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一 予感

三村英一が主役の回です。

 河合茂は、平日昼間勤めている会社の自席で、珍しく、終業ベルが鳴っても固まったようにぼんやりと座っていた。

 隣の席の、ベテランの係長が茂のほうを見て慈愛に満ちた笑顔になった。

「河合さん、なんだか落ち込んでますね。」

「は、はい・・・・あ、いいえ・・・・・」

「三村さんに今日の会議で散々やりこめられたことですか?」

「いえ、あれは俺が十分確認しないで案を出したから・・・」

「じゃあ、その後取引先から苦情の電話が入って三村さんに散々怒られたこと?」

「えっと・・・・」

「それとも、来週までにやっておくようにファイル四冊分の過去事例分析を宿題にもらってしまったことかな」

「ううー」

 大きなため息をついて茂は机に突っ伏した。

 係長もため息をついて茂のほうを改めて見る。

「君達は同期入社なんだから、もっと仲良くできないものですかねえ。」

「・・・・・・」

「三村さんは有能だけど、なんだか河合さんへのあたりがきついよね。河合さんも、三村さんに言われると、他の人に言われるよりダメージが大きいみたいだし。」

「はあ・・・・」

「三村さんのこと、苦手?」

「だってあいつは、偉そうで傲慢で上から目線で歯に衣着せなくて血も涙もなくてついでにドSですもん。」

「そうねえ」

 係長は前を見て、椅子にもたれて天井を仰いだ。

「でも、それって基本的に河合さん、君に対してだけなんだよね。」

「・・・・・」

「もしかして河合さん、なにか三村さんに個人的に恨まれるような覚え、ない?」

「ないです。」

「そうだよねえ。今度また、三村さんと話をしてみるよ。」

「よろしくお願いします。」

「今日は三村さんは副業、いや、本業のほうがあるって急いで帰っていったけど、河合さんのほうは副業は大丈夫なの?」

「いえ、これから行かせていただきます。いつも、残業がないようにご配慮いただいてしまってすみません。」

「いいんですよ。ワークライフバランス。育児がある人も介護がある人もいる。副業がある人もいる。皆公平にしないとね。今日もお仕事頑張って、大森パトロール社の河合警護員さん。」

 茂は頭を下げ、そして会社を後にした。



 三村英一は、副業というより本業の、日本舞踊の師範としての仕事をいつもの通り精力的にこなしていた。

 平日昼間勤めている会社から私鉄でしばらく行ったところにある稽古場には、週末ほどではないが多くの弟子だけではなく、見学希望者が常に何人も詰めかけている。

 長身の美青年である英一のその容貌だけではなく、舞そのものも彼が人気を得ている理由だった。

 河合茂の絹糸のような茶髪と対照的な漆黒の髪、そしてやはり茂の透き通る琥珀色の目とは全く違う真っ黒な目は、その攻撃的ともいえる鋭利な刃物のような舞のスタイルによく似合っている。

 会社帰りに稽古をつけるときも、英一は必ず着物だけではなく袴をつける。それは、舞踏家三村蒼英として、弟子たちに常に全力で立ち向かうことの、ひとつのしるしのようなものでもあった。

 平日夜の稽古はひとり三十分ほどで、夜の七時から十時ごろまでかかる。稽古を受ける弟子だけではなく、見学だけのために来ている弟子や、入門前の見学者が、部屋の奥に数十人常に陣取っている。

 夜十時を過ぎ、入口で見学者を笑顔で見送り、英一はふっとため息をついて畳敷きの室内へと戻った。

 二人の、弟子兼助手たちが部屋の片づけをしている。

 そしてもう一人、部屋に残っている人物がいた。

「蒼英先生、お疲れ様でした。」

「蒼雅先生・・・」

 若い小柄な和服姿の男性が、笑顔で英一の顔を見上げていた。

 二人は三十分後、近くの店で食事をしながらやや小さな声で会話をしていた。

 洋服に着替えた英一はやはりその容姿が人目をひき、しょっちゅう近くを通る女性たちが数秒間凝視していく。

「相変わらず人気者ですね、蒼英先生は。」

「いえ・・・」

「宗家の息子さんとはいえ、師範たちがこれだけいつもお稽古を見学に来ているのは、やはり尋常なことではありません。」

「・・・・」

「蒼英先生は、家元であるお父上も、かなり最後まで次期家元にと悩んでおられたと聞きます。」

「そうでもないと思います。兄との実力の違いは私もよく分かっていましたし。」

「実力は蒼英さんも十分ですし、むしろ上だと考える者もたくさんいます。兄上の蒼淳先生は正統派ですが、蒼英先生の個性に惹かれる者は多い。」

「家元に向くのは正統派です。父の判断は正しかった。」

「そうかもしれません。しかし貴方が良くても、周囲が放っておかない。このままでは済まないような気がしています。兄上の蒼淳先生は、お父上と血がつながっておられないし・・・」

「そういうことは、どうでもいいことですよ。」

「確かに。ただし、貴方の舞の信奉者にとってはそれは大きな事実でもあります。先生、単刀直入に申し上げます。」

「・・・・・」

「新たな流派を、お立てになりませんか?」

「・・・・・」

「先生が決意され次第、三村流を離れる覚悟の者が、師範仲間だけで数十名おります。名簿もお渡しできます。」

「・・・・・」

「もちろん、資金のご心配も無用です・・・・。それに・・・」

「それに?」

 三村蒼雅は、メガネをかけた細面の小さな顔で、微笑んだ。

「私生活上も、ちょうど良いタイミングなのではないかと。・・・蒼淳先生が蒼風樹先生と結婚されて、お家元の家で同居されるのを機会に、蒼英先生、貴方は家を出て一人で暮らし始められたわけですから。」

「・・・・まあ、そうですが。」

「我々は、先生の情熱に心酔しています。そして、痛々しくもある・・・。なぜ副業をおやめにならないのか。なぜ宗家の人間としての責務をはるかに超えた、流派のための営業努力をこうも精力的に続けられるのか。先生は、ご自分が宗家の中で突出してはならないと思っておられる。正統派でないことをむしろ自分の責務と思っておられるかのようだ。なのに、なおかつ、ご自分の舞を、ひとりでも多くの人に理解してほしいと思っている。本当はそう思っておられる。そうなのではありませんか?」

 英一はなにも言わず、テーブルの上に視線を落とした。

 蒼雅はたたみかけるように言葉を継いだ。

「流派の中の、不協和音をそのままにしておくより、きちんとけじめをつけたほうが良いことがままありますよ。例えば・・・・瑞原流のこと、ご存じですよね。」

「ええ、今の家元が、家元になるためにライバルを暗殺したとかいう、とんでもない噂までありますね。」

「噂じゃないかもしれませんよ。現に瑞原流の家元が、何度か暴漢に襲われているそうですし。」

「・・・・・」

「個性の違う人間が、ひとつの家元の座を奪い合わなければならないのが、おかしいんです。それぞれ自立していれば、ああいう悲劇はなかったでしょう。」

「穏当ではありませんね。」

「それだけ、貴方を信奉する人間が多いということですよ。是非、ご検討ください。お待ちしております。お返事は、急ぎません。」

 蒼雅は笑顔でそこまで言うと、ゆっくりと席を立った。



 街の中心にある古い高層ビルに入っている事務所は、夜になってもカンファレンスルームのドアから細い光が漏れていた。

 室内のテーブルには、奥の席には身長百六十五センチくらいの青年が座り、手前には背の高い青年が端末を手元に置き、その話を聞いている。

 奥の席の青年は男性にしては背が高いほうではないし体も細く、顔は透き通るように色が白い。しかしその涼しげな切れ長の目から視線を受けると、手前の青年は自分より遥かに華奢なその上司の、何か脅迫にも近い確信を受け、身動きできなくなるように見えた。

「準備時間が非常に短かったですが、なんとか間に合いました。感謝します。」

 小柄な上司は、ほんの少し表情を和らげ、その切れ長の両目で部下を見た。

「いえ・・・庄田さんが毎日遅くまで・・・・」

「部下が上司を労う必要はありませんよ。浅香さん。」

「はい。」

「今回の仕事は、吉田さんのチームの担当ですが、殺人そのものの計画と実行はうちのチームに割り振られました。」

「はい。」

「うちのチームにはアサーシンはいません。卵はいますがね。五人のメンバーのうち、浅香さん、あなたを指名したのは社長です。」

「はい。」

 庄田の顔を見ながら、浅香は上司の意図をやや汲みかねていた。

「それがどういうことか、多分わかりかねているとおもいますから・・・・。社長は、吉田さんのところのアサーシン、深山に今回の仕事をさせたくないんだと思います。そして同時に、私に本当はそれをやらせたかった。私が現役だったらね。だから、あなたを指名した。」

「え・・・」

「大森パトロール社が警護を請け負う可能性が高いからでしょうね。まだ依頼はないようですが。」

「そうなのですね。」

「我々阪元探偵社は、なぜかあの警備会社が苦手です。」

「はい。」

「あなたも、前に一度彼らを見たとき、そのことが少しわかったでしょう?」

「・・・・はい。なんだかおかしな、人たちですね・・。」

「おかしいだけじゃなく、関わった人間に、とても良くない、しかも中途半端な影響を与える・・・そんな人たちです。」

「・・・・・」

「しかも優秀。社長がうちへ引き抜こうとした人間がいたくらいですから。」

「はい。」

「仕事としては難しいものではありません。難しいのは、むしろ社長に対して、ですね。阪元社長は・・・・・あなたを私の代わりと考えている。」

「え?」

「前回私の指示で、嘘をついたあなたを、ね。」

「・・・はい。」

 庄田は目を伏せ、そして再び開き、向かいの席の長身の部下の顔を見た。

「吉田さんの指示をよくきいて、行動してください。」

「はい。」

 庄田は、椅子をひいて立ち上がった。部屋の出口へと向かう。その足取りはよく見なければわからないが僅かに左脚を引きずるようにしている。

 上司を見送り、浅香はテーブルを片づけ、部屋の明かりを消した。



 大森パトロール社の事務室は茂が平日昼間勤めている会社と同じ最寄駅だが、駅の反対側の雑居ビルの二階に入っている。

 土日夜間限定で茂は登録し警護員をしているが、茂が尊敬する先輩警護員達は皆フルタイムで勤務している。警備会社は土日も夜間も関係なく活動しているが、茂が立ち寄る平日夜は、警護の仕事がなければ大概先輩たちのうち誰かは事務所にいる。

 茂は事務所入り口に入ったとたん、固まって立ち止まった。奥の応接室からちょうど出てきた上司の波多野部長と並んで、談笑しながらこちらへ歩いてくる人物が目に入ったからだった。

 波多野が茂を見つけて、笑いながら声をかける。

「おう、茂。」

「こ、こんばんは・・・・」

 波多野の隣の、日本舞踊三村流家元の三村蒼氏が笑顔で茂に向かって会釈した。

「河合さん、ご無沙汰してます。いつも英一がお世話になっております。」

「あ、いえ、お世話されているのはむしろわたくしのほうで・・・・・」

 相変わらず私服だととても日本舞踊の一流を率いる者には見えずただのおじさんにしか見えない三村蒼氏が、笑顔で事務所を去った後、茂は上司に恐る恐る尋ねた。

「あ、あの、まさかというか、きっとというか、もしかして・・・・・・」

「そうだ、しばらくぶりに、お前に、三村英一さんの警護が依頼されたぞ。」

「えええええっ!」

「冗談だ。」

 茂が顔面蒼白になったのを見て波多野がすぐに否定したが、茂はめまいを起こしてすでに近くの席の椅子に倒れ込んでいた。

「・・・・・」

「お前、ほんとに英一さんのことになると、だめだめだな。」

「・・・・・」

「そんなに毛嫌いするなよ、いい人なのに。」

「そうだぞ、河合」

 違う声がして茂が振り返ると、茂が尊敬する先輩警護員のひとり、高原晶生が立っていた。

「高原さん・・・・」

 さらにその後ろに、茂が尊敬するもうひとりの先輩警護員の、山添崇もいた。

「河合さん、俺もそう思いますよ。」

「ううう・・・・」

 高原晶生はすらりと背が高く、メガネの似合う知的な瞳に不思議な愛嬌が同居した、爽やかな短髪の青年だ。大森パトロール社きっての有能な警護員である。山添崇は高原と同じく大森パトロール社が始まったときから所属しているやはり有能な警護員だが、やや長めの茶髪や愛らしい童顔は少し茂と共通している。ただし、警護に必要な武道を除いてあまりスポーツをしない茂と異なり、トライアスロンが趣味でよく日焼けしている。

 茂は話題を変えた。

「や、山添さん、退院されてまだ日が浅いと思いますが、もうお仕事なんですか・・・・?」

「いえ、今日は近くで晶生と怜と食事する予定なんですが、その前に。」

「その前に?」

 山添は、目の前の波多野営業部長のほうを見た。

「波多野さん、すみません、少しお時間ありますか・・・?」

「ああ、かまわんが?」

 波多野と山添が応接室へ入るのを見送りながら、高原が茂に声をかける。

「河合、お前さ、三村さんとまだちゃんと仲良くできてないんだな。」

「ちゃ、ちゃんとって、高原さん・・・」

「会社で目の前に座っているとかえって色々話がしづらいのもわかるけどさ。三村さんを、どう思っているんだ?河合」

「え・・・・」

「お前は昼間の会社で同期入社だよな。それに、大森パトロール社の警護員としての初めての普通の警護で、担当したクライアントでもある。そして三村さんはそれがご縁で、大森パトロール社の我々警護員を何度も助けてくださった恩人でもある。お前だって世話になってきた。」

「はい・・・。」

「まあ、感謝と好き嫌いはまた別だけどさ。お前、友人として三村さんを好きになれないのか?」

「そ、そんなストレートに・・・・高原さん・・・・・」

「俺は、すごく大好きだけどな。」

「・・・・・」

「どうした?河合」

「ど、どうしてそんなこと恥ずかしそうでもなくおっしゃることができるんですか、高原さんは。」

 高原はその知性と愛嬌が同居した目を見開き、それから声をあげて笑った。

「お前いつか崇に言われたんだろ?生きてるうちに、素直にならなきゃ、後悔するぞって。」

「・・・・・・」

 応接室で、山添は波多野に続いてソファーに座り、もう一度頭を下げた。

「退院してから、改めてこちらでご挨拶と思っていましたが、遅くなってしまいましてすみません。」

「気にするな。怪我の回復も思ったより時間がかかったんだし。」

「俺は、あの、すごく我儘なお願いなんですが、波多野さんに、その・・・・・怒られたいんです・・・・・」

「なに?」

「集中治療室で目を覚まして、最初に波多野さんの顔を見たとき、自分がどれほど悪いことをしたか初めてわかりました。」

「・・・・・」

「どれだけ俺たち警護員のことを、波多野さんが心配してくださっているか。そんなことを何も考えず、自分の思いだけを優先させて、行動してしまいました。」

「・・・・まあ、そうだな。」

「怒ってもらうことは、できますか・・・?」

「いいぞ。じゃあ、まず、立て。」

「はい。」

 山添が立ち上がる。

「お前がなにをやらかしたか、言ってみろ。」

「はい。・・・俺は、警護員として、クライアントを守るためだけに命をかけるべき立場を忘れて・・・・自分の個人的な思いだけのために、クライアントの命を狙った人間のために、あろうことか自らの命を捨てようとしました。」

「それで?」

「そして、上司と同僚に、多大なご心配と、ご迷惑をおかけしました。大森パトロール社の警護員として恥ずかしいことでした。」

「そうだな。」

 波多野がゆっくりと立ち上がった。

「・・・以上です。」

「そうか。それじゃあ、いくぞ。」

「はい」

 打ち合わせコーナーに座った高原と、給湯室へ麦茶を取りにいこうとしていた茂は、同時に驚いて応接室のほうを見た。

 応接室の中から、波多野の「歯を食いしばれ!」という大きな声と、明らかな平手打ちの音が聞こえてきたからだった。

「えっ・・・・」

「なんだ?」

 二人が応接室の扉を開けると、波多野に左頬を平手打ちされたらしい山添が顔を正面に戻し、「往復でお願いします!」と言っているところだった。

「よし」

 波多野が振り切った右手を返し、その甲で今度は山添の右頬に強烈な平手打ちを見舞った。

 山添はよろめくようにしてそれを受け、そして一礼した。

「ありがとうございました。」

 あっけにとられている茂と高原のほうを、波多野が見て言った。

「お前らなにしてる。見世物じゃないぞ。」

「す、すみません」

 波多野が不敵な笑みを浮かべた。

「まあ、見世物じゃないが見せしめとはいえるかもな。命を無駄に粗末にするような警護員は、こうなるってな。」

 しばらく固まっていた高原が、やがて言った。

「波多野さん、俺も、お願いします。」

「よし、こっちへ来い。」

「はい。」

「晶生、お前がやらかしたことを言ってみろ。」

「はい・・・・・複数回数ありますが、代表例としては、ある出所後警護で、自分の個人的願望だけのために、クライアントの命を狙った人間に必要以上に関わり、自らの負傷を招き・・・・上司と同僚に、非常な心配をかけてしまいました。」

「そうだな。それじゃ、いくぞ」

「はい」

 茂は思わず目を逸らし、そして強烈な平手打ちの音が二度連続して響き渡った。

「反省したか?」

「はい。」

 茂は後ろに気配を感じて振り返った。

 茂が尊敬するさらにもうひとりの先輩警護員である葛城怜が、怪訝な顔をして立っていた。

 葛城は外見も内面もこの世の天使のように美しく、とても警護員には見えないが、やはり高原や山添同様に有能で経験豊富なボディーガード・・・・二人とともにガーディアンと呼ばれるクラスの人材である。

 茂は慌てて葛城の体を押し戻した。

「どうして晶生がぶたれてるんですか?茂さん・・・・」

「と、とにかくこちらへ」

 なるべく応接室から離れたところまで葛城を引っ張っていき、茂は息を整えた。

 葛城はその濃い栗色の長髪を揺らして首をかしげる。

「茂さん?」

「今行くと葛城さんも同じようになってしまいます」

「え?」

「命を無駄に粗末にしようとしたことがある警護員へのお仕置きなんです」

「・・・・・」

 葛城はその美しい両目で、茂の琥珀色の両目をしばらく見ていたが、やがてその両手を茂の両肩に置いて、言った。

「ありがとう、茂さん。」

「葛城さん・・・・」

「でも私も、行かなければなりません。」

「・・・・」

「止めないでください。」

「葛城さん!」

 葛城が応接室へ入っていき、やがて平手打ちの音が二度連続で聞こえてきて、茂は両目を閉じて顔を逸らした。


 三人の先輩警護員が事務所から帰宅していったあと、波多野が茂に声をかけた。

「ほんとに、返す返すもしょうがない先輩たちだよな。茂、お前はあんなふうになるなよ。」

「えっと・・・・・」

「でも絶対あんなふうになる予感がするがな。」

「え、えっと・・・・・」

「まあ、だからといって月ヶ瀬みたいになられても困るが。」

「あはは・・・・・・」

 茂はふと思い出して、上司に尋ねた。

「あの、波多野さん・・・・今日おみえになっていた、三村蒼氏ですが、実際なにかのご依頼だったのでしょうか。」

「ああ、あれは、三村流関係じゃないんだが、ご友人の関係だ。」

「はい。」

「改めてお前と怜に話すが、舞の公演会場での警護依頼が来ることになる。ご紹介いただいたのは、日本舞踊瑞原流のお家元、瑞原州洋氏の警護だ。すごく若い、最近襲名されたばかりの家元さんだそうだ。」

「三村流とその瑞原流は仲良しなんですね。」

「瑞原流の、亡くなった前家元と、三村蒼氏が盟友だったそうだ。」

「そうなんですね。」

「で、今回初めてお前にメイン警護員をやってもらおうかと思ってる。」

「えっ!」

「安心しろ、怜をサブにつける。」

「あ、いえ、心配なのはその・・・・・」

「ああ。」

 波多野はさっき以上に不敵な笑みを浮かべた。

「お前、三村流の人間と・・・具体的には三村英一さんと一緒になるんじゃないかと心配してるな?」

「・・・・はい。」

「なかなか良い勘をしているな。ご明察だ。海外公演に行かれる家元の代わりに蒼淳さんが出るほかに、蒼英さんつまり英一さんもその公演に出演される予定だ。」

「・・・・・・」

 茂は再びめまいを起こしかけ、近くの椅子の背をつかんで踏みとどまった。

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