表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
194/202

大切なものとは何か シオン・アスターの場合

 私はかつて、というほど昔でもない頃、暗殺者をやっていた。




「…ブフッ」



「………」




 ロシアの冬は長い。白く透き通った私の鎧は雪の白亜によく馴染む。故に暗殺は冬にのみ行う。冬以外は情報収集を行う。それなとなく街娘に紛れターゲットの顔当てをし、リストアップの後、狩る時をじっと待つ。素性、性格、技能、性癖に至るまで調査し全てを記す。私は軍の暗殺者だった。






「下がって良し」




 ロシアの裏方。上司と言葉を交わすことすら禁じられる雲散霧消の存在。行くアテのない孤児院育ちの私にたまたま宿った戦闘力。街の殺し屋から始まり、国の反逆者を始末するに終わる。来る日も来る日も任務のことばかり。家に帰ればレーションを食べて寝るだけ。仕事が中心の生活。太陽光を浴びて生活するようになったのはわりとつい最近の話。







「………」






 私は退屈だった。何故か。首になったのだ。一般的にいう懲戒解雇ではない。私は仕事で一切のミスをしなかった。何事も全て教育された通りに。ではなぜ? 狩るものがいなくなったからだ。ターゲットがいなければ人件費削減。もはや国に楯突く愚か者は普通の人間の処理部隊で間に合う程度だった。私は無職になった。






「……!」






 唯一ロシアの栄光に障害となりうるだろう存在。世界にただ一人だけ存在し、延長雇用してほしくば奴を仕留めろとのお達しだった。救世主と言われた人外を消してみせろ。事実上の死刑宣告。私はこの仕事を受けた。国の判断は正しい。裏方は生まれてから死ぬまで一切の記録を残さず一切が表に出ることはない、闇に生まれて闇に沈む存在。知っている者は消す。なんなら国の障害と共に滅んでくれたら一石二鳥。実に合理的な判断だ。表でも裏でも殺しをしたことがある戦姫は後にも先にも私だけだろう。







「キミはちょっと許せないでござる」






 何言ってんだコイツ。許せるとか許せないとかそういう話じゃないんだよ。仕事なんだよ。人が動物を食って生きているのと同じように、人が動物であるかぎり食うこともあれば食われることもある。ターゲットはたまたま食われる側だったってだけ。食うか食われるかで食う立場にいなければ食っていけなくなる。ターゲットに対峙した雪原の中で私はそんなことを思っていた。私は手負いだった。






「この世の素晴らしいところを見ずにいるなんてもったいないでござる」




 は?




 私は疑問符しか頭に浮かばなかった。ロシアに生まれロシアに生き、ロシアで息絶える。それが素晴らしいと言わずしてなんと言うのか。男は私に目もくれず、それどころか背を向けて辺りを眺めている。






「こんなに美しい雪原は日本にはないからね」






 ロシアの雪原が美しい?極寒の大気も凍りつく何者も受け付けないこの雪原が?銀白に輝くこの雪原は本来なら10分といられない。人間はおろか野生の動物達さえ巣穴に籠りやり過ごすしかない。手負いの私がここにいられるのは私特有の能力があってこそ。全てを拒絶し全てを殺すこの雪原が美しいだと?






「キミんとこの上には吾輩から話をつけておくでござる。だから…、まだ死んじゃダメだよ」





 なんだと?と言い返す間もなく私は意識を失った。次に目を覚ましたときはベッドの上だった。病院のベッドではない、豪華できらびやかなベッドでだ。私の寝ていた部屋とは似ても似つかない部屋。壁から壁まで何メートルあるのかという広い部屋にある大きなベッド。部屋が広すぎてベッドの大きさが霞む。目が追いつかない。取り戻したばかりの意識ではスケールの大きさにただ圧倒されるばかり。よくよく考えたらベッドで寝ていること自体初めてだった。






「起きた?」






 部屋の彼方から声がした。あの男だ。





 奴は椅子に腰掛けて紅茶を優雅に紅茶を飲んでいる。ヤロウ、貴族気取りかよ。





「貴様…! うぅっ」



「まだ起きたらダメでござる。なかなか重傷だったからまだ回復には時間が掛かる」







 重傷?私がか?だったからってなんだ。そもそもお前が負わせた怪我だろうが。まるで私が誰かにやられていたように言いやがって。あたまの中で毒づいていた私は体を見やると、人生で初めてギョッとするほど包帯が巻かれていた。それどころか自分の体が白いことに驚かされた。ここまで包帯が巻かれていたことはなかった。暗殺部隊史上最強にして最硬の私がぐるぐる巻きだと?!






 屈辱だ!







「殺せ!」


「まーたそういうこと言う」




 また?!またってなんだ!私が同じことを二度も言ったと?!ふざけるなよ!!殺された方がマシだったことなんかこれが初めてだ!手負いにされた挙句ターゲットに助けられたことなど!今まで星の数ほど命乞いをされてきた私が二度も命乞いをしたと言うのか!





「キミ、うなされながらずっと殺せ殺せってうめいていたでござる。ちょっと気にかかったからキミの上の人に聞いたけど、そこまで思い詰めるほどのことは出てこなかった」




 常識で考えろこのデブ!まだ12歳の女が人殺しの術を与えて育てられたら殺すより殺される方がマシだと嫌でも気付く!私が拾われたのがいつだと思ってやがる!7歳だぞ!来る日も来る日も殺しのことばかりで育ってその時期を過ごさないワケが無い!






「おー、さむさむ」






 激情に駆られた私は部屋中を凍りつかせていた。大気中の水分という水分を奪って全てを亡き者にする必殺の気合い。殺意たっぷりの冷気の中、ヤロウは涼しげな顔で飄々としていた。人外と言われるだけある。一見ただのデブに見える奴は巷では救世主と呼ばれ、世界中のいたるところで人助けのための戦いをしている。同時に世界各国の諜報員も活動不能にしている危険人物。互いの腹の探り合いすらも保たなければならないパワーバランスなのにそれを壊して回っている。







「キミ、ウチ来る?」





 は?





「どうやらキミは無職なのようなので、スカウト条件にぴったりなのよね」


「上から憐れみやがって!」


「ちなみにスカウト条件は現在職に就いていないことでござる」




 我慢の限界を越えた私はベッドを飛び出しヤロウの首に食ってかかった。手が動かなくとも、足が動かなくとも、奴の首の根を食いちぎることぐらい出来る。そもそも誰のせいで無職になったと思ってやがる!そもそも誰のせいで上が日和ったと思ってやがる!世界を平和にしたらそれで全てが丸く収まるとでも思ってんのか!







「お前に私の何が分かる! 望んでもないのに産みやがった両親に捨てられて、ひもじい思いをして、殺しを覚えさせられて、殺した奴に恨まれて、その家族友人に憎まれて、血を洗ったそばから血を浴びる生活! たどり着いた先には何にも無かった! 信じるものも、居場所も、何にもない!」





 そうだ、私には何も無い。






「何も無い…か、そりゃキミの勘違いか、たまたまキミが知らなかっただけでござる」


「貴様ァ!」





 飛びかかった。そのはずだった。ヤロウの首筋に氷の爪を突き立てた…と確信していい。そのはずだったのに気付いたらベッドに押し込まれていた。






「おーさむさむ。さあ吾輩とベッドであったまるでござる」


「?!」





 氷漬けにしたはずの部屋が元に戻っている。それどころか私の能力は無効化されていた。氷を元に戻そうとしたら水浸しになるし、氷漬けになった瞬間壊れた物は元には戻らない。ましてや私の手から直に生えている氷の爪が無かったことにされている。私のことを優しく抱き止めているその手。確かに人外と呼ばれるだけのことをした。







(何が『異能力者は化け物』だ!何が救世主だ! 私なんかよりよっぽど化け物じゃないか!)





 あったまろうと言う奴の腕の中で私は脂汗をかいていた。恐怖で寒気がするからだ。本当に屈辱だった。圧倒的な力を持っていつも敵を圧倒してきた私が恐怖させられるなどと。私は死を覚悟した。






「別に殺しにきたんじゃ無いんですけど…、顔に出てるでござる」


「?!」






 このヤロウ、どこまで人のことを見下せば気が済むんだ!!




「この間言った通り、吾輩がキミのとこの偉い人と話を付けたでござる。全てを見逃す、つまりキミのことも手放すことを条件に今回のことは無かったことにする取引で」


「アンタは私からどれだけ奪ったら気が済むんだ…。アンタのせいで世界も国も平和になって、敵はいなくなり仕事も無くなって帰る家もなくなった。食っていくことが出来なけりゃ死ぬしかない。裏方で生きてきた人間はアンタのせいで皆ホームレスだよ」


「そんな皆さんは武蔵野グループに就職してもらってるでござる」


「アイツらのやってることこそ世界征服じゃないか! この偽善者が! 世界のあらゆる業界を牛耳って武蔵野の名で好き放題しまくってやがる!」


「じゃあ武蔵野に再就職するの嫌でござる?」


「当たり前だ!」




 今にして思えばアイツなりの責任の取り方だったんだと思う。世界を平和にしていったら、裏の世界でしか金稼ぎ出来ない奴らは食いっぱぐれるしかない。表の世界に出たら終身刑か、人権とやらでオブラートに包んだ死刑紛いの超長年懲役刑。飼い殺しの畜生にも劣る素晴らしき人権という盾。いっそ死刑にされるか自分で首吊った方がまだプライドを保てる。そんなプライドをかなぐり捨てられるなら武蔵野に行けばいいという逃げ道をこのヤロウは用意していた。








「じゃあ、アイドルする?」


「アァン?! …あ? 今なんて?」


「キミは容姿が整ってるし声も綺麗だし、12歳なんだっけ? それにしては長身だし。鍛えたらそれなりになるでござる」







 アイドル? 私がアイドル? 歌って踊って張り付いた笑顔で豚共に媚びへつらってるあのアイドル?








「…、間違って観客殺しそう」


「いいねえそれ! そういうキャラ大事!」


「いやダメでしょ…」


「それにアイドルになって有名になれば世界中を見て回ることができるでござる」


「世界ねえ」







 力が抜けた。もう殺すなり煮るなり焼くなり好きにしてくれって感じだったわ。正直私も12歳で死ぬつもりはなかったからどこぞのマフィアの手先になってでもと思ってたけど、どうにもコイツから逃げられる気がしなかった。







「失礼します。お話はまとまったでしょうk…、救世主ともあろう御方が年端も行かぬ少女に手を出すなんてどういう」


「いやいやこれは誤解でござる」


「人のことを無力化して抱き締めて『あったまろう』って言ったの誰よ」


「いやいやそういう意味ではなくて…! 単純にキミが出した氷のせいで寒かったからであってでごるざるぅ! …秘書さんメリケンサックしまって?」


「問答無用!」


「ぎえぴー!」





 結局私は武蔵野の金でアイドルをすることになった。って言っても極端に武蔵野を嫌っていた私に気を遣ったのか、弱小事務所に私の素性を黙らせるために金を積んだだけだった。それからは気力体力に自信のある私ですら苦痛だった。トレーニングがじゃない。豚共ファン相手には素のままのようにしてられて楽だったけど、事あるごとにプロデューサーやらテレビ局の上の連中にヘラヘラ笑いながらご機嫌取りをしなければならなかった。たまにヤロウが様子を見に来てストレス発散に付き合ってくれたからすぐには爆発しなかったものの、結局そのときは訪れた。我慢の限界だ。









「やめなさいシオン! あなた誰の胸ぐらを掴んでいるの!」


「うるせえええ! 気軽に尻触りやがって私をそんじょそこらのアイドルと一緒にすんじゃねえ! ぶっ殺されてのかてめええええ!」






 数年経ったある日、屋形船で売り込みのためにテレビ局の連中に接待させられていたとき、手や脚どころか調子に乗って尻まで触り始めた奴らについに私はブチ切れて胸ぐら掴んで壁に叩きつけた。ふざけんな! 痴漢されんのが仕事じゃねえんだ!と我を忘れていた。






「ふざけんなよてめえ! 触りたいなら店にでも行ってろ豚野郎が!」


「シオン!」


「アイドルなんかやめてやる! こんな奴らの言いなりになるくらいならコイツら皆殺しにしてでも裏に戻ってやる!」


「ひ、ヒィぃぃぃ…!」


「シオン! やめなさい!」


「鳴いて喚けよ豚野郎共がぁぁぁぁ!」


「ブヒぃぃぃ! もっとおおおお!」






 …?







「素晴らしいブヒ!」


「ささ、女王様これをどうぞ」







 ムチ?








「い、衣装はこれで…!」









 ボンテージ?










「こ、この蝶の仮面も!」


「踏みつけるときはぜひこのブーツでお願いします!」








 ブーツ?







「ブヒィ! 女王様早くぅ!」


「早くいたぶって! ムチでいたぶって!」


「いや私からだ」


「局長!」


「私から踏みつけてもらう」









 いや突然ガラッと入ってきて何言ってんだこのスーツのおっさん…。









「流石にそのバーコード頭は諦めなさいよ…」


「流石に言葉責めにおいてアイドル界にて最強。だがそんなものでは私は鳴かんぞ」








 いや鳴かなくていいんですけど…。









「お楽しみのところ悪いでござる」







 ムチを持たされ蝶の仮面をつけさせられ、ボンテージに着替えてブーツで豚を踏みつけて困惑している私の目の前にヤロウが現れた。お楽しみじゃないんですけど。








「おお、神よ! 女神を与えたもうた我が主よ!」









 お前のせいかよ! 嵌めやがったなちくしょうこのヤロウ!








「事件でござる、それもすぐそばで。ちょっと力を貸して欲しいでござる」


「私達も出番かね?」


「キリッと言う前にそのたるんだ腹どうにかしたら? 締まらないわよ」


「シオン! やめなさいって言ってるでしょ! こうなるから!」


「ふん、ドS姫と呼ばれるシオン・アスターもまだまだ甘いな」


「マネージャー、アンタもグルでしょこれ」


「だってお金くれるって言うから」


「このクソ野郎!」


「ブヒィ! もっともっと!」







 事件は橋の上で起きていた。レインボーブリッジ祭りで解放された橋の上で出店や山車を見世物に多くの人々が行き交っていた。そこにテロリストが目をつけて橋の両端を爆破、要求を飲まなければ橋ごと祭りの客を吹っ飛ばすという脅迫だ。要求は捕まっているテロ組織のトップの解放と逃亡手段の提供、それと身代金一億ドルを現金で寄越せという無茶苦茶なものだった。日本が世界で一番安全だと聞いていたけど嘘ばっかし。世界で一番平和ボケしてる国じゃないの。










「政府は今のところ『交渉する』と言って時間稼ぎをしているでござる。とはいえテロリストも馬鹿じゃないから24時間のタイムリミットを掛けてきた」


「24時間?」


「24時間経っても要求が飲まれない場合、一分ごとに人質を1人殺すと言ってきたでござる」


「神よ、爆弾の位置は分かっているのか? テロリストの居場所は?」









 ヤロウは首を横に振った。流石に救世主と呼ばれるコイツでも見つけられないものを無力化することは不可能か。







「既に見つけた爆弾は全て解除したでござる。にもかかわらず奴らは引く様子がない。つまりまだどこかに隠している。テロリストの居場所までは…、祭り客の中に紛れてるだろうことぐらいしか」


「それで私に? 確かに裏で生きてきた私なら隠れながら探せるかもしれないけど、爆弾処理なんかしたことないわよ」


「海にでも投げ込めばいいでござる。海上封鎖は既に実行済み、この屋形船以外はね」


「…ハア」


「溜め息すると幸せが逃げるでござるよ」


「主にアンタのせいでしょ!」





 爆弾は呆気なく見つかった。ところがとんでもないめんどくささだった。橋の裏に仕掛けられた爆弾はビルの解体に使用されるものと同じ仕掛けがされていて、一個爆発したら全てが連鎖するよう設置されていた。おまけに火薬の量から予想される規模はレインボーブリッジを橋脚ごと消し炭に出来るレベルだった。さらにいじわるなことに一個でも連結が外れると残りが一斉にふっとぶ仕掛けで、一つ処理されても同じようにされていた。






「まずいでござる…」


「相手は相当爆発物に腕の立つ奴らね。こんな巨大な橋でアホみたいな数の人質取るだけあって、流石にプロだわ」


「おまけにここだけの話、実は吾輩もう変身出来ないでござる…」


「ハァ?!」








 変身出来ないってなに? ついこの間も私のストレス発散に付き合ってくれたばかりじゃないの! なんで今出来ないってのよ!








「吾輩はもう普通の人間に戻るための儀式を始めているでござる。いや正確には変身出来るけど、それをやると儀式がまた始めからになっちゃうワケでして…」


「…アンタにどんな事情があるのか知らないけど、全ての爆弾を一度に無力化する手はあるわよ」


「マジで?!」


「交換条件」


「こ、交換条件?」








 ケケケ、いつまでも人のことを嵌められると思ってたら間違いよ。







「儀式とやらは中断、これから一年間私の下僕として仕えなさい!」


「げ、下僕ゥ?!」


「神、羨ましいですぞ」


「女王様御指名とは」


「いやしかし…」


「あら嫌なの? じゃお疲れー」







 爆弾を見つけて屋形船に戻って作戦会議だったけど、まあ私にはなんの報酬も無いし関係も無い。仕事取ってきてくれた恩はあるけど命賭けるほどじゃないし。席を立って出ていこうとする私をヤロウは制止した。すぐに止めないと私の能力なら海に氷の道を作って行っちゃうからね。








「待って! …分かったでござる、なんでもするから頼むでござる」



「ん?」


「ん?」


「ん?」


「今なんでもするって…、言 っ た わ ね ?」







 本気になった私にはいともたやすいことだった。橋の裏全体に厚さ5メートルほどの氷の層を敷き爆弾を飲み込む。飲み込んだ爆弾一つ一つに私の手から直接氷を突き刺し、一斉に信管を氷結させ火薬は大部分を切り離す。そして海に氷ごと落として爆発させる。おしまい。のはずだった。流石に橋が大きすぎたのか全力を出し切ってしまった私は30分前の私を呪っていた。調子に乗って祭り客の前で爆弾処理すると言うパフォーマンスを思いついて橋の上に出てしまっていた。そして全力を使い切った私は変身が解けてしまった。









(ハア、ハア…、ど、どうしよこれ…)








 しかも変身前の姿で。ボンテージに蝶の仮面、革のブーツに手にはムチ。お前どこのSMクラブの女王様だよという出で立ち。祭り客はざわついていた。世間一般じゃ鎧を纏って戦う異能力者をヒーローだなんて呼んでて、目の前にいた真っ白い鎧のヒーローが自分達を助けてくれて、ヒーローの変身が解けたら先述の格好をした暴言が売りの売り出し中アイドルがいた。そりゃざわついて当たり前か。










(そうだ、全員殺そう)








 私は混乱してトチ狂った。目の前にいた祭り客をムチで捕まえて引っ叩いて踏みつけて四つん這いにさせた。









「あはっ、あはははハハは!!! 言い気味ねこのゴミ共! 今見たものを忘れないと今ここで全員処刑してやるわ!」


「貴様ァ! 我らを解放戦線と知っての狼藉か!」









 あれ…。








(え、なに、ちょっと待って。コイツら犯人なの?)


「殺せ! 変身できぬ今が好機!」


「させん!」


「ぐわぁ!?」





 なんだろう、目の前にいるのに私の知らないところで話が進んでいくわ。たまたまムチで掴んで四つん這いにさせた男がテロリストで、周りにいた祭り客もテロリスト達で、銃を構えたテロリスト達に知らない奴らが割って入った?










「失礼ですが、あなたはロシアの暗殺部隊にいたのでは?」


「え、なんでそれを…」


「平和になった国にはあなた方に助けられた者も多いのです。ここは我らに考えがある。あなたは乗っかってくれればいい」









(なんか思ってたのと違う…)







 実は真っ白い鎧のヒーローとシオンは協力して爆弾処理のみねらず犯人達を炙り出す作戦だった、そのために一芝居打って出たということになった。が、問題はそのシーンだった。完全に何がなにやらでラリった私は、暗殺部隊専属だったという連絡員という数名の男どもを率いて、テロリスト共をムチで引っ叩いては足蹴にして回り、全員をパンイチで四つん這いにしその人間椅子の上で足を組んで座った。ボンテージ姿のままで。おーほっほっほとか口に手を当て高笑いしながら生中継されてしまった。連絡員達によるのちのシオン親衛隊誕生である。おまけに連絡員だった男どもはちゃっかり他の国の諜報部に再就職していた。ボコボコにした。









「ま、とりあえず丸く収まって良かったでござる」


「豚が言葉喋ってんじゃないわよ。ほら、キリキリ歩きなさい荷物持ち! 約束忘れてんじゃないでしょうね!」


「あ痛ぁ! ムチはやめて! 忘れてないからこうして…」


「口答えするな!」


「ブヒィ!」





 名実ともにドS女王様になった私は一年間だけアイツを好きに使った。パシリに荷物持ち、部屋の掃除にゴミ捨てに周囲の警戒、ライブ後の出待ち回避の肉壁。










「シオンさーん、その人彼氏ー?」


「下僕よ下僕!」


「下僕違いますぐぇっ」





 ぶっちゃけ楽しかった。あの事件からしばらくはどこに行っても正体がバレるから、ずっと変装しないで歩いてたから下僕に首輪つけて引き連れて見せびらかしてやった。一番楽しかったのは一緒にご飯食べてたとき。正直下らない時間だったけど、その下らない時間も持ってなかった私には凄く楽しい時間だった。食べながら、話しながら、テレビを見ながら、スマホいじりながら、二人きりだけの時間。1日の中でわずかな時間なのに、一緒に食べることがささやかながら大切な時間になった。


 なぜか料理だけはからっきしダメだったアイツのためにいつも私が作ってあげた。アイツは目を離すとすぐにカップラーメンとかコンビニ弁当ばっか食べるし、良くて外食。栄養バランスもクソもない。私は外の世界に出るようになってすぐに覚えたっていうのに、私より世界を飛び回ってる奴が何にも出来ないなんて。試しに包丁握らせてみたら野菜と一緒に自分の手まで切るし。オフの日には付きっきりで教えたのに全然上手くならないし。まったく目が離せやしない。そんなこんなやってる内にあっという間に一年が過ぎて、別れる時になった。










「昔のツテで聞いたけど、アンタ人間じゃなかったのね」


「そうなんでござる」









 再び行われているレインボーブリッジの祭り。少し離れたところで人混みを避けながら話していた。橋の手すりに寄りかかったり、顔に手をついて向こうを眺めたり。初めての浴衣が少し恥ずかしくて、あんまりアイツの顔を見られなかった。










「諸々の事情は黙っててあげるけど、行方はちゃんと眩ますのよ?」


「それは大丈夫。姿も変えるし、記憶もおそらくどれくらいも残らないらしいから」


「そう…」








 ちょっと泣きそうだった。当時14歳になろうという私からしてみるとアイツは気のいい兄だったから。その兄と離れ離れになって、もう二度と会えない。家族がいない私が慕しみから恋になるまでそう時間は掛からなかった。初恋だった。今も続いてるけどね。












「そうそう、最後にお土産持ってきたでござる。はいこれ」


「はいこれって…、何よこれ? 剣?」


「四神剣・白虎。彼も気性が荒い方だからきっとウマが合うでござる」


「あのねえ、あんたもうちょっと気の利いた物あげられないの?! 女の子に剣? 普通指輪とかネックレスとか色々あるでしょ!」










 まったくあきれたもんだわと溜め息しか出なかった。世界で一番有名なクセに女の子の扱い方はまったく分かってないなんて。というか世界でどうとか関係ないわ。そのへんのブサイクでも女の子に剣なんか持ってこないわ!










「最後なんだからこれくらいしていいでしょ!」


「え、あ、ちょっ」










 胸ぐら掴んで引き寄せてやった。舌も入れてやった。ざまあ。もちろん剣も貰った。私の人生で最初で最後の恋だった。ところが人生は分からないものでアイツと再会した。きっちり行方を眩ませたアイツはロクな力もないただの変身体にしかなれないようになっていた。もちろん私のことも覚えてなかった。私のストレス発散と称して私を鍛えてくれたのに。よく一緒にお風呂に入ったし一緒のベッドで寝てたのに。あんなに寂しがり屋だった私がまた一人で寝られるようになったのはアンタのおかげだってのに。一年間一緒にいてくれたおかげで私がどれだけ強くなったことか。


 アンタを慕う妹ちゃんがブラコンらしいけど、その気持ちも分かる。でも瑠姫ちゃんにもアンタを渡すつもりはないのよ。なんてったって初恋の人だからね。必ず成就させてみせる、いいえ、必ず私のモノにしてみせるわ。なんてったって私は女王様だからね。それに、あのときみたいな乱暴なキスじゃなくて、恋人らしいキスもしてみたいしね。二人だけの場所で、二人だけの空間で、二人きり、お互いに手を繋いで抱き寄せて、触れるだけの優しいキス。ずっと一緒にいたい、ずっと一緒に生きていたい。一度は生きることを諦めたけど、アンタのおかげでまだ生きていたくなる。でもそれはアンタと一緒じゃなきゃ嫌よ。










 だから…、今度は行方眩ませちゃダメよ?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ