メイシー公爵家
昨日学園を卒業した彼女は、よく似合う赤いドレスに身を包み、艶やかな黒髪を右に流して佇んでいた。
四人姉妹の次女。姉は体が弱く、妹たちは愛おしく、自分が守ってやらねばならないと言った彼女は昔から動きやすさを重視した格好が多かったが、今日はそうではないらしい。
二階の窓。あそこは彼女の部屋だ。そこから僕を見下ろす彼女に手を振ると、そっぽを向いてしまった。
ライド侯爵へのあいさつを済ませ、さっそく彼女の部屋へ行くと、彼女は未だ、窓際に立って外を眺めていた。
「マティ」
名前を呼んでも彼女はこちらを振り向かず、
「ノックもなしに入られるのですか?」
とぶっきらぼうに言うだけ。
「君に一刻も早く会いたかったんだ。ごめん」
彼女の隣まで行くけれど、やはり彼女は僕と目を合わせようとしない。
「今日は一段と綺麗だね」
「好きでこんな格好なのではありません」
「そう。君の母上か姉上のおかげかな。僕は得をしたな」
体をかがめて無理やり彼女の顔を除き見ると、口を結んで目を閉じていた。
「ねえ、何故今日僕が来たのか、君はわかるかい?」
「……ええ」
「君は、僕が好き?」
「……ええ」
それなら、そんなに悲しそうな顔をするのは何故だろう。
「だけど貴方は、私を好きではないでしょう」
うっすら目を開けた彼女は、僕を見つめて微笑んだ。
「ごめんなさい」
ああ、それは今日僕が一番聞きたくない言葉だと彼女は知っているのだろうか。
「お姉さまじゃなくて、ごめんなさい」
彼女の二つ上の姉は僕と婚約関係にあった。けれど四年前、彼女の姉には恋人ができ、駆け落ち寸前までいった。そのためライド侯爵は我が家へ詫びを入れ、もう二度と我が家には関わらないとまで言った。兄のことで他が疎かになりがちだった父は、それを受け入れた。何より僕が構わないと言ったから。
しかし、彼女の姉との婚約破棄まではよかった。友人のような関係であったし、深い愛情を持っていたわけではない。僕に不都合な予想外の話は、ライド侯爵家が二度と我が家に関わらないと誓ったことだ。
一つ年下の、かわいいマチルダ。
姉妹を守るのに一生懸命で、護身術もしっかり学び、並みの男では敵わないほど強くなった。けれど彼女が誰よりももろいのを知っている。かわいいものが好きで、恋愛に興味を持つ普通の女の子だ。それなのに強がりで、他人に頼ることが苦手なマティ。
僕から近づこうをしても、いらない気を使ったライド侯爵は姉妹を僕の目に触れさせないようにした。
そうなると僕に与えられた機会は学園内での時間だけ。限られた時間の中で、全力で彼女を口説いた。立場上人気のあるところで無暗に彼女に接触することはできなかったが。
そうして僕が卒業する年、やっと彼女を恋人にできた。ライド侯爵にまたいらない気を使われないように、彼女がいらない嫌がらせに合わないように、僕と彼女だけの秘密になったが、彼女には両親からもらったすべての縁談を断るようにと念を押しておいた。
「どうしてそんなことを言うんだい?」
「だって私は……お姉さまではありません」
「知っているよ。君は僕の大好きなマティだ」
抱き寄せると、彼女の肩は震えていた。
「君はなかなか僕を信じてくれないね。最近はそんなことを言わなかったじゃないか」
「私は…貴方の事を愛していますから。だけどライアン様は……。それでもいいと思っていました。だけど、夫婦になるということは永遠に離れられないことです。貴方は後悔するかもしれません」
「しないよ」
いつか、自分と同じような立場に生まれた男も苦労をしていた。自分の想いを信じてもらえないのは精神的に大分大きなダメージをくらう。
「僕は、マティが好きだ」
「でも……」
「でも、とか、だって、とか。君が言うのはおかしいよ。僕の気持ちがわかるのは僕だけだ。僕が言っていることこそ僕の気持ちだよ。僕がいつ、君の姉上が好きだと言った?僕が欲しいのはマティだよ」
顔を上げたマティは不安そうに瞳を揺らしている。
「君が僕のために解毒作用のある薬草を育てていると知った時ほど嬉しいことはなかった。君が僕を信頼して色々な話をしてくれた時ほど自分を誇りに思ったことはなかった。君が僕の恋人になってくれた時ほど、幸せを感じたことはなかった。だから、レディ・マチルダ」
膝をついてプロポーズをするなんて少しキザすぎる気もするが、マティはきっとこのくらいやりすぎな方が好きだろうことは知っている。
「僕の奥さんになって、これ以上の幸せを僕に教えてほしい。僕はそれ以上に君を幸せにすると約束するから」
一、二、三、………十二、十三、十四、………二十。
何秒たっても何も返事が返って来ない。名前を呼ぶと、やっとマティは口を開いた。
「もう知りませんから!!」
「ええ?何が?」
「もう離してあげませんから!」
「そうなの?それは魅力的な発言だね」
僕の手に自分の手を重ねたマティは目線を合わせるためかしゃがんで、頬を真っ赤に染めながら僕を睨んだ。
「貴方が誰を好きでも関係ありません。私しか見れなくなるくらい、惚れさせてやりますからね!」
「それは……難しいんじゃないかな」
「わかっています。長期戦、覚悟していますので」
「いや、そうじゃなくて…。まいったな。君が思いもよらない方向に走り出してしまった」
僕はもう、君しか見えないくらい君に惚れているということにどうして気づかないのかな。
「まあ今はいいよ。ゆっくり教えてあげるから」
「何のお話ですか?」
「僕も長期戦を覚悟したという話だよ」