21
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
ユリィ様がアラン殿下に拉致されてしまった。ディアはユリィ様に道連れにされてしまった。
最近一段と仲良くなったようだけれど、逆に私に疎外感があるような気がする。
まあそれはさておき、一人になった私は絶好の標的になったようだ。ここのところ落ち着いていたと思ったら、ユリィ様がいたせいで迂闊に手を出せなかったらしい。
階段の上から水と、続いてクスクスという笑い声が降って来た。見上げても見える位置に人はいないけれど、複数。バケツにでも入れた水をかぶせてくださったのは女子生徒のようだ。
しかしぬるい。
水は異臭もしないし、ただくんだだけだろう。雑巾を絞ったような水ではない。そして丁度いい気温を設定されている校内で水をかぶったところで寒くない。
所詮温室育ちの令嬢のすることだ。殺人未遂事件を見慣れた身としては痛くもないので大した被害ではない。
「追うわよ」
「エリカはぁ、刃物を探してくるぅ」
「縄持ってくる」
通りすがりのいつもの三人組が頬に青筋をうかべて口々に言う。
「いいですいいです。お説教してわかる人たちではないでしょうし、貴女たちに問題をおこさせるわけにはいきません」
刃物なんてシャレになりません。
他のおしとやかなご令嬢と違ってこちらの報復は怖そうだ。
「言葉でわからないなら体に恐怖を刻むまでよ」
「婦女子が恐ろしいことを口にしないでくださいマティ」
鼻息荒いマチルダを任せようと他二人を見るけれど、こちらも貧乏ゆすりをしていたり舌打ちをしている。
「問題ありませんから。ね?私といては貴女たちの名も落ちてしまいますよ」
いつ人が通るかわからない場所だ。見下されがちのスウェイン家の娘といれば彼女たちの評判も下がる。実際、入学して早い頃には公に仲良くして迷惑をかけた。
それでも動こうとしない親切な友人たちにどうしようかと考える。
「まあアル。貴方ったらなんて素晴らしいタイミングで通りかかったのかしら」
「私にはそうは思えませんよミラベル姉上」
一人で横を通り過ぎようとした、私と同じ髪の色の少年は心底嫌そうな顔をしている。平凡と言うには整った、けれど派手ではない顔立ちの彼は、私の父方の従弟だ。アルフォンソ・アルウィック。父とは違いしっかりとした叔母が嫁いだアルウィック侯爵家の次男。私の一つ下の学年にあたる。
「彼女たちを連れて行って、甘い物でもおごってあげてくださらない?」
「くださりませんよ。私の懐が風邪をひいているのはご存じでしょう」
うちと違いアルウィックは由緒正しく裕福な貴族だ。裕福な貴族という言い方は滅多にしないけれど。
ただ叔母様がきちんとした人なので子供たちには限られた分しかおこずかいが与えられない。
「しかたないわね。ミラベルをこんな姿にしたおブスたちはアルフォンソ様に免じて見逃してあげるわ」
「レディ・マチルダ。私はまだ了承していません」
「エリカはこの間ミラベルちゃんと行ったお店のアップルパイが食べたいのぉ」
「大食らいの貴女がそれだけで私を逃がしてくれるとは思えませんが」
「ミラベルちゃんのお土産も買ってくるからね」
「それは私に払わせる気ですかレディ・メリッサ」
両腕を捕まえられたアルは助けてくれと私を見ている。後でお金は返しますから。ひとまず今は彼女たちを連れていくことを優先に。
私が後でお金を返すことはなんとなくわかっているだろうアルは、この元気溌剌な令嬢たちを一人で相手することを不安に思っているようだ。なにせ知り合いには遠慮のない子たちだから。
「恨みますよ姉上」
「ごめんなさいアル。お礼は今度するから」
アルウィックの従弟たちはしっかりしているので助かる。
「お礼なんて、私よりこずかいの少ない姉上にたかる気はありませんよ。それよりも早く体を温めてください。風邪でもひいたらどうするんです。医務室にはタオルもありますから、行きましょう」
「そうね。一人で行くから大丈夫。ありがとう」
親戚といっても、それほど一家で顔を合わせることはない。叔父様は良い人だけれど、父にはほとほと愛想が尽きたとうちに来たがらない。だから、叔母の家族と会う時は私と母が向こうへお邪魔するか夫婦喧嘩のさなかでは私だけ預けられることがままある状態。
おかげでスウェイン家とアルウィック家は縁が切れる寸前。それは周知のこと。せっかく、アルがハブにされることなくうまくやっているのに、私といるとまた陰で色々言われてしまう。強い子だからそんなものには屈しないけれど、私は心苦しい。
「姉上は相変わらず、水臭いですね」
「そんなことはないわ。年下なのに、貴方には甘えてばかりだもの」
納得いなかい、という顔のアルはせめてと上着をよこしてくる。
「濡れてしまうわよ」
「乾かせばいいだけです。二着あるので、返すのはいつでもいいですよ」
「かっこよくて涙が出てきてしまったわ」
「ちょ!本当に泣かないでください!……まったく、忌々しい…。こんな時にユーディアス様は何をしているんです。あの人に姉上を任せられるとは思えませんが」
この子も大概ディアに厳しい。
「あの人は先ほど私が見捨てたので、責めないであげてね」
度々見捨てるのでそろそろ本気で怒られても仕方ないと腹をくくりつつある今日この頃。
「ここで話し合っていても姉上の体が冷えますね。もう行きます」
「責めないであげてね」
***
思わず自分の頬に手をあててしまった。ああ、強張っている。
医務室のベッドに優雅に腰かけ読書にふける人に声をかけるべきか否か。無視するにはあまりにも無礼な相手。
王子殿下のような大物に接する機会が増えたけれど、少なくともアラン殿下やギルバート殿下、ユリィ様と話すよりずっと緊張する人がそこにいる。
銀色の髪を後ろで結び、儚げな印象の、やや小柄な男子生徒。年上なのか疑ってしまうような柔らかい雰囲気は、逆に落ち着きすぎていて緊張してしまう。
あちらは読書に夢中でまだ私に気づいていない。
でも横を素通りもあまりに失礼。
悶々としていると、顔に柔らかいものが投げられた。白いタオル。
「ご無沙汰しています、レディ・ミラベル」
「まあ、覚えていてくださったなんて光栄ですわ、ライアン様」
階級としては王族の方が上だけれど、会った回数や落ち着いた雰囲気でこちらの方が何を話せばいいかわからなくなる。
ライアン・メイシー公爵令息。ローデリック公爵家と対立する公爵家のご令息だ。最後に会ったのはディアのおうちにお邪魔しているときライアン様も来ていた十歳の時。
「何故濡れているのかとか、部外者の僕が口出しするのはあまりよくありませんよね。ただタオルでは足りないでしょうし、失礼」
薬品の並ぶ棚の奥から、魔法陣の描かれた紙を一枚取り出してきた。ライアン様はそれから小声で呪文を唱えると、魔法陣が消えた代わりに熱風が吹く。制服は一瞬で乾いた。
「え、あ、りがとうございます…」
「いえ。熱くありませんでしたか?」
「はい…」
魔法陣は術者の望む魔法を繰り出せるそうだけれど、最高学年でも使える人は少ないと聞いた。ディアはなんでもないように使うのでありがたみも何もないけれど、他の人が使うと不思議な感じがする。私の中ではどんなに難しくて他の人ができたらすごいこともディアにはできて当たり前という考え方が定着してしまったのかもしれない。改善しなければ。
「あの、今のは勝手に使っていいものだったのでしょうか?」
「ううん…まあ皆こっそり拝借しているので気づかれなければ問題ありません」
それは本来いけないということですね。
魔法陣は複雑なので前もって描いてストックする人が多い。あれはおそらく校医のベイリアル先生のものだ。怒ると怖い中年のミスター・ベイリアル。拝借していく方々はさぞ勇気のある人なのだろう。というか、自分で描かずわざわざここから取っていくということは返す気がない人たち。つまりほぼ窃盗。これはばれた時相当恐ろしいのでは。
バックに公爵のいるライアン様は飄々としているけれど。
「その上着はユーディアスの?関係は良好のようで何よりですね。政略結婚で成功するならそれほどいいことはないでしょう」
「いいえ、これは知人に借りたものですの。ディ…ユーディアス様との関係は、ええ、おかげさまで、別段良くも悪くもといった仲です。いい先輩ですわ」
わざわざ複雑な関係の相手に、結婚なんてする気はないんですと言う必要はない。
「そう?彼は貴女に夢中のようですが」
「いいえそんな、恐れ多いです。昔からお互い、兄妹のような関係ですので。…ライアン様はこちらで何を?」
「ここは静かですから。集中したいときには使っています」
そういえば、クルト伯父様の調べたリストにはメイシー公爵家も怪しいと載せられていた。
早くここを出たいし、そろそろユリィ様を迎えに行かないと今夜もへそを曲げてしまう。でも一応立場としてはアラン殿下の部下だから、なにか探るべきなのか。
「貴女も参加するのですか?レディ・ミラベル」
出ていくか探るか、それ以前に、どうやって出ていけばいいのかわからなくなってしまった。ここで話をふられるとは。
「何に、でしょうか?」
「違いましたか?ユリエル殿下を王位につければ貴女の家は立ち直ります。そのような思惑もあるものと思っていましたが…」
「いいえ、私はあまり、頭がよくないので。陰謀渦巻く後継者争いに自ら入っていくつもりはありませんわ」
貴女も、ということは、他に誰が首を突っ込んでいるか知っているということだ。あるいは、自分は参加すると。
となると、やはり、メイシー公爵家はお后様に協力的……。
「メイシー家のご長子とあれば、ユリエル殿下と我がスウェイン家の関係はご存じと思います。私の意思で参加する気は一切としてございませんが、親愛なるユリエル王子殿下がお望みの場合、あるいは殿下に危害が及ぶ状況になりましたら、私はユリエル殿下のために命でも捨てる覚悟です」
少し大げさか。けれど陛下直々にユリィ様を守れと言われたのはそういうことだろう。命をなげうってでも守れと。
ライアン様は意味ありげに微笑む。
「幼少期、スウェイン伯爵に連れられる貴女を度々見かけました。言葉を交わすことはあまりありませんでしたが。随分と物事をはっきり言う子供だと思っていました」
遠まわしだけど、生意気な子供でしたねと言いたいに違いない。父に連れられた社交の場では決まってディアに世話をやかれていた。
常に傍にいるディアを鬱陶しがって、つんけんした態度をとっていた。
「学生になって、物静かな印象があったのですが、自分の意思は曲げず、根底はかわっていないのですね」
訳すと、大人ぶっているけど中身は変わらず生意気な子供だな。と?
ああ、いいえ、私が卑屈に解釈しているだけかもしれない。
「いいことだと思いますよ。ユーディアスも、貴女の素直なところに惹かれたのでしょうね」
素直。
物は言いようだ。
「ユリエル殿下も貴女の元にいるのなら安心でしょう。城は、彼には居づらい環境でしたから」
「え…と…」
それではユリィ様を案じているようだ。
わからなくなってきた。これはフェイク?私を混乱させる作戦?裏のなさそうなメイシー公爵令息の笑顔は実は真っ黒?
頭痛がしてきました。頭を押さえて俯くと、ライアン様は敏感にそれに気づく。
「あまり深く考えなくても大丈夫ですよ。仕掛けは実に単純で、貴女が失うものはごく少なくて済む。もしかすると、一番初めに本当の敵に気づくのは、ユーディアスでも、アラン殿下でもなく貴女かもしれませんね」
「敵……不穏な響きですけれど、比喩なのでしょうか?」
そしてその敵には、貴方も含まれるのでは?
「さあ、どうでしょう。これ以上口を滑らすと、僕の出世が危ぶまれるので、すみません」
メイシー公爵令息の出世。それはお后様に気に入られること?だけどそれじゃあ、私に怪しまれるようなあれこれを言う必要性がわからない。
貴族の娘として絶対に絶対に、ぜーったいにしてはいけないことだけれど、ディアといいこの人といい、大して年の変わらない頭のいい人と話すと舌打ちをしたくなる。どうして物事を複雑に言い換えたり混乱を招く行動をするのか。この年の男性は皆そうなのだろうか。相手を混乱させて楽しむ癖があるのか。
「あの……ライアン様は何を知っているのですか?」
敵とか、出世とか。それは私よりも情報が多いから私には理解できない。
「貴女が知っていることも、貴女が知らないことも、知っていますよ」
それじゃあ私が何を知っているかまで認識しているということになる。
まだ訊こうとする私に、ライアン様は悪戯っぽく笑って医務室を出ていこうと扉を開ける。
引き止めようとして、
「ミラ!ミラァァァァァアッ!!」
「うぐっ」
入れ違いで入って来たユリィ様の突進に後ろに倒れてしまった。おなかが痛い。すごい、おなかに頭がしっかり突っ込んできた。
「ミラ!ミラ!ミラァァァッ!!」
「どうし…あ、ごめんなさい。ちょっと頭を打ったので意識が朦朧としています」
ああ、気絶しても大丈夫そうですね。ディアとアラン殿下が続けて来ましたもの。少し意識を手放します。