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僕としては、あの女の息の根を止めてやりたいところだったけれど。きっと、そんなことをしても彼女は喜ばない。彼女は僕を“優しい”と言ったから。彼女の思う僕でいられるように、このくらいで我慢しておこう。
「君の気は済まないかもしれないけどね」
隣の青年は目の前の墓を眺めて首を振る。
「いえ。これでよかったのでしょう。自分のせいで人が殺されたと知れば、妹もユリエル殿下も後悔します」
珍しく笑みを浮かべたパスカルは、手に持っていた花を雑に墓の前に放った。
「レオノーラの墓なんだ。もう少し丁寧に扱ってよ」
「失礼ながらロメオ殿下。私の妹をどう扱おうが私の勝手です」
しゃがみ込んだパスカルは深い溜息をつき、ぼんやりとレオノーラの墓を見つめる。それにならい、僕もレオノーラを見つめた。
「孝行も知らない、どうしようもない娘でした。ユリエル殿下が母親に似なければいいのですが」
「レオノーラは十分に君を支えていただろう」
「どれだけ一生懸命働こうと、親や兄より先に死ぬことほどの不幸はありません」
レオノーラ。
僕の愛しいレオノーラ。
喜んでくれているかな。君の息子は幸せそうに笑っているよ。
僕の、レオノーラ。
そう呼ぶのはいつも心の中だった。彼女は一度だって僕のレオノーラにはなってくれなかったから。
兄上もそうだろう。
レオノーラは、可哀想な侍女の名前。
普通の階級の男と、普通に夫婦になって、いつまでも幸せに、家族と生きていくことを望んでいた若い娘。地位も名誉も望んでいなかった。親子ほど年の離れた王の寵愛も、弟のようにしか思っていなかったやたらと懐いてくる王子たちからの好意も、彼女の望むものではなかった。
それなのに、彼女が魅力的すぎるあまりに、僕たちにない美しいものをたくさん持っていたばかりに、僕たちは、彼女を陰謀渦巻く王の家系に巻き込んだ。
無礼な侍女だった。図々しいし、不器用で、けれど、素直な人だった。
僕は、父を永遠に呪い、恨むだろう。愚王と罵り続けるだろう。
なぜレオノーラに手を出したのかと。後ろ盾のない無力な侍女が王の子を孕めばどうなるかくらい、どうされるかくらい、少し考えればわかっただろうと。レオノーラを、僕の大切な人を殺したのは、王妃だけではない。王も、加害者ではないかと。
『どうか、仲の良いご兄弟で…』
ユリエルを生んでから意識を失っていたレオノーラが、最初に発した言葉だった。そして、その後すぐに毒を飲まされた彼女の最後の言葉でもあった。
兄上は、レオノーラがいなくなってから少しおかしくなった。
注意深く見なければわからない程度の違い。けれど傍にいれば気づいてしまう。僕が恨むのは彼女を殺した王と王妃。兄上が恨むのは、レオノーラを浅はかな侍女と決めつけるすべての国民。
とはいえ、僕と兄上には共通点があった。
ユリエルだけは、守らなければいけない。
レオノーラの、たった一人の子供。
父の子でもあることは複雑だったが、それでもレオノーラの子であると思えば愛しさの方が優った。
どうしてユリエルを確実に守れるか。
かつ、復讐まで果たせるか。
僕が出した結論は王政の廃止だった。その前にこれまで集めた王妃の悪事の証拠をつきつけ、処刑をすませる。
何度虫をつぶしても新しい虫がわいてくる。ユリエルが望むのならユリエルを王にするのもいい。だができれば、王家に所属し危険があるところから離したかった。王家から解放させるなら王家をなくしてしまえばいい。そしてまた、王を恨む僕からの復讐にもなると思った。
幸い、パスカルは王族でなくなったユリエルを保護できるだけの力を持っている。このところでは未来のローデリック公爵や公爵夫人にも気に入られているからそちらでもいい。
パスカルはレオノーラとの血縁を隠していたから、事実を知る人間は少ない。レオノーラがこねやつてで城に仕えられるようになったと周囲に思わせないためだったようだが、それが幸いした。王妃に出世が阻まれることもなく、騎士団長とまでなれば十分ユリエルの力になれる。
「そろそろ伯父だとばらしてしまえばいいのに」
「今更名乗り出て行ってもためらわれるだけですよ」
それはそうだが、このまま隠し通すというわけにもいかないだろう。
「兄上も、また大それたことを考えていたようだけど。結局最終的には君にユリエルを任せるつもりだったんだろうね」
「ご兄弟で賢しいガキどもですね」
「レオノーラの身内でなければそんな口をきいて首をはねられかねないよ」
「身内ですので」
それにしても、と呟くと、パスカルはまだ何も言っていないうちから僕が何を言おうとしているかわかったようだった。
「継承権があいつに渡るとは思わなかったけど、なかなか成長しているものだね。いつまでも馬鹿な母親に甘える馬鹿だと思っていたよ」
「素直に見直したと言えばいいでしょうに。なんだかんだ言っても、ご兄弟を心配なさっているのですから」
なんのことだかわからないと言えば、馬鹿にするように溜息をついたパスカルが首を左右に振った。
「ギルバート殿下の想い人……マリアン男爵の娘でしたか。彼女の警護を私の部下に命じたそうではありませんか。よく考えれば、ギルバート殿下の后に男爵の娘など王妃様が許されるはずがありませんからね。まったくよく気の回ることだ」
「マリアンの息子と親しいからであいつのためではないよ」
「おや、そうでしたか。では、アラン殿下やご自身の即位を勝手に目論む過激派からギルバート殿下を守るように、やはり私の部下に命じられたのもご友人に関係が?」
「……うるさい」
子供に言い聞かせるように言うパスカルをじとりと睨んだ。
「ひさしぶりに子供らしい顔をしましたね。ギルバート殿下が成長したとおっしゃいますがね、私にはアラン殿下や貴方の成長も見ていて面白いものがありますよ。なにせ私からすればご兄弟全員まだまだ子供ですからね」
「それは僕たちが子供なんじゃなくて君が年寄だってことだよ」
「やはり殿下は昔から減らず口のクソガキですねえ」
「僕は君が大嫌いだよ」
「さようで。私は殿下のお嫌いな“馬鹿”でも“愚か者”でもないつもりでしたが」
「馬鹿で愚かでなくても本能的に嫌いだと思う相手はいるよ」
「嫌いだの鬱陶しいだの言っていると、やっとできたご友人にも見放されますよ」
「……うるさい」
馬鹿は嫌いだ。
『誰かのために』なにかをすると言う馬鹿。『誰かのために』なんて言い訳でしかないことに気づけない馬鹿。どうしてわからないのか。『誰かのために』がんばる。『誰かのために』仕方なく悪いことをする。それは結局、責任転嫁して自分の居心地のいい環境を作ろうとしているだけだ。
ケインは、少なくとも馬鹿ではなかった。
何故僕に協力しようと思うんだい?
その問いに、彼は迷うことなく答えた。
『自身が許されるために。大切な人ときちんと向き合える自分を取り戻すために』
彼はなかなか面白い。
愚か者はもっと嫌いだ。
誰かのために、自分を犠牲にすることばかり考える人間。
レオノーラは馬鹿だった。愚か者だった。
家族の見栄のために城に仕えて、自慢の娘になろうとした。彼女の両親はこんなことになるくらいなら城になんて仕えてほしいと思いもしなかっただろうに。
妻を亡くし悲しむ王に同情し、自分を犠牲にして、好きでもない男の愛情を受け入れた。
大嫌いだ。
大嫌いだけれど、とても、とても、愛していた。
「僕のすべきことは終わったよ、レオノーラ」
ユリエルが誰にも邪魔されず生きていける環境を作る。
「まあ、王妃様を追放なさったのはギルバート殿下ですがね」
「あいつに王妃の情報をあげたのは僕だよ。なってない。一人じゃあの程度の情報しか集められないなんてね」
「ああ、あそこまで細かい情報は道理でおかしいと……ロメオ殿下でしたか」
やっぱり、仲がいいじゃないですかと言うパスカルの背中を一度蹴った。
「ユリエル殿下にしても、ギルバート殿下にしても、素直に名前を呼んでさしあげればいいでしょう。シャイなところは健在ですか」
「君は本当にうるさい」
レオノーラ。愛しいレオノーラ。
これで、君は安心できる?