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須佐之男と櫛名田

須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴狼藉に耐え兼ね、天岩戸に身を隠してしまった天照大神(あまてらすおおみかみ)。そんな彼女が、思金神(おもいかねのかみ)の策略によって再び姿を現し、闇に包まれていた世界は、元の光を取り戻しました。勿論、高天原はお祭り騒ぎ。ただ一角を除いては…


「さて、まず聞こう。何故、そなたはここに居るのだと思う?」

柔らかい物腰で、月読命(つくよみのみこと)は弟、須佐之男命に問います。

「はい!兄上に呼ばれたからにございます!」

はつらつと答える須佐之男に「そうか。」と応じた月読は、更に続けました。

「…言い方を変えよう。何故、そなたは私に呼び出されたのだと思う?」

「それは…」

須佐之男は言い淀みます。

「何だ、言ってみよ。」

「それは、きっと…兄上の勾玉を、割ってしまったからでしょう…。」

「そうか、あれはそなたがやったのか。」

「うう…あ、あれは決してわざとでは…ちょっと踏んづけただけで…」

「須佐之男。」

改めて名を呼ばれ、須佐之男は背筋を張りました。

「はい!」

「私が言っているのはな、その事ではない。確かにそれも問題だが、その事ではないのだ。」

「では、何の事にございましょう!」

そのとたん、月読は、ばん、と床を叩きました。流石の須佐之男もびくりと肩を震わせます。

「そなたがはたらいた乱暴狼藉のせいで、姉上が岩屋戸に隠れ、一時とはいえど此処高天原は大いなる混乱に陥った!太陽は陰り、残されたのは月の光のみ!その上、建御雷(たけみかづち)なんぞは『何だ、そなただけでは随分と頼りないではないか』等と言ってきおった!何なのだあいつは!腹立たしい!」

「…兄上、後半、俺に関係なくありませんか。」

「煩い!兎に角…」

漣立った心を落ち着かせる為、一度息を吐くと月読は言いました。

「兎に角、そなたには罰として葦原中国に降りてもらう。」

「あ、はい。…あしはらの…なかつくに…え?あ、葦原中国!?は、は!?嘘ですよね!?」

「真のことだ、須佐之男。この事には、大多数の者が賛成しておる。」

「だ、大多数!?」

須佐之男は慌てて周りに座していた者たちを見回します。悲しいかな、皆が皆、揃って頷いているではありませんか。

「そういうことだ。まぁ、永久追放しないだけありがたく思うが良い。精々達者でな。いいぞ、連れていけ。」

月読が声を掛けると、周りの者たちが動き、須佐之男の腕を掴みました。

「嘘…でしょう…」

呆然としたまま動こうとしない須佐之男を、男どもは引きずるようにして、部屋の外へ出します。

「嘘でしょう…!兄上!兄上えぇぇ!!」

そのまま、須佐之男はずるずると引きずられて行きました。


「全く、俺の兄上は酷いんだぞー。本当は大好きな弟と離れるのが嫌な癖に、俺をこんなところにほっぽりだしてー。」

草むらに見つけた野うさぎに話しかけている、なんとも寂しい男は、高天原を追い出されたばかりの須佐之男命です。

うさぎは、何を言っているのかわからない、とでも言うように、少し首を傾げ、もくもくと草を食べ始めました。

「うーん…やはり俺の言っていることはわからないよなぁ…」

すると、うさぎは食べるのを止め、須佐之男を見ます。

「え?わかりますよ。」

「…。」

「とどのつまり、貴方が悪いのか、それとも貴方の兄上様が誤った判断をなされたか、ということを、私に尋ねたかったのでしょう?」

「…し」

「『し』?」

「しゃ、喋ったあぁぁ!」

あまりの驚きに、須佐之男は盛大に尻餅をつきました。

「えぇ…今ですか?」

「う、うう、うさぎが、しゃ、喋っ…!」

「まあまあ、落ち着いて下さい。この辺のうさぎ、結構皆喋りますよ。」

「結構喋るのか…?」

「ええ。」

須佐之男は、何度か深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻しました。

「そ、それで、うさぎ。」

「はいはい、何でしょう。」

周りには誰も居ないのに、須佐之男は何故か声を潜めます。

「そなたは、どちらが誤っていると思う?」

うさぎは、「ふむ。」と少し考えるような素振りを見せてから、言いました。

「まあ、貴方でしょうね。」

「んん?」

「貴方でしょうね。」

「んんんー?」

須佐之男はほぼ直角になるくらい、大きく首を傾げました。

「少し…何を言っているのかわからないんだが。」

「え?わからないんですか?」

「いや、わかるんにはわかるんだがな。うん…つまり…お前は、俺が悪いと…?」

「ええ、そうですね。だって、相当悪いことしないと高天原からなんて追放されないでしょう?」

うさぎの言葉に、須佐之男は拳をわなわなと震わせます。

「…こ…」

「『こ』?」

「この…無礼うさぎがあー!第一俺は追放なんかされていない!ちょっと…追い出されただけだ!」

「え?それ追放と違います?」

「一定期間だけだぁ!というか何故俺が天津神だと知っているのだ!?」

「さあ?何ででしょうねぇー。」

そう言うと、うさぎはけらけら笑いながら跳び跳ねて行ってしまいました。須佐之男はそれを追いかけようとしますが、ぴょんぴょんと軽やかに跳ねるうさぎにはなかなか追い付けません。

「ま、まて…!このぉ…!くっそぉ、うさぎぃ…!」

必死に追いかける須佐之男でしたが、とうとううさぎの姿は見えなくなってしまいました。

「はーっ、はーっ…くそぉ…すばしっこいやつめ…ああ、喉が渇いたな…」

須佐之男は辺りを見回します。いつの間にか森の中に入ってきてしまっていました。

耳を澄まして見ると、向こうの方から水の流れるような音が聞こえてきます。

「あっちに川があるのか…」

須佐之男は音のする方へと歩みを進めました。

少し歩くと、思った通り、穏やかに流れる川が見えてきます。

「おお、良かった。一休みしよう。」

水を飲み、側にあった岩に腰を下ろすと、須佐之男はこれから何をすべきか考えます。

取り敢えず、誰か、この辺りに住んでいる者を探す必要があるな…。何せ、此処は来たこともない、全く知らない土地なのだから…

「…よし。」

思い立ったが吉日、須佐之男は立ち上がります。そして、歩きだそうとしたその時、ふと、川の向こうから流れてくる物に気付きました。

小枝のようにも思われましたが、それにしては形が整い過ぎています。

須佐之男は、流れてくるそれを拾い上げました。

「…何だ、これは…箸、箸か…!」

須佐之男の顔に歓喜の色が満ちました。それもそのはず、箸が流れてきたということは、この川の上流に人が住んでいる、という事なのです。これで宛もなくさまよう必要は無くなりました。

須佐之男はせっせと歩きだします。

「ようし、待っていろ!この地に住まう者よ!」

実際には彼を待っている者など誰もいない訳ですが、いかんせん、彼の側にはそれを指摘する者がいないのです。



「うう…まだかぁ…」

川に沿って歩き始めた須佐之男ですが、なかなか人里にたどり着けずにいました。

まさかと思うが、これから山一つ越えたりしなければならないなんてことはないだろうな…。

そんなことを考え始めた矢先、ちらっと何か、建物らしき物が須佐之男の視界に入りました。

「おお、あれだ!絶対あれだ!うん、そうに違いない!」

須佐之男は早足にそちらへ向かいます。

近づくに連れ、立ち並ぶ家屋が次々姿を現しました。

しかし、ふと須佐之男は気付きます。この集落、人の気配がまるで無いのです。どの家からも、人の声がしません。須佐之男は段々不安になってきました。

「此処まで来て、まさか廃村とかでは無いだろうな…」

何処かに人影はないものかと探し始めた須佐之男の耳に、微かながら人の声のようなものが聞こえてきました。

ほっと胸を撫で下ろし、駆け足で向かった須佐之男でしたが、声の聞こえる家屋の手前で立ち止まります。

聞こえてきた声が何人かのものであることはわかったのですが、そのどれもが、すすり泣いたり、悲しみに暮れたようなものだったのです。

それでも気になった須佐之男は、家屋の中を覗き込みます。

見ると、夫婦とみられる男女二人の間に一人の娘が座っています。三人とも、須佐之男の存在に気付く様子はなかったので、そのまま家屋に立ち入った須佐之男は、彼らに尋ねます。

「おい、そなたら。何故泣いているのか。一体何があったのだ。」

突然現れた男に、三人は驚いて目を見張りましたが、夫婦のうち、夫の方がその訳を話し始めました。

「実は…この村には毎年、ヤマタノオロチという化け物が現れ、村を荒らしていくのです。そして、奴を鎮める為の生け贄に、我が子を…」

泣き崩れる夫に代わり、妻が涙ながら語ります。

「私たちには、もともと八人の子がおりました…しかしオロチが現れてからというもの、毎年一人ずつ生け贄に…今となっては、この櫛名田(くしなだ)を残すのみ。なのに、また今年も…旅のお方、貴方も早々にこの地を去った方が良いですわ…」

「そうか…。話はわかった。そなたが櫛名田か?」

須佐之男は、二人の間に座る娘に声を掛けました。

櫛名田は、俯いていた顔を上げ、須佐之男を見ます。

その瞬間。須佐之男の身体の内に、痺れるような何かが走り抜けました。とたん、胸が高鳴り始めます。

艶めく黒髪と、黒曜石のように輝く美しい切れ長の瞳に、須佐之男はあっさりと一目惚れしてしまったのです。

「そう、ですが…」

「…よし、わかった。」

何が『わかった』のかわからない三人は、きょとんとした顔で須佐之男を見つめました。

「この俺が、そのヤマタノオロチとやらを倒す!そして、櫛名田姫を嫁にもらう!」

言葉の意味が呑み込めず、三人は顔を見合わせてから、再び須佐之男を見ます。

「…い、今、何と…?」

恐る恐る問う夫に、須佐之男は意気揚々と答えます。

「だから、俺がヤマタノオロチを倒し、そなたらの娘を俺の嫁にする!」

「は…はあ!?そ、そんな無茶な!第一、今さっき会ったばかりの男に、我が子を嫁に出すなど…」

「その点は心配ない!何せ、俺は天照大神、月読命の弟、須佐之男命だからな!」

その言葉には、三人とも目を見開きます。

「な…なんと…!お、恐れ多きことにございます…!それでしたら、是非とも我が子を…」

「え、あ、ちょっと…」

一瞬で婚姻話に乗り気になる父に、櫛名田は慌てます。

そんな櫛名田の様子など露知らず、須佐之男は満足げに頷きました。

「よし!これで決まりだな!それで、そのヤマタノオロチというのは…」

「ち、ちょっと待て!」

ここで櫛名田が声を荒げます。

「ん?どうした、我が妻よ。」

機嫌良く須佐之男が応えます。

「つ、妻って…兎に角、結婚するだの何だの、一体何を言っているんだ!?」

「そのままの意味だぞ?櫛名田姫。」

「だから!『姫』じゃない!俺は男だ!」

須佐之男は硬直します。一方、櫛名田の父の方は、「あ。」と思い出したように声を漏らしました。

「『あ。』じゃない!父さん、まさか自分の子の性別も忘れたのか?」

「い、いやぁ…だって衣装が実に様になっているものだから…」

「それにしたって酷いだろ!」

櫛名田とその父は言い合い(まあ、殆ど一方的ですが)を始めました。

「う…」

父子のやり取りを呆然と眺めていた須佐之男の口から、声が漏れます。

「う…嘘だああぁぁぁぁぁ!!」

須佐之男の絶叫に、櫛名田は驚きながらも言い返します。

「う、煩い!相手の気も考えないお前が悪いんだろ!」

「それはそうかもしれないが…うう…勿体ない…」

「はぁ?」

訳がわからないというふうに眉根を寄せる櫛名田に、須佐之男が続けます。

「だって…その見目は、男というには惜しい!惜しすぎる!」

「んな…!何なんだよこいつ!もう追い出してくれよ、父さん!」

「いやあ、でも天津神様を追い返す訳には…」

「そうよ、櫛名田。あと、もう少し言葉遣いを正しなさい。相手は須佐之男様ですよ。」

「もう嫌だ!」

父に加え母からも賛同を得られず、櫛名田は悲痛な声を上げました。

「…いや、大丈夫だ…。」

須佐之男がぼそりと呟きます。櫛名田は困ったように頭を掻きました。

「何なんだ、次は…」

「うん、問題ない!」

「だから何が…」

とたん、須佐之男は櫛名田の手を取ります。

櫛名田は驚いて須佐之男を見ました。

「な…」

「そなたが男であろうが何だろうが、俺が惚れた相手だということには違いない!というか男であっても特に何の問題もなかった!全然いける!性別は愛で乗り越えられる!」

「何言ってんだ、お前…」

櫛名田はげんなりしたようにため息を吐きました。須佐之男は気にせず続けます。

「と、いうことで、ヤマタノオロチ退治は決行しよう!条件はそのままに、な!」

「…まぁ…いいけど…」

実に不本意そうに、櫛名田は頷きました。

「お、お!言ったな!よし!」

「…それはそうと、本当に奴を倒せるのか…?天津神といえど、あんな化け物を…」

その言葉には、櫛名田の母も賛同します。

「ええ、ヤマタノオロチは、一つの胴に八つの頭、鬼灯のように真っ赤な目をしていて、その体には苔ばかりか、杉や檜まで生えているのです…。その長さも、八つの谷を渡り、八つの山を越えるほど…その腹は、いつも血で爛れていて…本当に、そんな化け物を…?」

不安に染まった彼女の目をしっかりと見つめ、須佐之男は頷きます。

「ああ、倒して見せよう。」

その姿が、夫婦だけでなく、櫛名田の目にも、どれだけ頼もしく写ったことか。夫婦の目には先程までのものとは違う涙が浮かびました。

「…本当に、やってくれるのですね?私たちは息子を、櫛名田を、失わずに済むのですね?」

「勿論。これからすぐに策を練ろう。」

「良かった…良かった…何と申せば良いものか…」

抱き合って喜ぶ両親を見つつ、櫛名田は一人、何故か浮かない表情をしていました。



「…しかし、何故こんな大量の酒を用意せねばならんのです?」

櫛名田の父は須佐之男に問います。

因みにこの男、名を足名椎命(あしなづちのみこと)といい、国つ神、大山津見神(おおやまつみのかみ)の子息でありました。その妻の名は手名椎(てなづち)といいます。

須佐之男は、櫛名田の父改め、足名椎に応えます。

「なに、俺の兄上は結構酒に弱くてな!俺に悪絡みしてそのまま泥酔された時のことを思い出したのだ!ははは!」

「つ、月読様がですか…しかし、何故今それを…」

「そのうちわかる!まあ、今は黙って俺に従え。」

「はあ…」

納得いかなそうな顔で、手名椎は酒の準備に戻りました。

納得がいかないのもそのはず、須佐之男の要求とは、まず八塩折の酒を大量に用意し、更に垣根を巡らせて、八つの門を作り、その門ごとに台を作り、そしてその上に、大きな器に注いだ酒を置いておく…等という、突拍子もないものだったのですから。全うな理由がなければ、そんな作業に取りかかる気にもなりません。

しかし、我が息子のため村のため、夫婦は奮闘します。村の者総出で、作業を開始しました。

勿論仕事に加わる須佐之男ですが、目立たないところに座り、浮かない顔で一人物思いに耽る櫛名田のことが気になり、彼に声を掛けます。

「どうしたのだ、そんなに暗い顔をして。心配せずとも、お前のことは俺が必ず守って見せる。」

それでも櫛名田の表情は晴れません。

「いや…そのことは有り難く思っている。ただ…」

「ただ?」

「ただ…言っていたろう?母さんも。俺には七人の姉弟がいた。でも、兄さんも、姉さんも、皆オロチに喰われてしまった…それなのに、俺だけが助かって、本当に、良いのだろうか…」

消え入るような声でそう言った櫛名田は、重いため息を吐きます。

そんな彼の隣に、須佐之男は腰かけました。

「つまり、そなたは、自分だけが助かるということに、罪悪感を抱いているのだな?」

何も言わず、櫛名田は俯きます。

「…そう思うのも無理はないと思うが…もし、そなたが自分自身のことを悪く思っているのだとしたら、それで苦しんでいるのだとしたら、今になって急に現れ、人を喰らう化け物を倒す等と、今更言い始めた俺のことを恨むがいい。そなたは何も悪くないし、責任を感じる必要もない。全部俺が悪いのだ。」

「…」

「まあ、もっと早くに俺を追放すれば良かったのにと、兄上を恨んでも良いがな!」

「それは…ちょっと…」

「はは、今のは冗談だ。兎に角、そのように暗い顔をするな!美しい顔が台無しだ。」

須佐之男の言葉に、櫛名田は軽く笑います。その顔を見て、須佐之男もまた微笑みます。

「やっと、笑った顔が見れた。やはりそなたには暗い顔は似合わない。」

「は…は…!?」

櫛名田は赤面し、ぱっと須佐之男から顔を背けました。

「…お前は、急にそういうことを…!」

須佐之男はきょとんとします。

「何か変なことを言ったか?」

「…もう良い!…ところで、俺は何をすれば良いんだ?」

「ああ、そうだな」と言い、須佐之男は櫛名田に向き直り、言います。

「そなたは、櫛になっていろ。」

「…は?」

意味のわからない言葉に、櫛名田は怪訝そうに顔を歪めました。

「今はそんな冗談を言っている場合じゃ…」

「いいや、冗談などではない。これからそなたの姿を櫛に変えて、俺の髪にさしておこう。」

「はぁ…それで、仮にお前がそれを出来たとして…俺は元の姿に戻れるんだろうな?」

「ああ、勿論。あと『仮に』は余計だ。よし、少し目を閉じていてくれ。」

櫛名田はまだ信じきれない顔でいましたが、言われた通り、目を閉じます。

「では、やるぞ。」

「あ、待ってくれ。」

櫛名田の声に、彼の頬に触れかかっていた須佐之男の手が止まります。

「何だ。」

「…これで、俺はお前がオロチを倒すまで櫛の姿でいることになるんだろう?」

そう言うと、櫛名田は閉じていた目を開きました。

「ああ、そうなるな。」

須佐之男が頷いたのを見て、櫛名田は続けます。

「だから…俺のことを守ってくれだなんて言わない。この村を…この村の人々を、どうか守ってくれないか。」

「…言うまでもない。勿論そうして見せるさ。」

櫛名田は須佐之男の手を強く握ります。

「頼んだ。」

須佐之男は力強く頷き、また、力強くその手を握り返します。

櫛名田は、安心したように目を閉じました。

須佐之男は、その頬に手を当て、目を閉じ、何かを念じます。

再び目を開いた時には、そこに先程までの櫛名田の姿はなく、美しく輝く一つの櫛だけが彼がいた場所に残っていました。

それを拾い上げ、自身の髪にさすと、須佐之男は立ち上がります。

「…よし。」

一人、気合いを入れるように呟くと、皆が作業を行っている方へと歩き出します。

歩いている途中、二人の幼子が須佐之男の元へ駆け寄って来ました。

「あの…須佐之男命、様、ですか…?」

二人のうち、一人の男子が尋ねます。

「ああ、そうだが。」

「わ、私は、この村に住むイナヤと申す者です…それで、こっちは…」

イナヤの後ろから、イナヤよりも小さな女子が進み出ます。

「…妹の、サヤ、です…」

「イナヤにサヤか…。して、如何した?」

すると、イナヤはすがるような目付きで須佐之男を見上げました。

「須佐之男様、貴方がヤマタノオロチを倒してくれると聞きました…」

「私も、そう聞きました。だから…」

サヤもイナヤの後に続きましたが、言葉を詰まらせます。代弁するように、イナヤが言いました。

「お願い、します…どうか、どうか櫛名田の兄様を、助けて下さい…」

泣きそうな目でサヤも言います。

「櫛名田の兄様は、サヤ達とよく遊んで下さいました…なのに、父様と母様は、櫛名田の兄様が、オロチに喰われてしまうって…!でも、でも貴方が来てくれて…」

サヤの目から、ほろほろと涙が溢れます。

須佐之男は、そんな二人に目線を合わせるため屈み込むと、幼子達の頭を撫でてやります。

「何と心優しい子供らか…そうだな…そなたらの兄様は、必ず俺が守る。約束しよう。」

「本当に、本当ですよね…?」

「嘘など吐かぬ。」

「良かった、良かった…!」

兄妹は嬉しそうに笑います。

先の、櫛名田の言葉が思い出されました。

『この村の人々を、どうか守ってくれないか。』

幼子達が走り去っていった後、須佐之男はその拳を、強く握り締めました。

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