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 周囲の人がヒソヒソと話しているのが聞こえた。多くの視線は私と手をつなぐユリィ様へ向いている。

 けれど誰も話しかけてはこない。ほぼ、継承者の候補外でも、ユリィ様は王族。軽々しく声をかけてはいけないから。それ故に私が一緒にいるのは不審に思われているだろうが。

 ユリィ様は強かなのか一切気にする風もなく、初めての学校にきょろきょろしている。


「城より小さいな」

「そうですねえ」

「ミラの家よりはずっとずっと大きいな!」

「あらぁ、正直ですね」


 比べるまでもなく豆粒のようなうちの屋敷より校舎の方が大きい。いいですいいです。他の誰でもなくユリィ様に言われるならいっこうに腹立たしいと思いません。無遠慮な方が子供らしいというものだ。


「こんなに朝早く起きたのは初めてだ」

「学校に通うとなると毎日この時間に起きなくてはいけませんからねえ…。辛いのなら、無理に通わなくてもいいのですよ?」


決して責めているんじゃない。それに寝る子は育つと言うから、ユリィ様には早すぎる勉強より睡眠を優先してほしい。アラン様は長身でいらっしゃるから、規則正しい生活さえすれば長身の美青年になるはず。


「ミラは俺といたくないのか?」

「片時も離れたくありませんね」


 この年の子は少し目を話しただけで急激に成長をしてしまう。遠くに住む従姉弟も、会うたびに急速な成長をとげている。ディアが言うには、男の子は特に何かを境に急成長をするというし。

 まさか一瞬一瞬を絵師に描いてもらうわけにはいかない。私の知らないところでユリィ様が大きくなるのはちょっぴり切ない。


「俺もだぞミラ!」

「うぁっふ!!」


 飛びつかれた反動で後ろのぺたりとしりもちをついてしまった。まあいいか。ユリィ様は私の首を後ろの腕を回しで一生懸命抱きしめてくれる。うん。これはこれでいいか。ああ…!天花粉のような香りが…。

 幸福感はこの上ないが、学校の廊下でずっとこの格好というわけにもいかない。抱き付いてくるユリィ様を抱え上げて立ち上がる。なんて軽い。羨ましい。


「教室はもうすぐですよ」

「ミラは太陽の匂いがする」


私の肩に顔を埋めたユリィ様はクスクス笑って、クビに軽いキスをよこしてくる。この子は将来フェミニストになること間違いない。どんな女性も簡単におとしてしまうだろう。まとめると死ぬほどかわいい。


「それにふわふわ気持ちいい。昨日の乗り物は硬い上に汗臭くて酷かった」


 眉間に皺を寄せるユリィ様に苦笑してしまう。ディアのことを言っているのだろうけれど、言いづらいことに、私に抱かれ目を瞑っているユリィ様は気づいていない。私の一歩先には、通りすがりのにこやかなディアがいる。

 ユリィ様ってば、今朝早く起きてディアに手紙を書いていたのにまた憎まれ口をたたくから。ディアにも見せてあげたかった。私が寝ていると思って、一生懸命さを出しながら手紙を書いているかわいい王子様を。


「おはようございます、ユリエル殿下」


 警戒する猫みたく、ユリィ様の背中はびんと伸びる。だけど意地をはって返事は返さない。


「スウェイン嬢も、今朝も麗しく」

「おはようございます、ユーディアス様。昨日はお世話になりました」


 私とディアが他人行儀なのが気になるのか、私にまわされるユリィ様の腕の力が強まった。


「いいや。楽しかったよ。殿下は無骨な乗り物にご不満だったそうですが」

「まったくだな!ゴツゴツとかたくてかなわん。それに比べてミラの胸元は柔らかい。貴様には想像もつかんだろうがな!」


 またそんなことを言って。


「ユリィ様は、ミルクキャンディーがお気に入りなんですよ。一粒一粒大切に食べていますもの。ね?」

「アメに罪はないからな。仕方なく食している」


 気まずそうに眼を逸らしながら、ユリィ様は頬をぷくっと膨らませた。もう。折角お手紙を渡せそうな流れになったのだから懐から出してしまいなさい!


「ユーディアス様の教室は逆方向ではありませんか?」

「ああ、生徒会室にね」


 ディアは強制的に副会長をつとめている。会長はアラン殿下。国王候補と宰相候補は、入学した時から期待されていた。今年から生徒会をつとめるのも、誰もが予想していたしそうなった。

 自分のことができなくなるから嫌だとディアは言っていたけれど、努力家のこの人は何事にも手を抜かないだろう。


「それでは急ぐので、失礼します、殿下」


 ディアが行ってしまう。私が代わりに止めようかと迷っていると、「待て!」と緊張を滲ませたユリィ様の制止の声。

 自分に言われたと気づいたディアは不思議そうにして振り向く。

 ユリィ様は何かを言いたそうに私を見るので、下ろしてほしいけれど素直に言えないといったところだろう。かがんで下ろしてあげると、胸をはったユリィ様はディアにゆっくり近づいて、懐の手紙を差し出した。


「受け取れ」


 それから、やっと届くディアのお腹に手紙を押し付けてまた私の方へ帰ってくる。そして手を伸ばしてもう一度の抱っこを催促された。恥ずかしいのか、ディアの顔を見ないようにまた私の肩にユリィ様の顔がうずまる。

 困ったように笑ったディアは首を傾げて私に説明を求めている。


「折角いただいたのですから、ご自分で確認なさってください。……昨日は、楽しかったようですよ」


 なんとなくは察したのか、ディアは少し視線を彷徨わせた。ああ、嬉しいのに素直に喜べない彼の癖。

 近寄って来たディアはぎこちない動きでユリィ様の頭を撫でて、一度震えたユリィ様はけれど抵抗しない。私が笑ってしまうのも仕方ない。二人とも慣れていなくて可愛らしい。


 照れ笑いのような複雑そうな顔のまま、ディアとはすぐに分かれた。




***




 教室中の視線はユリィ様にばかり向くけれど、やはり誰も話しかけてこない。先生方も触らぬ神に祟りなしとユリィ様とは目を合わせようとしない。他の殿下方と違って、ユリィ様はまだ幼い。へたに関わり逆鱗に触れたら、子供ならではの残酷さを見せるのではと怯えている様子。

 こんなにかわいいのに。

 午前の授業が終わるとさすがにユリィ様も気づいたようで、少ししゅんとして私の制服を引っ張った。


「俺といると、ミラが友人に話しかけてもらえないな」


 自分のことではなくて私を心配してくれるのがこの子のいいところ。これだから愛しくなってしまう。


「いいんですよ。どの道、公に私と接する友人はいませんから」


 落ちぶれ貴族の評判はよくない。人付き合いも、その人の家目当てだろうと見られる。それでも、私のことを理解してくれる友人は何人かいる。友人たちは、私があさましい人間に思われないようにと今の体制をとってくれている。

 私自身も、私と関わることで彼ら彼女らの評判が落ちるのは不本意なのでそれはありがたい。ただ、クラス内にも複数いる友人たちは時折、「後で説明しろ」と目で訴えているので後で色々訊かれるだろう。

 賢いユリィ様は理解したようで、そうか、と呟いて溜息をついた。


「私といれて嬉しいですか?」

「一緒が嬉しいのはミラのほうだ」

「おっしゃるとおりですわ」


 私の返事が気に入ったのか、ユリィ様は頷いて私の膝の上に乗った。ここはもうユリィ様の定位置だ。授業中以外はずっとここにいる。

 席は先生の計らいもしくはユリィ様の発する圧力のせいか、私の隣になった。


「お昼ご飯を食べに行きましょうね。食堂のお料理はうちよりも豪華ですよ」


 お城の食事にはかなわないだろうけど。

 お昼ご飯は高い学費の中から賄われているのでただで食べられる。好きなだけ。貴族の令嬢令息はそんなことをしようなんて発想も出ないだろうから、別に規則にはなっていない。お持ち帰りNGなんて規則はない。

 貧乏貴族の私にはありがたいことだ。料理もできるけれど、寮に戻ってからは勉強もしなければいけないので作る手間が省けて助かる。

 豪勢だとは思うけれど、やはりユリィ様には庶民的に感じる味のようだ。食事の評価は『普通』。手厳しい。

 昼食を食べ終えた後で、「ロダの食事の方が美味しい」と言われた。我が家のお人よし料理人。安いお給料なのに長いこと仕えてくれている料理長だ。後で家への手紙でロダに教えてあげよう。私まで鼻が高い思いだ。


「よし、教室に戻るか」

「いいえユリィ様。お野菜が残っていますよ」


 私の膝から飛び降りたユリィ様を捕まえてもう一度座りなおさせる。


「もう満腹だ」

「それじゃあ明日は、今日の分もお野菜を食べますか?」

「う……」

「私はご飯を残す人のお嫁さんは嫌ですよ」

「食べ…る……」


 やっぱりユリィ様は野菜が苦手。子供なら誰もが、だろう。ほとんど誰もが。私も昔は野菜なんてほとんど食べられなかったし、今でもカボチャだけはどうしても食べられない。弱みを見せたら負け。カボチャのことは誰にも内緒だけれど。

 黙々と食べて、時々水で流し込み、最後にトマトを食べて綺麗になったお皿を、ユリィ様は得意げに私を見上げた。

 褒めてとねだる犬のようで少し笑ってしまう。王子様に犬みたいなんて失礼この上ないけれど、悪い意味ではないから許してほしい。

 頭を撫でながら、褒める言葉を考えていると、別の人に先をこされてしまった。


「すごいじゃないかユリエル。好き嫌いは克服できたんだな」


 聞き覚えのある声。私に向けられたことは数えるほどしかないけれど。声変りをした素敵な低音。

 これから食事をとるのだろうディアと、アラン殿下が迎いに座った。声はアラン殿下のもの。

 ディアと親しいアラン殿下は時々挨拶をする程度で、おそらく殿下の方は私の顔もうろ覚えだと思う。ただディアの婚約者ということだけ記憶しているだろう。

 容姿はユリィ様にはあまり似ていなくて、髪の色も明るい金髪、同じなのは瞳の色くらい。凛々しく生真面目そうなアラン殿下は実際とても誠実な方だと色々なところで聞く。ディアも言うから間違いない。


「げ」


 ユリィ様はその一音だけ発して、眉をぐっと寄せた。


「スウェイン嬢、弟が世話になっているそうだな。我儘で貴女を困らせていないか?」


 優しげなディアとはまた違う美貌のアラン殿下は、凛々しい顔を柔らかくして訊ねてくる。


「いえ。ユリエル殿下はとても紳士で、日々私を助けてくれています」

「ミラ!その呼び方はやめろ!!」

「ごめんなさいユリィ様」


 アラン殿下の前だから気を付けたのだけど、お気に召さなかったようだ。


「それにこんな奴と話すな!」


 ユリィ様がビシリと指をさしたのはディアではなくアラン殿下で。それを言われてもはいわかりましたと言えるような立場に私はない。

 誤魔化すように頭を撫でると、反転したユリィ様は私の胸に顔を埋めてぎゅっと抱き付いてきた。

 ご兄弟とは不仲みたい……だけど、アラン殿下はユリィ様に好意的に見える。ユリィ様が一方的に嫌いなのか何なのか。どの道関係は複雑だろうけど。


「……あら…?ディ……ユーディアス様、もう、貝は、食べられるのですか?」


 黙ってアラン殿下の隣にいたディアの持ってきたお皿には、魚介類のパスタ(量が異常に多いのはこの年齢の男性の共通点だ)とデザートにフルーツ(複数をこれも大量)。

 だけどディアは昔から貝が食べられなかった。野菜も食べられる、カボチャも食べられる嫌みな子供だったくせに、貝だけは食べられなかった。私の前では意地をはって頑張って飲み込んでいたけれど、噛まずに飲み込むので苦手なのは一目瞭然だった。

 黙ったディアに笑ったのはアラン殿下だ。


「お前は嫌いなものはうまくはじいて残すからな」

「殿下……」


 次期国王最有力候補に、ディアは恨めしそうな視線を向ける。それだけでも二人の親しさはうかがえる。


「あら…子供のようなことを…」


 つい本音を漏らすと、ディアは苦笑してアラン殿下を小突いた。

 黙って私に抱き付いていたユリィ様は、突然顔をあげ、自身たっぷりの顔をディアに向けた。


「ミラは、食事を残す男は嫌いだぞ!」


 いえ、嫌いとまでは……。


「やはり俺の方がミラに相応しいな!ミラも俺の方が好きだろう?」


 可愛らしい子供の嫉妬に顔が綻んでしまう。私がディアにばかりかまって、ユリィ様との時間を削るのを恐れているのだろうか。そんなことはしないのに。ユリィ様といられるのは一年しかないのだし……。

 それにしても比べて、ユリィ様の方がと言うのは少し心苦しい。すると私の葛藤を知ってか知らずかユリィ様は言いかえる。


「俺が一番好きだろう?」


 ……っ。


「勿論です…!!」


 この角度だから余計に破壊力がある。

 ディアとアラン殿下にべっと舌を出したユリィ様は、嬉しそうに私を見上げて私の手を引っ張っていく。「行くぞ!早く!」とせかすからには、アラン殿下があまり得意ではないようだ。

 その後、アラン殿下とは親しいのかと尋ねようとしたけれど、「アラン殿下」と私が呟くたびに猫におとらぬ警戒を見せるのでしつこくは訊かないでおいた。


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