《3》
ガルダはその朝、夜が明けきらない時分から表の方が騒がしいのに気付いて飛び起きた。
いやな胸騒ぎを覚え、取り敢えず取るものもとらず寝巻きのままそのまま寝室から駆けつけると、血相を変えた村人達が押し寄せていた。
「こりゃ一体、何の騒ぎだい!?」
いつもの調子で農夫の一人にがなり立てたが、彼は目を剥いて逆にガルダに迫って来た。
「そりゃ、こっちの台詞だよ、ガルダ!手前ェのとこの娘に拐かされたウチの息子が、串刺しになって戻ってきたんさ!テメェら、どうするつもりだ!」
「なんだって!?そりゃ、どういうことだい?」
「訊いてんのはこっちだ、はぐらかすんじゃねえよ!」
詰め寄ってくる農夫どもにガルダはじりじりと後退り、ともかく亭主に知らせなくてはと取って返した。
「あ、あんた! 今、農夫どもが表に来てるん……」
ガルダは、夫の寝室に飛び込んだところで、言葉を失った。
そこには、居るはずのない人間が寝床に横たわっていたからである。
「な、なんで、アンタがいるんだい!?」
素っ頓狂な声を上げたガルダが見たものは、あの破門にして放逐した農奴の娘だった。
頭に血が昇ったガルダは、暢気に寝ている小娘を引き剥がそうと手を伸ばしたところで、羽交締めにされた。
「ガ、ガルダ! 落ち着け! そいつは取り敢えず寝かせておくんだ!」
「アンタ! どういうことなんだい、これは!?
どうして、厄介払いした娘がまたここにいるんだい?」
怒りに任せて痩せぎすの亭主を振り解き、そのまま胸ぐらを掴み、詰問すると、あらぬ方向からビュッと鈍く光る刃が突きつけられた。
「ご婦人、申し訳ないが、少し落ち着いてほしい。
私も、出来れば無用な殺生はしたくないのだ」
ヒッ、と短く叫び声が漏れたガルダは声の主を見遣ると、そこには薄汚れたローブを纏った見窄らしい少年の姿。
「あ、あんたは誰なんだい」
剣を突きつけられたのでは、ガルダとて、一旦怒りを鎮める他無かった。
「私は、アルバート=クリストファー・クライス。
魔導子爵だった父、スナイダー=セラフィム・クライスの遺児である。
邪悪なる者に謀られて名誉を汚され、王国から追われる身となった者。
其方のご令嬢、スードリ殿に尽力頂き、この村の領主、ガーウィッシュ卿と対決することになったので……」
「はあ!? あたしゃ、そんな話聞いてないよ!」
ガルダは眩暈がした。
どいつもこいつも、厄介事ばかり。
いつもそうだ、昨秋、村人の一人が徴税分の麦の一部をちょろまかしたときも、流行病が村で蔓延ったときも、その尻拭いをやらされたのはガルダであった。
しかし、今回ばかりはガルダにも扱い切れない。
領主に正面切って歯向かおうなど、村外れの森で首を攣ることと何が違うのか。
「メロゥド!? あんた、どう落とし前つけるつもりなんだ!」
夫に向かって叫んだものの、当人はじっと俯いてうんともすんとも言わない。
「もういい!あたしゃ、今から従僕に取り次いで貰って屋敷に嘆願に行く!この忌々しい小娘とそこの小僧を差し出しゃ、差配人の地位は辞めさせられるとしても、何とか破門は避けられるだろう?」
ガルダが煮え切らない夫に向かって吼えると、ガルダに向いていた刃が喉元に押し当てられた。
そのヒヤリとした感触にガルダは愕然として思わず少年を
見ると、彼は微かに震えながらも、その眼は据わっていた。
「ご婦人、それは出来ない相談だ。私の宿願の為……、いや、もうそれだけではない、この寂れた農村の行く末は彼女にかかっているのだ!」
厳かに言い放つ少年に気押されるままガルダは後退る。
「あんたはいったい……」
「この村の救世主様よ」
ガルダが戸惑いながらまたも同じ質問をぶつけたところで、先妻の小娘がそれを引き取った。
端正だが儚げな顔立ちの少女の色素の薄い瞳が熱に浮かされたように爛々しているのを見て、ガルダはこの娘がまた碌でも無いことを思い付いているのを察した。
以前この眼を見たときには、村中に疫痢が流行っていた時分。
表向きは北都から来た官吏が病を持ち込んだのが理由とされていたが、本当はこの少女がやっていたことだった。
事実、ガルダは夜更けに家を抜け出す娘の後を追い、村外れの森で黒いフードを被った人物達と獣のように交わう姿を見て絶句したのも束の間、一頻り享楽に耽った後、何かを受け取るのをガルダは見てしまった。
それが何なのかは程なくして分かった。
数日後、ガルダは人払いをして娘を問い詰めたところ、彼女はあっけらかんと自供した。
村の井戸に毒を投げ入れたと。
それを聞いたガルダは怒りのまま小娘を打ち伏せたが、娘は口元を歪ませてガルダにこう告げたのである。
『お義母さま、もしや、このことを誰かに漏らすのですか?』
勝ち誇ったような娘の邪悪な笑みを見て、ガルダは初めて己が嵌められていたのだと悟ったのである。
この悪魔の仔は、ガルダがこの悍ましい仕打ちを告発出来ないことをお見通しで事に及んでいたのである。
そんなことをすれば、差配人である夫ともどもガルダとて破滅に追い込まれるのは勿論、ガルダの実家の人間すら危うくなる。
その場にへたり込むガルダに、小娘は立場逆転とばかりに今度はガルダを引っ叩き、そしてこう宣った。
『さて、これを誰の仕業にしましょうか?』
ガルダは心底震え上がった。
この娘は村に災いをもたらしたのに飽き足らず、さらに他人をその贄にしようと企んでいたのだ。
ガルダは勘弁してくれ、私ゃ何も見なかったことにするから、と赦しを請うたが、悪魔の娘は彼女を逃してはくれなかった。
乱暴にガルダの髪を引っ張って己に引き寄せ、その端正な顔立ちを醜く歪め嗤ってこう云ったのである。
『そうだ、それならいっそ、領主様の所為にしてしまいましょう』
娘は嬌声を上げてガルダを離したかと思えば、その悪魔染みた策謀を巡らせ始め、彼女にもその協力を強制した。
ガルダもその片棒を担ぐこととなり、そうして、当時の領主であったサラミス卿を決闘により追いやり、現領主であるガーウィッシュ卿を迎えることになったのであった。
ガルダはその時の記憶が呼び覚まされ、ガタガタと震え出したところで、娘があの時と同じく、小さく口の端を歪めた。
「お義母さまにとっても本分じゃあなくて? なんせ、ガーウィッシュにも不満がお有りだったじゃない」
扉の向こうで周りの衆が騒めくのが聞こえる中、ガルダは観念してまたもやその場にへたり込んだ。
やはり、納屋での夫との会話は聞かれていたのだ。
しかも今度は胡散臭い魔導師被れの少年まで招き入れて、またもや村を引っ掻き回そうとしている。
病弱で美しい幸薄の少女の皮を被った悪魔。
せめてもの抵抗として毒婦となった少女を睨め付けたガルダだったが、娘は意にも介さず、こう呟いた。
「さて、後は村の馬鹿どもをどう言いくるめるかと、あの木偶の坊をどうするかね……。あの鼻垂れは使えないらしいし……」
ぶつぶつと独りごちる悪魔が、未だ眠っているもう一人の娘を忌々しそうに睨んだ。




