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「…姉上。…ミラベル姉上」
スカートの裾をつんと引かれて気が付いた。
ユリィ様がくいくいと引っ張りながら、階段の影を指さしている。指を指している方向には、ここ数年ですっかり逞しくなった私の従弟が手招きをしている。
ユリィ様を抱っこして、死角に入ると、腕を組んだアルは天井をあおいだ。
「やはり面倒ですね。人目のあるところで話しかけた際無視されるのは効果的な精神への攻撃ですよ姉上」
「ごめんなさいね。でも貴方ってば仲間外れにされるとすぐに泣いてしまうから…私なりの気遣いというか…」
「厳しい言い方になってしまいますが……有難迷惑です。私は姉上を踏み台にするようなまねは死んでもごめんですよ」
「やだ泣いちゃう」
逞しくなって。
「だからどうして泣くんです…!」
「おい!ミラを虐めるな」
やだ可愛くって涙が出てきてしまった。
「大丈夫ですよユリィ様。これは良い意味での涙です。アル、こちらはユリエル王子殿下です。我が家で一年預かることになっています」
しっかりした従弟には話が伝わっているようで、一度頷いてユリィ様に簡単な挨拶をしている。
そのうえさっとハンカチを取り出して私の目元をふいてくれる。こんなに紳士なら女生徒たちには大層人気なのだろう。同じ学年に華やかな美形が多いものだから目立たないかもしれないけれど。
「ユリエル殿下は私の一つ上の学年なのですね。では、先輩とお呼びすべきでしょうか」
ユリィ様がまんざらでもない顔を、いや、かなりご満悦な顔をしている。下に兄弟がいるからか年下の扱いにも慣れているとは、欠点がもう見当たらない。身内ながら素晴らしい男性だ。
「それで、何か御用?制服はメリッサに頼んで返したと思うのだけれど…」
私が自らアルに声をかけるのはどうかと思い彼女に頼んだ。マチルダやエリカでは、「あ、忘れてた」なんてことになりかねないのでメリッサに。お礼にと一緒に勉強をすることを催促されたけれど、なんだか申し訳なくてケーキセットもおごった。
「ええ、その件です」
「届いていない?」
「いいえ。受け取りました」
「では洗剤の匂いが嫌だった?」
「いいえ。普段と違う香りでしたがいい香りでしたよ」
額をおさえ目を瞑ったアルは、封筒を私の顔の前に突き出してきた。
「こういうことは困ります」
「それは、あの子たちにおごった分くらいはと思って…」
返す際、制服の内ポケットに、いくらかお金の入った封筒を入れておいた。私の持っている分もそれほどの量はないので、先日アルが払わされたであろう食べ物の分しか入れていないけれど。
お礼はいずれ、お菓子でも作って持って行くつもりだった。
「少なかったかしら」
「そうではありませんよ。やりくりくらいできます。母の性格をご存じのはずだ。姉上に心配をかけるほど困っていませんし、このくらいしか、私は貴女を助けられないでしょう。私に遠慮は不要です。家族でしょう」
「ミラ、従弟は家族に入るのか?」
「えっ?うー…ん…、親戚にはなりますけど、うー…ん…」
時々来る子供の意外に難しい質問。赤ちゃんはどこからくるの、空はどうして青いのみたいな。ちょっと違うか。
一緒になって考えていたアルは我に返って、ごほんと咳払いをした。
「私の言い方に問題がありました。私は姉上を家族と同じように愛しているんです。貴女にも私の兄や弟たちのように遠慮せず接してほしいのですよ」
「貴方のお兄様はちょっと遠慮を知らなすぎだし、弟さんは遠慮している気がするけれど」
「私の兄弟たちを足して割ったくらいの遠慮だとありがたいですね」
「そうね」
お兄様を思い出したのか、弟を思い出したのか、アルは少ししょんぼりする。お兄様が自由奔放すぎてアルはしっかりせざるおえなくなったし、アルを見て学び弟は子供らしくないくらいしっかり者なので複雑なのだろう。
アルのお兄様はディアを気に入っているし弟もディアを尊敬しているから余計ディアが嫌いなのかもしれない。
「これはお返しします。姉上へ日頃の感謝をこめて、今回は私に負担させてください」
「日頃なんて、私の方がお世話になっているわ」
「いいえ、幼いころから姉上にはどれほどお世話になったか……。兄上がかろうじて国内にとどまっているのも姉上のおかげですし」
私が何を言ったのかしたのか、アル曰く、彼のお兄様が国外に旅に出ないのは私のおかげだと、それはたびたび聞かされる。まったく心当たりはないけれど何かしてしまったらしい。国内と言っても大変広いので消息不明になったりもするのだが。
「だいたい、考えても見てください。おごって、後からその分の金額を返してもらっていたなどとあっては、男として格好がつきませんよ。これは姉上にお返しします」
「けど……」
「先輩、これを後で彼女に渡してはいただけないでしょうか?」
卑怯だわ、ユリィ様を使うなんて。
先輩、なんて呼ばれたユリィ様は得意げに胸を逸らせて受け取った。やだかわいい。
「どうしても納得できないとおっしゃるなら、次の休みには家へ遊びに来てください。皆姉上には会いたがっています」
姉上に、ではなくて姉上にはなのね。お父様には会いたがっていないということね。
「先輩も、ぜひ」
「ミラと一緒にか?」
「そうですよー」
「いいだろう!」
「吐血しそう」
鼻血を通り越して。
「ではお邪魔しようかしら。叔父様や叔母様にもしばらく会っていないし」
「ええ。お待ちしています」
小さく微笑んだアルが、ユリィ様と私の額に一度ずつキスをする。
「私も貴方を愛しているわよ」
「知っていますよ」
「珍しいのね、照れ笑い」
「そうでもありませんよ」
会釈をしてすぐに歩いていくアルを眺めて、ユリィ様はこてんと首をかしげた。
「従弟でも似るのだな」
「そうですか?私はあんなに綺麗な顔ではありませんよ?」
「いいや、ミラは派手ではないが綺麗だぞ」
「今まで誰に言われたどんなお世辞よりも嬉しいです」
お世辞じゃないぞ!とユリィ様がぎゅっとしてくる。目から血の涙が出そう。
「しかし雰囲気が似ていた」
「そうでしょうか?」
自分ではあまりわからない。髪の色が同じだからというだけかもしれない。
「キスされても嫌じゃなかったぞ。嬉しくもないが」
「ちなみにディアにされるのは?」
「吐き気がする」
あの人が苦戦しているのは割と本気で可笑しい。
「アルが気に入ったのなら、アルの弟とも仲良くなれるかもしれませんね」
メイフォードの双子とも仲良くなれたのだからきっと大丈夫だろう。そして増やそう年の近い子どもたちとの交流。
まあやっぱりユリィ様より年上の八歳だけれど。
「楽しみですねえ長期休暇」
「俺はミラと一緒なら休暇でなくても毎日が楽しみだ」
「あらどうしましょう私もです」
鼻歌まじりに角を二回曲がる。
すると誰かと話し込み、まだそこに立ち止まっているアルが前方に見えた。それなりに距離があるけれどユリィ様も気づいたようだ。
「……あの二人…知り合いか?」
「いいえ…一緒にいるところを見たのは初めてです…」
共通点のある二人ではない。
「お友達でしょうかねえ」
ケインと、アルは。