お嬢様鍛える
巨大彗星事件から一週間。
「平和ねえ」
「そうだねお母さん」
真夏のを迎えた日本はこの間の騒ぎが嘘のように日常を取り戻しつつありました。巨大彗星が浮いたままの状態で。私が言うのもおかしいですが、日本人の適応力はおかしいと思います。
「あの庭の愉快なオブジェはいつまでああしているの?」
「主にリエッセさんが気の済むまでだって」
「そう。私はお酒の肴にできるからいいけどね」
お兄ちゃんの部屋に隠されていた『封印の部屋』はゴールに辿り着くには途方に暮れる歳月を費やすか、空間に穴を空けて抜け出すかの2つしか出る方法が無かったそうです。そしてリエッセさんは力づくで空間に穴を空けて出てきました。その後の展開はお察しください。しかしご安心ください、モザイクは掛かっています。
「みんな片付けでいないから寂しーなー。ノッブさんでも呼ぼうかしら」
「私は夏休みの宿題手伝ってもらおうかな。特に読書感想文」
ロイヤルセブンの皆は隕石となって世界のあちこちに散った巨大彗星の破片の片付けと、それによって起きた被害の対応に追われていました。しばらくは帰ってこれないそうです。おかげで賑やかだった我が家もかつての二人(+愉快なオブジェ)で過ごしていた頃のよう。お母さんは相変わらずニートで昼間からお酒を飲んでいるろくでなしです。
「まさか世界が日本に全面降伏するなんて考えられなかったわー」
「空にいくつもあるあの大きな戦艦が、まさか武蔵野財閥の持ち物だなんて言われたらねー」
もちろん日本は専守防衛なので戦争する気なんかこれっぽっちもないワケですが、日本各地に隠されていた宇宙戦艦や巨大ロボットはいまやテレビで持ちきり。世界を恐怖のドン底に陥れる結果となりました。それもそのはず。世界各国の衛生写真にばっちり写り込んでしまい、規模や戦闘力をこれでもかとアピールしてしまったのです。恐れた世界各国は日本から何を言ったやったでもないのに何故か降伏宣言をしましたとさ。東京スカイツリーよりも大きいという、それも伝説の生き物のドラゴンを真っ二つにした巨大ロボットとかそりゃそんなもん攻めてきたらと思ったらおしっこちびっちゃう思いですよね。
「乗ってみたいなあ…」
「やめてお母さん。レイミさんとか向こうのおばあちゃんとかと知り合いってバレたら本当になるから」
「乗ってみたくない? 乗ってみたくない? 主砲は何がいい? ローエングリン? 波動砲?」
「やめてよお母さん」
あの空にあるいくつもの宇宙戦艦。実はお兄ちゃんが行った(らしい)結界で隠された街がそのフェイクのために作られたそうな。世界で差別や奇人変人、病人扱いだった人達を集めて日本各地に作った戦艦を隠すための街に住んでもらい、普段は普通の生活をしつつ戦艦で訓練をしていたそうです。全部この間聞いたばっかの話だから信じられません。
「今ごろ呼び出されてるレイミちゃんは大変ねえ」
『緊急国会に急遽、証人喚問されたレイミ・シルフィ・ムサシノは少しでも気に障る質問をされると日本丸ごと焼き滅ぼすわよなどと証言しており…』
「あらあら大変ねえ」
「ノッブさんみたいなこと言ってる…」
過激なレイミさんとは対称に、お母さんは窓際で脚をぷらぷらさせながら愉快なオブジェを眺めてはお酒を飲んでいる。
「いくら儂でもそんなん言わんわい」
「あらいらっしゃ〜い、ゲフウ」
「くっさ!」
「だらしない母ですいません」
噂をすればほら、というやつで6本しっぽがある黒猫が入ってきた。ノッブさんの逃亡癖のときの姿。たいてい仕事が嫌になったか奥さんにしばかれて逃げてきたかのどちらか。武将のくせに落ち武者かよ。
「嬢ちゃん今失礼なこと考えたじゃろ」
「いいえとんでもございません」
「ノッブさんおつまみ取って〜」
「はいこれ読書感想文」
「武将パシるのおかしくない? なにお主ら平然と武将パシってんの?」
お母さんにはおつまみ取ってこいと言われ、私には推薦図書と原稿用紙10枚を出される武将。勝てば官軍負ければ賊軍。
「いや儂負けてないから、謀反だから」
「いいから負け犬は早くしてください」
「負け犬ゥ?!」
私はといえば他の夏休みの宿題をもくもくとやっているところです。1教科500円で貸してくれた親友に感謝。
「せっかく名門に転校させてもらったのにまるで勉強についていけないとは」
「そりゃお主がバカだからじゃろ」
「もしもし濃姫さんですか?」
「読書感想文20枚書くから許して!」
「冗談ですよ」
いつの間にか人の姿に戻ったノッブさんはかつての偉大な人物とはかけ離れもう見る影もない。たまに甚兵衛でお酒の入った壺片手に酔っ払いながらぶらぶらしてるところを職質されてる。
<ピンポーン! ガチャ! スー…
「今玄関勝手に開かなかった?」
「あそこの愉快なオブジェちゃんが鍵はお金掛けたって言ってたけど嘘だったのかしら」
「まーた昼間っから飲んでるのう。わっちじゃわっち! 合鍵渡したのお前じゃろう」
「おおおおお邪魔いたJISしますす」
「なんか日本工業規格入ってる」
お兄ちゃんの師匠のお狐様と知らないお姉さんが入ってきた。見事なまでの金髪縦ドリルだ。今どきこんな髪型の人いたんだ。見ると武蔵野学園の高等部の制服を着ている。レイミさんにもらった中等部のパンフレットにもチラッと載ってた。お客さんが来たので夏休みの宿題は取り敢えず片付けて麦茶を出す。
「あらあらこれはまた綺麗なお嬢さん連れてきたんですねぇ」
「実は折り入って頼みがあるんじゃが」
「帰れ狐ババア」
「お前は何をやっとるんじゃ」
「読書感想文」
「は?」
「20枚」
「は?」
わっちが一人称の伝説の九尾の狐が正座してる。写真撮っとこ。
「なんか心霊写真取れた」
「まずこの娘の自己紹介からじゃな、ほれ」
「はい。私はダリア・イベリス・フォン・アーデルハイトと申します。本日はお願いがあって参りました」
シカトされた。妖子さんに促された金髪縦ドリルさんが神妙な顔をして居住まいを正すとスッと通る声で自己紹介を始めた。めっちゃ日本語上手い。1センチでいいからその巨乳を分けてほしい。
「いいわよ」
「まだ何もお話していません」
「まだ何も聞いてません」
もうだめだこの酔っぱらい、早くなんとかしないと。
「お願いって私達にできることですか? というか私達に?」
「いえ、お兄様にお願いに参りましたがご不在のようですのでお話だけでも聞いていただきたく…」
「お兄様? お母さんはいつの間に隠し子を?」
「記憶にございません」
「これはこやつが勝手に言っとるだけじゃからほっとけ」
お父さんが夜遅くに帰ってくることもあるからそのまま勢いで事に及んだのかとてっきり。なにやらこれはこれで事情がありそうだけど、今回とは関係なさそうだからほっとこう。
「お肉ちゃんにお願い?」
「はい。実は私は近々政略結婚のための婚約をさせられることになっています。これを拒否したくば相手方の最強の騎士をみごと打ち倒してみせよとのことでして、私を鍛えてほしいのです」
ついにお兄ちゃんの例えが生き物じゃなくなった。加工されてて草。今どき政略結婚なんかあるんだと感心する。一体この人はいつの時代に生きているのか。…待った。家に九尾の狐と織田信長がいる時点で人のこと言えないか。しかし困った。お兄ちゃんはまだ妖子さんの弟子のはず。弟子が弟子を取っていいのかな?とお母さんと顔を合わせる。しかも当のお兄ちゃんは愉快なオブジェである。妖子さんに視線を送るとまあええじゃろみたいな顔をしている。つまりこれも修行の一貫だということかな。
「わっちじゃ殺しかねん。なんせ普通の人間を鍛えたことなんぞないからの。その点バカ弟子ならばわっちよりも普通の人間と交流も多く手加減も知っとるだろう。危ない部分はそうじゃのう…、ノッブにでも監督させれば間違いは起きんじゃろ」
「儂ムリ、読書感想文で忙しいから」
「もしもし濃姫か?」
「やらせていただきます! ぜひ!」
「お前どんだけ自分の女が恐いんじゃ」
「聞くでないわ…」
「あの、そちらの方は?」
「地獄を天下統一して第六天魔王やってる織田信長さんだよ。たまに仕事サボって遊びに来るよ。愛称はのぶのぶとかノッブとか」
「…聞かなかったことにいたしましょう」
この人はひょっとして半分くらいこっちに関わりがあるのかな。普通の人なら冗談とか嘘とか言い出すんだけど、真面目な顔でこれ以上聞きたくない深く関わりたくないって感じがしてる。残念、もう半分以上沼にハマってますよ。いらっしゃーい。
「事情は分かったわ。アーデルハイトと言えばドイツの貴族で名家だわね。政略結婚も不思議じゃないわ。そんなところの最強の騎士を倒せなんて言われたらそりゃ半端な鍛え方じゃ負けるし、かといって修行で死んじゃったら元も子もないわね」
「お母さん知ってんの?」
「あそこのおじいちゃんにお尻触られてひっぱたいた事あるわよ」
「ひぇっ…」
「お母さん乱暴」
「瑠姫ちゃん痴漢されたらどうする?」
「右ストレートでぶっ飛ばす、まっすぐ行ってぶっ飛ばす」
「でしょ?」
お母さんに痴漢した相手なら迷わずやり返さなければ! 倍返しどころか三倍返しだよ。ドン引きしてるダリアさんには悪いけど殺人的な修行をしてもらってれっつ病院送りだね。…あかん、お姉ちゃんとかリエッセさんみたいな発想になってきてる。
「と、ところでお兄様は今日はどちらに?」
「あそこのモザイク掛かってる愉快なオブジェがそうですよ」
「えっ? ………ひぃっ」