大切なものとは何か 天ノ宮朋美の場合
私はらしからぬ呻き声を挙げていた。深夜の寝静まる時、丑三つ時。私は自室で胸やときには腹を押さえて吐き気と闘っていた。『動きを止めるな!その程度のGで根を上げてどうする!』頭にこだまするレイミさんらしからぬ通信。常に脳を揺らし続けるG。内臓が悲鳴を上げていた。その余波とも名残りともいうべきものが唯一私を癒しめる時間に襲ってきていた。
私はある機体のテストパイロットを勤めていた。彼専用の機体だ。来るべき日のために用意される機体。私達異能力者の中でもトップに立つロイヤルセブン。そこに唐突に現れた八人目。その彼に用意された機体は彼の戦闘スペックに合わせたワンオフ機。しかしこのことは彼には知らされず、来るべき日が来なければ人知れず処分される。そんな機体のために私は日夜苦しんでいた。彼の身体的特徴、戦闘スタイル、照準、発射。指一本にいたる動き、思考。全てをトレースし彼のためだけに建造され処分される機体。
鎧の上からさらに被る機体は無意識にリサイズすることは出来ない。鎧は能力者の発する外殻。己の能力の顕れであり、発露である。つまり、戦闘中の動きにおいて制限が発生する。普段の戦闘が体に染み付いている身としては不便極まりない。自分自身が納得した上で、いや、納得していなくとも、彼のためになるならと考えると自ずと動く意思と体がこうさせている。私は私の意思で彼のワンオフ機体の開発に志願した。私は大学に休学願いと退学する用意があることを伝えた。これから生きて戻れるか分からない戦いのための準備をする。生死を彷徨うための自殺行為。休学中に戻る見込みが無いと大学が判断すれば問答無用で自主退学として欲しい。そう伝えた。教授は俯いて静かに泣いていた。
私に後悔などない。だが辛くなかったかと問われたら辛かったと正直に辛かったと答えるだろう。彼の専用機はまだ素体しか完成していない。この素体でテストを行い、そのデータを基に兵装の基礎が決まり下ごしらえが始まる。ここで充分なデータが取れなければ後の戦いに響く。この時私は家を出て一人暮らしを始めた。
人生初めての一人暮らしは大変なことしか無かった。普通の人の一人暮らしは大変なこともありつつ、その中で自由が自動的に取得される、もしくは任意で取得出来るものらしいが、少なくとも私の一人暮らしには自由というものは無かった。普通の人ならあれやこれやと融通が効くために発生する自由があるらしい。対して、私は分単位で決めた予定に沿ってその他諸々を済ませ、出来るだけテストこためだけの時間を作ってはテストに励んでいた。死ぬかと思った。しかし私は耐えた。彼の生存率を少しでも上げるために、出来ることしてあげられることはやっておいてあげたかった。これが私の彼に対する唯一のお礼であり謝罪である。
私は能力の発現から戦闘開始までが最短と言われている。私の生まれた家系は表向き歴史を重ねる由緒正しき神社である。その本当の顔は代々続く異能力者の家系。貴族の義務と言わんばかりにその異能力をいかんなく発揮し、様々な状況において常に犠牲者を出さない戦いを続けてきている。そんか家系に産まれた私は表向きの教育とともに、世界中の困る人々を助けるための【正体不明の誰か】として英才教育を施されていた。一般家庭の子が異能力者になることとは違い、私の家に産まれた者はみな同じ教育を受けている。そのためデビューも早いのだ。ただデビューが早い理由は強いからでは無い。それも義務だからだ。
こんなことを思って同じ内容が既に三周はしている。それだけ余裕がない。おそらく神、それと同等の存在からさらなる力を与えられた彼の力は凄まじく、かつその凄まじき力をモノにするセンスもまた凄まじいモノだった。自分から志願しておきながら、これだけ苦しむのなら恨み言の一つでもぶつけてやりたいと思っている。
素体の運動性能が専用機としてようやく形になった頃、兵装を搭載しての試験運用に切り替わった。私達ロイヤルセブンの一人一人にも用意される専用機、Advanced Evolution シリーズ。私達のためだけに存在するシリーズ。量産機とは違いコクピットが無く、鎧の上からさらに被るそれそのものが追加兵装になり過剰とも言えるほどの武力を持つ。
ここで一つ罪悪感がある。私達は彼を普通の人間に落としこめるために動いたはずなのに、彼を戦いに巻き込み、それどころか世界の命運を預けようとしている。助けようとしたクセに、なおさら面倒なことに巻き込んでいる。彼の意思に反している。彼が知らない時に内緒でこんなことをしていると知られたら彼は一体どんな顔をするんだろうか。彼はふざけるのが好きで真面目という真面目になったシーンを見たことがない。真面目に戦ったことなんてそれこそ片手で数えるレベル。
私は何のために…、誰のために…。どうして戦い、なぜ撃つのか。
私はロイヤルセブンの中では堅実で常識的なポジションにいると思われている。世界各地を飛び回っても現場の軍、警察と連携に重きを置いて事を解決し、事後処理にも無理難題が残らないよう気を配って対応している。現実的では無い能力と相反して現実的な戦いをしている。他のメンバーは暴れるだけ暴れて後は人任せ。彼女は違う。そんな評判を持つ私でも実はミスをしたことがある。
誰にでもある新しい職場になった時、何か新しいことを始めた時は必ずと言っていいほど初歩的なミスをする。私もその点においては例外では無く、まだデビューしたての頃にそういったミスをしたことがある。問題はそのミスが重大だったこと。
「うそ…」
ある事件を解決したかと思った時、私は2つに1つの選択を強いられていた。救出したはずの人質は拉致されている間に体内に爆弾を埋め込まれていた。爆弾は時限式。かつ取り出せば爆発するもの。解除できなければ人質は死に、取り出せば直後に爆発、人質と周囲を巻き込む形になっていた。私はまんまと犯人の罠に引っ掛かった。犯人は自分が捕まっても捕まらなくてもというときのために保険を掛けていた。私に爆弾を解除する技術はない。私は人質か、周囲かの究極の選択を迫られていた。私は迷わず爆弾を取り出し、爆発するよりも早く自分の影の中に取り込んだ。自分ごとである。
私は爆発を正面から食らった。まだ未熟だった小学生の私は爆発を能力の内側からモロに食らったせいで自分の内側から崩壊しようとしていた。そのときになってようやく自分の異能力と自分の体が密接につながっていることを知ったが、既に遅かった。私の影の世界は私だけのもの。他の誰にも干渉されない、出来ない世界。崩れ始めたが最後、誰にも手出しできない誰にも救う手立てがない状態でいた。たとえ同じ異能力者でも、異能力者の能力ごと治す手段は誰も持たないため、周囲は究極の選択のために自己犠牲をもって己を犠牲にした私をただ黙って見ていることしか出来なかった。薄れる意識の中、見えたのは周囲の血の気が引いた絶望の顔。ああ、私は人に絶望を覚えさせてしまった。その絶望を忘れさせるためにいる私が覚えさせてしまった。恐怖、悲しみ、絶望。
違う! 違う違う違う違う! 私がしたかったことは、私が欲しかったのはこんなことじゃない! ファントムが! 私が! 私が欲しかったのは!!
「人々の笑顔でござる?」
だれ?
「うーん、そうだなあ。ざっくり言うと先輩?」
せん…、ぱい?
「そう、先輩。望まずしてその力を得て、戦い、己を苦しめながらも助け、人々の笑顔に魅せられてしまった先輩」
わた、しは…、死ぬ?
「むしろ逆でござる」
え?
「今この危機的状況において、君の力はまた一段殻を破ろうとしているでござる。吾輩達の力は精神力、つまり心の力。誰よりも強い願いと鍛え上げられた肉体に宿る不思議な力。その君の心が今願っている。自らの意思で立ち上がることを」
でも…、もう駄目。私の心が崩れていくのが分かるの…。もう力も出せない…。気力も体力も最初から無かったみたいに…。何にもないの…。
「じゃあ君は今何を思っているでござる? 死? 絶望? 悲しみ? 怒り? 確かにそれはあるだろう。では、その矛先は? 今助けた人質か? 犯人か? この状況を見ている野次馬か? いや、違う。君の望んでいることが手に取るように感じられるでござる。今君は何を望んでいる? 誰に対して、怒り、悲しみ、絶望し、諦めようとしている?」
わ、たしは…。
わたしは…嫌だ。死ぬのも嫌だ。誰かに嫌われるのも嫌だ。誰かに絶望されるのも嫌だ。恐いのも嫌だ。誰かに怒られるのも嫌だ!
私は! 私は! こんな弱い自分が嫌だ!! たった一人の人も救えないのも嫌だ! たった爆弾一つで死ぬ自分も嫌だ!! 誰かに悲しまれるのも、悲しませるのも嫌だ!! ぜんぶ、全部ぜんぶゼンブ全部嫌だ!! こんな弱い私なんかあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
「誰かの笑顔を見たいがために、誰かのために役に立ちたいがために、いつどこで何をどうしてなぜなんのために。吾輩達はその答えを生まれながらにして持ち、生まれながらにして力を持ち、そのくせ誰かの言いなりに戦った。誰かに従っている内に生まれながらの答えを曇らせ、あやふやにし、見失ってしまった。でもこれからは違う」
私は!! 私が大嫌い!! 弱い私が大嫌い!!
「そして助けたい人、助けなければならない人、助けを必要としている人。それは普通の人々だけではないでござる。異能力者とて人間。時には誰かの助けが必要になる時がある。そして吾輩は君を助ける」
誰かに好かれたい? 違う!
「君が心を燃やす限り、吾輩は君の薪になる。誰かより強いから誰かの助けを必要としてはいけない、なんてことはないでござる。吾輩達が持つ力がなんであれ、吾輩達とて人間。誰かを助け、誰かに助けられ、そうやって生きていく」
誰かに憧れられたい? 違う!
「もし君が独り立ちしても忘れないで欲しい、吾輩という存在を。吾輩達という仲間を。同じように力を持つ者は一人ではないし、君を助けたいと思う人もまた一人ではないと」
誰かに悲しんで欲しい? 違う!
「ほんの少しでいい、どうかもう一度心を燃やしてみてほしい。そのときはきっと吾輩がそばにいる」
わたしは! ワタシは! 私は!
「聞こえのいい、耳障りの良い言葉かもしれない。言葉にすら現せられないかもしれない。だったとしても、己の命を賭けてでも、もう一度みたいあの笑顔のために」
あああああああああああああああァァァァァァ!!!
「起きたでござる?」
「わ、たし…」
「大丈夫!」
後に聞いた話だと、天ノ宮家の伝統を壊したのは彼だったと、そう伝え聞いた。天ノ宮家では代々最も強い異能力者を担ぎ上げ、担ぎ上げられた異能力者は生きとし生ける者のために全てを捧げ、全ての私を捨てて全ての公のために生き、いっそ殺してくれた方がマシと思える鍛錬を義務付けられていた。ところが私が次に目を覚ましたとき、知らない病院のベッドで起きたとき、これからは普通に生きていいと言われた。
何がなんだか分からなかった。私は確かにあのとき死んだはず。それも自分の内側から。異能力者が持つ固有の自分だけの世界は、他人には一切の不可侵であり、ひとたび崩壊を始めたら止めることは不可能。そう聞かされていたし実際にそれやら止められなくて助けられなかった人もいた。なのに私は生きている。そして目が覚めると義務から解放されていた。
彼曰く、自分達の力が心から湧く力だから、その心を制限することは間違い。むしろこれは普通の人と同じく、人それぞれが当てはまる。やはりこれは自分達が普通も特異もなく結局は人間である証だ。
私は数ヶ月のリハビリの後、小学校に復帰し、中学に進み、高校に通い、大学に在籍している。ときどき異能力者、ロイヤルセブンの予備役としての仕事をこなしながら、それ以外は普通の女の子としての人生を送っている。流行り物に流され、ドラマの俳優に憧れ、たまにファミレスで長居して部活をサボって。本来の私では考えられない日々。
彼は家をどう説き伏せたのか分からない。家族に聞いてもその一点にだけは何も答えてはくれない。表情から読み取れるのは謝罪の気持ち。いつも申し訳なさそうにする。家の伝統を踏襲してきた自分達に責任があるのだと感じているのだろうか。唯一助けられなかったお兄ちゃんでさえも、無理に優しく笑って「また今度な」とはぐらかす。
彼は不思議な人だった。不可能を可能にした男。だのに外見は普通、行動も言動も普通。何もかもがいたって普通。ただ彼の優しさと強さだけは他の人とは違っていた。彼は普段何の力も使わず、力の副作用によって得た超身体能力のみで物事を収め、そうならないほどのときは強烈に激怒する。説教とも罵倒とも取れる彼の雄叫びはそれはもう響いていた。普段の優しい穏やかな彼からは想像もしえないほどのこと。
入院中も退院してからも、日常復帰にしても戦姫としての復帰までにしても彼は私とずっと一緒にいてくれた。甲斐甲斐しく指先から毛先の一番にいたるまで思いのままに操ることが出来る様に世話してくれた。彼が彼なりに覚えたことを一切もったいぶらずに全てをぶつけてくれる。まさに私にとって先輩だった。死の淵から甦った私は以前にも増して強くなっていた。戸惑いを見せる私に彼はその戸惑いにすら対処の仕方を教えてくれた。そして彼からもう一つ。
「義憤に燃えるのはいいけれど、自己犠牲ばかりが正義じゃあないでござるよ?」
私には義憤に燃えることは義務だった。己を全てを捨てることが当然だった。それがいきなり自分の主張をしていいと?
「義憤に燃えるばかり覚えて、今回自分を死なせたでそ? でも、自分を死なせたら誰が悲しむのかも覚えたでそ?」
彼はそう言って懐から一枚の写真を取り出す。私の顔は茹でタコよりも真っ赤に染まった。あの爆弾事件直後の写真。私は彼にお姫様抱っこをされて、泣いて喜ぶ人々に囲まれていた。王子様、と呼ぶにはあまりにも野獣の彼に抱きかかえられている。異性との経験どころか交友もロクになかった私にその一枚の写真はとても強烈なものだった。仮面も維持できないで素顔のまま男の人に抱かれてる。私は慌てて写真をひったくった。ひったくったついでに彼の手に触れた時、何かが付いた。ぬるっとしたから一瞬驚いたけど彼には隠した。私はこの感触を知っている。血。指から血? でも彼は退院して小学校に復帰してからもしばらく一緒にいてくれた。ずっと一緒にいたのになんで血が…。まさか、私を助けた時に? 私と一緒にいるのにずっと隠し通してたの? 夜寝ている時以外ずっと? お風呂一緒に入ったよね? 血なんか出てなかったよね? でもこれ、血、だよね…。
「皆泣いて喜んでくれたでござる。これがまったく逆だったかもしれないですしおすし」
まったく助けられた上にこんな恥ずかしい写真を撮られてたなんて。まったく良い恥だわ。おまけにこの写真、世間一般じゃ【黒き聖女の寝顔】なんて名前がついてるの。そりゃ寝顔って言えば寝顔ですけどね! 知らないうちに世界に自分の寝顔撮られて晒されてるのよ? 恥ずかしいったらありゃしない。
後にも先にも抱きかかえられたり抱きしめられたりするのは彼一人。あの爆弾事件のことがフラッシュバックして恐慌に陥るたびに私を優しく抱きしめてくれる人。いつもすぐそばにいてくれる人。私のために優しくしてくれる人。いつも私のことを考えてくれた人。私に初めて優しくしてくれた人。私は誰かに寄り添ってあげたり支えてあげたりしたことはあったけど、その逆は一度もなかった。嬉しかった。家族の誰も私に優しくしてくれたことなんて無かった。彼だけが私に優しい。彼だけが私に寄り添ってくれる。彼だけが私に温もりを与えてくれる。彼だけが私を救ってくれる人。わがまま言って彼に一緒に夜寝てもらったことがあった。彼は私が何にも言わなくても手を握ってくれた、その大きな体で優しく私を包んで抱きしめてくれた。彼の腕の中はとても心地よくて、おかげで私は安心して寝ることができた。おかげで私のベッドには今も彼の抱き枕が…なんでもないわ。
いつも彼に抱かれて、彼を抱きしめていた私だったけど彼はいつまでもそうはいかなくなった。
「吾輩は妹君を守る、そのために戦いを始めて、一度は達成されたその戦いの理由だったけど、今また吾輩達を狙う誰かが出てきたでござる」
彼は私の顔を見なかった。私は幼いながらも察した。ああ、別れの時が来てしまったのだと。これが彼なりの精一杯のごめんなさいなのだと。誰かに辛く当たる時ほど辛い時はないと語る彼が、自分がいなくなったら私を辛い目に合わせると分かっていても行かなければならない理由のために、彼は自分の心を押し隠している。私の心を自由にしてくれた彼が。
「ありがとう」
「えっ?」
私の不意打ちに彼は豆鉄砲を食らった鳩みたいな顔をして振り向いた。
「あなたが助けてくれたから私はここにいられるから、だからありがとう。離れ離れになるかもしれないけれど、また会える日を私は信じてる。いつか惹かれあってまた抱きしめ合える日が来ることを」
彼はほんの少しの間俯いて、手で顔を覆って隠した。私が唯一成功した不意打ち。次に顔を見せた彼はとびきりの笑顔で誓ってくれた。
「そのときは、君から吾輩を誘って欲しいでござる」
「思いっきり抱きしめてあげる!」
久しぶりに会った彼は私達との記憶を失っていた。人には自分を犠牲にするなって言っておいてこれだもの。ロイヤルセブンに誘っても全然来てくれないし。結局仕事と称してなし崩しに連れてきたけど、記憶が甦る気配はなかった。きっとまた誰かを助けるために無茶をしたのね。お人好しなところだけは変わらないわ。
今度は私の番。私を甘えさせてくれたから、今度は私が彼を甘えさせる番。短い時間だったけど、彼がくれた思い出のおかげで今の私がある。もう一度昔の彼に逢えたらまたありがとうって言いたい。私はあなたのおかげでこんなに強くなれたよって。だから早く記憶を取り戻して? 私の、私だけのために。そして伝えるの、私の気持ち、私の温もり。
大好きだよ? 愛してる。