36
連れて来られたのは、男子寮で。婚約者のいる身で他の男性の部屋に入るのはどうかと迷っているうちに部屋に押し込まれた。
ケインの部屋らしいけれど、必要最低限のものしかなく生活感があまり感じられない。
部屋の主のケインではなくロメオ殿下に座るように促され、全員の顔が見えるように輪になって座った。
「君が壊滅的馬鹿でなければ、今回の件で君が世話をしている小さいのの身がより危険にさらされることはわかっているよね」
「はい」
「君のご友人も本格的に動く頃だよ」
ケインが立ち上がって声をあげた。
「殿下!!何を……!!」
ロメオ殿下に掴みかかろうとするケインを、ロメオ殿下は涼しい顔で交わした。面倒くさそうに頭に手を当てたロメオ殿下は、小さく溜息をついてケインをちらりと見た。
「もう彼女は気づいているようだよ。彼女の頭がよくないのは変わらないけれど、君が思っているより彼女は弱い人間ではないらしい」
ロメオ殿下の言葉に、ケインは目を大きく見開いて私の方を向いた。
苦笑を返すと、ケインは苦々しい顔で俯いて歯ぎしりをした。握っている拳から、指が食い込んだせいで血が流れて来た。
こんなに強く握っちゃ駄目じゃないの。言いながら、ケインに手を開かせる。手当代わりに簡単に魔法をかければすぐに傷は消えた。
「馬鹿ミラ」
「ケイン…?」
「どうせまた、好奇心だけで首をつっこんだんだろう」
どう返せばいいのか……。好奇心だけで動いたのではないけれど、ディアやケインの忠告を無視したので言い返すこともできない。
「それで、これは僕からの提案だよ。事情を知っているなら、僕の手伝いをしてくれない?君でもできる簡単な仕事だよ。ただの囮」
「それは手伝いと言うより、一方的に利用されるだけなのでは……」
「ああ、そうとも言うね」
そうとしか言えない内容ですよね。
「具体的には何をすればいいのですか?」
「君のご友人を外に連れ出してくれればいいよ。勿論、その時は末の王子も一緒にね。そうすれば彼女は間違いなく末の王子を手ずから殺しにかかる」
血の気が引いていく。指先が冷たくなってきた。
「弟君の心に、消えない傷を残すおつもりですか」
ロメオ殿下は喉を鳴らして可笑しそうに笑う。
「君、筋金入りの馬鹿だね。アレは、今更他人に裏切られることに動揺しないよ。城というのはそういう場所だ。第一、これくらいで動揺するようならアレはこの先生きていけないよ。学習し、人を疑う心を養わなければいけない。アレが早死にするのが嫌なら、躊躇するまでもないことだ」
それにしても、だ。
ユリィ様は私の友人たちを信用してくださっているし、まさか心を許した相手に殺されかけるなんて、そんな酷いことはない。
だいたい、その作戦じゃ囮になるのは私というよりユリィ様だ。
「弟君がお怪我を負わされることはお考えにならないのですか?」
「そのための、君じゃないか。君が盾になればいい。だから、君が傍にいない間は決してアレを君のご友人に近づけないでもらいたいね」
「それは勿論、そうします。ですが私の力では及ばないこともあるかもしれません」
むしろ、ほぼ引きこもりで運動能力皆無、盾になって一時はしのげても、それは本当に一瞬だろう。
「その点は問題ない。不意打ちを一つ凌げれば、後は僕が控えさせた兵が君のご友人を捕らえるよ。パスカルも協力してくれるだろうしね」
一国の王子となると、優秀な兵士も動かせるということですか。
パスカルというのは、ユリィ様をひっそり護衛している騎士様だ。ユリィ様が我が家に来てからすぐ挨拶をされた。極力、ユリィ様が護衛の存在に怯えないようにユリィ様に気づかれないように警護する、と言ったパスカル様はどうやら騎士団長様らしい。アルウィック邸で私に報告に来たのも彼だ。
パスカル様曰く、彼は自ら希望してユリィ様の護衛を引き受けたそうだ。騎士団長様の後ろ盾があるならユリィ様もお城で過ごしやすかったのでは、と尋ねたが、パスカル様は苦笑し、わけあってユリィ様を公には庇えないのだと言っていた。
「他の方法でユリィ様の命が狙われる可能性は?」
「潰している最中だよ。簡単なことだ。相手側は持っている人脈の数が極端に少ない。すぐに終わるね」
「なるほど……」
殺そうとするその現場をおさえればもう証拠も必要とせず捕らえることができる。それがロメオ殿下の狙いだろう。
すぐに、はいわかりましたと頷けないのは、ディアの顔が頭の中でちらついたから。無茶はするな。危険なまねはするな。そんなことを散々言われてきたのに、完全に無視して勝手に動くのはさすがに罪悪感が芽生える。
「この件は他言無用なのでしょうか…」
「随分と当たり前のことを訊いてくるね」
「たとえば、私の、他の友人であったり」
「信用ならない」
「アラン殿下や、ユーディアス・ローデリックであったり」
ケインが壁を殴った。
「ユーディアスの阿呆は、まだ裏切り者に気づいていない。あんな愚図に言って何になる」
「いいえ……。ディアは、多分、気づいていると思うの」
あの人はちょっと抜けているから、私が気づいていることに気づいていないけれど。私が確信を持った時、改めてディアを観察するとすぐにディアが隠し事をしているのがわかった。ディアは誰が王妃様に利用されているか知っている。だから、あの子と私が一緒にいる時、ディアは一瞬悲しそうに目を伏せる。
ケインは、目を瞬かせて首を横にふった。
「そんなはずない……。あの、馬鹿は、他人を疑わない。平和ボケした発想しかない坊ちゃんに、ミラが守れるわけ、ない」
「……あの人はね、あれで結構難しい人なの。作り笑顔が上手で騙されてしまうけれどね」
王子殿下ほどかはわからないけれど、公爵家のご子息は警戒心が人一倍。ずっと近くにいたから知っている。ディアが本当の笑顔を浮かべているときと、無理をして笑っているとき。圧倒的に後者の方が多い。
貴方は人間不信なんですか?
尋ねると、自分はただ慎重なのだと言った。
「ふぅん……。まあ、兄上の力があれば、答えに辿りついていてもおかしくはないか…。……かまわないよ。それなら兄上にも働いてもらおう。君の婚約者殿にもね」
「ええ…。あの」
気になっていたことを恐る恐る尋ねる。
「弟君を愛していらっしゃいますか?」
「まさか。……けど、末の弟を殺されるわけにはいかないんだ。だから君がどれだけ疑ってもそれは必要ないものだよ。きちんと、君のお望み通り末の弟を守ってあげるよ」
「なぜ?」
「そこまで教えてあげるだけのものを君からもらった覚えはないね」
***
寮の外まで送ってくれたケインは、ずっと黙って地面を睨んでいた。
そのままユリィ様がまだいるだろう学校に戻ろうとすると、手首をつかまれて止まった。
苦しそうに眉を寄せるケインに向き合うと、、一度深呼吸をしたケインは、私の目を見てポツリポツリと語り出した。
「これで、清算できると思っていたわけじゃないんだ」
なんのことだかはわかる。責任感の強い人だから、きっとずっと、抱え込んでいたのだろう。
「俺も、ダリアも、好きだったんだ。スウェイン家の人たちが。ミラは、本当の姉さんのようだったし、夫人も俺たちと遊んでくれて、伯爵は、優しくて、優しすぎて。父と、母と、ダリアと一緒に、ずっとスウェイン家の人と仲良くいられると思っていたんだ」
懐かしむように目を細めるケインは、だけど悲しそうにも見える。
スウェイン伯爵家がここまでおちこぼれてしまった一番の原因は、父がある骨董商に散々騙されたからだ。そもそもその骨董商が何故我が家をよく訪問するようになったかと言えば、妻が我が家に侍女として雇われていたからだった。
妻の紹介で我が家へ訪れるようになった骨董商は妻の言う通り、父がいい金づるになると踏んだ。しかしとうとう、ただの偽装品を高額で買い取らされていることに気づいた父は骨董商を二度と家へ入れなかった。骨董商の妻も解雇した。
父が骨董商に復讐を考えなかったのは、何も知らない彼の子供たちを思ってのことだった。子供がいれば警戒心も和らぐだろうと骨董商が打算から連れて来ていたその子たちは、あんまりに純粋だったから。そのお人よしのせいで舐められ、かさねて、解雇した侍女がうちを出る際うちから盗みを働いたのは予想外だったけれど。
やがて骨董商は同じような手口で他の貴族にも近づき、様々な情報を入手し、国家に貢献したために、爵位を得た。
それが、シェズ・マリアンという男。
「貴方自身は何も悪いことはしていないでしょう?」
ケインは何も知らなかった。それは間違いない。でなければ、まだ子供だったダリアとケインがお芝居であんな風に私や母に懐くはずがない。それに、子供には難しい現実だった。私にだって理解するには時間がかかった。
しっかりわかっていたのは、父と母が言い争うようになって、母が実家から帰って来なくなったことだけ。
「知らなかったことを言い訳にはできない。俺も、ダリアも、スウェイン家を騙して得た金で食ってきた。その事実は変わらない。こんなことで償えるとは思っていなかった。ただ、もうミラを傷つけたくなかったんだ。俺の家族のせいで傷ついたミラを、これ以上悲しませたくなかった」
泣いてしまうんじゃないかと思うくらい、瞳が揺れている。
「ミラに気づかれないように、ミラから遠ざければ、今回は、裏切られたことも気づかないですむと思った。どうするかまではまだ、うまく、考えられていなかった。でも、とにかく、ミラが、傷つかなければそれでいいと……」
とうとう涙を流したケインは、私から目をそらしてまた地面を睨む。
「ごめん……。ごめん…。本当は、ずっと話しかけたかった。入学したときから、ずっと、ミラに話しかけて、謝って、昔のようにミラと笑いあいたかった。けど今更、どんな顔で会えばいいかわからなかったんだ。せめて遠ざけようとしても、悪態をついても、ミラは優しくて、俺は、甘えてしまいそうで、怖くて」
婚約者がいる身なので抱きしめることはできなくて、できることだけはしようと頭を撫でる。
撫でていた手をつかまれたと思うと手を重ねられ、ケインの頬に連れていかれた。
「アルウィックが、羨ましかった……」
「貴方とダリアだって、私にとっては弟妹も同然よ?もう少し、素直になるとなおいいけれどね」
冗談めかして言うと、ケインも少しだけ笑って、小さく頷いた。
「浮気か」
「お前、よくそんな言葉を知っているな」
ケインと一緒に振り返る。
先に言ったのがユリィ様。次に言ったのがアラン殿下。ユリィ殿下を抱いているディアは無言で私を見ている。
「違いますよ」
冷静に否定する私とはかわり、ケインは大慌てで涙をぬぐって呼吸を整えた。
「浮気はばれなければ問題ないとアランが言っていたが、ばれてしまったのでこれはまずいぞミラ」
「しまった。俺のせいで覚えた言葉だったか」
ディアからジャンプして降りたユリィ様は、私に抱っこをせがむ。抱っこすると満足そうに頷いた。
「しかし俺は寛大だからな。ミラが頬にキスをしたら浮気も許してやるぞ」
あ、浮気とはそういうことだったんですね。
「まあ…!お許しいただけるのならいくらでも」
「それと、ディアにもしてやると多分奴の殺気は収まるぞ」
この子は時々、かなり敏いというか、時々わざとらしく私とディアの仲を勧めようとしてくれる。今からこんなに気を使えるんじゃ、将来はモテモテですね。
ディアの方へ行って、ディアの頬にユリィ様の唇をくっつけてあげる。突然のことすぎてディアだけではなくてユリィ様も一瞬かたまった。
と思ったら、「おえぇぇ…っ」とユリィ様のうめき声。ディアが傷ついちゃいますよ。
「俺じゃなくてミラがするんだ!」
「そしてユリエルは俺にするわけだな。よし、来い弟よ」
「黙れ部外者」
のんびりユリィ様とアラン殿下のやり取りを見ていると、肩を抱き寄せられてバランスを崩しかけた。
見上げると、ここ数年で一番怖い顔をしたディアが私を見下ろしていて、ユリィ様がこくりと息を飲むのと一緒に私の呼吸も止まりかけた。
いけない。体が震えて来た。ので、アラン殿下にユリィ様を預け、安全を確保させる。
「あの、ディア……」
「君の体が震えているのは何故だい?」
貴方がいつになく怒っているのが怖いからです。
「俺に対して、やましいことがあるからかい?」
「ありません……」
一生懸命笑みを作ろうとするけれど、多分変な顔になっていると思う。変な汗もかいてきた。
「あの…っ、ケインとは、ただ和解をしただけで、友人に戻っただけで…っ。婚約者のいる身で少し、配慮の足りないなれなれしい態度をとってしまったことは反省していて、それで……その……」
声がどんどん出なくなっていく中、ほぼ無表情に近い表情(これは彼の怒りのレベルとして二番目に恐ろしい段階)のディアは私の両肩をつかむ手に力を込めていく。
「可愛いミラ…、俺が何故こうも怒っているかわかる?」
「それは…ええと……その……っ」
「ケイン・マリアンのことではないよ」
耳元でそっと囁かれる。
「君にはとてもがっかりしたよ」