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ユリィ様の右手は私。左手はディアがにぎって、街道を歩く。
ディアは次期公爵様でおそらくほぼ確実に次期宰相様。なので訓練はしているし勉学にも励んでいる。努力家な彼は文官としても武官としても優秀な人。ユリィ様の護衛にはもってこいの人材だ。これなら街中も安心して歩ける。
それにしても、父と母に挟まれ手をつないだことはあっても、自分が挟む側になるのは新鮮だ。それに、自分の子というわけではないのに、ユリィ様を自慢したくて仕方なくなる。こんなにかわいい子は他にいないでしょう、と。
「こうしていると、家族になった気分ですね」
風が起きるような速さで私の方に顔を向けたディアは、一瞬驚いた顔をしたあと、穏やかに微笑んだ。素敵な笑顔。ユリィ様がかわいいせいね。
「君はきっといい母親になるだろうね」
「どうでしょう…」
遺伝がしかりしていれば、そうかもしれない。両親とも、親として言うなら私にはこの上なく素晴らしい人たち。
犬も食わないような夫婦喧嘩をもう少し減らしてくれればもっと好きになる。
「俺とミラの子供はきっといい子だぞ!」
「まあ…私とユリィ様の子ですか?」
思わずふっと噴き出してしまった。私の想像では、ユリィ様は私の子にあてていたのだが、ユリィ様は違ったらしい。
「ユリィ様が私をもらってくれるのですか?」
「そうだ!ミラは気立てのいい娘だからな。俺のお気に入りだ。幸せにしてやるぞ」
あああああああああああああっ!!
街中でなければ全力で叫んでいたところだ。いつだったか、父に貴方と結婚するのだと言った時号泣されたけれど、今なら気持ちがわかる。
「そうですね。貰い手がなければ、お願いしないといけませんね」
「俺が大人になるまでは縁談はすべて断るんだぞ!こいつとも婚約解消だ!」
こいつ、と言いながら、ディアの手が思い切り払われる。それから背伸びをして両手で私の腰回りを抱きしめるユリィ様は小さく笑った。ああもう、この子は私の子でいいのでは。あまりかわいいことをされるとさらってしまいますよ。
抱き上げようとしたのだけれど、かなわなかった。ディアが、ユリィ様の小さな体をひょいと持ち上げたからだ。
「殿下、お疲れでしょう。ここからはこうして進みましょう」
「あら、よかったですね、ユリィ様」
手をつなげなくなったのは名残惜しいけれど、長身のディアに抱っこされるのは小さい子供には嬉しいだろう。ぽっちゃり低身の父を持つ私は、ディアのお父様に抱っこしてもらうのが楽しくてしかたなかった。
見える景色はだいぶん違っているだろう。
「…下ろせ」
「無理はなさらずに。俺の恋人も微笑ましげに見ていますよ」
「…っ、下ろせ木偶の坊!!何が恋人だ!!」
子供扱いは嫌なんですよね。べしべし叩いているけれど、そんなことをしてディアがバランスを崩したら大変。街の地面はスウェイン家の屋敷周辺の花畑のように柔らかくない。
いけませんよユリィ様、と止めると、ユリィ様は口をパクパクさせた後そっぽを向いてしまった。
「恋人ではありませんよディア。もしも大きくなってもミラのことを覚えていたら、迎えに来てくださいねユリィ様」
「当然だ!ミラは俺のミラだからな」
ぱっと機嫌を直したユリィ様が、私に手招きをする。それに従って傍に行くと、頬に柔らかい感触が伝わる。キス。キスをされた!
「嬉しいか?」
「ええ。とても!」
かわいい!かわいいいいいいーっ!!ユリィ様を抱っこするディアごと抱きしめて、少しだけディアに挑戦してみる。
「羨ましいですか?ディア」
「ああ…まったくだね」
「ふふ……私の特権ですよ」
男同士ではユリィ様も気が引けるでしょうから。そうでしょう、羨ましいでしょう。
「そうではなくて…いや、いい」
「何か言いたげだな、ユーディアス・ローデリック」
ふふん、と鼻を鳴らすユリィ様に、ディアが静かに微笑む。あら、不機嫌な時の笑顔。私ばかり特別扱いされるから妬いてしまったのね。罪な王子様。
***
街中のベンチに座って、帰る前のほんのひと時の時間。ユリィ様は疲れて眠ってしまった。ディアにだっこされて眠るユリィ様は便箋の入った袋と、途中ディアに買わせた瓶詰のミルクキャンディーを抱きしめている。試食で初めての庶民の味がお気に召したようだった。
「君も厄介なものを押し付けられたな」
「そんな言い方、どうかと思います」
ディアにしては珍しい厳しい口調に酷い言い方。驚いたけれど、そんな気分の日もあるのかもしれない。
「この子が誰か、君は本当にわかっているのかい?ミラベル」
「ええ。五歳の、純粋な王子様です」
「王族がどんな存在であるか、君はわかっていないよ」
無知な私を哀れむように、ディアの手が頬を撫で、髪を梳く。懐かしい。私を叱る時も慰めるときも、同じ表情で、同じ仕草をしていた。もうずっと昔。私たちがうんと小さかった頃。
これをされると居心地が悪くなって、私は自分のできの悪さを思い知ったものだ。
「言っては何だが君の家はもうほとんど権力はない。この小さな王子殿下が欲しいと言えば、君を手に入れることは簡単なんだよ」
「では、ユリィ様と一年でのお別れは延期になりますね。折角懐いてくれたんですもの。嬉しいことです」
「真面目な話だよ」
声が厳しい。目も、ギラギラと光っている。
「俺は君に幸せになってほしい。…俺が、幸せにしたい」
「同情ですか?贖罪でしょうか?でしたらやめてください。貴方は何も悪くないんですから」
「俺は君が思っているような人格者ではないよ」
ディアが一度、深呼吸をする。
「ただ君を愛している」
「だけどそれって、家族愛に等しいものでしょう?」
父親と二人だけしか家族のいないディア。幼馴染の私はきっと貴方の目に妹のようにしか映っていない。貴方がもし私を女として見ていると言うなら、それはただの勘違いだ。
「君は頑なな人だね。どうしたって俺を信じない。……今はそれでいい。それよりも、俺は君がユリエル殿下とこれ以上親密になるべきではないと言おう。互いのためにならない。君の想いこそ家族愛の延長線の母性だろう」
それは勿論、私も五歳の男の子をそんな風には見ない。ただ兄弟のいない私には新鮮で温かさをくれるユリィ様をかわいく思う。
ユリィ様もきっと、亡きお母様、あるべきだった家族の存在を私に求めているのだと思う。
「それでも殿下が君に関係を求めたら?君は受け入れるのか?ああ、君は受け入れないだろう。だがこの子は王族だ。君の意思など無視できる」
ユリィ様の頭を撫でる私の手は、ディアに止められてしまった。
「君の意思を無視した関係は初めはこの子の心を満たすだろう。だがいずれ虚しさはやってくるよ。君は、小さなユリィ様だけを見る。この子を男として見ることは、どれだけ時間が経とうとありえない」
私をもらってくれるという話を真に受けたのだろうか。あんな些細な冗談を?もしかしたらそう思っているから、ディアは私を諭しているのかもしれない。ユリィ様は王族、ということよりも、ユリィ様は幼い男の子、という思いの方が大きいから。
「何も憎いわけじゃない。君が殿下を気に入っているなら、殿下にも悲しい思いはさせたくない。何よりこの子は実際、小さな男の子だしね」
「知った風に言うんですね。女性関係で苦労でもしましたか?」
茶化すように言えば、ディアは少し切なそうに笑った。
「自分を見ているようだよ。力で…それも家の力で、大切な人を自分につなぎとめようとするのは。……実行するまで、こうも虚しいことだと気づけなかったね」
皮肉っぽい口調は、彼が自嘲する時よく表に出る癖だ。
「寮へ帰りましょう、ディア。寒くなってきましたから。寒いと、心も凍えるような錯覚をしてしまいますもの。部屋で暖まれば、貴方の心も少しは楽になります」
「そう、俺の心は凍えてしまいそうだったのか。気づかなかったな」
彼が私にしたように彼の方を包んでみると、彼は私の手に頬を摺り寄せて来た。
「大人気ないね。色々と言うが結局、俺は嫉妬をしているだけかもしれない。すまないミラベル。俺は君を、逃がしてやる気はさらさらない」
***
ベッドの中からユリィ様の視線を感じる。私といえば机に向かっている。
「ミラは何をしているんだ?」
「お勉強ですよ。明日から授業が始まりますから」
そういえば……。
「ユリィ様はどこでお勉強をするんです?やっぱり、一年生と授業を受けるんですか?」
「俺は、ミラから離れないぞ」
……うん?
「私は七年生ですよ?」
「知っている」
「ユリィ様は、何年生ですか?」
「七年生だ。試験はパスした。問題ない」
飛び級の試験をパス…!普通に飛び級するだけでもすごいのに、ユリィ様は間違いなく私より賢い。軽く眩暈を覚えた。
「きちんとミラと同じ学年だぞ。ミスの数も計算したからな」
ということは本気を出せば最高学年、下手をすれば卒業レベルなのでは。たかが学年首席で天狗になっていた自分が恥ずかしい。五歳に負けた。
「クラスもミラと一緒だぞ!」
「徹底していますね…」
嬉しいけど、親離れではないけれど私から離れて大丈夫か心配になる。実技の授業は別々のことをユリィ様は知っているだろうか。実技では男子は剣を、女子はマナーを習う。七、八年生合同なのでディアが一緒だから大丈夫とは思うけれど……アラン殿下も一緒だ。心境は複雑なものになるだろう。
というか、私が授業中離れても平気だろうか。知らない年上の男性にばかり囲まれて不安にならないだろうか。目を離したすきにケガをしないだろうか。ユリィ様がというより私が離れられないのかもしれない。
「あ…頭痛が……」
目を離したすきに転んだら?熱をだしたら?考えたくもない。
「大丈夫かっ?」
「ええ…なんとか……。もう眠りましょうか。ユリィ様、私もいれてくださいな」
「足が冷えているぞ。気をつけろ。しもやけにでもなったら…」
そんなに冷えてはいませんよ。
「俺はユーディアスが嫌いだ」
「そうみたいですねえ…」
電気を消してすぐ、ユリィ様が言う。まあ今日の様子を見る限り相性は最悪だった。
「けど今日はいいものを貰ったからな。今度礼に手紙を書いてやる」
「あら、礼儀正しいんですね」
ミルクキャンディーはよっぽどお気に召したらしい。大切そうに枕元に置かれている。憎まれ口をたたいているけれど、抱っこされているユリィ様はいつもと違う景色に目をキラキラさせていた。お互い、好いていなくても言うほど嫌っていないようだし。男兄弟って案外こういうものなのかもしれない。
「ミラにもらった便箋を使いたいだけだからな」
「きっとユーディアス様も喜びますよ」
あの人も案外単純ですから。