都市伝説とは
白骨の山を押し退けて逃げた先の保健室。七条さんがバラバラに並べられていた本棚を整理すると、装置が作動してもう一つ棚が現れた。中からは古くて錆びた鍵と一冊の日記が出てきた。日記を書いた人物の名前は書かれていないでござる。
「人体実験…」
本の表紙には『人体実験観察日記』あった。まさか自分が住んでいる近くでそんなことが行われていたとは。しかも妹君の中学校の中でござる。
『千九百五十年 三月三日 ついに施設が完成し実験が始まる。三階建てだった校舎は二階建てになっていた。表向き戦争で子どもが減っているからということらしい。組織によって連れてこられた子ども達は皆神隠しにあったと噂されている』
『千九百五十年 六月九日 計画は順調。実験によって開発された第一号が間もなく完成する。これが成功なら我々が日本の頂点に立ち再び戦うことができる』
表紙をめくり一番最初のページを読むと1950年とある。今は2019年だから69年前。第二次世界大戦の終戦からまだ5年しか経ってないでござる。
『千九百五十年 八月五日 学校に役人がやってきた。このあたりでの神隠しの人数が多いから気を付けろと言う。感づかれてはまずい。そろそろ他の地域から連れてくる必要がありそうだ』
『千九百五十年 十一月二日 計画は失敗に終わった。開発は成功したが制御できない。これでは兵器たりえない。我々の野望は潰えた』
『千九百五十年 十二月三十日 一年と続かなかった実験はすぐに凍結されることが決まった。しかしこの施設はすぐには処分できない。連れてこられた子ども達も知られる訳にはいかないためこの中で餓死するまで待つことになった』
『千九百五十一年 一月十四日 新校舎建築が決まった。時代に合わせてしっかりとしたコンクリートになるそうだ。業者に金を渡して裏で施設の封鎖もやってもらうか?』
『千九百五十一年 二月二十五日 大変なことになった。何人か逃げ出してしまったようだ。だがあれらはもう人間ではない。ここのことさえ知られなければどうにでもなる』
『千九百五十一年 三月三日 今日でこの日記を書き始めて一年が経った。地下にある人体実験校舎はこの土地の豪族が代々校長を継ぐことによって隠し通すことになった。奴らも金銭と引き換えに神隠しに加担していた。時が経ち忘れられた頃を見計らって解体し全てを闇に葬る』
ページをめくっていくととんでもない内容ばかりが目に飛び込んできたでござる。戦後すぐにこんなことが行われていたなんて…。
「…これは持って帰りましょう」
「人体実験のために連れ去られて、生物兵器にされて、思い通りにならないからって餓死するまでここに閉じ込められたっていうのか? ふざけるなよ!!!」
「ならさっき、吾が輩達に襲いかかってきた白骨の死体達はかつてここに連れてこられた子ども達…。まだ死ねないんでござるか…。まさか、都市伝説の口裂け女も……」
あまりにも酷く胸糞悪い事実に沈む中、出入口のバリケードが破られた。
「私、キレイ?」
口裂け女は繰り返した。
「私、キレイ?」
著者が書かれていない日記。そこに書かれていたのは残酷な人体実験の結末だったでござる。そしてその内容が確かならこの人は…、いや『この子』は。
「もうやめるでござる」
「私、キレイ?」
「もうやめるんだ。こんなことしたって何にもならない」
「私、キレイ?」
「もうやめろ。もういいんだ。キミはもう十分苦しんだだろう」
「……」
口裂け女は俯いて押し黙った。日記にある人体実験による生物兵器開発の、ただ一人完成とされている『第一号』。もしかしたら、『この子』が『第一号』で、後に逃げ出した都市伝説や怪談の何人かを手引きしたのも『この子』なのかもしれないでござる。そしてその逃げ出した何人かの子ども達が、どこにもない行き場のためにたびたび人の前に姿を現していたのかもしれない。
「お前らに何が分かる…」
「ここに日記が隠されていた。読んだよ。キミは都市伝説でも化け物でもなんでもない、小学生の女の子だ」
「やめろ……!」
「あなたは被害者でござる。人体実験のために誘拐されてきた被害者なんだ」
「やめろ………!!」
「今からでもまだ間に合う。このことを公に出来れば黙ってここを解体するなんて話はなくなるはずだ」
「やめて!!!」
悲痛な怒鳴り声が保健室に響く。自分の体を無理矢理辱しめられてもう70年近く。吾が輩達にその長い苦しみを理解してやることは出来ないでござる。
「お前らに何が分かるお前らに何が分かるお前らに何が分かるお前らに何が分かるお前らに何が分かるお前らに何が分かるお前らに何が分かるお前らに何が分かるんだアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
「お前らは手を出すなよ」
「杉田さん」
「俺にも娘がいる」
一歩前に出る杉田捜査一課長、54歳、妻子あり。そういえば娘さんは中学生だったでござる。
つい3年前は小学生の。
「ああああああああああああああああああっ!」
「ぬっ、ぐぅっ…」
「杉田さん!」
「いい、構うな七条」
精神的に不安定になった口裂け女に噛みつかれてしまった。噛みつかれた右肩から血が滲む。構うなと言うけど相当な出血でござる、長引くのはよろしくない。
「最近娘がちょっと反抗期でな……、よく喧嘩するんだ。まあだいたい最後には必ず仲直りするんだが、俺のやり方はこうなんだ」
そう言って杉田さんは口裂け女を優しく抱きしめた。まるで自分の娘を抱きしめるように、自分の娘であるかのように。
「今まで一人ぼっちだったんだろ?よく頑張ったな、偉いぞ。寂しかったなあ、何十年も一人ぼっちで。骨になっちまった友達をずうっと一人で守ってきたんだろ?苦しかったな、自分だってこんな体にされたのに」
「うう、ああ…」
「だけどもう大丈夫だ、あとはおじさん達に任せろ。なんでもやってやる、してほしいことがあったらなんでも言え。なんだって叶えてやる」
「だけど…、だけどあの頃にはもう戻れないよ…」
「そうだな、あの頃にはもう戻れないな。時間を巻き戻すのはおじさんにも無理だ。でもな?皆と一緒にいさせてやるくらいはできるぞ。約束する」
「約束…?本当に…?」
「ああ本当さ、約束だ」
「…うっうっうっ、うわあああああああああ!」
憑き物が落ちたのか、今まで背負ってきた肩の荷が降りたのか。弾けたように泣き出す口裂け女。心は小学生の女の子のままだったということかなのか。まだ子どもの吾が輩には分からないでござる。
「よしよし、辛かったな。けどもう一人ぼっちじゃないからな」
「杉田さん、水を差すようで申し訳ないんですが。噛まれたのはどうしますか? 立件しますか?」
「実はな七条。俺は今日は警察手帳持ってきてないんだなあ、これが」
「えっ」
「そうだな、夜中に散歩してて猿にでも噛まれたって言っておけばいいさ。あとは本部長がなんとかしてくれるだろ。さ、早いとこ外に出よう。いつまでもこんな暗いところにいちゃダメだ」
「やっぱり本部長に言ってたんですね」
脂汗でびっしょりの杉田さんはそこそこの怪我をしているにも関わらず、いつもの調子で七条さんの肩を二回叩くと、優しく微笑んだ。中学生の娘を持つ父親の背中は、大きな大きな背中に見えたのだったでござる。