第三話
滞在中は、韓国の人たちとの交流もあった。
いかにも観光中という出で立ちで街へ出ても、
カフェでおしゃべりしていても、
まったく、知らないはずの由香たちに、
彼らは、気さくに話しかけてきた。
片言の、つたない言葉で、ゆっくりと返事をする。
充実感がひたひたと、体を満たすのが分かった。
滞在先の大学の日本語学科の人たちが、由香達に付いてくれることもあった。
サポーター兼、遊び相手である。
そのリーダー格の男はユン・ソンホと言った。
いつもニコニコしていて、商人のような達者な口ぶりで話す。
たまに、アニメの絵が入っているTシャツを着てきて、皆を閉口させたけれど、
気さくな男で、毎日のようにあった飲み会には、必ず出てきた。
そして決まって、おどけて冗談を言い、場を盛り上げてくれるのであった。
そんなある日のこと。
こちらに来てから、毎日の恒例となっている、焼肉とジンロを囲む、飲み会の席上のことだった。
ソンホが相変わらず、マシンガントークを炸裂させている。
と、由香は、ソンホの隣にいる男が気になった。
誰と取り立てて喋るでもなし、酒を静かに飲んでいる。
染めている人が多い中で、黒髪で、こざっぱりした印象だ。
服のセンスも、よく言えばシック、悪く言えば…地味かもしれない。
それでいて、ちょっと暗い雰囲気があるひと――。
その男に気を取られているあいだに、ソンホが仕切って会話は進んでいた。
「庸子ちゃんは、何勉強してるの?」
由香は、ソンホと庸子を、横目で見た。
庸子は、韓国に到着してからは、大抵、韓国語で会話をしていた。
由香は庸子と同じ便の飛行機に乗りやってきたのだが、どのバスに乗ればいいかで、すっかり悩んでしまった。
終点まで行けばいいわけでもなく、似た地名の多い看板の前で、二人は混乱の極みだった。
そのような中、庸子が、チケット売り場のお姉さんと辛抱強くコミュニケーションを取ってくれ、やっとのことでバスに乗ることができたのだった。
基礎の発音さえも危うい由香だけでは、きっと、目的地までたどり着かなかったに違いない。
ただ力関係、或いは語学力の差というものがあるのだろうか、
ソンホが日本語を話してくれる方が楽なので、
庸子もそういうときには、無理をせず、日本語で会話しようとしているようだった。
「私はアジア史。韓国史を特にやろうと思って」
「おお、難しいのに凄いね」
「でしょ」
「うんうん」
ソンホは、日本のドラマを毎日見て、日本語を勉強しているだけあって、日本語を流暢にしゃべる。
韓国語の勉強を頑張ると決意したわりに、由香は、ソンホに頼りっぱなしである。
お安い御用とばかりに、すいすいと助けてくれるものだから、
つい、通訳をお願いしてしまうのだった。
ソンホが、由香に水を向けてくる。
「由香ちゃんは何の専攻?」
「私は日本文学を勉強している…ところ。あ、韓国は関係ないけど」
とっさに付け加えて、
「このプログラムは、庸子に連れられて来たの」
つい、言い訳がましい言葉が出てしまった。
気分を害さなかったかな?
ソンホは「いい人」だったらしい。私の小さな心配なんて、さっと流してくれた。
「そっかそっか〜、でも楽しいでしょう、韓国」
じわっと、心に、優しい気持ちが溢れてくる。
そう、こんなに楽しいなんて、知らなかったよ。
力を込めて、答えた。
「うん、すごく楽しい!」
すると、ソンホもにっこりと笑ったのであった。
「よかった」
ソンホの隣の人――。
「あの、その人、しゃべらないけど、どうしたの」
由香は目でちらっと、その男に視線を投げかける。
「あ、こいつはさ、チェ・ジウンっていうんだ。日本語はそれほどできないけど」
肩を抱いて由香の方向を向かせ、説明した。
迷惑そうな表情をしていたが、こちらに向かって一礼してくれ、後はしゃべらなかった。
「あ、何かちょっと、最近、落ち込んでてさ。でも、みんなでいた方が楽しいかと思って」
どうやら、気分が乗らないところを、無理矢理連れてきたようだ。
無口で憮然とした表情でいたのは、そのためかもしれない。
あまり話しかけると、迷惑かもしれない。
由香は気を取り直し、しばし、その場の会話に興じた。