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あれから、ユリィ様にはたっぷり叱られたけれど、深くは探られなかった。詳しく知りたいか、とアラン殿下が訊ねても、私たちが知られたくないなら知らされなくてもいいと言ってくれたそうだ。
おそらくほとんどのことは察しがついているのだろうけれど、あの子なりの気遣いなのだろう。
そして再び普段通りの静かな日常(ディアやアラン殿下はひっそり刺客を始末したり処分したり忙しいのだろうけれど)が戻ってきて、いよいよ、今日。
殿下方はお城へ呼ばれ、王位継承者を告げられる。
昨日はアラン殿下とディアの卒業式だったけれど、二人とも卒業式より今日のことが気がかりでずっと上の空だった。泣く気配もなく、心ここにあらずという状態で、気持ちはわかるけれど他の卒業生には失礼だった。
今は、玉座の前の殿下方と、各人それぞれに由緒ある家の子たちが後ろに控え膝をつき、頭を下げている。
アラン殿下にはディア。ロメオ殿下にはケイン。ギルバート殿下にはよく親しそうにしていたルーカス伯爵子息。お友達がいてよかった。しかもダリアの話ではなかなかいい子らしい。なんてギルバート殿下の方をちらりと見る。
今控えている人たちが、高い確率で高い役職ににつくのだろう。
おかしいおかしいおかしい。
どうして私がこんなところにいるのだろうか。それはユリィ様が私に一緒に来るように言ったからなんだけど、それにしたって、女だってこともあるけど落ちこぼれ伯爵家の娘だし。貫禄もないし。雰囲気もないし。場違い!すごく場違い!!
ディアもアラン殿下も、そのうちに公爵夫人だからと言ったけれど、顔を合わせたロメオ殿下とギルバート殿下はあからさまに表情に出していた。ロメオ殿下にいたっては声に出して「場違いにもほどがあるね」なんて言ってきた。おっしゃる通りです。
陛下はなかなかやって来ない。
はぁ胃が痛い。もう嫌帰りたい。
ユリィ様のお願いだから、帰ったりしないけれど。
ああ、もう、こんな体勢でこんなに長々待てるなんてユリィ様はなんて偉いんでしょう。かわいいかわいいかわいいかわいいかわいい。かわいくてもうなにも考えられない。
「久しいな、息子たちよ」
突然ドスのきいた声が聞こえてビクリとなってしまった。いけない、ユリィ様にぼーっとしていた。気づかなかった。陛下が、王妃様と一緒にいらっしゃって、皆、顔を上げるようにとおっしゃった。
あ……やだ、実物を見るのは初めて。絵で見るよりずっと素敵な人だ。そして若い。嘘をつけ。うちの父と同い年なんて嘘をつけ。
「特に、ユリエル。しばらく見ない間に随分と立派になったな」
目元を緩めた陛下に、ユリィ様は「はい……」と静かに返事を返す。そっと伏せられた目元は大人っぽくて。誰。誰、この物静かな美少年は。普段の元気いっぱいのユリィ様とはあまりに違う。どんなユリィ様もかわいいです。今のレアなユリィ様も素敵です。
ああ……っ!抱きしめたい……っ!でなければキュンキュンしすぎて発狂しそう。あ、感情が抑えられなくて涙が出そう……っ!
「レディ・ミラベル。貴女のことも報告を受けている。息子に、いい影響を与えてくれたようだ。感謝する」
「は…っ、い…ぇ……」
突然話をふられてどうすればいいのか、奇声みたいな声を上げただけになった私に、ユリィ様もディアもケインもギルバート殿下も額をおさえている。
仕方ないの!陛下と直接会うなんて、あんな家なんだからはじめてに決まっているし!前もって準備していればよかったけれど、今日私までついてくることになるとは思わなかったし!!
お優しい陛下は目を細め楽しそうに微笑んでいる。優しい。
と、国王陛下のお隣にいる王妃様に一瞬睨まれた。一瞬だったけれど絶対に睨まれた。別に陛下に媚びをうったわけではありませんから。やめてください。立場上声には出しませんが。
それにしても、妙に納得という感想だ。王妃様は確かに綺麗だけれど、気の強そうな顔立ち。こうも顔に性格が出るものなのかというくらい。
行動力がありそうだ。
「ギルバート。貴方も、母の知らぬうちにすっかり逞しくなりましたね」
ユリィ様への対抗か、自身に満ちた美しい笑みでギルバート殿下に声をかけた王妃様だけれど、ギルバート殿下の返事は曖昧なもので、不機嫌そうに顔をしかめ、続けて他の殿下方を睨む。
国王陛下は一つ咳払いをして、穏やかな笑みで王子殿下全員の顔を見渡した。
そして、その後、部屋の入口へと目を向ける。
「失礼します。ライアン・メイシー、ただいま到着いたしました。ご無沙汰をしております、国王陛下。殿下方は昨日ぶりですね。お変わりないようで」
一日ではお変わりはないでしょう。
というつっこみはさておき、突如登場したライアン様は国王陛下に促されずんずんと奥に進んできたと思うと、陛下と王妃様に一礼、その後、殿下方に一礼をした。立っている位置は陛下や王妃様と、殿下方の間。
陛下と王妃様は壇上の玉座に座っているから、図が高い!ということはないけれど、一応礼儀として膝をついた方がいいのでは……?
王妃様もそう思ったようで、不愉快そうに顔をしかめライアン様を見ている。ただし、国王陛下はそうでもなく、微笑んだまま。
「それでは、私から、継承権について、発表させていただきますね」
一人称は気を使っているし、まして公爵令息だし、礼儀を知らないというわけがない。けれど、え?継承権について?ライアン様から?と首を傾げてしまう。
それに、王妃様が勢いよく立ち上がって声をあげた。
「サー・ライアン。貴方は何の権利を持ってそのようなことを言っているのですか?立場をわきまえなさい。まして貴方は、今、この場にいる資格すらないのですよ。王子に許した付き添いはそれぞれ一人ずつです」
すると続いて立ち上がった国王陛下が手をかざし王妃様を遮り、座らせた。そして、要点だけをまとめて説明をしてくれる。
わが国でトップの力を持つ公爵家は二つ。ローデリック公爵家とメイシー公爵家。この二大公爵家は代々、役職を動いていない。国王でさえ、二大公爵家の役職の移動を強制することは許されない。
ローデリック公爵家が担うのは国王の補佐。宰相。
そしてメイシー公爵家が担うのは、王家の監視。国王に適した人間を見極め、時に指導をする。
建国から数年後、専制主義が酷い我が国では一度大きな反乱が起きた。反乱は無事鎮圧されたものの、今後、二度と同じことが起きないように、王族でない人間を観察役として立てることが決まった。
それがメイシー公爵家。
国家機密であるため、知っている人間はごく一部。勿論、王位の継承者が決まるまでは王子も知ることができない。知ってしまえばメイシー家の人間の前でばかり猫を被りかねないから。
にこりと微笑んだライアン様は、そういうことです、と言いながら王妃様を見返した。
国王陛下には積極的にうまく誤魔化しても、自分には筒抜けでしたよー。国王陛下へ取り繕っても無駄でしたねー。ということだろう。
ちらとディアを見ると顔を逸らされた。
知っていたんですね。まあ知っていますよね。話にあがる二大公爵家の一人息子ですものね。
国家機密……。
重い……。
残念伯爵の娘が負うには重すぎる秘密だ。いくらゆくゆく公爵家に嫁ぐとしてもだ!!
「なお、口外されますと身分問わず変死体が見つかることになりますので、皆様、あしからず」
さらっと、ライアン様が言う。恐ろしいことを。
メイシー公爵家の情報網が長けていることは誰もが知っている。そのメイシー家を敵に回すほど、ここにいる人は愚かではないだろう。
今のご当主ではなくライアン様がお役目を任されたのは、学生であるライアン様の方が殿下方を観察できる時間も多く、聡明なライアン様ならば十分な仕事をすると国王陛下もメイシー公爵も考えたそうだ。
けれどこうなると、我が婚約者様はやっぱり賢い。
ディアはライアン様とあまり接触しないようにしていた。単に仲が悪いのかと思っていたけれど、アラン殿下のためだろう。うかつに不利な情報を与えたり、逆に媚びを売るようにしてもよく思われない。アラン殿下のためにライアン様の前で特別変わったことを起こさなかったのも、フェアを保ち余計なことをしないため。多分、そう。
この国の将来は安泰ですね、なんて他人事見たく思う。
「……っ、…そんな…」
王妃様が唇を噛んで震える様子を眺め、ライアン様が目を細め笑いかける。珍しく意地悪い表情だ。
「何か不都合がありましたか?」
そんなこと言いながら、ライアン様は目で『まあ全部知っていますが』と言っている。怖い怖い。
ユリィ様がげんなりした顔になっている。かわいいかわいい。
「それでは、よろしいですか?国王陛下」
「ああ。始めてくれ」
再度礼をしたライアン様は一人一人に目を向け、アラン殿下に焦点を定めた。
「まず、アラン殿下ですが……。残念ながら、継承順位第四位、と判断させていただきました」
『え』
声を発したのは、ユリィ様とギルバート殿下。
正直私もかなり驚いている。けれど、アラン殿下も、ディアも、そうだろうな、という顔をしている。
「小国と併合し、統治権は小国の王家に与えようと画策するなど言語道断ですからね」
ライアン殿下の言葉に、悪戯っぽく笑ったアラン殿下が呟く。
「ばれていたか」
それでは、アラン殿下はこの国を消すつもりだった…と?衝撃的なことなのに、周りが落ち着いているせいで素直に驚けない。
「次にロメオ殿下。殿下は王位継承順位第三位とさせていただきました」
『え』
また、ユリィ様とギルバート殿下だけが声を発する。私も声を出せばよかった。
「王制廃止、とは、聞こえはいいかもしれませんがまだその時ではありません。それに私の務めは良い王を選ぶことですので、必然的にロメオ殿下を選ぶ選択肢は消えてしまいます」
王政廃止…!?王族が自らするものではないでしょうに。
「さすがメイシー公爵家、だね」
こちらもアラン殿下そっくりの悪戯っぽい笑みで肯定するようなことを言う。
「次に、ギルバート殿下。殿下は実に聡明な方ですね。歳は幼いという域にあっても、志は高く、前を見据え、国を愛し、国民を愛し、また、大切なものも学生生活の中で多く見つけたようだ」
継承順位を言わないまま、ライアン様はユリィ様に視線を移す。
「しかしユリエル殿下の成長も著しい。幼いながら、独学でここまでの知識、技能を身に着けるほど努力ができる。なにより、思いやるということをこの年でよく知っている。憎むべき者を許し、罪を憎んで人を憎まない」
ぞくりとした。
ユリィ様も警戒するようにライアン様を見る。
メリッサのことが、ばれている……?そうとしか思えない言動。
「正直、とても困っています。どちらも王に必要なだけの器はある。そこで、お二人に一つだけ質問を。ギルバート殿下。殿下は何故、王になりたいのですか?」
問いかけられたギルバート殿下は、まっすぐライアン様を見て答える。
「愛する人たちの、愛する人たちを守るためだ。学園に出会った大切な存在や、俺を受け入れ、王族としてでなく一人の友として扱ってくれた学友たち。教諭。城に仕える者。町で知り合った者。彼ら全員と、彼らの大切にする全員を守りたい」
ギルバート殿下の答えに満足そうに頷いたライアン様は、次にユリィ様を見つめる。
「では、ユリエル殿下。殿下は、何故王に?」
「…俺は王位なんていらない」
ユリィ様も、まっすぐにライアン様を見つめる。
「俺はギルバートのように志も高くなければ、できた人間でもない。王になってしたいことなんてない。ギルバートが王になれば国は安泰。そう確信できたから、もう愚王が生まれる心配もない。俺は俺なりの夢を追ってそれになる」
やはり、ライアン様は満足そうに頷く。
「やる気のない王ほど悪いものはありません。ユリエル殿下。殿下の選んだ道が、どうか晴れやかなものでありますように。殿下の継承順位は第二位といたします」
ユリィ様も、満足そうに微笑む。
これが、ユリィ様の望んだ結果なら、これ以上素晴らしいものはない。もう迷いはない六歳の男の子。この子がやりたいことを見つけるのはまだ早すぎる気もするけれど、何かを見つけたのだろう。
「では、ギルバート殿下。我が国の王太子殿下は、貴方ということになります」
「ほ……んとう…に……?」
王妃様の不正な行為を知っていたのだろうギルバート殿下は驚きに目を見開いている。
すべて終わったことを見届けた国王陛下は穏やかに微笑む。
その隣で、王妃様が意地悪く笑って他の殿下方を見回している。
「ギルバート。お前にはこれから、今まで以上に政に関わってもらうことになる。いいな」
陛下の言葉に、放心状態だったギルバート殿下は慌てて返事をする。
「おめでとう」と深い笑みを浮かべた王妃様を見つめたギルバート殿下の表情が、ふっと曇る。
「国王陛下……。私が王太子として許されるべきかは、陛下が、ご判断を。これから私がすることを見てそれでもとおっしゃるのなら…」
立ち上がったギルバート殿下は、ルーカス家のご友人に声をかけると、ルーカス家のご子息は懐から紙を取り出し読み上げた。
それは、王妃様のしてきた悪事の数々。陛下に毒を盛ったことまでは言っていなかったけれど、それを匂わす協力者の名前までもあげていく。
王妃様の顔はみるみる青くなっていき、陛下は表情を変えず、驚いた風もなく真剣に聞いている。
「私は国王陛下に、王妃、セレーナの国外追放を提案します」
目をつむった国王陛下は、ゆっくりと頷いた。
「受け入れよう」
「陛下!!」
王妃様が甲高い声で陛下にすがる。
「そんな…こんな…でたらめですわ!ギルバート!何故母をそのように…」
「母上、陛下は……、父上は慈悲をくださっているのです。私と、母上に」
真剣な表情のギルバート殿下は、拳をかたく握り、静かな声に怒りを乗せる。悲しみも少し。
「母上は父上を愛していたのですよね。母上はただ、父上に愛を返してほしかった。けれど……父上の心はいつも、別の女性のもとにあった」
今の王妃様は最初の正妃様ではない。身分も考えずただ愛された侍女でもない。身分のために今の地位にいる王妃様は、陛下の中で一番の女性ではない。
「私は知っています。母上が、ただ純粋で、そのために間違ったことに気づいていないと。母上、人を傷つけることは、いけないことなのですよ。愛しさが憎しみに代わり、父上を恨むこともあったでしょう。けれど母上がすべきだったのは、父上と向き合うことであって、父上や兄上たちやユリエルを傷つけることではなかった。侍女を、殺めるべきではなかった」
その侍女が誰であるのか、皆うすうす気づいている。それでも黙って聞いていた。
「逃げてください、母上。貴女の息子は貴女を愛しています。私の母は貴女だけです。ですからどうか。貴女が生んだ復讐者はたくさんいる。私と陛下から貴女にできる最後のことです。貴女を城に住まわせるわけにはいかない。この国ではないどこかで、どうか、幸せに生きてください」
俺はもう二度と会えないかもしれないけれど。
ギルバート殿下が小さな声で言うと、陛下の指示で王妃様が下がらされた。陛下は悲しそうな顔で、連れていかれる王妃様を見つめていた。
これはただの私の想像。
陛下は悲しんでいらっしゃる。そして申し訳なく思っている。王妃様を、愛してあげられなかったことを。
「陛下。自らの母を陥れる私に王太子を名乗る許可をくださるのなら、精進していきます」
国王陛下は当然の如く、首を縦にふった。
***
「ライアン・メイシー!!」
陛下が退出した部屋から出ていこうとするライアン様を呼び止めたユリィ様は、駆け寄ってじとっとライアン様を睨みつけた。
「メリッサのこと……どこで知った」
ライアン様は穏やかに微笑んで、首を傾げた。
「僕の恋人は情報通でして。ああ、ですがご安心を。情報を提供してもらう際、エベレット嬢に何かしたら承知しないと釘を刺されましたので、首をつっこむ気はありませんよ。僕に必要だったのはユリエル殿下についての情報でしたから、正義の味方のように積極的に犯罪に立ち向かう気はありません」
私もユリィ様の隣に行くと、私に視線を移したユリィ様は瞳の中にクエスチョンマークを浮かべている。
「知っているのはあそこにいた人間だけのはずだ」
ピクニックですね。
ライアン様はクスッと笑って、踵を返した。
捨て台詞のように爆弾を置いて去っていく。
「エベレット嬢のことに関しては他言無用。違えたりしませんよ、ご安心ください。僕のマティは怒ると怖いものですから、僕は約束をやぶれません」
バタン。ライアン様が出て行ってから数秒。私とユリィ様は見つめ合い、先ほどのライアン様のセリフを半分ずつ繰り返してみた。
「僕の……」
「マティ……」
……。
「僕のマティ!?」
「あいつ、確かに僕のマティと言ったぞ!!」