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「ミラお嬢様!」
教室に訪ねて来たのは下級生。これから寮に帰ろうという時だった。そんな風に私を呼ぶのは今や一人しかいないので、誰だかは見なくてもすぐにわかる。
上級生の教室には入りずらいだろうに、彼女は入口からタタタッと私の元までやってきた。
ユリィ様は、昨晩のじゃじゃ馬三人お嬢様がトラウマになってしまったのか、突進してくる彼女にびくりと体を固めた。
「ミラお嬢様、こんにちは!」
「こんにちはダリア。今日も元気ね」
ダリア・マリアン。十三歳、四年生の、ケインの妹さん。引きこもりの私と違って活発な女の子だ。お兄さんと同じく端正な顔立ちで、子犬のように愛らしい。
「兄さんがミラお嬢様に失礼な態度をとったでしょ?お詫びに来たの」
「まあ…誰から聞いたの?」
「ミラお嬢様のお友達よ」
エリカが私を見てぺろりと舌を出している。貴女が犯人ですね。
「そんなことないのよ。私がケインに少し意地悪をしてしまったから、自業自得なの」
「それにしたって、ミラお嬢様の方が年上なのよ!兄さんが悪いわ。それに、私のこと頭が弱いなんて言ったんでしょ!!失礼しちゃうわ!」
そこまで知っているのか。ダリアは私の友人たちも可愛がっているけれど、そこまでぼろぼろ喋るものじゃない。ぶりっ子エリカはこれからお喋りエリカに改名。後でそう呼んであげましょう。
学内で堂々と話しかけてくるのはディアとダリアくらいのもので、学年が違えば私と交流があろうがダリアははじかれないようだ。
「昔は兄さんも、お嬢様にべったりだったのにね」
「そうね。ちょっぴり寂しいわね」
「そんなことないわ!ミラお嬢様には私がいるもの!!」
ぎゅぅっと私に抱き付いてきたダリアからは女の子らしい甘い香りがする。
「お休み中はお嬢様に会えなくて淋しかったわ」
「私もダリアに会えてうれしいわよ」
抱きしめ返そうとしたら、手をベシッと叩かれた下の方から。
「ミラは!俺がいたから寂しくなかった!」
叫びながら私とダリアの間に入って来たのは少し怯え気味のユリィ様。ああダリアが怖いのね。昨日の友人ABCのせいで。
ダリアをきっと睨んだ後、ユリィ様は私に抱っこをせがんできた。
「そうだろうミラ!」
「わあ!かわいいっ」
私が答えるより先にダリアが声をあげた。
「噂のユリエル殿下ね、お嬢様?ごきげんよう、ユリエル殿下」
「う、あ、ああ…?」
困惑気味のユリィ様は返事のような呻きのような声を出して私とダリアを交互に見ている。ああもうかわいい。
「彼女は私のお友達ですよ」
「ふ…ぅん…」
それでもまだ助けを求めるような視線がユリィ様から送られる。そうしていると突然、ダリアの指がぷくぷくとユリィ様の頬をつつきだした。
またユリィ様の警戒心が上昇する。
「かわいいーっ!お兄さんとは大違いねっ」
「お兄さん?」
「ギルバート王子よ!あの人態度でかいし気持ち悪いわ!」
そういえばダリアはギルバート殿下と同級生だったような……。あまり印象はよくないようだ。ギルバート殿下も見目麗しいと聞くけれど。
「ギルバート殿下とは親しいの?」
「同じクラスになってしまったの…。もうあの人、しつこくて、気持ち悪い」
「あら…気に入られているの?」
女の子にしつこくということはもうその子に気があるとしか。だからこそダリアもこうズバズバ言えるのだろうし。だけどこの様子ではギルバート殿下は苦戦しているようだ。
みずみずしい思春期の男女の恋。応援したいところだ。小説のよう。
「…ざまあみろ……」
「ユリィ様、しーっですよ」
汚い言葉はいけません。
「ねえ!ねーえ、ミラお嬢様!私も一緒に帰っていーい?」
「勿論、寮が一緒なのだし構わないけれど…」
ユリィ様はいいだろうか?と腕の中を見ると、「ミラのしたいようにしたい」と言う。なんて、なんて、
「なんて紳士なんでしょう…!」
「ミラ!苦しい!」
ごめんなさい。
あと心配事と言えば……
「じゃあユーディアス様に見つからないように早く帰りましょう!」
「ええ……」
ダリア本人が自覚してしまっているのが少し悲しい。
ディアはマリアン兄妹と私が仲良くするのをよしとしない。私を思ってくれてというのはわかるけれど、本音は、皆で仲良くしたいというか…。
だけどディアはマリアン家のことになると私の話を一切聞いてくれない。何か関係をよくするきっかけができればいいんだけど……。
***
冷やかな視線と、冷ややかな声。背筋が凍るよう。
「――なにを、しているのかな」
私に訊ねているのか、ダリアに訊ねているのか。わからないけれど、焦点が定まっていないように見えるのは彼が怒っているせいだろう。
校門を出て、もう大丈夫、と思ったところで後ろから声がかかった。
「こんにちはディア」
「ミラベル。彼女から離れるんだ」
口元だけが笑っているディアは、手だけで私にこちらへ来いと示している。首を横にふると、ディアの方が私の方へ来て、ユリィ様を抱き上げ、私の腕を引いてダリアから遠ざけた。
ユリィ様は、ダリアの勢いに終始無言だったけれど、この状況もこれで動揺している。
「下ろせ!」
「少しお静かに、殿下」
「……?」
ディアの不穏な空気を察したのだろうユリィ様は、眉間に皺をよせ、私の肩あたりの布をにぎった。
「わかっているのかな、ダリア・マリアン。君は、ミラベルの視界に入ることさえ許されない人間なんだよ」
「ディア、そんな言い方…!」
「君は黙っていてくれ」
ダリアは顔をふせて、顔を真っ赤にしている。泣いてしまう少し前になると、彼女はこうなる。
「私が一緒に帰りたいから誘ったんです。彼女は」
「もう一度しか言わないよ。君は黙って」
今度は、ディアの口元さえ笑みを消した。
「言ったはずだね。もしこれ以上ミラベルに近づくようなら、俺はうっかり君の家を潰してしまいそうだ。マリアン男爵家はこの頃新たな不正が発覚したばかりだしね。その気になれば可能だよ」
「そ…んな…、私は、ただ、ミラお嬢様と一緒にいたくて…!」
そうだ、彼女は悪くない。ダリアはただ私を慕ってくれているだけ。それがディアにも伝わればいいのに。言葉を発せない私は臆病だ。
「虫が」
普段のディアなら出すことのない低い声。
「君たち一家のような虫が、婚約者の傍にいることを、俺が許すと思うかい?」
「ディア!やめてください!」
いくらなんでもその言い方はあんまりひどい。
「君は優しすぎるんだ!だから彼女もつけあがった!君がなんと言おうとマリアン家は許されるべきでないし、俺は許さない。君を傷つけたのは誰だ?君を泣かせたのは?彼女の家族じゃないか!!」
「彼女自身は何も悪いことはしていません!」
「わかったものじゃない!こうして君に近づいているのだって、君を騙して陥れるためかもしれない」
「ディア!!」
……あ。
「ぷふぅ…っ」
やだユリィ様、その噴き笑いとても可愛らしいです。だけど今はそれどころではなく。
ひっぱたいてしまった。ディアを。平手で。
気づいた時には高い音が響いていた。人に暴力をふるうなんて子供の時以来だ。ましてディアになんて。
「あ、あぅ、あの、その……」
「……いや、いい。俺も少し冷静さに欠けていたから」
額にキスをしてきたディアはけれど、目が怒っている。……怒っている。
「もう帰れ。一人で。……二度とミラベルに近づくな」
「い、嫌!です!!」
逆らう意志を述べて走り去るダリアは、私に手を振りながらディアから逃げる。ディアは追いかける様子もなく、ダリアを見送った後私を見た。とても、気まずい。
「ディ、ア、あの、ごめんなさい、勢いで、つい」
「かっこうよかったぞミラ!」
「ありがとうございます…ええ、そうではなくて、あの本当にごめんなさい…。それに私まだ、魔法で氷が出せなくて……」
私が専攻している魔法の授業は医療系のみ。希望にすれば医療、戦場用、結界のすべてを選べるけれど、興味がないのでとっていない。よって何かを生成する魔法は使えない。医療の中で氷を作る魔法も教えてくれればいいのに。そうすれば今こうして困らなかったのに。後で自分で勉強しなくては。
「自分で出せるから平気だよ。楽しそうですね、ユリエル殿下」
「貴様も鏡を見ればきっと愉快な気分になるぞユーディアス」
ディアの頬は真っ赤になってしまっている。本当に申し訳ない。
「何故マリアンの娘といたんだい、ミラベル」
「……お友達です」
「……問題があるのはマリアンの娘だけではないようだね。君自身も、置かれてる立場をわかっていない。お父上が知ったら嘆かれるだろう」
「父と、私の交友については関係ありません」
そんなことを言いつつ、ダリアと親しいことを父に話せてはいないけれど。
「貴方が私を心配してくれているのはわかっています。けれど私にも意思があります。どうか、わかっていただければ、嬉しいのですが…」
「……君は、俺がその顔をされると弱いことを知っているのかな」
溜息をついたディアが、私の頭を乱すように撫でる。
「君に意思があるように俺にもある。俺はもう君が泣くことのない環境を作ってやりたい。それはわかって」
「……はい」
「ミラに触るな。そして俺を下ろすかミラに移せ」
「あちらの茂みに投げ捨ててさしあげましょうか」
言いながら、結局地面に下ろされたユリィ様はやはり私に抱っこを催促して私が抱える形になった。
「ディアも帰るところですか?」
「ああ。今日は誰かさんが珍しく真面目に仕事をしてくれたからね」
「あら…生徒会にも不真面目な生徒はいるんですね」
「いるね」
遠い目をしたディアはなんだかベテランの政治家のように見える。彼のお父様も疲れているときは同じ顔でひっそり愚痴をこぼしている。
「途中まで、一緒に行きましょうか」
「ミラは俺と二人で帰る!!」
「ユリィ様、意地悪はいけませんよ」
「俺と二人は嫌なのか?」
「ありえません!!」
ユリィ様と二人きりだって楽しくて仕方ないけれど、ディアがいたっていいはず。お互い気に入っているようだし。
「ディアは、いいですか?」
「ああ。喜んで。ユリエル殿下は俺が持とう」
「俺は荷物じゃない!!」
だけどやっぱり背の高いディアの方が、抱っこされれば楽しいのだろう。ディアに捕まるとユリィ様は大人しくなって、一度だけ少し不満そうに、ふん、と鼻を鳴らした。
ディアの頬を気にしながら、ぎこちなくもいつも通りの穏やかさを取り戻したところで、男子寮と女子寮と方向が変わる分かれ道についた。
そそくさディアからおりたユリィ様は私と手をつないで早く行こうと促す。
従おうとすると、反対の手をディアに掴まれた。
「…ミラベル。これは他言無用だよ」
「…?ええ」
これはもともと言うつもりのなかったような口ぶりだ。
少し苦しげに眉を寄せたディアは、ユリィ様に聞こえないように私の耳元に顔を寄せた。
――アラン殿下が何かを企んでいる。
「何か、って?」
「俺もよくはわからない。ただ君と、ユリエル殿下について何か…」
アラン殿下が?ロメオ殿下ではなくて?
勝手につけた印象で考えるのはよくないけれど、アラン殿下よりもロメオ殿下の方が、腹黒さを感じた。
「俺も気を付けるけど、ミラベルも、注意は怠らないように」
ここのところ感じる視線。
まさか、と思った。そのまさかが大当たりしていたことに、この後私は小さな小さな後悔をすることになる。