表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

四 対面

 葛城の部屋で、重い空気の中、三村蒼淳が冷静でいようと努めているのが茂にもわかった。

「警察からまだ連絡はありません。そんなに簡単に見つかるはずはないでしょうが・・・・」

「蒼淳先生は少しお休みください。我々の電話番号も伝えてありますから。」

「ありがとうございます、でも一日警護をして葛城さんたちこそお疲れでしょう。」

 葛城は複雑な表情で、しかしなんとか笑顔をつくった。

 蒼淳が自室へと戻っていった後、ドア口まで見送った茂はふと隣の葛城のほうを見た。

「あの、葛城さん・・・・」

「はい。」

「やつらは、どうしてあのとき、そもそも三村を連れ去ったんでしょう。」

「そうですね。州洋氏が茂さんに話したとおり、広子さんが州麻氏殺害犯で、彼らが広子さんを殺そうとしたのなら・・・・たとえ英一さんが妨害したとしても、その場で襲撃をあきらめるなりあるいは見せしめにその場で英一さんを殺すなり、するはずですね。」

「その場で殺さず、別の場所で殺す、そんな必要があるんでしょうか。」

 葛城は部屋の中央までゆっくり歩く。

「・・・殺さないことにした、そう考えたいです。しかし・・・もう一つの可能性としては・・・」

「はい・」

「英一さんはあのとき、襲撃者になにか言っていました。」

「・・・・・」

「そのことが、襲撃者に、殺す前に英一さんと話をしたいと思わせたのかも知れません。」

 茂はドアに背をぶつけるように体を預け、宙を見た。

「はい」

「大丈夫ですか?茂さん」

 葛城が心配そうな顔で茂を振り返る。

「・・・葛城さん、俺がオートバイで追った後、すぐに、ハイヤーは乗り捨てられていました。」

「そうですね。」

「考えたら、やはり・・・・不自然です。」

「はい。」

「・・・警察が調べているとは思いますが、もしかしたら、あれは、別の車だったんじゃないでしょうか。」

 葛城は頷いた。

「そうかもしれませんね。そっくりにつくった、もう一台の別の車。つまり、そこで追手を留める必要があった。ということは・・・」

「はい。奴らは、俺たちが想像しているより、ずっと近くにいるのかもしれないです!」

「・・たとえば・・・・」

「灯台もと暗し、ですよね!」

 茂はドアから背を離した。

 葛城が茂に近づく。

「もともと、彼らは、広子さんを狙っていた。広子さんを殺すように依頼した人間は、ホールで広子さんを殺すことを好まず、連れ去るように指定したのかもしれません。そして・・・」

「泊っているホテルで、広子さんの死体が発見される予定だったとしたら・・・・」

「英一さんは、このホテルのどこかにおられるという、可能性は、ありますね。」

 茂は急にうつむいた。

「でも・・・」

「はい。見つけることは、ほぼ不可能ですね。」

「警察じゃないですからね、俺たちは。」

 しばらくうつむいて黙っていた茂は、やがて、顔を上げて改めて目の前の美貌の先輩警護員を見た。

 奇妙な決意の色がその表情に浮かんでいた。

「力技しかないです。」

「え?」

「都会ならともかく、こんな田舎で夜中のホテルを出入りする者はあまり多くないです。そして犯人は、普通やっぱり、夜が明ける前に逃げたいと思いますよね。」

「茂さん、もしかして・・・・」

「念のためにつくっておいたホテルのルートマップでは、一晩中出入りできるのは、正面玄関と、裏のスタッフ用出入り口と、それに隣り合った荷物搬入搬出口です。」

「張り込みですか?茂さん。」

「はい。朝まで。」

 葛城はしばらく目をまるくして茂を見ていた。

 そして、美しい顔をほころばせ、微笑んだ。

「わかりました。メイン警護員のご指示とあらば。ただし、波多野部長の許可はとりますね。」

「お願いします。すみません。」



 瑞原州洋が部屋に戻ると、広いツインルームには誰もいなかった。

「こんな時間に、母さんはどこへ・・・・」

 しかも、出る時はついていなかったテレビがついており、そしてそれはかなりの音量だった。

 部屋のドアを閉め、明りをつけたとき、部屋の中に瑞原広子ではない人影を認めて州洋は驚愕した。

 あまり背の高くない、そして宝石のような硬質な光り方をする目をした、ごく若い青年がこちらを見て微笑んでいた。

「こんばんは、瑞原州洋先生。わたくし、板見と申します。」

「・・・・・」

「さきほどお電話したのはわたくしです。待ちぼうけさせてしまい申し訳ございませんでした。」

「では、あなたが・・・・・蒼英先生を・・・・・・」

「はい。」

「まさか、母も?」

 板見は声を出して短く笑った。

「広子さんに危害は加えていません。お話を聞かれたくないと思いましたので、少し余所へ誘導させていただいただけです。」

「・・・・・・」

「お尋ねしたいことがございます。よろしいですか?」

「蒼英先生を、返していただけるなら。」

「もうすぐ会えますよ。ただし、質問にお答えいただかないと、そうもいかなくなりますけれどね。」

「わかりました。」

 テレビの音声がひときわ高く響く。

 リモコンに触ろうとして、州洋は板見に制止された。板見の手には、細く銀色に光る刃物が握られ、まっすぐに州洋のほうへと向いていた。

「動かないでくださいね。なにしろ人手が足りないもので、ちょっとしたことであなたを殺さなければならなくなる。お話するまえに殺したくはない。」

「・・・・」

「州洋先生、殺人犯人は、お母様の広子さんですね?」

「・・・・」

「お答えください。」

「・・・・そうです。」

「なぜ、そう思われましたか?」

「母が州麻氏殺害を依頼した相手らしい人物と、電話で話すのを一度聞きました。確かではありませんが、しかし、勘が、そうだと告げていました。」

「勘ですか。」

「毎日毎日一緒にいる、親子だったら、そういうことってわかるものです。州麻氏が亡くなった日は、母は明らかにおかしかった。彼の死を知る前に、私は、なにかあったとわかりました。」

「そうですか。・・・・では、州洋先生。」

「はい。」

 板見は、ナイフを持った手を数センチ高い位置へと上げた。その先には州洋の喉仏があった。

「お母様を我々が殺そうとしたことは、お分かりですね?」

「はい。」

「そして今も、その目標は変わっていません。」

「はい。」

「しかし、我々は血も涙もないわけではない。もしもあなたが、お母様の代わりに犠牲になるなら、お母様を殺すのは、やめます。」

「・・・・」

「どうですか?」

 州洋は唾をのみ込み、すぐ前に立っている大きな目をした青年の顔をまじまじと見た。

「・・・もう、母を狙わないということを、どうやって信じればいいですか?」

 板見が、暗殺者に似合わない、あどけなさの残る顔で微かに苦笑した。

「州洋先生自身がご判断になることです。我々は、依頼人のご指示に基づいて仕事をする。今日は、蒼英先生に妨害されたので、中断しました。蒼英先生の意図が知りたかったからです。そして、蒼英先生のご友人であるあなたのお話も聞くことにいたしました。そしてあなたのご判断をうかがう。その上で、依頼人のご意向に沿って方針に必要な変更を加えます。これが我々の仕事のやり方です。どう解釈されるかはご自由ですよ。」

「・・・・・」

「どうなさいますか?お母様の命ですか?あなたの命ですか?」

「・・・・私の命を、差し上げます。」

「そうですか。」

「犯罪を犯したのは母ですが、罪人は私のようなものです。」

「と、おっしゃいますと?」

 州洋は、その丸顔に似合う小さな優しそうな目に、自分を嘲るような色をよぎらせ、ため息をついた。

「母は、私の出世だけが生きがいといってもよかった。自分にできなかったことを、全部私に託した。それがイヤだったはずなのに、私は、母から独立することをサボった、怠惰な卑怯者です。縛られるのが嫌なくせに、どこかで、縛られている安心感に甘えている。自由になりたいくせに、不自由を享受している。母の絶望を買ってまで歩き出す勇気も自己責任もない、単なる幼児・・・・。」

「・・・・・」

「自分のずるさを、親への愛情や孝心と勘違いしていたんです。いわば、半ば、母のおかしさを助長したのは、半分以上は私の責任なんです。」

「・・・・・」

「だから、私が殺したようなものです・・・州麻先生も・・・・。」

「わかりました。」

「あの・・・・」

「なんですか?州洋先生。」

「ふたつ、お願いがあります。」

「はい」

「まず、母がなるべくショックを受けないように、あまり血まみれにならないような殺し方で・・・お願いします・・・・」

「わかりました。」

「それから・・・・あなたたちに殺人を依頼した人たちに、くれぐれも、お伝えください・・・・本当に、申し訳ありませんでした、と。」

「・・・・・」

 板見は、ヘッドフォン型の通信機器を操作し、しばらく沈黙していた。

 数秒後、大きな目を再び州洋へと向け、板見が淡々とした口調で言った。

「我々の依頼人から、最終ご指示がありました。殺害は中止します。」

「え・・・・」

「瑞原広子氏も、そして州洋先生、あなたも、今の瞬間からもう我々のターゲットではありません。」

「それじゃあ・・・・」

「はい。もう我々がこの件であなたたちを狙うことはありません。それでは、もうここにいる理由もありませんので、これで失礼します。」

 板見はさっさと州洋の脇をすり抜け、廊下へ出るドアへと向かった。

「待ってください、蒼英先生は?それから、母は?どこに・・・・?」

 振り向いて、板見は少し苛立った表情で答えた。

「お母様は・・・・さきほどから全部我々の話をお聞きになっておられますが、クロゼットの中で、ちょっと手足を縛って拘束させていただいています。お手数ですが、あとはよろしくお願いいたします。」

「蒼英先生は?」

「・・・・。」

「どこにおられるんですか?」

「黙っていても、もうすぐ・・・・会えますよ。」

 板見はそれだけ言うと、部屋を出ていった。

 州洋が慌ててクロゼットを開けると、両手両足を縛られしっかりと猿轡もかまされた瑞原広子が、州洋のほうを見て低い声で唸っていた。



 浅香は通信を終えると、後ろのライティングデスク前の椅子の上で、縛られたままぐったりと頭を垂れている英一を振り返った。

 立ち上がり、ベッドを整えると、まず英一の靴を脱がせる。

「お体は、丁寧に扱いますよ。」

 ナイフを取りだし、英一の両手両足を拘束していたロープを切り裂く。解放された英一の体が椅子から崩れ落ちるのを支え、浅香は両腕で英一を抱き上げてその体をベッドの上へ移した。

 きちんと足を揃えて横たえ、そして白いシーツを胸のあたりまでかける。さらにベッドカバーで、やはり胸から下を包むように覆った。

 部屋を片づけ、荷物を全て手にすると、浅香は最後にベッドの上の英一のほうへ向き直り、一礼した。

「失礼します。三村さん。お許しください。せめてこれから、あなたの一番大切な人へ、ご連絡を入れましょう。」



 茂はホテル裏の従業員用入口が視界に入るよう注意しながら、荷物搬入搬出口の内外をゆっくりと何度も円を描くように歩いていた。

・・・「あれからずいぶん時間が経っています。とっくに奴らは逃走しているかも知れませんよ。」 「それでもやります。」「警報装置まで解除して他の出口から逃げてしまうかもしれません。」「はい。それでも。」

 葛城とのやりとりが、そしてその後葛城が見せた優しい微笑が、蘇る。

「ありがとうございます、葛城さん・・・。」

 茂は小さくつぶやいた。葛城は、正面玄関の前を担当してくれている。ホテルフロントから丸見えの入口のため、スタッフに怪しまれないようにするのが大変だろうし、既にかなりの長時間、この「張り込み」は続いている。食事も睡眠もなしに、しかも仕事でもないことのためにこんな真夜中に先輩警護員を酷使していることが、つらい。

 そして、英一は今どこで、どんなふうになっているのだろうかと考えてみる。

 このホテルにいる。それは推測であると同時に、直感でもある。しかし、どの部屋で、今誰と一緒なのか。ひとりなのか。自分にどうしてテレパシーがないのだろうかと思う。

 そしてなにより、疑問だった。なぜ、あんなことをしたのかが。

「三村は、俺とか高原さんとかをよく馬鹿と言ってたけど、自分のほうがよっぽど・・・・・。」

 今日の公演のとき、瑞原州洋が言っていた。英一は、舞いに全ての自分の思いをつぎ込んでいる。だから舞があそこまで魅力的なのだが、同時に、それ以外のときに誰かに心を移したりするゆとりがあるのだろうか、と。

 舞をしていないときは、抜け殻。州洋氏はそうも言った。

 ちがう。抜け殻どころか、いつも英一はあの高原晶生警護員と同じくらい怜悧で明晰だ。からっぽというのとは対極にある。

 しかしやはり州洋氏の言うとおりなのかもしれない。

「そうだ・・・・三村は、感情が、空っぽなのかもな。」

 そしてすぐに茂は、それも否定した。

 高原がいつか、警護について自分を異常に責め、錯乱に近いパニック状態になったとき、墓地で高原を見つけて彼の目を覚まさせようと迫った英一は、感情が抜け殻どころか、感情の塊だった。

 それは確かに、山添が驚いていたとおり、いつもの英一からすれば信じがたいことだった。しかし現に、そういう英一も、いたのだ。

 茂は、別の先輩警護員の月ケ瀬透について、英一が言っていたことを思い出した。

「他人から本当に自由な人間は、寂しいというより本人は幸福。」「誰にも頼らないかわりに、誰からも頼られないことも。」「考えたり、心配したり、そういうこと自体が、なにより本人にとって、無用なこと。」

 茂は、監視中にも関わらず、思わずうつむいていた。

「三村・・・・・」

 あれは、英一自身のことだった。単に、そういうことだった。

「・・・・お願いだ。・・・無事でいてくれよ・・・・」

 集中力を呼び戻すように、茂は両手で自分の頬を叩き、視線を地上に戻す。

 そしてその注意力は、すぐに鳴り始めた携帯電話のコール音に再び途切れさせられた。

 携帯電話を取り出し、茂はその発信者不明の電話に応答した。

「はい。」

「河合警護員さんですね?三村英一さんに、今日、仕事の妨害をされた者です。」

「・・・・!」

「瑞原流のメイン警護員を務められたこと、それから、大森パトロール社で一番三村さんとおつきあいが長いことから、あなたにお知らせをと思いました。」

「・・・三村はどこにいる?」

「我々の仕事を邪魔した方は、どなたであろうと、殺さなければなりません。しかしそのやり方は、いくつもあります。」

「・・・貴様・・・・!」

「三村英一さんは、尊敬するに値するかたでした。そういうかたは、我々も特に丁寧に処遇します。」

「・・・・三村に、何をした!」

「苦しまずに済む方法で、殺害しました。」

「・・・・・」

「薬品を使いましたので、お体にも傷ひとつついていません。」

「・・・・殺した・・・・?」

「まだ冷たくなっていないはずです。早く行っておあげなさい。あなたが見張っておられるホテルの、七階の、○○号室です。」

 電話は一方的に切れた。

 茂は数秒間そのままじっと立っていた。

 インカムから何度も呼びかけられ、ようやく茂は反応した。

「はい・・・・」

「茂さん、・・・殺したと、犯人は?」

「・・・・・七階の、○○号室だそうです。」

「茂さん」

「行きます、俺。」

「茂さん!」

 この後、何度葛城が呼びかけても茂からの返事はなかった。

 葛城は正面玄関を後にし、ホテルの裏まで回った。ついさっきまで茂がいたはずの従業員用出入り口と、荷物の搬入搬出口の間あたりまで来ると、そのまま立ち止り、待った。

 ほどなく、期待していた人物は現れたが、先に相手を発見したのもその人物のほうだった。

 葛城はそのとき自分の体が向いていた従業員用出入り口ではなく、斜め後ろの荷物用搬入搬出側から人の気配と声がして振り返った。

 見えた人影はひとりだった。長身の、やや長い髪のその青年に、葛城は見覚えがあった。

「こんばんは。大森パトロールの、葛城さん。」

「・・・・」

「いつぞやは、大変お世話になりました。山添さんが一命を取り留められて、よかった。」

「・・・阪元探偵社の、人ですか」

「浅香と申します。よろしくお願いいたします。」

「英一さんを、殺したのですか?」

「はい。残念ながら。それが我々の原則ですから。」

「・・・・」

 葛城は、腰のスティールスティックの留め金へと右手をずらしていく。

「あなたと争うつもりはありませんよ、葛城さん。」

「殺人者を、ここから出すわけにはいきません。」

「前も思いましたが、祐耶も言っていたとおり、とても感情がわかりやすいかたですね・・・・しかも、信じられないほど、美しくていらっしゃる。」

「・・・・・あなたの後ろにもう一人、いますね?ふたりがかりで、英一さんを・・・」

「葛城さん。河合警護員への我々からの電話の後、ここで我々を待った冷静さと・・・その、怒りがどれだけ露わになっても失われない美貌とに免じて、よいものを差し上げましょう。」

 浅香は、右手を内ポケットへ入れた。

 葛城は反射的に身構えた。



 エレベーターを待つのがもどかしく、茂は階段から七階の○○号室めがけて上がった。

 妙な勢いで、これまでの英一との、様々のことが、茂の脳裏に次々と浮かんできた。

 会社の同期として初めて会ったとき、なんという愛想のない奴かと思ったこと。

 別の部にいても会議などで顔を合わせるたび、一言以上嫌味を言われたこと。しかしいつもその内容が的確なので反論できなかったこと。

 大森パトロール社の警護員として初めての普通の警護業務の、クライアントが英一だったこと。その一週間の警護業務の、前半、極めて彼が警護に非協力的だったこと。

 しかししつこく彼を追いまわす茂と葛城に根負けしたように後半は協力してくれたこと。

 そして、その後、葛城を助け、高原の相談に乗り、常に冷静な第三者として大森パトロール社の警護員たちの支えになってくれたこと・・・・。

 ただし、平日昼間の会社で、茂と同じ部署の同じ係になっても、茂と英一とはちっとも仲良くならなかったこと。

 ふたりをつなぐものは、大森パトロール社の先輩警護員たちへの共通した敬意だけのようであったこと。

「でもさ、三村・・・・・。考えたらさ、いつもお前は・・・・」

 七階まで駆け上がり、茂は廊下に出て、○○号室まで走った。

 それは角部屋で、扉は閉まっていたがドアの隙間にカードキーが挟んであり、翳すとドアは開いた。

 広々とした部屋の中央に、壁につけて大型のベッドがあり、その上に、シーツとベッドカバーで胸のあたりまでを覆われて、英一が仰向けに横たえられていた。

 両目は閉じられ、唇は微かに開き、そして顔色はすでに蒼白になっていた。

「三村・・・・」

 足音を忍ばせるように茂はベッドへ近づき、英一の顔を見た。

 苦しんだような表情はなかった。

 右手を伸ばし、英一の頬に触れる。まだ温もりが感じられた。

「・・・どうしてだよ・・・・」

 左手も恐る恐る伸ばして、茂は両手で英一の両頬にそっと包むように触れた。少しだけ左へ傾いていた英一の顔を、真上へと向け、向き合うように見下ろす。

「目を開けてくれよ、三村。お願いだ。」

 震える茂の両手の中で、英一の顔はただ目を閉じたまま、あらゆる反応を静かに拒絶していた。

「俺は、まだ、お前に・・・・言っていないことがあるんだ・・・・・。」

 英一の顔に、大粒の涙が次々と落ち、滴を散らしていく。

 茂はそのままベッド脇に両膝をついた。茂の両手が離れた英一の顔は、再び少し左に傾いた位置まで戻り、そのまま静止する。

 ドアが激しくノックされ、茂は立ち上がり覗き窓も確認せずにドアを開けた。

 入ってきた葛城が、茂を見てその両肩に手を置く。

「茂さん、英一さんは?」

「ベッドの上です。」

 葛城は茂の脇を抜けてベッドへ近づいた。

 茂も後に続く。

 そっとそのやや華奢な右手を伸ばし、葛城は茂の涙の滴が残る英一の蒼白な頬に触れ、そしてそのまま手を滑らせるように下がらせて首に、最後に唇に触れた。

 横顔の葛城の目に、涙が滲んだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ