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大切なものとはなにか リエッセ・ダリア・アルシオーネの場合

 今日はその日も晴天だった。私のいるこの場所ではこの世間一般で言う鈍色に染まった空を快晴と言う。世間一般では曇天と言う。どっからそんなに湧いてくるのか分からない工業力によって人、鉄、油がダース単位で消費されていく戦線。我が皇国は所辺国三国との小競り合いを続けている。朝のおはようから夜のおやすみまで鉛弾の挨拶が定期便の戦場。


 特にひどいのは西部戦線。東部と違ってヤル気満々の勇猛な砲兵天使達によって土地は耕され、人は有機的肥やしとなり、爆炎と硝煙と内臓とあったかい血の雨。塹壕には小便と大便と血と吐瀉物。教導官どもめ、肉壁にゲロの始末を教えなかったな。






「いやー、こっちはヤル気あるだけあって賑やかですな」


「大尉、定期便だぞ」


「向こうの冷や飯食らいと比べたらマシですよ」




 ダルシオーネは古い国でありながら長年弱小国家でも有り続けている。そのため周辺からたびたび嫌がらせを受けることなど再三に渡る。特に西側はマジでヤル気らしく定期便にも気合が入っている。おはようは必ず0800時、こんにちはの昼はきっちり1200時、こんばんははというと1700時、おやすみは2000時。東部はなぜかカバディで領地を競い合っている。どこの山崎退だ馬鹿野郎。おかげで東部は人員が余りまくり、英雄志望が肥料として送られてくること多数。






「西側もなかなかにくどいですな」


「くどい男は嫌われるぜ」


「社交界ではヒルしかいませんよ」


「鉛弾で挨拶してくる奴なら歓迎だ」





 今日は珍しく定期便が到着から1時間を過ぎた。かち合った奴に聞くとどうやら残業代の単価が減ったらしい。その分を長時間残業で埋めようというなんとも悲しく健気な事情だ。彼らにも祖国に家庭があるのだ。もしくは一夜限りの恋人に温もりに儚い夢を持っている彼らだ。基本給で命を賭けられるほど命は安くはなく、女の温もりも安くはない。






「ヤル気満々はおおいに結構。しかし我が皇国をくれてやるワケにはいかんな」


「はい少佐殿。あそこのビール不味いですから」


「なにより向こうは男余りでこちらは女余りと来た。占領すればどうなるかは火を見るよりも明らかだ」





 戦争に敗けた国がどうなるか。統治下という名の下の略奪、陵辱、殺戮が待つ。金を払わずに身分と女を抱けるんだから飢えた狼どもはそれなりに気合が入るというもの。馬鹿めと言って差し上げる。







「アタシの前に出て二階級特進しなかった奴はいねぇんだよ」






 アタシの鎧こそ濃緑の輝きを誇っているが、定期便の終わる頃には真っ赤に染まっている。ネットゲームで言うところの凸砂って奴だ。着いたあだ名が戦場のヘヴンズドア。会った奴は必ずヴァルハラへと導かれる扉を叩く。なに、痛くはしないさ。意識を失うまでそう長くはない。これもそれも英雄志望のお前と末子に生まれたアタシの不運というものだ。恨むならいるか分からない神様とやらを恨むんだな。せいぜい蛆虫の餌だ。死んだら骨で帰ると思うなよ。箱の中にはなんも入っちゃいねえんだよ。







「姫様!」



「なんだありゃあ…」






 バディを組む大尉が珍しく絹を裂くような悲鳴を上げた。西側の配達員もこちらも目を合わせて何が起こったのか確認しようとしている。手が止まる。ジャムったんじゃない。顔見知りの多い配達員は顔見りゃそんなことじゃないと分かる。お互いにだ。目の前にあるのは超常現象。眩い光に包まれた金色に輝く何者かが戦場に現れた。飛んできていない、地中からでもない、まるで最初からそこにいたかのように突然姿が存在した。翻したマントによって全ての鉛弾が存在を忘れ、硝煙は鼻腔から消えていく。傷はたちまち塞がり流れた血は体へと戻っていく。戦意が失われていく。神に遣わされた聖人が如く、奴は戦場で讃美歌を諳んじ、十字架を超常現象を以ってして顕現させる。








「コイツは残業代が減るな」






 辺りを見渡すと涙を流し跪いて手を合わせている連中ばかりだ。まるで天使にすがる子羊のよう。どいつもこいつもいつからお前ら人生に迷ったんだ。








「正気を保っているということはアタシと奴は同じ類か」






 狙撃銃を差し向けるとバレルが消えていく。慌てて手を離すと全てが消えた。アタシは理不尽な現象に腹を立てた。人の力に干渉して消滅させるなど、異能力者を侮辱している。能力によって生まれたものは能力によってでしか破壊できない。それを破壊ではなく消滅させるとは。異能力を根本的に否定する上から目線だ。








「だが瞬間的に消すもんではない。なら居合抜きすればいいだけだ」








 全力全開。抜いたそばから打っては消えるを繰り返したがまるで効果は無かった。兵站に依存しないアタシはそういう能力だった。そして奴は兵站に依存しないアタシキラーだった。奴は偉そうにも腕を組んで戦場に降臨なすっただけで全てを無に還していく。こんな馬鹿なことがあってたまるか。発砲前に名乗りとお辞儀をされてから発砲されるこのトリガーハッピーたるアタシがなんの礼儀も示されず無力化されるだと?西側の定期便がアタシに相手をしてもらったと自慢していることは知っている。それほどになったアタシに目もくれずただ腕を組んでいるだと?









「いけません姫様!」







 末子など継承権もないただ人殺ししか出来ないアタシを姫と呼んでくれる大尉の制止を振り切り奴に殴りかかった。無様だった。全力で力を込めた拳はなんの衝撃も生まず一ミリの傷も生まず、ただ奴の頬に受け止められただけだった。屈辱だった。避けるまでもないと。そんな価値もないと。お前の全力などその程度にも劣ると。奴の目を見てそう感じた。奴の目は哀れみに満ちていた。その時のアタシは理不尽な哀れみによって止められた戦場の代表を務めていた。お前のその独りよがりに居場所を失う連中がどれほどいることか。







「はあ…」







 ため息しか出なかった。奴は西側に降伏勧告を出した。降伏条件を勝手に提示し、それを西側と我が皇国に飲ませたのだ。我が国は西側の係争事案を介入によって解決されたが、代わりに経済的不安を余儀なくされた。頭部が反発したからだ。西側のがばかり良い降伏条件を飲まされて我々は放置とはそうはいかんと。女と金と地位が補償される代わりに我が国へと忠誠を誓い併合されろが良い降伏条件かは知らんが、東部からは魅力的だったそうな。東部も男ばかりのむさ苦しい国だと聞いたのは終戦からしばらくして、元東部の将校から聞いた話だ。








「今さら皇宮に戻ってどうしろってんだ」






 ワイングラスを傾けながら一人呟いた。ほんとiPhoneってクソ。独り言ちるが変換出来ない。いまや戦場の天使も飼い殺し。似つかわぬドレスを着せられテーブルマナーを教育され、このあとはダンスのレッスンが待っている。やってられるか。西側の定期便の奴らや大尉連中と交戦中と称して飲み会していた頃が懐かしい。それほど前でもないのに。何よりアタシはアタシがヴァルハラへと贈る奴らは必ず胸に抱いて贈ってきた。アタシの胸に抱かれたくて向かってくる紳士に最期の晩餐を届けるためにアタシは戦場にいた。あの馬鹿どもの犠牲がなんだったのか。










「こんなところにいたんですか」



「お前みたいなクソ野郎のためにヴァルハラへと旅立った奴らが悔やまれるのさ。このグラスは奴らに捧げている」








 奴は相変わらず眩い光を放つ姿のままそこにいた。女の部屋にノックも無しに入るとは礼儀知らずだ。







「申し訳ない」









 奴はただその一言を一方的に放って頭を下げた。アタシはそれが無性に気に食わなくてグラスを叩き割ってコイツをぶん殴った。申し訳ない?申し訳ない?そんな一言で今まで散っていった仲間や敵の魂が救われるとでも?!ふざけるなよ!そんなチンケな言葉一つで済まされるとでも思っているのか!






「…」







 黙って何も言わずに垂れた血も拭わずに頭を下げる目の前の男。何度殴っても気が済まない。








「お前が! お前が悪いんだ! お前みたいな何も知らない奴が偽善を振り回して何もかもめちゃくちゃにして! 正義だなんだと知った風なことを言ってアタシ達を殺していくんだ! 血みどろの生温かさも知らない温室育ちが誰かのために戦った奴らの血を無駄にして! なんのために血を流して国を燃やして! お前らの偽善エゴで人が救えるとでも本気で思ってんのか!」






 なおも頭を下げ続けるコイツは何も言わなかった。まるで自分の罪を最初から知っているかのように頭を下げ続けただの一言も喋らず黙したまま殴られ続け、垂れた血が辺りを真っ赤に染めてもずっと頭を下げ続けている。






「なんのため! なんのために! アタシ達が戦っていたと思ってるんだ!」







 突如終戦されたその仄暗い地にいったいどれだけの血を流し、一体どれだけの死体を重ねたことか。回収できた死体は敵味方問わず半数を越えない。ほとんどがヴァルハラへのと扉を開き、土に還っていった。いずれアタシも逝く。だから少し待っていて欲しい。ヴァルハラへと還ればみな同じ戦友なのだと。そう願いを込めて捧げた祈りがたった一人の男のために意味を失くした。







「くそっ、くそっ、くそっ」









 どれだけ涙を流しても、どれだけ地面を叩いても彼らは還っては来ない。敵も味方も先に逝ったのだ。アタシも彼らと同じ場所に逝きたかった。






 駆け寄ってきた侍女どもが異様な光景に絶句する間もなく、大尉が急報を知らせた。









「姫様入電です! 西部戦線に動きあり!」


「なんだと! もう戦友達はいないはずだ!」


「はい、いいえ姫様。それが…西部の奴ら…、いや正確に憶測するなら西部の上層部かと思われます。大量破壊兵器を投入してきました。既に迎撃部隊が突破されました」


「ふざけるなよ政治屋どもが! あの地の尊さを、命の尊さを、あの勇気の尊さを知らん奴らが何を今さら! 命を定規で計りやがって全てを知ったつもりか! 奴らが踏みにじっていい地ではない!」










 アタシは大尉に全力出撃を命じた。奴はアタシがドレスを引き裂いて走り去ってもまだそのままでいた。馬鹿が。言ってわかるなら!頭を下げて分かる連中なら力などいらんのだ! 戦友をアタシから奪い去り、戦友達を信仰の渦に叩き落とするほどの力を持っていてそんなことも分からないとは。所詮はコイツも一かゼロかでしか考えられない政治屋どもと同じか。











「追撃部隊後退しろ! ここはアタシが受ける!」


「姫様!」


「大尉! 貴様は負傷者を回収しつつケツを持て! アタシは敵も味方も知らん!」


「了解!」






 後にこの相棒である大尉がスパイであったことを知ることになる。だがそのときのアタシは敵も味方も関係なくただ救うことだけに集中し、目の前の虐殺兵器を撃つことだけしか考えられなかった。ヴァルハラへと旅立っていった戦友達の魂へ、ようやくアタシにも死に場所が見つかったと胸を張って誇れる時が来た。









「ようやくだ、ようやくなんだ」








 アタシの役目も終わる。この戦争の終結とともに。惜しむべくは終戦した後、それぞれの志を持って舞い降りた戦士達と酒を交わせないこと。それぞれが何を思い、何を守りたくてその手に銃を取ったのか。戦争に紳士的もクソもないと言われるだろう。だが人の心を忘れずに、仁義礼を以って狂人となることなく、一戦士であり、一個人として切ない夢を抱いて戦った戦士達。彼を紳士と呼ばずしてなんと呼ぶか。そしてアタシもその紳士達の仲間入りをする。世界で一番誇らしいことだ。













「どうせ救うなら貴女も一緒だ」


「?!」









 あと一撃。あと一撃喰らえば散ったアタシの命を救ったのは再び戦場似舞い降りた天使だった。血が、傷が、疲弊した体が、みるみるうちに元気になり体の内側から力が溢れてくる。みなぎるとはこういうことかと思い知らされるほど凄まじい力の奔流。本能でそれを分け与えられたものだと知ってもなお制御出来ないアタシは一瞬全身に走った痛みの後、姿を変えていた。全力を出しても30秒と維持できないフルアーマーがそこにあった。呆然とするアタシは不思議と落ち着いていた。気分が高揚していないのだ。









「本来の依頼はこの係争を止めるだけだったが、あのような代物を持ち出されたら気を利かせるしかない。出来るね?」


「いつかお前を殺してやる」






 黄金の騎士が満足そうに笑った。いや満足そうに見えただけだ。兜から覗く目がそういう風に見えただけだ。








「人の心も知らないただの兵器が調子に乗りやがって。お前がこの地に散ることすら許さん!」









 新たな力を得たアタシの初陣はそれまでこの地に散っていった者達への鎮魂歌であり、贖罪の一撃を放つことだった。こんな形で終わらせて申し訳ない。出来ることならどちらかの勝利で終わりたかった。だが侮辱された諸君らの魂はもはや踏みにじられることはない。このアタシがいる限り、皆人として生まれた人として死んだのだ。アタシはアタシが胸に抱いて失った戦友達てきやなかまの温もりを忘れない。










「お前、覚悟は出来てんだろうな」


「はい」








 誰がきっかけであの大量殺戮兵器が出てきたのかは言うまでもない。もちろんアレを作った西部の政治屋どもが一番の責任がある。だがそれをわざわざ出させてしまった責任はコイツにある。責任は背負い取るためにある。









「お前がどこの何者なのかなどどうでもいいんだよ。アタシ達の戦場を汚しやがって何様のつもりだ」


「申し開きもない」








 全力を込めた拳はついに奴の兜を叩き割った。黄金の破片が散らばるとともに奴の素顔が露わになった。アジア人じゃないか。もっと言えば日本人じゃないか! あんな平和ボケした田舎の井の中の蛙が黄金の騎士だと?! 笑わせるなよ猿が! 温室育ちのおぼっちゃんが救世主気取りか! 一滴の血も流したことがない軟弱なモヤシ野郎が何しにここへ来た!








「なぜ殴り返さない」


「泣いている女の人を殴る趣味は無い」






 泣いている? 泣いているだと? このアタシがか。泣いているのだとしたら無様にも戦友達への侮辱を止められなかった不甲斐なさだ。あそこでだったら一人で酒を開けていても寂しくない。なんせあそこにはアタシの返り血を浴びた奴も、アタシに返り血を浴びさせた奴も皆いる。アタシの還るべき場所がそこにある。








「もっと言うなら、戦士達が政治家達のおもちゃにされることが気に食わなかった。だが貴女は政治家達のおもちゃじゃなかった。言いなりでも無い。貴女には貴女なりの意思があり、夢がある。そんな貴方を俺は否定した、仕事とはいえ。だが俺も戦士だ」









(思うところはある…か)









「だからこそ、この機を潜みながら待ち望んでいたこの人は許せないな」


「くっ」


「大尉?」








 奴が合図をすると拘束された大尉が連れてこられた。私と同じ異能力者で数少ないアタシの無茶を聞いてくれる右腕。部隊を持たないアタシの唯一の部下。皇位継承権の低いアタシになど仕えてもなんの点数稼ぎにもならないのに進んでアタシを希望したと聞く。その大尉が縛られて跪いている。









「西側のスパイ。彼が先の兵器を手引きしたんだ。それだけじゃない、戦線の情報どころかこの国の情勢までも全て垂れ流しにしていた」


「で?」


「で?って…、この紛争がどうして長引いたと思って」


「余所者はすっこんでろ」








 黄金の騎士は救世主らしからぬ動揺を見せていた。落とす必要のない命を落としたとでも言いたげだった。









「戦場でアタシとタイマン張った奴が言っていた。アタシに憧れて、抱かれて死ぬためにここまで来たと。そしてそんな奴が国にごまんといると。大尉がスパイで無くとも紛争は長引いていたさ。アタシがその気概に応える限りはな」










 だからお前は分かっちゃいねえんだよ。









「いつでも後ろから撃てたものを真面目に戦士としての矜持を貫いた男を裁く権利などアタシにはない。戦がなければ生きていけない戦士であるアタシ達が貴重な戦いをしているのだ。そして願わくば女神に抱かれて逝きたい。戦場にしか居場所が無い戦うためだけにしか能力を活かせない。アタシにはそいつら皆を面倒みる義務がある。だから大尉も右腕に置いた」









 そしてアタシはあっけに取られている奴から左手で奴の腰に差してある剣を引き抜き、右腕を差し出した。











「何を…」


「いけません姫様!」


「この男のためなら我が右腕も惜しくない」









 さすが大尉だ。アタシのやろうとしていることを察している。だからお前しかそばに置けないのだ。実を言うとコイツの胃に穴を開けたのはアタシだ。だがそうまでして矜持を貫いた男を蔑ろにするつもりはないのだ。つまりな、大尉。だが悪いな、止めるつもりはない。








「姫様ァァァ!」


「…!」









 落ちた右腕と切断面から噴き出た血が辺りを染めた。全くもったいないことをした。右腕のことではない、ドレスのことだ。アタシが気に食わないだけで、このドレスを一着作ることにどれだけの民が関わりどれだけの税金が掛かっていることか。








「だ、そうですよ国王陛下。俺の手には負えませんね。っていうか覚悟キマりすぎ」


「うむ」


「クソ親父…!」







 のこのこと現れやがった偉大なる我が国の王。蓄えた髭に皺の寄った眉間、でっぷりと肥えた腹。無能なクセに後を譲らないお陰でどれだけ民草が貧窮していると思ってやがる!













「よい、全てを赦そう。娘の覚悟、しかと見届けた」


「国王陛下!」


「大尉や、貴様は儂にきっかけをくれたのだ。おいぼれるとどうにも腰が重くてなあ。頭まで硬くなる」


「陛下…」


「これで心おきなく隠居できると言うものぞ。…しかし我が娘の腕はどうしたものかな」









 クソ親父がそう言って黄金の騎士を見やった。クソが。コイツらグルだ、最初から最後まで台本通りだ。アタシも大尉もそのために利用された。












「お前ら全員死んじまえ!」


「まあまあ、そう怒らないで欲しいでござる」










 ござ…、なんだって?













「あー、腕はくっつけちゃうからそのままでヨロー」












 ヨ、ヨロ?









「はーい、おっけーでーす」








 豆鉄砲を食らった鳩みたいな顔をしている間に右腕がくっついたのだ。なんなんだコイツは。ござるってなんだ、ヨロってなんだ。待て、コイツいつのまにか仮面を直した? 破損した部分が塞がっている。アタシの空いた口は塞がらない。








「姫…様…」


「大尉、これは夢だ、夢に違いない。自室に戻るぞ」


「姫様、お気を確かに」


「演技もなかなかではないか救世主殿」


「いやー吾輩演劇の経験はないでござる」











 わ、吾輩?











「…、ま、自室に戻るのは賛成でござる。メイドさん、温かいスープよろしこ」










 何故か大尉とアタシの自室に戻ってスープを口にしている。何がなんだかワケが分からない。













「大尉、スパイというのは夢ではないのか?」


「はい姫様、申し訳ありません」


「いい、どうせ貴様のことだ。アタシに抱かれて逝く連中に無闇に殺到するなと順番の名簿でも作っていたんだろう。夢を持たせたアタシが悪いんだ」


「姫様が悪いなどと!」











 それとコイツが自殺願望に似た希望を持っていたことは薄々感づいている。最後に殺されたいという儚いものだ。アタシが抱いて旅立たせるその瞬間、最後であればアタシを独占出来ると。そしてその半分が贖罪であったことも。スパイとはいえ同胞を敵として討たなければならない身。中には顔見知りもいただろうに、素振りを微塵も見せずにここまで来た。まったくもって素晴らしい。











「お前はスパイには不向きだったな」


「それは…。いえ、私のことなどどうでもよろしいのです! 姫様、右腕のお加減は…」


「ああ、なんともないよ」










 驚くほどなんともない。後遺症?合併症? 知らない症状だな。









「そりゃそうなってもらわなければ困るでござる。貴女にはこれからOLしてもらうワケですしお寿司」



「貴様!」










 飄々とした態度で先ほどまでの威厳などかけらも無い黄金の騎士がそこにいた。開けた窓際でマントをひらつかせて偉そうにも腕を組んでいる。OLだ?アタシがか? 皇族の中でも最も粗暴なアタシがOLだと? そんなものにアタシが? だいたいアタシはまだ14だぞ。











「ま、その前にフルパワーを使いこなす訓練もしてもらわないといけないけども」


「あ?」









 奴曰く、民草に慣れるため、能力の暴発を無くすため、民草のマナーを学ぶため、様々な訓練が必要だった。鬼かと思った。奴の訓練は連日死ぬ間際まで追い込みを掛けるという過酷なものだったのだ。そして大尉も。大尉は全ての罰を赦されたのだが、それでは周囲に示しがつかないということで連日死にかけるアタシをただ見ているだけという蛇の生殺しに似た罰を受けた。










「貴方も強くなってもらうでござる。吾輩がいなくなった後も、その前と同様に彼女を守っていくために」









 過酷を極める訓練は一年続いた。その間に国は目まぐるしい変化を遂げていたが目で追うことすら難しいほどだった。兄上達がクソ親父の国王に変わって兄弟姉妹で国の舵を取るようになり、秘密に秘密を重ねていた皇室はそのほとんどを開けっぴろげにするという驚きと戸惑いを隠せないものだった。そして、その頃にはアタシはタケに惹かれていた。というかほっとけない奴だった。









「奴は結局西側も我が国も救ったのか…」


「姫様…」


「奴は自分だけ自己犠牲を良しとするくせにアタシらには鬼のように怒る。命を大事にしろと。アタシ達の命を大事にしているヴァルハラへと旅立った奴らが己よりも何よりも大事にする命を大事にしろと。そのくせ自分は隙あらば死のうとする。なんなんだアイツは」









 人の逃げ場所になりたい。タケは当時そう言っていた。現実から逃げないばかりが戦いじゃないと。逃げることも戦いだと。そして逃げた人のために居場所になってやりたいとも。タケは天性のお人好しだよ。







「さて、そろそろ帰るか」


「あー、腹も減ったしな」


「そういう意味ではないでござる」


「?」









 アタシには一瞬理解できなかった。朝はコイツの作ったモーニングで始まり夜はコイツのマッサージで終わる。そんな生活を一年続けていた。どんなにブチ切れかましても何故か怒らずにアタシを諭しいつも抱きしめてくれた。夜もタケを抱き枕にして寝ていた。タケは、アタシに甘えるということを教えてくれた。生まれながらにして厳しい教育を受け一切の甘えを許されなかったアタシは最初戸惑った。人に優しくされることが初めてだったからどうしたらいいのか分からなかったんだ。大尉とは違う、上司と部下という関係ではなく一人の人として、ただの男と女として、初めて等身大のアタシを受け入れてくれた初めての人。本当の自分をさらけ出しても安心できる奴。そのタケが帰ると言った。









「そろそろ一年経つ…。君は十分に育ったし、スパイだった彼も副官として申し分ない」


「お前…何言って…」


「吾輩の役目は終わったんでござる。老兵は消え去るのみ」









 ここまで言われて初めて理解した。タケはアタシの前から姿を消そうとしている。







「い、いやいやいや待てよ。まだお前のがツエーじゃねえか」


「吾輩がこのままここにいても近いうちに君に追い越されるでござるよ」


「んなワケねーだろ!」


「吾輩はもうかつての残りカスくらいの力しかないでござる」









 タケはそう言って包帯が巻かれた腹を見せた。それまで前日の傷なんか数秒と経たずに消えていたのにまだ包帯が巻かれている。いやそもそも怪我に包帯を巻く? 超常現象を顕現させるほどの男が? 馬鹿な!








「…待て! 待ってくれ!」



「吾輩はそう遠くない未来にはいなくなっている。頼むでござるよ」



「やだよ! なんでだよ! ずっと一緒にいてくれたじゃねえか!」







 人生で初めて駄々をこねた。人生で初めて人を困らせた。







「アタシ、楽しかった! 誰かと一緒に飯食うの初めてだった! 一緒に笑い合うの初めてだった! 一緒に寝てくれたのお前が初めてだった! …誰かと一緒にいて楽しいって思えたの、初めてだった。そりゃ確かに訓練は大嫌いだったけど、お前となら、お前にならってずっと思ってた。強い自分も弱い自分も、アタシが気に食わねえと思ってるアタシの女としての部分も、全部…」




「……」









 タケは困った顔をして答えなかった。こうなることは薄々感じていたんだろうけど、やはりこのときが来てしまうと思ったようにはいかないものだ。いつまでも変わらないままじゃいられない。どんなに変わりたくなくても過ぎる時間が否応なく強制的に人を変えていく。










「アタシ…、アンタと一緒にいたいよ……。アンタと一緒にいられたら幸せだよ…」



「ごめん」











 人生初めての恋にして初の失恋だった。










「責任取れよ!ふざけんなよ!こんだけ優しくしといて最後までいねぇのかよ! なあ!なあ!」



「ごめん」



「ごめんじゃねぇんだよ!」








 アタシは初めて涙を流して泣いた。それも男の胸の中で。いつもは男を胸に抱いて最期を看取ってきたアタシが。








「もっと一緒にいてくれよ!もっと一緒に鍛えてくれよ!もっと一緒に居てくれよ…。アンタが一番知ってたじゃないか、死に際まで命を、魂を捧げた男達の気持ちを…」


「ごめん」


「なあ、アタシを連れてってくれよ。アタシなんでもする。殺しでも盗みでもなんでもする。どんなに汚えことでもなんでもする。だから…、だから…、アンタと一緒にいられるなら…!」


「それは出来ない。君が見送ってきた戦士達に合わせる顔が無いでござる」







 諦めるしかないと悟った時、アタシの感情は弾けた。まさか絶叫するほどの声をあげて男に抱かれて泣くとは思わなかった。初めてアタシを異能力の色眼鏡抜きに見てくれた奴が居なくなってしまう。ごめんなタケ、謝んなきゃいけないのはアタシの方なんだ。朝起きる時にいつも頭を撫でてくれてたとき、実は起きてたんだ。まどろみの中でお前に頭を撫でられている時が凄く幸せでずっとこの時間が続けばいいのにと思って寝てるフリしてたんだ。お前の方が空の彼方より遠く高く強いくせに、アタシと同じところまで下がってきて目線を合わせてくれる。アタシみたいなガキにずっとそばにいて隣で笑ってくれる。だからアタシはお前を好きになったんだ。すまん、正直になれないアタシを許してくれ。











「そうだなあ、確かにこの一年頑張ってきたのになんのご褒美もないのはフェアじゃないでござるな」









 そう言ってタケはアタシの頬にキスをしてくれた。







「あっ」


「もし大人になってもまだ吾輩のことを好きで居てくれたら、お返しをしに来て欲しい。そのときの吾輩は別人かもしれないけれど、気持ちだけなら受け取ってあげられるから」









 これが当時のタケとの最後のやり取りだった。風ともに現れ風と共に去った。まるで最初からいなかったかのように。あの楽しい時間が、幸せな時間が嘘だったみたいにいなくなっていた。人々に記憶だけを残して。アタシは誓った。必ずやり返してやると。このまま引き下がってたまるもんかと。









「アタシは少しでもアイツに近づけたのかな…」








 武蔵野の隠れ蓑に就職することが決まって、黙って国を出る直前。飲み屋で大尉といた。べろんべろんに酔ったアタシは足元も怪しいくらいになっていただろう。カウンターのテーブルに突っ伏して握るグラスは空だった。溶ける前のロックがカランと音を立てる。








「分かりません。残りカスしかないと言っていたのでしょう? それであの力ですから、私に計りかねますよ」



「うるせえ万年大尉が」



「これは耳が痛い」







 怒ってるワケでもねえのに耳まで真っ赤になった顔がジョッキに映る。アイツはいまどこで何してるんだろう?ちゃんと飯食ってんのかな?元気にしてんのかな?久しぶりに顔が見てえな、などと懐古と心配がないまぜになりながらまとまらない頭でおかわりをしようとしたら、大尉がメモを一枚よこした。










「このことは武蔵野には内密に…」








 そう言ってウインクする大尉。きめえ。お前変わったな、そんなキャラじゃなかったろ。こんな風になっちまったのも全部タケのせいだ。








「これ…」











 メモを見た瞬間酔いが覚めた。店長の親父が持ってきたおかわりを一気飲みしてドカッとカウンターテーブルに叩きつけても目の錯覚じゃなかった。日本の住所だ。これから武蔵野に行くアタシの住所とそう遠くねえ。










「これがバレたら私は今度こそ首になりますよ」


「馬鹿タレ、二階級特進だぜ」


「それ死んでませんよね?」






 アタシはカウンターから突然立ち上がって椅子を蹴り飛ばし近くのテーブル席に登って声高に叫んだ。最高に気分がいい。これでアイツに仕返し出来る。見とけよクソ馬鹿。ガキ扱いしたアタシは国で最強になって国で最強に良い女になったぜ。お前が収めた紛争の後にアタシの国を含めた周辺三国は同盟を結び事実上一つの国になった。その三国の中で一番強え女になって一番良い女になったぞ。








「てえめら! 今日はアタシの奢りだ! ウチの財布にツケとけええええ!!!」







 どいつもこいつも見知ったむさ苦しい筋肉だるまの親父ども。酒場に歓声が響き渡った。アタシはコイツらの面倒を見てやった、アタシはコイツらに面倒を見てやってもらっている。口うるせえ憲兵どもが来ても酒飲んでられるのはコイツらのおかげだ。馬鹿野郎どもと馬鹿騒ぎするのはマジで楽しい。現実逃避?上等じゃねーか文句ある奴は掛かってこいや。全員ぶちのめしてやんよ。










「アンタがここにいたら、なんて言うかな…」


「姫様…」








 思いを馳せるアイツは遠い東の果てにある。







「ヒュッケバルト! 着いてこい!」


「ハッ!!」


「姫様の門出だ! 野郎ども祝えぇぇぇー!」


「乾杯!」


「姫様に乾杯!」


「姫様の門出に乾杯!」









 野郎ども、アタシは必ず帰ってくる。タケを連れて帰ってくる。この国にだ。だがその時アタシはこの国の人間ではなくなっている。一人の男のそばにいる女の子として帰ってくる。ただの女として。そのときは約束しよう、必ずと。もう一度この酒場で乾杯すると。そのときの馬鹿騒ぎにもう一人知らん男が混じっていると。アタシに恋焦がれたお前らを置き去りにして旅立つアタシを奪った男をボコボコにしていい。だが迎えてやって欲しい、ソイツはもう一人の馬鹿なアタシだと。きっと喜んですっぽんぽんになるぞ。










「っし! 行くか!」


「ゔゔゔ…、待ってください姫様…、二日酔いが…オエッ」


「飯食ったばっかだろ」









 一晩明けて明朝。兄上や姉上がうるさくならない日の出前に身支度を整えて発つ。









「ひょっとしたらこの門をくぐるのも最後か…」








 黙って国を出る皇女など前代未聞。それも一人の男を追って。いくら親父が隠居してるからって許しては貰えんだろう。だがそんなこと知ったことか。アタシはアタシの追いたいものを追う。だが次の瞬間我が目を疑った。と、同時にこの国の連中も同盟の連中も、どいつもこいつも馬鹿揃いだと思い知った。











「我が妹の門出だ!」









 戦場で見知った顔が、遺影が、酒場の馬鹿野郎どもが、長兄の兄上が、民草が、皆がここにいる。馬鹿が。今日平日だろ?なんでこんなに集まってんだよ。全員皇務執行妨害でしょっぴくぞ? 辺り一面人混みで埋め尽くされている。蟻の這い出る隙間も無いほどにひしめき合っている。やりやがったなクソが。誰だコイツらにハイドスキル教えたのは。大尉お前だろと振り返るとドッキリ大成功のプラカード掲げてやがる。











「も、申し訳ありません姫様。やらなきゃ給料一年間抜きにだと命令されまして…」










 命令の使い所! チッ…。











「てめえら覚えとけよ!」


「我が妹に敬礼!」












 それからアタシはしばらく穏やかに過ごしていた。過酷な訓練の合間にタケがエクセルとワードを教えてくれていたおかげで取り敢えずどうにかなった。日本の作法やマナー、茶の淹れ方。服装から言葉遣いまで。まったく世話焼きだよお前は。そのくせ笑う時は無条件に人のこと信頼してやがる。最強のくせして無防備だよ。












「ありがとう」


「えっ? なんでござる? 吾輩なんかした?」


「なんでもねーよこっち見んな前向けタコ!」


「あべし!」










 なあタケ。お前は不思議と人を惹きつけるよな。それがどれだけのものか知らねえ。他にも何人か女いんだろ。いいんだ別にそんなことは。それよりもアタシは今おまえのそばにいられることだけで幸せなんだ。あの頃に戻ったみてえな気がしてな。でも再会したお前は以前とは本当に別人だったな。そのままなのは容姿だけだよ。それ以外は似ても似つかない。でもお前はちっとも変わらなかったよ。












「なあタケ」


「んほぉ?」










 デートで昼飯にバーガー食っててケチャップつけてやがんの。








「……フッ」


「…………吾輩の命日今日?」







 やりかえしてやったぜ。人のとさんざん嵌めたんだ、これからもやり返されてもらうぜ。なんてったってアタシの嫁だからな。










「こんにちは死ねェェェ!」











 コイツを連れて生きて帰る。ま、先にお前が来ちゃったけどな。







「ちょあっぶ!」


「死んでねえから気にするな」







 またいつの日かみてえに一緒にいられるかな。朝飯も昼飯も晩飯も一緒で、訓練でくたくたになって泥だらけで帰ってメイドにまたかと叱られて、大尉はすいませんすいませんとか馬鹿みたいに頭下げて、風呂はといえば大浴場にダイブして、って思えばちゃんと二人きりだったのはベッドで寝てたときだけだったな。ベッドにいたときだけはお前をアタシだけのものにできてた気がするよ。だが腹出して寝てたくれーで風邪なんざ引かねーから。まったく再会したら女たらしになってやがって、お前の周りに女ばっかしかいねーじゃねーか。家族といい武蔵野のばーちゃんといい、いや、ばーちゃんは流石にノーカンか。













(ともかくなタケ。自分と同じ目線に立ってくれて、隣にいて安心する奴ってそういないんだわ。それまでずっと一人でいても、もうお前がいねーとどうにもならねえ。お前がいるとこう、なんというか、胸にすとんとぴったり収まるんだよ。お前がいなかったこの10年、喪失感を認めたくなくてずっとお前との訓練を思い出して修行してきた。あんまり過激にやるもんだから大尉に今度は私が腕を切るって脅されたっけな)










 だからなタケ、一緒にいられるときは一緒にいたいんだ。こんなこと言うと女々しいって言われるかもしれねえけど、ずっと一緒にいたいんだ。一緒にいられなかった時間を埋めたい、胸に空いた穴を埋めたい。アタシを優しさで満たしてくれたお前となら一緒になっていい、なりたい。たくさんキスをして、たくさん手を繋いで、たくさん抱きしめて合って、たくさん触れ合いたい。ねえタケ、またアタシとあの頃みたいに笑ってくれるか? アタシはもう一緒にいるだけじゃ満足できねえよ。












 だから、だからアタシはもうお前を手放さねえよ?

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