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「ユリエル王子殿下が暗殺されたんですって」
「ついでにイアン・アルウィックに隠し子が見つかったんだろう」
ティータイムにするには野暮なお話。普段多忙なローデリック公爵は私の言葉に動揺した様子もなく紅茶を一口飲んで息を吐いた。
「ちなみにイアン殿の隠し子は男の子で、名前はユリウスというそうだよ」
「あら、それじゃあ愛称はユリィ様ね」
今度ご挨拶に行かないと。
私が言うと、彼は可笑しそうに笑ってカップを置いた。
「様、は必要ないんじゃないかな?君は公爵夫人で、彼はまだ十三歳の、侯爵家の長男の隠し子なわけだからね」
「そういう意地悪を言うのね?すぐ人の揚げ足を取る」
私が眉間に皺を寄せると、ディアは一層楽しそうに笑った。
「君、眠たいのを我慢するメルヴィナと同じ顔になっているよ」
「これは怒っている顔よ」
「あまり怒ってばかりだとお腹の子にさわるよ」
「別に怒ってばかりいるわけじゃないわ」
そっぽを向くと、丁度駆けてくるメルの姿が目に入って頬が緩む。手に花冠を持って走って来たメルは満面の笑みを浮かべていたけれど、つまずいて顔から勢いよく転んだ。んん、さすが私の子。鈍くさい。
ディアと一緒に、転んだままのメルを立たせに向かうと、私とディアにしがみ付きながら起き上ったメルは目に涙の膜をはって口をへの字に曲げている。
「うー、うう、痛い…痛いの、おかあさまぁ……っ」
私のお腹に顔を埋めたメルはえぐえぐ言いながら泣き出してしまった。
メルが転んだことにより放られた花冠をひろったディアは、メルとそれを交互に見て、メルの頭を撫でながら優しく尋ねる。
「これはメルヴィナが作ったのかい?とっても上手だ」
その言葉にぴくりと反応したメルは、痛いことなんて忘れたみたいに私から離れてまた満面の笑みを浮かべた。やだ可愛い。
「イアンおじさまが教えてくれたの」
「あら、イアンおじさま?いつ?」
「さっき!お庭で教えてくれたのよ」
なるほどなるほど。あの自称探検家な私の従兄が、また性懲りもなく公爵邸に忍び込んだと。これで何度目だろう。自重してくださいと言っているのに。ディアやお義父様が優しいからって忍び込むのはよろしくない。
イアンお兄様が無断で侵入するたびにアルや叔母夫婦が謝りに来ているのを知っているのだろうか。最近では兄が忙しいのでとアヴィーが来ることもある。
「おかあさまにあげる!」
「まあ!本当にいいの?お父様の言った通り、上手にできたわねえ」
私の頭に冠を乗せてからぎゅぅっと抱きしめてきたメルは、嬉しそうに「うふふ」と笑う。
「それでね!メルがユリィお兄様に会いたいなあって言ったら、連れて来てやるって言ってたの!すぐ!」
「……すぐ?」
「すぐ!」
まさか今日のうちじゃないわよねえ、なんて思っていたら、この数時間後アルウィック家の馬車がうちの前に止まった。
***
「急で申し訳ない…」
メルを膝に乗せたユリィ様は、気まずそうに視線を彷徨わせている。
メルはきゃっきゃっとユリィ様の上でヒョコヒョコ跳ねている。
「いいえ、いいんですよ。イアンお兄様に来るように言われたんでしょう?初めまして、ユリウス様?」
「やめてくれミラ……」
メルの頭をなでなでしながら、ユリィ様は大きなため息をついた。今年十三になって、ついに最近私の身長は抜かされてしまった。
「今まで通りの愛称が使えるようにとイアンが考えた名前が無駄になるだろう。アヴィまでよそよそしく名前を呼ぶし双子には馬鹿にされるしかなわない」
「そのうち慣れますよ。これからの人生の方が長くて、ユリウスでいる時間の方がユリエルの時より長くなるんですから」
それまで考え込むように顎に手を当てていたディアが、どうでもいいことを言うために口を開く。
「俺はユリウスと呼び捨ててもいいですか」
「腹が立つので却下だ」
「しかし俺より身分が高いことを示すのは誰だかはっきり言っているようなものですよ」
「……外にいる時だけ許可する」
「敬語もいりませんね」
「お前調子に乗っているだろう」
大人気ない夫でごめんなさい。娘の前で何を楽しんでいるのだか。
「お仕事は順調ですか?ユリィ様」
「仕事と言っても俺とアヴィまだ雑用だがな」
「まあ、まだ若いですからそれは仕方ありませんよ」
ユリィ様に与えられた時間は十三歳まで。それまで心変わりせず、同じ夢を追っていたのなら仕事がやりやすい環境に移す。少しでも決心が揺らぐことがあったなら騎士団に入団させる。と国王陛下はおっしゃった。
ユリィ様の選んだ道は薬剤師。結果今日までユリィ様の気持ちが変わることはなく、家を継ぐ権利が完全に次男に移ったアルウィック家の奔放長男の隠し子、なんてありそうな話をでっちあげ、養子縁組をし、ユリィ様はユリウス・アルウィックとなった。
イアンお兄様は自分の研究所を持っているので、しばらくはそこで修行をするつもりらしい。アヴィーも一緒なので大変心強い。
「ユリィお兄様、メルに会えてうれしい?」
一人会話から除け者にされていたメルがユリィ様を見上げて心配そうに尋ねる。ディアと同じ色の瞳をゆらゆらさせて、肯定してもらうのを待っている。
「もちろんだ。可愛いメルに会えて俺はとても幸せだぞ」
きゃーっと頬に手を当てて嬉しそうに首を振るメルに、ユリィ様が嬉しそうに頬ずりする。すっかり美男子なユリィ様にメルはお熱で、ディアはいつも複雑そうにしている。
「手を出さないでくださいね」
「出すか馬鹿。まだ五歳だぞ。そもそも伯爵から娘を無理やりさらったお前に言われたくない」
この年の子なら、お父様と結婚する、と言うのに、メルの場合は、ユリィお兄様と結婚する、と言ったのを聞いてからディアは気が気でないようで。
いつかは嫁いで行ってしまうのに、男親って本当に仕方ない。うちの父も、それまで平気にしていたのに、式の前日になって行きたくない行かせたくないと駄々をこねるから大変だった。
娘がこんなに早く成長するなんて想定外のことだった、とも言っていた。
私とディアも、いつかそう思う日が来るのだろうか。来るのだろうか、というか、自分の子ではないけれど既に時間の早さに驚かせてくれる子がいるけれど。
こんなんじゃ、あっという間にお婆ちゃんになってしまいそう。
目があったユリィ様は苦笑を浮かべて首を傾げた。
「どうした、じっと見て」
「いえ、立派になったなぁと思いまして」
「ミラは俺の母親か」
「いえいえ。でも出会った頃は、こーんなに小さかったので」
とはいえ精神年齢は驚くほど高かった。女の子は男の子より大人びていると言うけれど、メルを見ていると本当にあの頃のユリィ様と同い年か疑わしく思うほどだ。
「さすがにそこまで小さくはないぞ」
「いいえ、たしかにこれくらいでした。ねえ、ディア?」
「そうだね。俺の腕に座れるくらいでしたから」
そう言って、ディアは子供を抱きかかえるジェスチャーをする。
「抱っこできるうちにアラン殿下ももう少しユリィ様を抱っこできればよかったですけどねえ。お兄様がたはどうしています?」
「やめてくれ、気色悪い」
アラン殿下に抱っこされるところを想像したのか、メルをぎゅっと抱きしめたユリィ様はぶるりと体を震わせた。
それから斜め上を見て、考えながら話し始める。
「アランは騎士団で先日出世が決まったそうだぞ。ロメオは外交官がこれほど疲れると思わなかったと文句を言っていた。ギルバートはまだまだ勉強中らしい。全員の共通点は揃いも揃って態度がでかいところだな。ああいう大人にはなりたくない」
態度がでかい。ああはなりたくない。
いえ、ユリィ様、既に……。なんて口を滑らせそうになる。同じように言おうとしているディアの口元に手を当て止めた。
ご兄弟の仲も以前よりは良くなっているようで、最近のユリィ様は楽しそう。
「メルはね、メルはね、おかあさまみたいな大人になるのよ」
聞いて聞いてとユリィ様を見上げたメルは、優しく微笑むユリィ様にむぎゅっとしがみつきながら、一生懸命おしゃべりをする。
私みたいな大人になるなんて娘に言われたら照れてしまう。
「いっつもにこにこしてね、おかあさまはメルに優しいから、メルも自分の子どもに優しくするの」
「そうか。きっとメルもお母様みたいなレディになれるぞ」
「そうかなあ。んー、あのね、それからね、メルはユリィお兄様のお嫁さんになるの」
ガタ。
ディアの座る椅子が音を立てて揺れた。
「おかあさまと、おとうさまみたいにね、仲良しのふうふになりたいから、お兄様はおとうさまみたいになればいいのよ」
ガタ。
今度はユリィ様の座る椅子が揺れた。
「ね?おかあさま。メル、とってもかしこいでしょ」
「ええ。そうね。とっても賢い子」
何でもできちゃうお父様と、何でも知っているユリィお兄様を黙らせてしまうんですものね。
今日も平和でいつも通りの時間が過ぎる。
旦那様がいて、可愛い娘がいて、昔あんなに小さかった我が子と同じくらい可愛い男の子もいて。もう一人増えるんですよ?なんて言ったら喜んでくれるだろう人が沢山いて。
さて、まだそのことを知らない小さくなくなった王子様は、これから言ったら喜んでくれるかしら?なんて想像すると楽しくなってしまう。
今日も、私は、私たちは
とても、とても、幸せ。
fin
ここまで読んでくださった読者の皆様、ありがとうございました!
本編はこれにて完結とさせていただきます。
この後、ミラベルとユーディアスが夫婦になるまでの話、他カップルの話、大きくなったちびっ子たちの話等々番外編であげた後、別連載でユリエルの恋愛やロメオの恋愛ものを書く予定(まだ予定ですが)です。そちらもお付き合いいただけると嬉しいです。
それでは失礼いたします。