夢だった夢
吾輩は…
あれ…
なにしてたんだっけ…
「さあ、どうぞこちらです」
「おお! これは広い」
そうだった。新しい家を見に来たんだった。マンションもいいけど、コンクリートがどうしても味気なく感じてもっと木がたくさんある感じで一軒家がいいなあって。
「しかし本当に良かったんでござる? こんなに広くて木に囲まれてあったかいのに」
「いえいえ、これはこれで大変なんですよ」
家は二階まで吹き抜けになっているログハウス、かと思ったら実は鉄骨にに木をボルト留めをしているとかなんとか。ぱっと見たらそんなこと分からないほどふんだんに木材を使っていて、天井のサンルーフからは今も太陽光が入ってきているでござる。
「特にあのサンルーフ」
ご主人がサンルーフを指差してなぜか怯えた顔をしているでござる。
「あれもやはり汚れたりしますからたまに綺麗にしなきゃいけないんですが、私高いところ苦手でして…」
「ええ…」
「私のリクエストで設置したんじゃないですよ? 妻と娘がどうしてもって言うから仕方なく…だったんですが、いざ掃除となったらあんな高いところ登れないって言うんですよ」
「はは、災難ですなあ」
まだこの家で暮らしているけど近々普通の家を建てようと既にホームメーカーに通っているとかで、たまたま展示場に来ていた吾輩とばったり会って試しに見てみませんかということで今日でござる。しかし本当にもったいない。窓の配置も良いし家の向きも良くて日当たり良好、二階へはゆったりした螺旋階段に手すりがあって歳を取っても苦ではなさそう。
「ちゃんと断熱材してるのに複層ガラスの窓って、やはり梅雨は湿気が?」
「空気が抜けやすいですからひどいことにはなりませんよ。ほとんど普通の家と変わらないくらいです。これは冬対策ですね」
「今は複層ガラスが一般的になってきているけど、そんなに違うでござる?」
吾輩が住んでいるマンションも複層ガラスの窓だけどぶっちゃけデブにはあんまり関係ないのかもしれないでござる。デブにも個体差あるけど。
「私達は前は普通の窓でして、やっぱり地味に効いてきますよ」
「ほほぉー」
「床暖房も階段以外入っていますから冬でも足が冷えなくて済みますし、複層ガラスで結露もないので窓の黒カビも少ないです。これだけで年末の大掃除が楽ですよ」
なるほどそりゃ確かに良いでござる。しかし階段以外床暖房とは光熱費凄そう。
「屋根には防弾ガラスで強化したソーラーパネルを置いています。敢えて電気・ガス・水道を普通に引いておき、普段は節約したいときや車の充電に使い、災害が起きたときは蓄電池に切り替わるようにしてあります」
「ぼ、防弾ガラス…?」
「この地域は一年を通して日照時間が多くソーラーパネルにはもってこいなんですが、季節の変わり目に雹が降るんですよ」
「その対策でござる? そりにしてはオーバーな」
「妻曰く、備えあれば憂いなしとか…」
分かった。ご主人は奥さんの尻に敷かれてるでござる。展示場で会ったときに持て余しているって言ってたけどこういうことかな。奥さんは予算あるならガチガチにしたかったけど、いくらなんでも普通の家族にはやりすぎたと。これだけ揃えているから収入的には普通ではなさそうだけど。
「お父さん…、誰? その人」
廊下で話しているとドアが開いて女の子が出てきたでござる。そういえば吾輩とそう歳が変わらない娘さんがいるって言ってた気がする。
「この方が昨日話した戦野さんだよ。戦野さん、娘の茉奈美です」
「こんにちは」
「…こんにちは」
茉奈美さんは一言挨拶するとすぐにドアを閉じてしまったでござる。
「すいません不躾な娘で。後でちゃんと挨拶させます」
「いえいえ、いきなり知らない人が家にいたら驚きますよ」
一階に降りてこの家を建てた当時の資料を見せてもらった。どうやら木材選びは当然のこと、焼きを入れる、さらに表面処理、土地は地層調査から土壌汚染、杭打ちまで綿密に調べ上げて実行しているでござる。これには吾輩も唸った。建て売りの盛んな時代にここまでする人はそうそういない。というのも建て売り自体が改良を重ねられていて手を加えるところが少ない。リスクのある土地は地盤調査もやってたりする。そういう資料を見せなせければ買ってもらえないからでござる。もちろん実は何もしてなかったなんて詐欺もある。
「ううむ、色んなホームメーカーや工務店の企業情報まで揃えるとはエラい気合いの入れようでござる」
「なんだかんだ二十年くらいですか、この家に住んで。もともとは一生のつもりだったのでやるだけやりましたよ。なんでしたら見積書も見ますか?」
「はい、見せてもらえるならぜひ。おおう、凄い金額…」
大量の資料に唸っていると玄関から誰か来たでござる。
「あら戦野さんいらっしゃい」
「失礼していますでござる」
「あら、茉奈美は?」
「部屋にいるよ」
「あらやだあなたもあの子も、お茶くらい出しなさいよ」
「うっ、これはとんだ失礼を」
「ちょっと呼んできますわ」
「ああ、おかまいなく。大丈夫でござる」
奥さんは両手にお買い物バッグを持っているでござる。なるほど、いないと思ったらお買い物に出掛けていたと。3人家族にしては少し量が多く感じる。この家が近郊ではないから多めに買ってきてるんでござるね。と、考えてると奥さんがお買い物バッグをキッチンの手前の床に置くと、床がパッと開いてポイッとお買い物バッグが吐き出されたではないか。なんじゃありゃ。
「え? …え?」
「凄いでしょう? 見積書のこの項目ですよ」
「ぎえぴー!」
「ちなみにこれも妻のシュミです」
車が買える値段が書いてあるでござる。むちゃくちゃだこの家。
「妻がどうしてもこれが欲しいと言ったので私も1つだけシュミを入れさせてもらいました。この車庫の項目です」
「ぎぎぎぎえぴー! 空母じゃあるまいしこんな車庫…」
今日は吾輩が車で直接来て普通に車庫に入れたでござる。だから大きな家にしては妙だな…とは思ったけどまさか自動昇降機とは恐れ入る。自動ゲートや自動シャッター式なら分かるけどまさか地下にあるとは。なんちゅう浪漫主義。
「ちなみに出るときは黄色い回転灯が光って床が上がり、ゲートは4つの緑色のライトが順番にブザー音とともに点灯するようにしてあります。玄関がやたらぶ厚い二重でおかしかったでしょう? 地下車庫直通エレベーターなんですよ」
「ヒエッ」
男の子の浪漫ここにありとは思うけどいくらなんでもお金掛け過ぎでござる。
「また自慢してるのねあなた」
「ははは、良いじゃないかたまには」
ひとしきり驚いたところで奥さんと茉奈美さんが降りてきた。改めて茉奈美さんを見ると綺麗なお嬢さんでござる。身長が高めみたいだし、そのおかげで栗毛の長い髪もすっと流れている。瞳は…髪と似たような色だけど落ち着いていて惹き込まれそう。幼さもある顔つきだけどそれがかえって大人っぽく見せているでござる。
「戦野さん、紅茶でよくって?」
「はい、ありがとうございます」
奥さんと茉奈美さんが運んできてくれる。漏れる香りから察するにアップルティーでござる。
「母さん、緑茶も淹れてほしいんだけど」
「ありません」
「母さん、りょく」
「ありません」
「(´・ω・`)」
ありゃー、やっぱり尻に敷かれてるでござる。ご主人は紅茶苦手なのかな? 吾輩もコーヒー党だからすすんで紅茶は飲まないけれど飲まないというワケではない。ご主人はこの先も苦労しそうでござる。
「ほら、茉奈美も挨拶なさい」
「挨拶ならさっきした」
「自己紹介くらいしなさい」
「………………」
「もう、この子ったらすみません」
「ははは、かまいませんでござる。昨日の今日ですし、昨日はお嬢さんはいませんでしたし」
茉奈美さんからしてみれば勝手に話が決まってていきなり明日知らない人が家に来る、しかも似たような歳の男がとくれば警戒するのも仕方ないでござる。
「いつもはこうではないんですが、やっぱり生まれ育った家を離れるとなるとこの子も寂しいんですよ」
「お父さん! 余計なこと言わなくていいから!」
「私達も寂しいんですよ? でも子どもも娘も一人だけしかいませんし、今より歳を取ればいつかこの暮らしも負担になります。だから今度は駅とか道路とか、あと病院から離れていないところにしましょうと」
「なるほど…」
確かに自然に囲まれていると言えば聞こえは良いけど、近郊から外れているからそういった不便はあるでござる。幹線道路からも高速道路からも離れているし、近くには救急病院もない。新幹線で遠出しようにもまず駅に行くまでにタクシーを呼ばなければならない。駅周辺のパーキングはどれも高いし何泊も置いておけるワケでもない。
「思い切ってどうですか? もちろんすぐにとは言いません。持って帰っていただいて、ゆっくり考えてもらって大丈夫です」
「一人暮らしには贅沢というか要塞でござる。しかしそれが良い」
「でしょう?」
資料片手にご主人とアレもついてますよコレもついてますよ?ほほうなるほどなるほどと語っていると、奥さんが吾輩の顔をちらりと見てふっと微笑んだ。吾輩の顔に何かついてるでござる?
「ふふふ、なんなら娘もどうですか?」
「んぐっ?!」
「お母さん!」
「言い返すなら男の子の一人でも連れてきなさいな。あなたの男の子のお友達、一人も見たことなくってよ?」
「もう知らないっ」
茉奈美さんは怒って二階に上がっていってしまったでござる。そりゃ知らない男にどうですかなんて、まるで自分を差し出された気分だし致し方ない。
「すみません戦野さん。引っ越しの話が出てからずっとあんなでして…。母さんも人様の前で焚きつけることないだろう」
「あなただって戦野さんみたいな方ならって言ってたじゃない」
「恥ずかしいからバラさないで」
「ははは、取り敢えず今日はお暇しますでござる。近いうちにまた」
「はい、いつでもいらしてください」
少しドキドキしたけど良い家だったでござる。広さは一人暮らしにはやはり持て余すけどそれを覆す充実さ。この際予算は考えから外してもいいかもしれない。そんなバカなことをコピーしてもらった資料を片手にコーヒーを飲んでいると、不意に電話が鳴った。ご主人からだ。どうしたんだろう?
「娘さんが消えた?」