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「ねえ、なんだかやつれていますけれど」
「君の気のせいだ」
「クマができているぞ」
「殿下が寝ぼけてそう見えるだけです」
きちっと身だしなみを整えてあるのにディアはすっかり疲れた様子で背を丸めている。どうしてかなんてことは、さすがに私も馬鹿ではないのでなんとなくはわかる。
私がなんとなくわかっているのがわかるから、ディアも恨めし気に私を見るのだろう。まあ、まあ。私も男性の欲を誘えるくらいには女だとわかった。
「子供扱いは大分抜けてきているようですね」
「だから俺は…君を子供扱いしたことはないって…」
頭をおさえながら、私とユリィ様が乗った馬車に乗り込むディア。他の皆さんはユリィ様が起きるよりも早く解散していった。ユリィ様がお寝坊、というより、ユリィ様の寝顔見たさに早起きをした人が多くて。
それに男性陣はお仕事があったし、アラン殿下もお城でのお仕事が入ったとかで泣く泣くローデリック邸を後にした。
「は?」
ユリィ様がものすごく嫌そうな顔をしてディアを見上げている。
ディアと一緒に私まで首をかしげてしまった。昨日はあんなに仲良しだったのに、今は親の仇を見るように目を細くしている。
「お前に同乗は許していない。降りろローデリック」
あらまあ。私の婚約者様が泣きそうに。
いきなり冷たくされた上に呼称がファミリーネームに戻っているから。
ただでさえ寝不足なのにとどめを刺されたディアはフラフラしながら無言で馬車を降りる。ちょっと可哀想かもしれない。
「夢であいつが俺のケーキを盗った」
後で邪険にされた理由が発覚すると、翌日ホールケーキがユリィ様に贈られた。
***
「あら、もうこんなに大きく」
部屋の窓際に置いてある植木鉢を一緒にのぞき込むと、ユリィ様は嬉しそうにスケッチを始めた。何故か私に隠しながら。
「見せてくれないんですか?」
「ミラの頼みでもこればかりは駄目だ」
頑なに見せてくれないし、一枚描き終えるごとにスケッチブックをディアに預けるから全然見られない。
ディアはディアで見せてくれないし。「俺と殿下だけの秘密だからね」なんて得意げに笑って、だから貴方って器が小さいっていうのよ。
その点ユリィ様は「いつかなら見せてやるから!」と指切りまでしてくれた。女の扱いがうまい。果たしてそのいつかがどれくらいを指すかはわからないけれど。
「そうですわ。街に画材を買いに行きませんか?他にも栽培でほしいものがありますし」
「学校は?」
「なにも毎日真面目に行かなくても大丈夫です。年に一度くらい、こっそり休むのが丁度いいんですよ。私も毎年、一日はズル休みをするルールを自分の中に決めていますもの」
ほどよく息抜きをいれることって大切。息抜きあってこそ、普段の勉強にも身が入るというものだ。
「ミラは問題児だな!」
「あら嬉しそうに」
そんなことを言いつつ、ユリィ様も目をキラキラさせている。人に迷惑をかけない範囲で少しばかりいけないことをするのはなかなか楽しいものなのだ。子供にとっては特に。
そう、思い返せば幼少期の私のした悪戯も、子供の冒険と言えよう。
父の大好きなスイーツにお塩をかけたり、母の口紅で落書きをしたり(これはばれると恐ろしいことになるのでものすごく慎重に行い母にはばれずにすんだ。当時はそれくらいのスリルを求めていた)、猫を連れてディアを追い回したり(彼は猫アレルギー)。
なんだかんだ愉快な幼少期だったかもしれない。
「今日はユリィ様を独り占めですね」
ざまを見なさいユーディアス・ローデリック。貴方は最近調子に乗りすぎです。お誕生日パーティーの後のホールケーキですっかりユリィ様の信頼を取り戻したからって。
そろそろお気づきなさい。同室は私。優勢は私。
ちょっとばっかり気に入られているからって、私に敵うはずがない。
それにユリィ様にはお兄様が沢山いらっしゃるけれどお姉さまはいらっしゃらない。
ディアを「お兄様」と呼ぶことがなくても、ああ…!いつかは「ミラ姉様」なんて……まあユリィ様は呼んでくれませんよねえ…。
「さあ、今日は制服でない服を着てお出かけしましょうね」
***
「んんー…じょうろも買いませんか?」
「ミラは無駄遣いという言葉を知っているか?」
今日は荷物持ちさん(ディア)がいないから私が荷物を持つのだけど、そろそろ手が足りなくなってきた。
「もちろんですわ。私は節約上手ですもの」
一人の時は、お金を一切使わずに一月をやりくりしたこともあった。必要のないものは買わないし、部屋にあるのは必要最低限のもの。もしくは頂きもの。
よそへ行ったらタダで持って帰るものは持って帰れるだけ持って帰るし、徹底して貯金する時は野草を積んで調理もする。そんじょそこらの平民さんより豊富な節約術を持っている。伊達にお金にルーズな親を持っていません。反面教師はすぐそばに。
いつか「姉上は金の亡者のようですね」とアルに悪気なく言われたのがどんなにショックだったか、誰にもわかるまい。
「じょうろなんてなくても、かけたティーカップを使う。肥料はまだたくさんあるから買わなくていい。植木鉢もおんなじだ。あと植物に聴かせるためだけにオルゴールもいらない。それに育てるための本もそんなに大量にいら……」
「そうですね……こんなにいりませんでしたよね……」
「そんなことはないぞ!全部必要だ!ミラは買い物上手だな!」
そんな飛び跳ねて喜んで…もう!なんだって買っちゃいますから!
「それにしてもすごい量ですね。寮まで運ぶのをお手伝いしましょうか」
「いいえ、ライアン様にそのようなことをさせるわけにはいきませんわ」
あらぁ?
「ごめんなさいユリィ様。私の隣に男性が立っていたりしますか?」
「メイシー公爵家の長男がいるぞ」
ですよねえ。
いつの間にか横に来ていたライアン様の方に顔を向けると、私の持つ荷物を興味深そうにのぞき込んでいた。
今日は学校にいるはずのライアン様が何故か私服で街中にいる。……私服ではないかもしれない。公爵令息が着るものとは思えない、安物の生地の、地味なデザインの服。
「ごきげんようライアン様。先日はお世話になりました」
「ええ、こんにちはレディ・ミラベル。お久しぶりですね、ユリエル殿下」
ユリィ様がこっくり頷いて答える。メイシー家はローデリック家と同じくらい力のある家だ。二大公爵家とまで言われている。お城を出入りできるライアン様とは知り合いらしい。
それで言うならディアともこれまで会っていておかしくないのだけど、あの人はお城に行くとすぐにアラン殿下に仕事を押し付けられて活動できる範囲がせまかったそうだ。
加えて、多分アラン殿下はユリィ様にディアを会わせたくなかったんだろうなあとも思う。私の婚約者様はまったくもってはなにつく人なので、ユリィ様がすぐに懐いてしまうのを恐れたのではと。実際、今では随分信用を得ているようだし。
「お前、授業はどうしたんだ。俺とミラはズル休みだぞ!」
「ユリィ様、ズル休みをして他所で知人に会った場合は、『今朝までは具合がわるかったのですがねえ』と建前の仮病を使うのが鉄則ですのよ」
決して胸を張れることではないんですよ。
ライアン様は、「それは楽しそうですね」とにこやかに受け答えている。これがどこぞの生真面目で欠点のない嫌味な公爵令息なら、お小言ばかりのお説教になるだろう。
「僕は、逃げているところでして」
「「逃げている?」」
「はい。暗殺者から」
笑顔を絶やさないライアン様から不穏な言葉が聞こえた気が。
「お前殺されるのか」
五歳児は物事を単刀直入に訊きますね。
「そうされないように逃げているところですよ」
「まあがんばれ」
「ありがとうございます」
どうしてこんなに淡々と話が進むのか……。
話についていけていない私に気づいたライアン様が親切に説明してくださる。
「珍しいことではないんですよ。公爵家や、王族ともなると。ユーディアスも、貴女に心配をかけないよう、気づかれないようにうまく処理しているのでしょうね。お恥ずかしい話、僕には十以上離れた兄がもう大分昔に廃嫡されまして。ご存じのとおり現在では僕が長子とされているのですが、兄や兄の協力者がたびたびそういった刺客をよこしてくるのですよ」
それはなんとまあ……。メイシー公爵の一人目のご子息が廃嫡されたのは有名な話だ。薬物に手を出していたらしく、十四のご子息は公爵のおなさけで、町はずれの家と仕送りを約束した上で廃嫡になったらしい。
そのお兄様がライアン様の命を今なお狙っているということは、自分が家を継ぐ未来をまだ信じているからかなんなのか。そして、生活に必要な仕送りしか得ていない人が暗殺者など仕向けられるわけがない。協力者は少なからずいるはずだ。
「その、主犯が判明して何も対応しないのは…」
「実に巧妙なんですよ。兄は与えられた家に住んでおらず、姿をくらませているのです。それに父は兄に情があるので、戸惑って本格的には動けませんから」
ライアン様は大切な息子だけれど、その命を狙うお兄様も同じというわけね。
それにしても、メイシー公爵が動こうとしないのにお兄様の仕業と確信を持って言えるということは、この人が独自に調べたのだろう。雰囲気が穏やかでもやはり公爵家のご長子だ。
しかも、完全に暗殺者をものともしていない。今日は校内に暗殺者がうろついているので、街に逃げに来ています、なんて。袋のネズミじゃないけれど、どう考えても踊らされているのはお兄様サイド。
公爵家のご令息はやっぱり皆優秀で人をイラッとさせるのがうまい。
「なかなかスリルがあって楽しい生活ですよ」
「死んだら楽しいもなにもないだろう。馬鹿か」
「そんなにはっきり言ったら失礼ですよユリィ様……」
ライアン様は何が可笑しいのかくすくす笑った。
「随分と素直な子になったのですね殿下。ご心配には及びません。寮にいる時でなければ、僕の命は常に保証付きですから」
「優秀なボディガードでもいるのか?」
「いえ。僕の恋人は、熊を片手で転がすような人ですから」
う……ん……?
「恋人?」
「お前のボディガードは女なのか?」
「はは……もちろん、警護をしてくれる従者は別にいますが、ただ僕の恋人はある意味暗殺者よりも恐ろしい人ですから、僕は何も心配していないということです」
いえ。いえ、いえ。この場合、ひっかかるのは、貴方恋人がいたんですか?ということで。メイシー公爵令息に取り入ろうとする人はたくさんいるし、学園内の女子生徒も多くがそうだ。
見たところ、今の段階でライアン様はユリィ様に敵意を向けては来ない。でももしライアン様がユリィ様と敵だったならば、その恋人が誰にせよ危険人物となるわけで。私はそれを聞きださなければいけないわけで。
どうしてこんな時に限って貴方はいないのよ!と、今頃真面目に授業をうけるディアに理不尽に怒ってみたりする。
「ライアン様ほどの方のお相手でしたら、さぞ素敵な方なのでしょうね」
「どうでしょうね。僕にとっては愛すべき可愛い人ですが、一般論からすると彼女は理想的な女性とは言えないかもしれませんね」
にこにこしながら酷いことを言った。
嫌だなあ……。ディアも裏では私のことをこうやって遠まわしに酷く言っているのだろうか。言っているに違いない。自分のディアへのあたりが強い自覚はあるので。性格が悪い、なんてことは直接言われる始末だし。自分にとっては可愛いけれど、なんてなんのフォローにもならないことを男性は知っているのだろうか。
「それでも、僕からすれば自慢の恋人ですよ」
「そうですか…あの、差支えなければお相手の方の」
「おっと、いけません。従者と落ち合う予定の時間になってしまいました。お手伝いできずにすみません、レディ・ミラベル。僕は失礼しますね、ユリエル殿下」
お名前をお伺いしてもよろしいですか?
最後まで言わせてくれなかったということは駄目なんですね。
のんびり去っていくライアン様を見ながら、ユリィ様が何を思ったのか
「ミラはおせっかいな中年の婦人のようだな!」
なんて言うから立ち直るのに夜までかかった。