方を顎で癪り、領主は悪戯っぽく口元を歪めたが、目が笑っていないのは明白である。
メロゥドはどうも騎士という人種が苦手であった。
彼等は常に猛獣のような唯ならぬ気配を帯びており、
人を見詰める眼は猛禽の様に鋭い。
己と相容れなければ殺し合いで雌雄を決する、という血と暴力に支配された彼等の信条が、根っからの農民である彼の肌を粟立たせるのである。
「へえ、それはすみませんでした。
……それで、確認したいことってなんでございやしょう?」
頭を掻きながらメロゥドがぺこぺこすると、領主の表情が険しくなった。
「お前のところで任せている俺の羊、どうなっている?」
薮蛇な質問に、メロゥドは一瞬何のことか分からずきょとんとした。
「へえ、それなら下男のディッシュの野郎に任せてますんで。
何かありゃ奴の方から言ってくるんで、大丈夫だと思いやすよ」
耳が早過ぎる領主の質問にメロゥドは内心どきどきしながら咄嗟にシラを切った。
「お前は嘘を吐くのが下手だな」
メロゥドは弁解する暇もなく机に頭を組み伏せられてしまった。
痛みが頭の中がぐわんぐわん反響したかと思えば、耳にヒヤリとした冷たいものが当たる感覚がし、全身の毛が逆立った。
「正直に言わないと大事な耳が取れちまうぞ。
さあ、俺の羊は無事なのか?」
小刀の切先がプツッと皮膚を裂いたのが分かり、メロゥドは泡を吹きながら声を絞り出した。
「も、申し訳ねえです、昨晩五頭ばかしいなくなりやして!
使用人のガキがうっかり柵を閉め忘れたんでさあ!
必ず、必ず領主様の羊は連れ戻させますんで!」
年甲斐もなく涙を流して訴えると、押さえつけられていた手が緩み、そのままメロゥドはよたよたと後ずさった。
「俺は嘘吐きが嫌いなんだ、今後も差配人を続けたいなら覚えておくんだな」
どっかりと椅子に座り直した領主がメロゥドに釘を刺した。
メロゥドはもう気が気でなく、謝罪の言葉と神への赦しの言葉を繰り返し口にする他無かった。
「まあいい、これではっきりした。
で、今その使用人とやらは何処にいるんだ?」
「わ、分かんねえですけど、ディッシュからも何もねえし、ガキは今ごろ麦の収穫の手伝いでもしてんじゃねえすかね……」
か細い声でメロゥドが答えると、暫し領主は目を閉じ何事か思案すると、不意に立ち上がった。
「よし、もういいぞ。
デプロッグ、玄関まで送ってやれ」
そのままメロゥドに背を向け、窓の景色を見詰めながら領主は興醒めしたかのように言い放った。
メロゥドはよろよろ立ち上がり、這い出すように屋敷を後にし、そのまま真っ直ぐに自宅の藁葺き屋根に向かった。
あのガキ、何てことしやがったんだ……!
胸中では悪態をつきながら、メロゥドは領主の態度にどこか疑念を抱いていた。
羊が逃げ出すなんてのは正直日常茶飯事で、これまでも何度かあったはずであるし、領主であるガーウィッシュ卿は余り金には頓着しない。
それが何故今回ばかりはそれを咎めるのだろう。
メロゥドは息を切らしながら考えたが、やがて時間の無駄だと割り切り、兎も角、使用人の首根っこを捕まえてもう一度羊を探させなければ、と息巻いた。
メロゥドが妻のガルダから使用人が居なくなっているのを告げられたのは、そのすぐ後であった。