12歳
とある土曜日の夜、今週もまた彼は彼女の家に泊まりに来ていた。
いつも、何をすると決めているわけでもなく、ゲームをしたり、外で遊んだり、漫画を読んだりと、互いに弟や妹達も一緒にいるので、2人だけで一緒に居る事は余り無かった。
今日も、彼は彼女が集めている少女漫画を、勝手に漁り、いくつか気になったモノを自分の枕元へ置いた。
内容は自分と同年代の青春物らしい。
彼女が見つかってたら、怒られるかも知れないが、生憎、彼女は入浴中なので気にする必要も皆無だ。
そして、いつも五月蝿い弟妹達も川の字に並べられた布団の中で、それぞれ夢見に就いていた。
集中を邪魔されることもなく、彼はその少女漫画に読み耽っていた。
暫くして、不意に背後の声に気がついた。
「ねぇ?」
「ん?」
その声に彼は顔を向けること無く、素っ気ない返事を返す。
「その漫画、面白いでしょ?」
「うん。」
集中して読んでいる彼は、またしても適当な返事を返した。
「でも、何でキミは勝手にそれをヨンデルノカナ?」
少しトゲのある彼女の言葉に、彼はハッと気付き声の方へ振り返った。
「違うんよ。これはさっき、真優が読んでたから気になって、読み終わった分を片付けてたらいつの間にか、ホラ…。」
もちろん嘘である。妹の真優も読んでたのは確かに事実だが、それは彼女が眠りに着く前話だ。それに片付けている形跡は全く見えなかった。それは彼の枕元に積まれた漫画を見れば明らかだ。
そんな見え透いた彼の嘘を、知ってか知らずか彼女は「まぁ良いわ。ちゃんとあとで片付けてね。」と大して怒る事もなく濡れた髪を乾かし始めた。
彼は少し安心して、それと同時に少しだけドキドキとしていた。
12歳の少女の濡れた髪と、湯上がりの少し汗のにじむパジャマ姿、自分より少し背が高くて、同じクラスの子達よりも少しだけ大人びた彼女の表情に、同い年の彼は、さっき迄読み耽っていた漫画の事を、一瞬忘れて見とれていた。
時間にして本の数秒程度の事。
しかし、ドライヤーで髪を乾かしている彼女は、自分の事を見つめるその視線の主と重なる事は無かった。
目が合えばまた何か文句があるのかとも言われかねない。そう想い、彼はまた、漫画へと視線を戻した。
しばらくして、髪を乾かし終えた彼女も、隣に並んだ布団へ付き、彼の横へ積まれた、読み終えた方の山へと、手を伸ばす。
二人して漫画を読みながら、眠くなるまでの時間潰し。
ふと、横から声がしたが彼は目線は離さず、反応した。
「ねぇ?」
「ん?」
「キミは好きな人とかいるの?」
「いるよ」
「…」
「何で?」
「いや、別に何となく。」
「ふーん。」
「…」
「ねぇ?」
「何?」
「何?じゃ無いでしょ?聞いてんだからちゃんと教えろや‼」
「誰?どんな子?」
彼女の反応に驚き、彼は目線を彼女に合わせた。怒らせると恐い。女性とはそういう生き物なのだと彼は経験上知っていた。
経験と言っても恋愛だとかそういう事ではなく、妹や、母親、そして横に彼女達に寄る影響だ。
仕方なく、取り繕った表情を浮かべ、彼女に釈明とも、謝罪とも言えない様な微妙な反応を返した。
「えー。というか、何で?なのかなーって?思っただけだから。」
彼の引き吊った笑顔を確認し、彼女も再び言葉を繋いだ。
「別に良いやん。学校だって違うんやし、バレる心配だって無いやん。」
「そーかも知れんけどさ…」
彼の煮え切らない言葉に畳み掛けるように、答えを促した。
「良いやん。あたしも教えるけん、キミも教えなよ。」
今日の、幼稚園児や小学生は、彼女や彼氏がいる子も珍しくは無くなったのかも知れないが、この2人が暮らす『この時代の、この地域』では、この位の思春期や思春期前の子達にとって、こういう話題は常に気になった問題であると同時に、恥ずかしかったり、学校での標的となったりする。非常にデリケートで重要な問題だ。
しかし退路を塞がれ、彼は苦々しくも重い口を開いた。
「同じ学校の年下の子。」
「へー。」
「…」
「どこが好きなん?」
「話した事無いけど、可愛いから。」
「ふーん。」
「『ふーん。』じゃねぇよ、俺は教えたんやから、次はそっちの番でしよ?」
「いや、あたしは居ないから。」
「は?何それ?詐欺やん。」
「別に嘘は付いて無いよ。」
彼女は平然と言ってのけて、後の言葉を足した。
「だって、あたしも教えるとは言ったけど、今、好きな人がおるかどうかとは言って無いよ。」
「いや、意味わからんわ。もう良いわ、寝るから。電気消しといて。おやすみ。」
そういって彼は頭まで布団を被り潜り込んだ。
少しだけ安心した自分と、少しだけ期待した自分、それからもうひとつの嘘を彼女に悟られない様に、全部を布団で隠して、眠る為の理由としてごまかした。
彼女は「漫画片付けてから寝なさいよ。」と小さく溢してから、仕方なく布団から起き上がってシーリングライトの明かりを消した。
この部屋に窓はあるが、隣の家や街灯はない。それに今日は新月で月明かりも無い。
遮光カーテンによって外からの僅かな星明かりをも閉ざされた暗闇の中で、彼女は間違って誰かの事を踏んでしまわない様に、そっと足を運び、ようやく元の自分の場所へと戻った。
彼女は窓とは反対の方向へ体を向けた。
今この部屋の人間は、誰にも何も見えない。
彼女の向かいにいる、誰かの気配の先を見つめているのか?
それとも眼を閉じ眠りに就いて居るのか?
それがわかるのは彼女だけだった。