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 美とは、仄かに漂う、衣に焚き染められた香である。則ち、直接的表現は徹底して排除されなければならぬ。豊饒を湛えた象徴と観念は、自らの姿を秘める。ほのめかす。そのようにして、深淵な静謐が、小説という一つの現実世界に演出される。「秘すれば花なり」とはよく言ったものである。

 だがそれには非常な困難が伴う。小説家は、自身の表現欲を刺激する対象を発見する。そしてそれが己の精神構造の中で、どのような位置をしめているのかを分析する。小説を書くという行為は、精神的自己解体の試みを意味するのである。象徴や観念は、このようにして育まれる。

 象徴や観念は、時間の洗練をうけ、研ぎ澄まされてゆく。



 美というものは、本当に恐ろしい。言葉でも旋律でも、「それ自体」に辿り着くことは不可能だ。無論触れることも無理なので、その形状も感触も、色彩も質感も分からない。そして何よりも恐ろしいのが、その「無為に対する沈黙」とでも言うべき時間により、美は自身に近付ける人間を判別するからである。



 岡潔氏がピカソは無明を描いていると言っていたが、所謂アーティストには人生の問題と美の問題を混同して考えている人間が本当に多い。ピカソが描いているのは生命活動のいやらしさであって、決して美ではない。

 人生という運動の未完成性は、美と我等を隔てる深淵と同義とは限らない。そして、苦悩と深淵に視界を奪われた人間は絶対に美を確認することはできない。

 美は本来、怒りや不満、ルサンチマンとは無縁のものである。


 芸術には評論としての一側面があることは事実だ。でもそれはあくまで、表現者が用意する美意識の秩序に基づき管理されなければならない。さもなくばゴシップ臭漂う俗悪な紛い物になる。



 日本の美意識は、もう死に絶えているのではなかろうか。現代人のうち、アメリカナイズされておらず、先人からの伝統の平衡感覚を保っている人間が居るなら教えて貰いたい。

 小手先の形式ではなく、真に日本人の魂を持っている人間を教えて貰いたい。


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