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よくもまあ……。
感心してしまった。
よくもまあ、こんな殺風景な場所にこれほどの隠れ場所を作ったものだと。移動してきたのか以前来た時よりも明らかに木や茂みが増えている。
さすがというか、簡単には見つからないけれど、あそこには兵が三人、あそこには五人、あそこにはパスカル様が隠れていて、あそこはディア、そこにはロメオ殿下、等々、皆の隠れ場所は事前に知っているので注意深く探せば見つけられる。なんとか。
布を敷いた上にバスケットをいくつも置き、ユリィ様に食べさせたり自分も食べたり。
「これが一番うまい」
「あら!あらあらあら!嬉しいことを言ってくれるわユリエル王子!それは私が作ったのよ」
「そうなのか?マチルダは料理ができるのか」
「エリカもできますよぉ」
「嘘つかないの。あたしとエリカはからきし駄目だよ」
「そんなことないもぉん。頑張れば時々うまくいくもぉん。ねー、ミラベルちゃん」
ぼぅっとしている私に、エリカが声をかけて来たけれど話を聞いていなかった。
「え?なんて?」
首を傾げると、エリカはぶくぅっと頬を膨らませた。
「もー!ちゃんと聞いててよぅ」
謝ると、エリカは少しだけ悲しそうに眉を下げた。
ああ、エリカも辛いのに、私がぼんやりしていたらいけない。
「でもでもぉ、やっぱり外で食べるといつもより美味しく感じるねぇ」
「そういうものか。ミラ、ほら、食べさせてやる」
あらあらあら。
「少しでも自分でお野菜を食べてみましょうね、ユリィ様?」
見事に葉っぱだけを残していますね。食べさせてくれるならもう少しタンパク質もほしいところですね。
唇を尖がらせたユリィ様は、ちびちびとレタスを食べ始めた。顔のパーツがどんどん中央に集まっていくように見えるのは目の錯覚だろうか。
皆に偉い偉いと褒められるものだから、いつもより多めに食べている。うん、偉い。
食べ終わると、ユリィ様は今日も薬草の話をして周りを驚かす。私たちの知らない知識ばかりを披露するのだから、とても六歳児とは思えない。
その辺に生えている草にだってきちんと名前があって、薬にもなるし毒にもなるという。皆、草というより夢中に話すユリィ様に夢中になって、とても穏やかな時間が流れる。
ああ、ずっとこんな時間が続けばいいのに、なんて。
もっと早く色々なことに気づけていたらもっと悲しむ人が少なくて済んだかもしれない。だけど……もう、遅い。
「お前たちが病気になった時は俺が調合した薬を持って行ってやるからな!」
皆で一斉に胸をおさえた。もう、なんて可愛らしい。そして優しい。
「……あ……あの…」
メリッサが、呻くように私の名前を呼んで、ユリィ様と私を交互に見る。マチルダは眉間に皺をよせ、不審がるようにメリッサを見つめて。エリカは、いつもと違う、下手くそな笑顔でユリィ様を抱きかかえた。
「…あの…。ううん…なんでも、ない…」
結局口を閉じたメリッサに、マチルダは不機嫌そうに拳を上下にふる。
「何よ、はっきりしない子ね。最後までちゃんと言いなさいよ」
マチルダをちらりと見たメリッサは、口をへの字に曲げて、目を潤ませていく。
「どうしたんだ?どこか痛いのか?こら!マチルダ!言い方がよくないぞ」
エリカから離れたユリィ様はマチルダとメリッサの間に向かい、メリッサを守るように立った。それから、慰めるようにメリッサの腕をさすった。
目を見開いたメリッサは、突然声をあげて泣き出した。
「ちが…っ、違う…っ。違うの。違う、違う……っ」
座り込んだメリッサの頭をユリィ様が撫でると、メリッサは更に蹲って泣く。
自分が泣かせてしまったと思ったのか、マチルダは戸惑っているようで、オロオロしながらメリッサと同じように座り込んだ。
「な、なによ…っ。別に責めているんじゃないんだから!た、確かに言い方がきつかったかもしれないけれど…」
「違う…っ、マティ、違うの…っ。あたし、…たし…っ、悪いこと、したの…っ」
ああ、これ以上は、いけない。
「ユリィ様、あそこにアラン殿下とディアがいます。急いで、あそこまで走ってください。行けますか?」
こしょこしょっとユリィ様に耳打ちすると、ユリィ様は首を横に振った。
「メリッサが、泣いてる」
ごめんね、こんなに優しい子なのに、騙してしまって。このピクニック自体が罠だったなんて、小さくて無垢な王子様に知らせたくはない。
「お願い。お願いします。ミラの、一生に一度のお願いです」
「……嫌だ」
「ユリエル王子殿下。どうか」
「嫌だ!!」
今にも泣きそうな顔をしながら私を睨むユリィ様は、すぅっと息を大きく吸ってから、声を荒げて叫んだ。
「ばかにするな!皆、皆だ!!自分が子供なくらい知っている!子供だって考えるし、子供だって理解することくらいできる!!皆、俺をばかにするな!!」
その目は、周囲全体をぐるりと見回した。
眩暈を覚えた。
ああ、なんて賢い子。この子は、どこから気づいていたのだろう。そしていつから、何にも気づいていないふりにつとめていたのだろう。
「きっと、何か理由があったんだ。それを確かめもしないで陥れようとする奴らなんて皆嫌いだ!!」
メリッサを抱きしめたユリィ様は、そっとメリッサの懐に手を入れ、銀のナイフを奪い取った。
マチルダは目を見開いて、エリカは顔を横に逸らして。ユリィ様だけが、まっすぐメリッサを見つめている。
「メリッサがどんな理由で俺を殺そうとしたかなんて知らない。だが、このナイフは俺が見せてほしいと言ったからお前は今日ここへ持ってきただけだ。もし今まで他にも俺の身が危機にさらされていたことがあったなら、それは全て俺がメリッサにそうさせたんだ。毎日退屈だったから、何かスリルのあることをしたいと俺が願ったんだ。だからメリッサ・エベレットは一切のお咎めを受けない!」
口元を抑え首を横に振るメリッサは、ユリィ様にしきりにごめんなさいと繰り返す。
「違う、あたし、ユリエル王子を、あたし…」
「俺がそうと言ったらそうなんだ!!」
私をふり向いたユリィ様は、肯定以外許さないという目で私を見て訊ねてくる。
「ミラが証人だ。俺がメリッサに指示したどの時も、ミラは一緒にいた」
もちろんユリィ様は自分に刺客をおくれなどという指示は一つも出していない。だけど本人がそう言ってしまえばそれまで。第三者がいくら有罪だと叫んでも何も変えることはできない。
その上証人までいたら事件はなかったことになる。
お前はあくまで俺の保護を任され、俺の意見を尊重しなければならない。そんな風に、ユリィ様が言っているように思えた。
「……はい」
***
メリッサを疑うきっかけになったのは、学園内に忍び込んだものの、ディアに返り討ちにあった刺客だった。
あんな、せいぜい一般階級の便利屋くらいの刺客を階級の高い貴族が雇うとは思えなかった。たとえ、親と共謀していなかったとしても、大層な家柄の子供が通う学園内の生徒、教師が一人の力で野党としてもあまりにお粗末な人材だった。
メリッサのお父様は階級を持つ貴族ではない。エベレット弁護士は、知名度も高く、負けなしの弁護士と有名、収入も上々だがはやり我が校に通う生徒たちの親とでは比較できない収入のほど。
とはいえ、メリッサが学園内で目の敵にされることはなかった。エベレット弁護士は庶民から貴族まで多くの人を救ってきたから。
もし、仮に、貴族でなくいち弁護士の娘であるメリッサが、自分のこずかいだけで人を雇ったとしたら、今回仕向けられた刺客くらいのレベルが妥当ではないか。
もちろん、それだけで確信を持ったりはしなかった。
自分から仕掛けたのは、アルウィック邸へ向かう時。
私がアルウィック家へ行くことを知っていたのはマチルダとエリカとメリッサだけ。アルフォンソ・アルウィックと親しいことをあまり表に出したくない私の心境をわかっている三人なら他言することはないだろうと思った。
そして、あらかじめアルウィック邸へ行くことを教え、当日私たちはわざと、うんと遠回りをしてアルウィック邸へ向かった。
本来使うはずだった道へはパスカル様と騎士団が向かい、案の定待ち伏せしていた賊の討伐をした。パスカル様がアルウィック邸へ私を訪ねて来たのはその報告のためだ。
やはりそこで討伐した賊の質も悪く、雇い主をあっさり明かしたという。
そして、一番の決め手。
ケインともめた日訪ねて来たエリカの話。
「お願い、ミラベルちゃん。エリカと一緒に、メリッサちゃんを助けて」
全てを話すつもりで来たのだろうエリカは、迷わず知っていることを全て話した。
「アルフォンソ様と、ケイン様がお話しているのを聞いちゃったの。アルフォンソ様と待ち合わせをしていてね、お庭に行ったら、ケイン様がアルフォンソ様に話しかけてたの」
お前も、メリッサ・エベレットについて調べがついているんじゃないのか。ケインはアルに、そう尋ねたそうだ。
アルは、なんのことだかわからないとしらをきったらしいけれど、エリカからするとそれが嘘なのは明らかだったという。
ケインが立ち去った後、今来た風を装ったエリカはアルに訊こうとはしなかった。アルが素直に教えてくれると思えなかったから。
自身の人脈を使い、時には調べを進めているだろうアルの部屋に忍び込んだりもして。やがて、メリッサがユリィ様を殺害しようと企てていることを確信した。
ケインが懲りずにアルにゆすりをかけるのも長々つづいたので、彼がここまで疑うのならこれは間違いとエリカも調査を止めず、メリッサの私物(主に書類)を気づかれないように拝借もしたという。
「お願い、ミラベルちゃん。いけないことだってわかってるの。メリッサちゃんはとってもいけないことをしてて、それを庇おうとするエリカもいけないことってわかってるの。ユリエル王子を傷つけたくないよ。傷つけようとしたメリッサちゃんに怒ってるよ。でも、でも、エリカは、メリッサちゃんも大事なの」
アルにも確認を取ると、もっと確実な証拠をつかんでから私やエリカに報告するつもりだったのだと全て認めた。
しゅんとするエリカを慰めるアルを見て、いつかアルの言っていた生涯のお相手はなんとなくわかった。
そうして、ロメオ殿下からメリッサをはめる提案をされてすぐ、私はエリカにこのことをあかしたわけだ。
きっとメリッサは思いとどまってくれる。私もエリカもそう信じていた。だけど、今となると恥ずかしくも思える。
私たちは心のどこかでやはりメリッサを疑っていた。逆上して思わぬ行動に出るかもしれないなんて。だからこそ、逃げ場のないこの状況でメリッサを追いつめていた。
けれどユリィ様は。
一番つらいはずのユリィ様は、命を狙われていたことを知りながら、彼女を抱きしめ、手を差し伸べた。
この子くらい優しい人間になれたらよかった。
私は、そしてエリカもきっと、そう思った。