第08話 一目惚れは甲斐性の発端なのだ! その一
ここが『みかづきのほとり亭』……。造りは立派で大きい飾り窓がある。なのに灯りもなくて人の気配もない。空虚な臭いが強調されて寂しさだけが残っている。
ここがレーナちゃんたちの宿屋なのか? あんなに明るい子の家には見えない。
あれ? 扉は鍵がかかっていない……案ずるよりもなんとやらだ! 行くぞ!
――――……。
「こんばんはー。宿泊したいんですけどー。どなたかいませんかー」
――……。
「うー……こんばんわー!!」
…………。
返事が帰ってこない。
……。
<カタン>
一呼吸置いた後、暗闇からかたりと音がして揺らめく光の重心に女性の姿を垣間見た。
「大声を出して、すいません。宿泊を希望しているんですけど」
「……大変失礼ながら現在当宿ではお客様をお迎えしておりません。代わりの宿をご紹介いたしますので、そちらをご利用してくださいますか?」
「…………」
「……あー! 泊まりに来てくれたの~。……タカシさん!!」
ここでも紹介? 俺の些かな苛つきと立ち込める獣脂の不快さを払拭してくれたのは、レーナちゃんから飛び出す歓喜の声だった。
「うお! うおっふうぅ~。……――」
「えへへ~。タカシさ~ん。いらっしゃい! ……?」
「タケ? タカシ? さん。……――」
レーナちゃんの確かな熱を持つ肌ざわりが鬱屈とした呼気を瞬く間に消し去る。気がつくと俺は手燭の光量を上回る輝きを放つ女性を捉えてしまった。
女性は何か遠くを探しているような儚い視線で俺を射抜いたが、虹彩は穏やかな光を湛えていて、俺は懐かしさすら覚え色めき立った。
女性は出会ったばかりなのに昔馴染みの佇まいで居心地の良さを与えてくれる。それなのに、レーナちゃんの背中に触れた俺の手は震え汗をかいていた。
俺は女性と静かに視線を交わし続ける。身体は強ばり鼓動は速まり呼吸が浅くて言葉を紡げない……。すると、女性の瞳は開かれ優しく笑みがこぼれた。
ただそれだけで、俺の心に灯がともった。
「もう! いきなり抱きついたりして……危ないでしょう。レーナ……」
「大丈夫だよ~。ろうそくちゃんと置いてからだよ~。えへへ~」
「…………こんばんは。レーナちゃん、ミーナさん」
明るい声が広がり、たゆたう光の影ぼうしと交わり合い賑やかになった。レーナちゃんは安堵の表情を浮かべ、何かの期待が象られるようにと、俺を伺っている。
ミーナさんは丁寧に手燭をカウンターらしき場所に置き、几帳面に灯りの方向を調節しながらレーナちゃんを叱咤する。けれど、口調には気遣いの含みがあった。
「レーナ! ミーナ! お客様と知り合いみたいだけれど、どういう事?」
女性はミーナさんを守るように俺との間に割込みレーナちゃんの肩に手を置いて俺を見据えたが、ひと時の面差しはなくなり母親の顔となっていた。
俺が居た堪れずに外した視線の先には、山吹色の尻尾が泰然としていた。
「……」
「ごめんなさい、お母さん……。だけど……」
レーナちゃんは女性の剣幕で俺への密着度を深め、目ざとくお土産の果物に手を伸ばした。ミーナさんは女性に近づき両手を組みながら、一度外した目線を女性に向けて訴えかけようとしている。ふたりとも俺の事を話していなかったのか……。
それに、営業してないのに錠も解けば怒られるよ。だけど、俺のためにしてくれたなら俺が解決しないとな。……俺はレーナちゃんの手にお土産の袋を導いた。
そして、視線を戻し女性に正対した。
「事情もお話しないで、申し訳ありませんでした! 私は『タカシ』と申します。実は、私が川で溺れている所を、おふたりの娘さんが助けて下さったのです。そのお礼のために参りました。ですから、娘さんたちを叱らないで頂けませんか?」
「……」
「わ~い『スクレ』だ~。レーナ大好きだよ! 速く食べないと傷んじゃうよ~」
「そ、そうね。お皿を用意しなくっちゃ! ほらレーナ、こっちに持ってきて!」
レーナちゃんは俺の意図に気付いてくれたようだ。ミーナさんも合わせる勘所が良い。もしかして、ふたりとも叱られ慣れているのかな? 少しだけ苦笑した。
ふたりは脱兎のごとくカウンターの奥に移動した。女性は追いかけるように半身となり語気を強める。
「こら! ふたりとも! きちんと、わた――」
「お母さん! お願いします。私の事情も汲んでくれた娘さんたちです。どうか、お気持ちを鎮めては頂けませんか? 私も体の塩梅が良くないのです。ご迷惑だとは思いますが、こちらに泊めて頂きたいのです。お願いします」
俺は畳みかけるようにして女性に言葉を投げかけた。奥からは賑やかしくふたりの声がする。女性は二度三度、視線を送った後に表情を緩め吐息を漏らした。
その横顔はやや頬がこけていても問題にならない凛々しさと慈愛に満ちていて、山吹色のケモミミをはんなりとした形に戻す。セミロングの髪は肩を撫でていた。
「はぁ……。ふたりとも! あとでちゃんと話を聴かせて頂戴ね! 良い? ……タカシさん、でしたね。お恥ずかしいのですが、お迎えしてもお食事のご用意などは――」
「ありがとうございます! 私も事情がありまして、この街にしばらく滞在しますから、こちらでよろしくお願いします! お母さん!!」
女性がゆっくりと俺に姿勢を向けてくれた。まぶたを重くしながら申し出る女性の繊細な手を取り包み込み、小袋を渡して未練がましく滑らせながら手を退けた。
スーツを譲った代金が入っている。強引で有無を言わせないやり口に自嘲した。せめて悪意がないと伝えたくて自然に深いお辞儀をしていた。
「えっ? ……あ、あの。お、お母さんでは……『マリ……ィ』です。母です。い!? ……『マリィ』とお呼び頂けますか? それとこれは? ……こんなに。これだと二十泊できますが……。よろしいのですか?」
驚かせた後の反応がミーナさんに似ていて思わず口角が上がり、姿勢を戻した。女性もそうだがミーナさんと同じで名乗る時に言い淀む、何か事情があるのかな? 宿賃は銀貨五十枚で二十泊か……。相場がわからないけど安いのかな?
お母さんの名は『マリィ』さん。レーナちゃんと良く似ている。髪色やケモミミの色的にも……。背丈や雰囲気はミーナさん。だけど、姉妹と違うのは豊穣な胸と太い尻尾だった。レーナちゃんだと追いつくには、あと何年かかるかな?
俺は四、五年で並ぶと見ました。おやおや、ミーナさんは? 良い所まで……。
「……あ、ええ、マリィさん! そちらで、よろしくお願いしま――」
「タカシさん! 見てえ~。大盛りだよ~。たくさんお話しできるね~」
「お待たせしました。こちらにどうぞ、タカシさん。……お母さんも」
「ふたりとも……。タカシさん、申し訳ありません」
レーナちゃんたちが『スクレ』を盛り付けて来たのか。ミーナさんがテーブルを拭いて、テキパキとお皿を並べている。果物を食べる時に、獣脂の臭いは相応しくないだろう。フィーアさんが買ってくれた照明の魔道具を使おう。
「マリィさん、無茶を言っているのは俺の方です。宿泊の件は、よろしくおねがいします。……レーナちゃん、ミーナさん。こんなのがあるよ!」
点灯と念じて魔道具に触れると周囲を明るく照らし出した。なかなか便利だな。電池みたいに魔石を加工したカートリッジの交換式だ……安物には見えないな。
「うわ~明るい~。魔道具まであるの~」
「……やっぱり違うよね。もう蝋燭いらないかな? 消しちゃうよ。それとタカシさん。私の事は……『ミーナ』で良いから」
それではさっそく……。ミーナはテーブルの上にある吊るしに魔道具を引っ掛け蝋燭を片付けた。これで室内が見渡せるかな? ここは四人がけのテーブルが八つある食堂も兼ねた所みたいだね。
「あ~じゃあねえ、わたしは――」
「『レーナ』と呼んであげてね! タカシさん」
レーナは顎先に指を当てて小首をかしげた。だが、直ぐに戻すと俺の手を引いて窓側の椅子に座らせた。そして、俺に覆いかぶさるような勢いで横に滑り込んだ。ミーナはなぜか名前に関して敏感に反応するけど……事情が気になってきた……。まあ仲良くなれれば、そのうち教えてくれるだろう。急がばなんとやらだ。
「あの……タカシさん。すいません。ふたりがはしゃいでしまって……」
「……マリィさん。そんな事ありませんよ」
マリィさんはミーナの肩先に触れ俺の正面への着座を促して席に着いた。明るくなったテーブルには、間近に三人の笑顔がある。俺は小刻みに膝を震わせていた。気恥ずかしさからだろうか……。それとも、肉体労働の影響だろうか……。
「ねえねえ、タカシさん。仕事は何をしてきたの? 魔道具まで買えちゃうなんて凄すぎるよ~」
「ん? 街壁の工事だよ。その後、親切な人……服と交換してきたんだ」
「へえ~。あんなに汚れてたのに良いものだったの~?」
レーナは相変わらず好奇心旺盛だ。シャリシャリとツマミながら尋ねてくるのが小動物っぽくて愛らしい。それにしても、この『スクレ』味は柑橘系なのに食感はリンゴで外観がメロン……。不味くはないんだけど違和感が拭えない。
変わった食べ物がたくさんあるみたいだけど、元世界と共通する物も多かった。麦は当然のようにあるし玉ねぎ人参じゃが芋、キャベツ――。
「「こら! 根ほり葉ほり聞かないの!」」
「えへへ~。ごめんなさい。それじゃあねえ――」
ミーナとマリィさんがレーナを一喝した。好奇心を満たすのに宿屋のお客は良い対象になるだろうけど、度が過ぎると怒られちゃうよな。本とか読まないのかな? 高いとか字が読めないとか……。俺も名前ぐらい書けるようにしたい。
「レーナ! いいかげんにしなさい!」
「ぶうう」
レーナの渋い顔はさておき、字を教えてくれないか頼んでみようかな? 視線を正面に移すとミーナが『スクレ』をモグモグしていた。……変にかしこまっているより、今みたいな素の方が可愛いな。
どれどれ、マリィさんは……。あれ? 手をつけてくれないのか。なんでかな? 勧めてみるか。それより、明るい所で拝見すると印象が違って見える……。
山吹色のケモミミと髪は、くすみが取れて光彩が散りばめられていて、頬や唇も生彩を放つ桜色に染まっている。出会った時は蜃気楼のような気がしたのに……。
――――。
お読み下さりありがとうございます。
ご意見、ご感想など頂けますとありがたいです。
よろしくお願いします。