第二話 職員室
篠原先生とは相談部の顧問の女性だ。いつもは僕たちと一緒に部室に居るのだが、今日は色々忙しいらしくずっと職員室にこもりっきりらしい。
そんなわけだから僕たち二人は、廊下に出て一階にある職員室に移動を開始した。相談部の部室は三階にあり、二階分降りなくてはならないため、たどり着くまでちょっと疲れる。
「失礼します」
到着し、桐山さんが勢いよくドアを開けた。室内は数人の教師が事務机に座ってパソコンで作業をしていた。その中の一人、若い茶髪のロングヘアーの教師がこちらに目をやった。
「おお、きたか桐桐コンビ」
篠原先生は少し気だるそうに席を立ち、少しはや歩きで僕たちの元にやってきた。
「いい加減その桐桐コンビって呼び方やめてもらって良いですか?」
桐山さんがうんざりした口調で苦言を呈してきた。先生は僕たちのことをよく桐桐コンビと呼ぶ。それは桐山さんと僕のファーストネームの桐矢とで、両方とも桐の字が使用されてるから二つ合わせて桐桐ということらしいのだが、桐山さんはそれをあまり気に入っていない。
「ええ、良いじゃんか。我ながら良く出来た名称だと思ってるんだがな」
この人は生徒たちに対して、友人と会話してるかのような砕けた口調で話してくる。そのおかげもあってか結構人気のある先生ではある。
「佐藤、お前はこの呼び方どう思ってるんだ?」
そんな篠原先生が急にこちらに振ってきた。
「え」
「先輩、どうなんですか。答えて下さい」
桐山さんもずいと距離を縮めて回答を要求してくる。これはどう返答しようともどっちかを敵に回すことになる。そしてこういう状況を脱する方法は一つしか思い付かなかった。
「あ、そうそう今日きた相談に対しての回答文書けたんで、チェックお願いします」
「……。逃げたな」
「逃げましたね……。先輩」
二人が冷ややかな眼差しを向けてくる。あれ、これ逆にどっちも敵に回しちゃってない?
「今ので上手いことごまかせたつもりですか?」
桐山さんが呆れたような口調で告げてくる。うう……。なにも言い返せない。僕が困っていると篠原先生が助け舟を出してくれた。
「桐山、もうその辺で勘弁してやれ。それ以上いじめるのはさすがに可哀想だ」
「……。まあ先生がそうおっしゃるなら」
桐山さんは渋々といった感じで僕への追及をやめてくれた。助かった、先生に一つ貸しが出来たな。
「それじゃあ話を戻すが、確か今回は逆上がりが出来ないって相談だっけか」
「ええ、はいどうぞ」
篠原先生に回答文を渡すと、彼女はすぐさまそれに目を通した。読んでいる間の先生の表情は真剣なもので、さっき僕たちと会話してたときとまったく違う顔付きになっている。
「これは……。桐山が考えた案か?」
読み終えた後、先生は顔をあげて尋ねてきた。
「諦めるという点は私で、長所を探して伸ばせという点は先輩の案です」
「ほう、なるほどなんともお前らしい回答だな」
「私らしい?」
「ああ、ひねくれ者の桐山らしい答えだ」
「ひねくれ者って……。どこがですか」
心外だと言わんばかりに、桐山さんは語気を強めて尋ねた。
「逆上がりが出来ないという相談に対して、諦めろなんて答えはひねくれ以外の何物でもないだろう」
「私はただ私なりの考えを書いただけです。先生はこの答えに文句があるんですか」
桐山さんが珍しくいきり立っている。対照的に先生のほうは冷静な装いだった。
「いや、そんなことはないさ。お前が真剣に藤田少年のことを思って導き出した解決法だっていうのは、この回答文を読めばわかる。もちろん佐藤、お前もな」
「だったらなにが……」
「まあ待て。別に私はきみをけなしているわけではない。むしろ褒めてるんだ」
「褒めてる?ひねくれ者らしい答えって評したのがですか」
「ああ、そうだ。ひねくれ者というのは一般的には悪い意味に捉えられることが多いが、私はそうは思わない」
「というと?」
疑問を投げかけると先生は僕の方に目を向け言った。
「例えば佐藤、お前は今回の相談文を読んだときに、どんな解決法を考えた?」
「えっと、あれです。踏切板とかタオルを使った練習法とかですかね」
「なるほどな。つまりお前は逆上がりを成功させる方法を考えていたわけだ」
「ええそれはまあ、普通そうじゃないですか?」
「そこだよ佐藤」
先生がゆっくりと人差し指をあげた。
「はい?」
「お前の言う通りそれが普通の発想だ。逆上がりの出来ない子を出来るようにする方法を模索する。しかしひねくれた者は違う。なぜなら他の者とは異なる考え方を持っているからだ」
「はぁ」
「だから時折り常人には思いもよらないななめ上の発想をしてくる。そしてそれは、ときに物事の真理を突くこともある」
「私は別に真理なんて突いたことありません」
ずっと黙っていた桐山さんが否定の言葉を口にした。しかし僕の中ではその言葉こそ否定したかった。
「いや、そんなことはないんじゃないかな」
「え?」
「今回の件で言うと諦めることは必ずしも悪いことではない、というのがそれに当たるんじゃないかなって思ってるんだけど」
「私も佐藤に同意見だ。諦めるという行為を普遍的な認識である悪と見なさず、善でもあると解釈する。これは物事を客観的に見れている証拠だ」
「はぁ。過大評価も甚だしいです。二人とも私を買い被り過ぎています」
桐山さんがため息混じりに告げると、先生は少しいじわるそうな顔をした。
「おや、さっきはけなされてると思ってすねてたのに、称賛されても不満なのか」
「べ、別にすねてたわけじゃ……」
先ほどまで凛としていた表情と打って変わって、桐山さんは少し子供っぽく頬を膨らませれいた。
「はは、なんだ随分と可愛い反応をするじゃないか」
先生はニヤニヤしながら桐山さんをからかい出した。
「っ!……。そ、それよりどうなんですか。先生的にはこの回答で問題ないんですか」
桐山さんが露骨に話題を変えようとしてきた。しかしそんなのを見逃す先生ではない。
「……。逃げたな」
先刻僕に言ったのと同じセリフ、同じトーンで先生はつぶやいた。となると僕もこのセリフを吐かざるを得まい。
「逃げましたね桐山さん……」
言った瞬間、桐山さんがものすごい目付きで睥睨してきた。先に言ったのは先生の方なのになんで僕にだけ……。変な空気になったのを察してか、それを払拭するかのように先生はパンと手を叩いた。
「まあ長々と喋ったが私的にこの回答に異論はない。修正ポイントも特になしだ」
この相談部は、回答に関しては基本的に部員たちだけで考えるが、最後には顧問の先生の許可をもらわなければ回答文を提出することが出来ない。そして最終的に篠原先生がそれぞれの学年主任に中身がわからないよう、茶封筒に入れた状態で〇〇くん(あるいは〇〇さん)に渡して下さいと頼む……。という流れになっている。
「そうですか。前回みたく、大幅に先生の添削がされなくて良かったです」
「前回?ああ、あの脅迫事件のことか」
「人聞きの悪いこと言わないで下さい。あれは脅迫じゃなくて警告です」
先生の言った脅迫事件というのは数週間ほど前に、中等部から成績が右肩下がりなのに勉強をする気が起きないといった相談が部にきたのだが、そのときの桐山さんの回答がほぼほぼ脅迫染みていたのだ。
「いや、だってあれ恐ろしかったぞ。勉強をしないと将来どんなデメリットを負うことになるかを、こと細かに書き連ねててさ。正直大人の私でも少しゾッとしたし」
「勉強のやる気を起こさせるには、それが一番手っ取り早いと思っただけです」
「それにしたって中学生があんなの読んだら震えあがってしまうぞ。まあだから私が出来るだけマイルドな表現にしたわけだが」
「前も言いましたけどあの程度だと、効果が薄いと思うんですけど」
「いや、そうでもないぞ。この際だから言っておくが、この前相談してきた生徒の担任教師に少し探りを入れてみたんだが、その子以前より授業をまともに受けるようになったって言ってたんだ」
「へえ、じゃあ桐山さんの回答が正しかったわけですか」
「ああ、ひねくれ回答が功を奏した結果だ」
またしてもひねくれと言われ桐山さんがむすっとした表情を見せた。
「前のもひねくれた回答だったって言うんですか」
「だからそう怒るなって。さっき言った通り、ひねくれっていうのは褒め言葉なんだよ。勉強しないことのデメリットをこれでもかと教えるって発想は中々出てくるものじゃない」
それに関してはぼくも先生に同意だった。
「確かに、ぼくが浮かんできたのは音楽聞きながらやるとか、勉強予定を立てるとか、友だちと一緒にやるぐらいしか出てこなかったですしね」
「ああ、普通だな。実に普通の回答だ」
「……。バカにしてます先生?」
「いやいや、そんなことはないぞ。そういう普通の回答が、その子にとっての正解である可能性も充分あり得るからな。前回のに関しては桐山の脅迫……。もとい警告が正解だったってだけだ」
「普通って点は訂正しないんですね……」
「まあ、な」
先生は少し気まずそうに目を逸らした。
「そして私がひねくれ者だって点も、あくまで訂正しないんですね」
桐山さんが冷ややかな目で先生を見つめてくる。褒め言葉と教えられても、やっぱりひねくれ者というのは納得がいってない様子だ。
「ええ、そんなにひねくれ者って言い方がダメなら……。ひねくれ……。そうだ、ひねくれ女王っていうのはどうだ」
先生がナイスアイデアと言わんばかりの笑みを見せる。
「……。者を女王にしただけじゃないですか」
桐山さんはさらに冷ややかな目を先生に向けている。
「え、いやだって女王だよ、女王。良いじゃん。なんかかっこいいじゃん」
先生が必死に女王という呼称の素晴らしさを説明している。しかしなんかかっこいいじゃんってそれもう思考が小学生レベルではなかろうか……。
「はぁ。もう良いです」
散々先生が力説した結果、とうとう桐山さんが折れた。
「先生がひねくれ女王だと思うなら、そう思ってもらって構いません。ただし私の前でひねくれ女王という呼称を使うのはやめて下さい」
「おお、話がわかるじゃないか。ひね……。いや桐山!」
早速ひねくれ女王と言いそうになった先生を、桐山さんがにらみつけたのは言うまでもないことだった……。