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五 沈吟

 そして葛城は、茂のほうを向いた。

「茂さん」

 左手で、茂の右手を取り、英一の首元に触れさせた。

 茂は、涙が目の中いっぱいに溜まっている葛城の顔を、見た。

「葛城さん・・・・」

「感じますよね。」

「はい。」

「脈拍も、呼吸も、あります。呼吸はやや浅いですが・・・・回数はほぼ正常ですよ。」

「・・・はい・・・・」

 茂は床へと座りこんだ。

 葛城は英一の呼吸をもう一度確認し、そしてベッドカバーとシーツをそっと引きはがして英一の体を点検していく。

「大きな怪我もなさそうです。強い睡眠薬で、眠っておられるだけでしょう。」

「・・・・三村・・・・・・」

「茂さん、ホテルドクターを呼んでもらえますか?」

 茂は立ち上がろうとしたが、あえなく失敗した。

「・・・・」

 葛城が優しく苦笑し、ため息をついた。

「・・・・無理そう、ですね。」

 葛城が電話でフロントへ依頼したホテルの常駐医が到着するまでの間、葛城は英一より茂の介抱に追われた。

 水を飲み干し、深く息を吐いた茂を、ソファーに座らせる。

「大丈夫ですか?茂さん。」

「はい・・・・」

「これ、あいつらが、残していきました」

 葛城は、二十センチ四方くらいの薬品入れを取り出して茂に見せた。

「え・・・」

「睡眠薬の入っていたものですね。ご丁寧に、空きパックと、服用後の注意事項まで入っていました。」

「・・・・・」

「薬の種類は、効き目の早いものと、長いものとの二種類のようですね。名前は難しくて私には理解できませんが・・・・耐性がない人間が服用すると、えっと、五~七時間くらい目が覚めないと書かれてます。」

「・・・・」

「体を温めて、そして、念のため誰かが傍について、呼吸に注意するように、だそうです。」

 茂は唖然として、葛城の手にしているメモや薬のパックに目を注いでいた。

「葛城さん、犯人に会ったんですね」

「はい。あいつらが茂さんにあんな電話をしたのは、もちろん英一さんを発見させるためだったでしょうけれど、同時に、出口を空けさせるためだったんでしょう。」

「・・・・・・葛城さんは、俺の後に、そこに残ってくださったんですね・・・」

「相手が二人だったこともあり、結局残ったところで止められませんでしたが。そしてあいつらは去り際に、私にこんなものを投げてよこしたんです。」

「そうだったんですね・・・・」

 葛城は再びベッドの上の、英一の顔を見た。

「・・・・息があると分かっていても、心配になるような深い眠りですね。」

「あいつら、なんでこんなことを・・・・」

「英一さんと話がしたかったのでしょう。そしてなおかつ、英一さんを傷つけたくなかったのでしょうね。」

「え・・・」

「少しでも抵抗されたら、傷つけたり殺したりしなければならない。そして予想外の事態で、手分けをして、英一さんに対応する人間は一時一人だったのかもしれません。人手も足りません。話が済んだら、あとは薬で眠らせてしまうのが一番だったんでしょう。ただし・・・・」

 葛城は英一の口元に、手を添えるように触れた。

「口の端に少し傷がありますね・・・。薬を飲まされるとき、無理やり何かで口をこじ開けられたんでしょう。それに、水も無理に飲まされたようです。」

 葛城が目をやった、奥のライティングデスク前の椅子の周囲に、かなりの水が散った跡がまだ残っていた。

 やがて、ホテルのスタッフ二人とホテルドクター、そしてほぼ同時に、三村蒼淳夫妻が、部屋に到着した。



 古い高層ビルの中の事務所で、下界の街の静けさとよく似た空気の、しかし煌々と点いた明りの中で、吉田恭子はカンファレンスルームのテーブルに向かう椅子にじっと座っていた。

 業務中のエージェントの持つ通信機につながる、テーブル上のスピーカーから一通りの報告が終わっても、一瞬吉田の応答の間が空いた。

「恭子さん。」

 椅子ふたつ挟んだ席に座っている酒井が、上司に声をかける。

 吉田は息を軽くはき、再び声を出した。

「了解。急な事態に、よく対応してくれた・・・浅香、板見。」

 スピーカーの向こうから、浅香の柔和な声が返る。

「ありがとうございます。では、今回の業務をこれで終了します。」

「これからそちらの拠点でゆっくり休んで、明日・・・いえ今日は、午後の便で戻りなさい。報告は私のほうでやっておく。」

「はい。すみません。」

「疲労は事故を生む。休息は当然のことよ。」

 通信を切ろうとした吉田を、スピーカーの向こうの声が少しためらった後に、引き止めた。

「・・・吉田さん」

「なに?浅香。」

「・・・・三村英一の拉致について、独断でやってしまったこと、申し訳ありませんでした。」

 吉田は鼈甲色の縁のメガネの奥で、目を微かに細めた。

「たしかに・・・・あそこは、セオリー通りならば、殺害を中止するだけにして、いったん出直す場面だったわね。」

「はい。」

「でもその後は、浅香、あなたは全て私の指示に従った。」

「はい。」

「結果オーライな部分もあるけれど、お客様にもご満足いただけた。」

「・・・はい。」

「それが全てよ。我々の仕事は。」

「はい。」

「では、これで通信を終わる。」

 吉田は機器のスイッチを切った。

 椅子の背にもたれ、足を組んで酒井が煙草を咥えた。

「英一さんと州洋さん、ふたりで大芝居打ちはったのかも知れませんで。」

 ちらりと部下のほうを一瞥し、吉田は笑った。

「そうかもしれない。」

「人の心の中なんか、結局わかりませんからな。」

「ええ。だから、やたらに信じたりはしない。」

「はい。」

「そして、やたらに疑ったりもしない。」

 酒井は珍しく、静かに笑った。

「恭子さん、やっぱり、変わりはりましたな。」

「・・・・」

「いえ、全然変わってはらへん、のかも知れませんけどね。」

 火を点けない煙草を咥えたまま、酒井が天井を仰ぐ。

「・・・・・・」

「それにしても・・・・庄田さんのチームにまで、悪い病が伝染してるんと違いますかねえ。」

「・・・・・」

「浅香は、無駄なことなんか、間違ってもせえへん人間やったと思いますけどね。確か。」



 広めのツインルームは、まだ夜明けには早く、使われていないほうのベッド脇の明りだけが暗い室内にぼんやりとした視界を提供していた。

 その室内を何度も歩き回っているつもりだった茂は、誰かに名前を呼ばれ、そして後ろから両肩をつかまれ、一瞬すべてが頭の中で混濁した。

 歩き回っていたのは夢で、そして名前を呼ばれていることと肩をつかまれて揺すられていることが現実なのだと分かるのに、数秒間を要した。

 茂がやっと目を覚まして、声のするほうを見る。

 英一が、床に片膝をついて上体をかがめ、茂の両肩をまだつかんだまま、血の気の引いた顔で茂の顔を覗き込んでいた。

「・・・・英一・・・・?」

 茂が顔だけ動かし、あらためてその琥珀色の目が英一の顔を凝視する。

 英一は茂の肩から手を離し、ほっと息をついた。

「よかった・・・・」

「え?」

 その時点でようやく茂は、自分が、使われていないほうのベッドの、足元の床にうつ伏せに倒れていることに気がついた。

 そして記憶が蘇った。

「お前、どうしてこんなところに倒れている?」

「・・・三村、お前に交代で付き添っていたんだよ・・・・蒼淳さんと、蒼風樹さんと、葛城さんと、それから俺で。」

「・・・・」

「睡眠薬から目覚めるまで、息が止まったりしないか念のために。で、今が俺の番で・・でも眠くて、寝てしまいそうだったから部屋を歩き回っていたんだけど・・・そう、隣のベッドにちょっと腰を降ろしたら、そのまま気が遠くなった。」

「そしてそのまま、床に転落したのか・・・。恐ろしく寝相が悪いな。」

「うるさいなー」

 茂は起き上がろうとして、左手を支えにし、そして思い切り床に頭をぶつけた。

「・・・・大丈夫か?」

「ううー・・・・」

 左手が、ずっと体の下にあったため、しびれてしまっていることに気がついていなかったためだった。

 英一は茂が立ち上がるのを手伝おうとして、自分が先に立ち上がろうとしたが、これも失敗した。

 強いめまいに、額を押さえてふたたび床に膝をついた英一に、今度は茂が声をかける。

「・・・大丈夫か?三村」

「おかしいな・・・」

 英一は自分がさっきまで寝ていたベッドを振り返った。

「まだ薬が残ってるんじゃないか?」

「そのようだけど、さっきはたしかにあそこからここまで、歩いてきたのに。」

「ふうん」

 苦笑しながら英一はうつむいた。

「慌ててたんだな。」

「・・・・」

 左手をぶんぶん振りながら、右手をつかって体を起こし、茂は立ち上がって英一に手を貸した。

 ベッドの端に英一を座らせ、水をコップに汲んで持ってくる。

 水を飲み干した英一は改めて息を大きくはき出した。

 隣のベッドの端に、英一に向かい合うように茂も腰かけた。

「お前、自分が連れ去られてからのこと、覚えてるか?」

「ああ。このホテルに連れてこられた・・・・でも、この部屋じゃない。」

「ここはお前が宿泊してる部屋だからな。お前が寝かされていた部屋は、警察が調べに来てくれたから、作業できるようにお前はここに移したんだ。」

「そうか。」

「お前以外は全員事情聴取されたから・・・三村、お前は、目が覚めて話せる状態になったら、明日、いや今日警察で事情を聞きたいって。」

「そうだろうな。」

「何があったんだ?あれから・・・」

 茂に凝視されて、英一は少し目を逸らした。

「俺を連れ去った人間二人と、しばらくあの部屋で話した。州洋とその母親のことを。あいつらは、州洋にも話を聞くと言った。そして俺に薬を飲ませた。殺すと言っていたけど、眠らされただけだったんだな。」

「あの部屋でお前を見たとき、本当に死んでいるかと思ったよ。」

「・・・そうか」

「お前を薬で殺したって、電話で言われたから。」

 英一は茂の顔を見た。

「・・・俺も言われた。河合警護員を殺す、って。」

「・・・・・」

「だから、目が覚めて、床にお前が倒れているのを見たとき、死んでるんじゃないかと思った。」

「・・・・馬鹿だな、三村。」

「・・・・・」

「落ち着いて考えれば分かるだろ。俺が仮に殺されたとして、どうしてお前の部屋に今放置されているんだよ。ありえないよ。」

「・・・・そうだよな。」

 茂は、あの部屋で眠らされていた英一を発見したとき、自分が英一の呼吸も脈も確認しなかったことには触れないでおいた。

 英一はふと言った。

「州洋さんに、あの後会ったか?河合。」

「うん。お前が発見された部屋で、ホテルの診療所の当直の先生にお前が診察してもらっているとき、来られた。でも、お前の顔を見たらすぐに帰られたよ。お母さんと・・・広子氏と、これから重要な話をしますって。それから、蒼英先生は僕と母の命の恩人ですっておっしゃってた。」

「そうか・・・。」

「なんだかよく分からないけど、お前がいろいろやったことで、あの母子は殺されずに済んだってことだよな。」

「・・・・・・」

「それはすごいことだと思う。でも、三村。」

「なんだ」

「お前は警護員じゃない。州洋さんの肉親でもない。命を危険に曝してまで・・・いや、ほぼ、捨ててまで、どうして州洋さんのためにここまでやったんだよ。」

「・・・・・」

「いつも、俺たちボディガードのことをバカとか言っているけど、他人のことは言えないじゃないか。」

「・・・・別に、州洋先生のためじゃないと思う。お前の言うとおり、俺は警護が仕事なわけでも、州洋さんの家族でもないし。もちろん、州洋先生は大切な、ある意味・・・同志だ。でも俺にとって、この世に誰か、命を捨ててでも助けたい人間がいるわけでもない。」

「だったらどうしてさ。」

 茂の座っているベッドの枕元の明りだけの、ほの暗い室内で、しかし英一の表情がぼんやりと曇ったのがわかった。

「わからないよ。」

「・・・・・・」

 茂は透明度の高い淡い色の目で、じっと英一の顔を、容赦のない強さで見つめる。

「でも・・・なんとなく、誰かのために命をかけるということを、自分もしてみたかったのかもしれないな。」

「・・・してみたかった?」

「すまない、なんでもないよ、河合。」

「・・・・・」

 英一は憂いがよぎった両目を少し伏せ、うつむくように頭を垂れた。

「素人があんなことをして、お前を含めこれだけ多くの人たちに迷惑をかけた。悪かったと思ってる。」

「・・・・・」

「ゆるしてほしい。」

 顔を上げた英一の顔に、茂の表情が映った。茂は怒っても笑っても、そして泣いても、いなかった。

 ただ、軽い驚愕と疑問の混在した目で、ただ英一を見ていた。

「州洋さんがおっしゃっていた。お前は、その感情を全部舞につぎ込んでるって。だからそれ以外のときは、からっぽなんじゃないかと心配になるって。」

「・・・・・・」

「でも、厳密には、そうじゃないんだよ。」

「・・・・・・」

「お前は、そうじゃないんだ・・・・」

 今度は茂がうつむいた。

「河合?」

「今まで、数えきれないくらい、俺たち大森パトロール社を・・・俺の先輩警護員の高原さんとか葛城さんとかを、助けてくれた。でも、俺たちは、三村、お前に何もしてないんだよな。いや、してないというより・・・できない。できないんだ。」

「・・・・・・」

「お前が、そういうものを一切求めてないからだ。もっと言えば、拒絶してるからなんだと、思う。」

「・・・・・・」

「お前は俺とか高原さんとかを、助けてくれる。けど、俺たちが一番してほしいことを、してくれないんだ。」

「・・・何を言ってるのか、よく分からないよ・・・河合。」

「分からないか?」

 茂は大きくため息をついた。

 そして言葉を続ける。

「分からないだろうな・・・だってお前は、本当は気持ちが空っぽなんかじゃないけれど、ひとつだけ、どこかに置き忘れているんだから。」

「・・・・・」

「高原さんもそういうところがあるけど、お前ほどじゃない。お前のそれは・・・・月ヶ瀬さんクラスだと思う。」

「そうか」

「だからお前は、月ヶ瀬さんの心理がとてもよく分かったんだと思う。」

「・・・そうか。」

「でもお前には、月ヶ瀬さんとは決定的な違いがあるんだ。」

「?」

「俺がいるからさ。」

「・・・・?」

 茂は立ち上がり、腕組みをして、英一を見下ろした。

「お前にはお前のやり方があるし、俺には俺のやり方がある。」

「・・・何の話だ?」

「高原さんは冗談言ったり励ましたりしてくれて・・・いつもどこまでもものすごく温かい。葛城さんは、どんなときも天使みたいに優しい。波多野部長は、怒ったり思い切りひっぱたいたりしてくれる。」

「・・・・・・」

「お前は、嫌味ばっかり言いながら、いつも超然として、そして俺たちが困った問題にヒントをくれる。」

「・・・・・・」

「やり方は、人それぞれなんだよね。わかってるよ。俺だって。」

「・・・・・・」

「でも」

 茂は腕組みをした手を解いて下ろし、もう一歩英一に近づいた。

「なんだ?」

「でもたまには、俺の言うことを聞いてよ。」

「何を?」

「三村、お前さっき、悪かったって言ったよね。」

「言った。」

「反省してる?」

「してる。」

「言葉だけじゃなく、態度で示して。」

「?」

「俺のいうことを三つ聞け。」

 英一は怪訝な顔をして茂を見上げたが、やがて素直に頷いた。

「いいよ。」

「お前の結婚式に、俺を招待すること。」

「は?」

「いいな?」

「結婚しなかったらどうするんだ?」

「したら、の話さ。」

「・・・・・」

「ふたつめは?」

「子供が生まれたら、親族以外では最初に俺に連絡し最初に俺に見せること。」

「・・・・・・」

「生まれたら、の話だからね。」

「ああ。」

 茂は咳払いをして、話を続ける。

「お前、最近一人暮らし始めたんだよね?」

「ああ、そうだよ。」

「怪我をしたり、病気になったりしたら、すぐに俺に連絡すること。」

 端正な英一の両目が丸く見開かれた。

「・・・意味が・・・わからない・・・・・」

「独居老人の孤独死が増えてるから。」

「・・・・俺は老人じゃないし・・・それに、そもそも誰かに助けてもらわないといけないような状態になったら、すでに誰にも連絡なんかできないんじゃないか・・・?」

「それはそうだから、健康保険証に、メモを書いて貼っておけ。」

「・・・・・・・・」

「『河合茂はすぐに呼ぶこと』と書いて貼っておいて。できないとは言わせない。」

「・・・なに言ってるんだ・・・・」

 茂はベッド脇の備え付けのメモ用紙とペンを取り、今言った文言と自分の携帯電話の番号とを書いて、英一へ差し出した。

 英一はあきれた顔をしばらくして、やがてその表情を苦笑に変え、さらにそのまま、その端正な唇を噛んだ。

 茂は目をみはった。予想外のことが起こっていた。

 英一の両目から、信じがたいような大粒の涙が零れ落ちていた。

「・・・三村・・・?」

「・・・・・・」

 しかし茂より、もっと驚いていたのは、英一本人のようだった。

 英一は自分のひざに次々と落ちる涙の滴を、ぼんやりと見つめていた。

 茂が右手を伸ばし、その指先が英一の頬に触れた。

「やり方は人それぞれなんだろうから、俺はお前に特定のやり方を強要することなんかできないけど。でも、俺がわけわからなくなったとき、高原さんや葛城さんは、こうしてくれた。」

 茂は両手で英一の頭を引き寄せた。

 英一の抵抗はなかった。

 その漆黒の髪をした頭が、少しうつむき加減のまま前傾して、そして額が茂の胸についた。

「・・・・・」

「どうして、誰でもいいから誰かのために命をかけたいとか、思ったんだよ。」

「わかんないよ。」

「どうしてお前は誰にも甘えないんだよ。」

「・・・・・・」

「傷つけあうこととか、重荷になることとか、それから・・・・、失うこととか。そんなにこわいか?」

「・・・・・こわい。」

「求めても、得られないことも?絶対に、得られないことも?」

「ああ。」

「何にも執着したくない。誰にも依存したくない。そうなんだよね?」

「そうだ。」

「でも、それでも、誰かを愛してしまう。」

「そうだな。」

「くるしいよな。」

「ああ。」

「すべてが、苦しいよな。」

「・・・ああ。」

 茂は、英一の漆黒の髪をした頭に、自分の額を置くようにつける。

「そういうときはさ、ひとつのことしかできない。」

「・・・・・・」

「泣くことしか、できないんだ。多分、誰もが。」

「・・・・・ああ、・・・・そうだな。」

「助けてやれなくて、ごめん。三村。」

「・・・・意味がわからないよ、河合。」

「なにもできない。でも、泣くお前の、傍にいる。いつも、傍にいる。」

「・・・・・余計なお世話なんだよな・・・・河合。」

 茂と英一は、長い間、そのままでいた。

 窓のレースのカーテン越しに、かすかに朝日が光を届けはじめていた。

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