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 小さな私の宝物は、極々少なくて。

 親同伴でないと外に出れられない子供時代は、今思えばなんて狭い世界で生きていたのだろうと笑ってしまう。

 愛する両親は私を大切にしてくれたけれど、仲が良すぎて時々私を忘れることもあった。

 そんな時、私の相手をしてくれるのは年上の、何でもできる、鼻につく幼馴染しかいなくて、時々しか会えない憧れの公爵様にご挨拶するのが少ない楽しみだった。

 だけどある時から、私にはとてもとても大切なものができた。

 それが、ケイン・マリアンとダリア・マリアンという、私よりも小さな兄妹。

 彼らのお父様が私の父と話をする間、私は彼らの相手を任された。本当は、面倒をみてもらっていたのは私の方かもしれないけれど。


 ミラ。ミラお嬢様。

 私の後をついてくるマリアン兄妹はそれはかわいかった。

 

 父は、ずっと笑顔で家に招き入れていたマリアンをいつの間にか罵倒するようになった。マリアンが家に出入りをやめた頃、母は家を出ていった。父の精神が不安定になったのも、母が私を置いて行ったのも、マリアンが原因なのだろうと子供ながら理解した。

 だけれども、私が最初に怒りを抱いたのはマリアンよりも両親だった。

 私のかわいい弟分と妹分を奪ったと、静かに両親に怒った。

 仕方のないことだった。マリアンは父よりも頭が良かった。それだけ。誰かを恨んだり憎んだりしてもきりがなかった。当然、マリアンという男は憎い。それでも、私がどれだけマリアンを恨んでもどうすることもできないし、ましてマリアン家の人々全員を恨むのもおかしな話だ。子供は親の企みを考えたりしないし、知っていても意味を理解するのは難しい。


 家同士の確執があろうと。

 嫌われてしまおうと。


 あの兄妹が私にとってかけがえのない存在であることに代わりなかった。




***




 またあの視線がささる。

 悪意ある視線。

 失礼ながら、実は仲がよかったことを知ってからは視線の正体は嫉妬したアラン殿下だったのではと思っていたのだけどどうも違うらしい。

 ユリィ様曰く、奴が凝視してくる気色の悪い視線はその気になればわかる、とのこと。

 となるとこれは間違いなく危険信号で、本格的に身の危険を感じ始めた。

 ディアにも一応相談はしたけれど、学内では極力接触しないようにしているので、常に一緒にいることもできない。アラン殿下も調べてくれているらしいけれど、わかるまでに何かされないとも限らない。

 怖いのは、ターゲットがユリィ様だったら。

 王子殿下に手を出す人間となれば、王妃様に手を回された家の人間、協力者かもしれない。そういう相手なら警戒は怠ってはいけないだろう。

 人通りのない場所には行かないよう、一応気を付けてはいるけど……。


「あ、走ったら転びますよー」


 食堂に向かう最中の廊下、ユリィ様は後ろの方に私の友人ABCを見て駆け出した。大丈夫だ!と言っている傍から曲がり角で人にぶつかっている。


「君、廊下は走る場所じゃないって、知らない?」


 ぶつかった人物はユリィ様を見下ろして、気味の悪い笑みを浮かべる。

 あ、戻って来た。ダッシュで戻って来た。


「うぅん…今のはユリィ様が謝らないといけませんねぇ…」


 どんなに苦手なお兄様相手でも。


「へえ。常識くらいはあるんだね、スウェイン伯爵令嬢」

「おそれいります」


 なんて思いません。もう目が私を見下している。

 ロメオ殿下の隣を歩いていたケインは私の姿を見るならあからさまに嫌そうな顔をして、形だけのあいさつをよこした。


「ユリィ様、ごめんなさい、ですよ」

「い…やだ…」

「ディアだったら…」


 何かと対抗心を燃やすユリィ様は、ディアだったら、というワードに反応するようになってきた。


「ディアだったら、自分の非はきちんと認めますよ」

「……。……。……悪かった」


 睨みつけんばかりの勢いだったけど、まあロメオ殿下も鼻で笑ったのでどっちもどっちだろう。

 ユリィ様の頭を全力で撫でまわす私を、見下しスマイルで見ていたロメオ殿下はふっと視線を私の後ろにやった。


「スウェイン伯爵令嬢、君、最近よくあれを連れているね」


……あれ?


「僕もケインが言うまで気づかなかったけど」

「何のお話でしょう?」

「あの女狐の息子が君の後をついて回ってるって話だよ」


 ロメオ殿下が薄ら笑いで私の後ろの柱を指さした。一瞬目に入ったのは、柱の後ろから顔だけをのぞかせていたギルバート殿下。数度しか見たことがないけれど間違いないと思う。

 片方しか血の繋がりがないはずが、色彩は他のご兄弟と一切同じ。アラン殿下とロメオ殿下に対してまだあどけなさの残る面差しだけど、やはり美形だ。

 それにしても女狐とは……


「ご兄弟で仲がよろしいのですね」


 アラン殿下とまったく同じ言い回し。

 ロメオ殿下の頬に青筋がうかんだ。


「面白くない冗談だね。君の抱いているそれも、あそこに隠れている奴も、兄上も、同じ空気を吸うのだってお断りしたいね」


 気のせいでなければ兄上と言ったときが一番不機嫌だったような。両親とも同じで年も近いのに?


「このところはアラン殿下とも懇意にしているようですが、あまり首をつっこむのはどうかと。先輩は、鈍くさいですから」


 嫌悪を露わにしたケインは、腕を組んで、馬鹿にするように首をひねっている。


「好きで懇意にしているわけではないのよ?ギルバート殿下についても、今初めて知ったのだから」


 ははぁ。このところ刺さった痛い視線の正体はあの王子殿下か、と。正直必要以上のいざこざは面倒くさいので無視をしたいけれど、気づかれた以上あちらも何かアクションを起こしてくるだろう。


「そういうところが鈍いと言うんです」

「なにを怒っているの?」

「別に怒っていません」


 怒りあらわに怒鳴るケインの眉間の皺はどんどん濃くなる。若いのに、跡が残ったらどうするのだろう。せっかく美男子なのに。

 怯えていないかユリィ様を見てうっかり笑ってしまった。

 ケインの険しい顔につられて、おそらく無意識に、同じ顔になってしまっている。眉間にぐぐぐっと皺が寄り、目が細くなり、頬をぴくぴくさせている。

 かわいい。胸が苦しい。


「貴方ずっと怒っているわ。入学してきて久しぶりに会った時からずっとよ。悪いところだわ。言葉にしないで態度でわかってもらおうとするのはやめなさいって、いつも言っていたじゃない。言ってくれないと私はわからないわ」

「わかってもらいたくもありませんね。もう子供ではないんです。俺は気づいた。貴女がいかに頼りない存在かを。それだけです」


 ユリィ様が攻撃体勢に入ったので抱き上げて阻止。


「ミラを侮辱するな!この…傭兵顔」

「ちょ…は、う…ふふふ…、う…くふふふ…」


 おなかが痛い。これ以上笑いをこらえるのは辛い。

 それは傭兵さんには失礼になる。侮辱のつもりなのだろうか。おそらく悪人面と言いたかったのだろうけれど、悪人ほど悪人らしい顔でもないケイン。他にユリィ様の中で最も迫力のある顔が傭兵さんだったのだろう。確かに、王族で傭兵をよく思わない人もいるようだし、盗賊まがいな傭兵も多いからわからなくもないけれど。

 精一杯考えた結果にしては優しい罵倒だ。ロメオ殿下がいるせいでいつもより頭がまわらないのかもしれない。


「伯爵家があそこまでおちているというのに貴女はのんきに子供の世話とは。どこまで愚かなんですか」

「私がじたばたしてももうどうにもならないわよ。生きていける程度の稼ぎを、卒業するまで父がなんとかしてくれれば、後は自分でどうにかするわ」


 就職するにしても上流階級の職というわけにはいかないけれど。私の成績でなれる職業といえばそう少なくはない。医療系の魔法を学んでいるから、最終手段で戦地の医師のサポートにまわってもいい。

 望ましいのは家庭教師。住み込みなら三食食事つき。そのためには雇われる時の相手の見極めが必要になる。その時は伯父様や伯母様に紹介してもらえればいいけど…極力自分でがんばろうかと。


「世の中そう甘くはありませんよ」

「知ってるわよ。あんな両親の元で育ったのだもの」


 スウェイン伯爵家の一人娘だもの。おかげで逞しく育ったと言える。


「どうでしょうね。知らないから、貴女はお綺麗な令嬢のままなのでしょう?」

「俺はミラを愛しているが、ミラは綺麗ではないぞ!」


 感動や感謝で涙が出ることはあるけれど、久しぶりに本気で悲しくて涙が出かかる。


「ユリィ様…?」

「ミラは本当は性格が悪い……とユーディアスが言っていた」


 どこからがディアの言葉なのだろう。信じている。綺麗ではないぞ、は、ユリィ様の言葉でないことを信じている。


「貴女を見ているとイライラする。すべてを知ったような顔で、本当は何も知らない。貴女も、貴女の周りの人間もだ。あの愚妹も、その小さい王子殿下も、アラン殿下も、何より、ローデリック公の息子だ!!あいつが一番腹が立つ!貴女を守っている気でいて、何一つわかっていない!!ミラも!あいつも!愚かでならない!」


 後半にいくにつれ語気が強まったケインは最終的に怒鳴って周囲の視線を集めた。

 私もなかなか数度しか見たことがなかったけれど、ロメオ殿下もそのようで、普段と違うケインの様子に驚いているように見える。


「あいつ、ミラをミラと言ったぞ!」

「そこはスルーしてあげるのが正解ですよ」


 勢いで昔のように出てしまったのだろう。


 こほんと一つ咳払いをしたケインは、周りを睨んで散らした後、一つお辞儀をした。


「失礼。急ぎますので」


 一緒に歩いていたんじゃないのか、ロメオ殿下をおいてずんずん進んでいく。

 柱の横まで言ったケインはそこに隠れるギルバート殿下をジトリと睨んだ後、やはりお辞儀をする。礼儀正しくて基本的にはいい子なのだ。生真面目なだけで。

 ギルバート殿下は柱の陰から出てこない。

 ケインが曲がり角を曲がり見えなくなったところで、ロメオ殿下がくつくつと笑った。


「君、ただの頭の悪い女かと思っていたけど、結構面白いね、スウェイン伯爵令嬢」


 顔の下半分を片手で覆ったロメオ殿下は、ケインの歩いて行った方と私を交互に見ている。


「僕は馬鹿が嫌いなんだ」


 おお、と声が出かかる。アラン殿下は自分のご兄弟をよく見ているようだ。先日、本人よりも先にアラン殿下にロメオ殿下の内心を聞いてしまっている。


「ここに通っている生徒の大半も、教師も、城に出入りする政治もどきをする無能な貴族も。君が抱えている小さいのも、柱の後ろに隠れている無知な雌の産んだ馬鹿も、自分が中心の世界で生きていると思って城で高笑いしている女狐も、国王陛下も兄上も、馬鹿って見ていて不愉快だ」


 ユリィ様は馬鹿ではないですよ。五歳の子供を馬鹿呼ばわりする貴方が子供じみている。と言ったらこの人は何でもないように私の首をしめそうだな。

 あと最後。

 国王陛下と兄上。どちらも国内で他にいない、ロメオ殿下より目上の相手にそう言うとは、よほど自分に自信があるとみた。実際頭がいいのだろうが、親を貶めるのはあまりいいことではないし、アラン殿下だってロメオ殿下を気にしているようなのに。


「ケインのことは結構気に入っているんだ。彼は賢くはないけど馬鹿でもない。何より面白いから。特に君のことになると」


 賢くないけど馬鹿じゃない。何かのクイズか。頭のいい人特有のわかりにくい言い回し。


「もっとも君が不愉快なことに変わりはないけどね」


 つまりは私を馬鹿といっていると。


「君のおかげで僕の友人は面白い人になったから、不愉快と言っても死ねばいいと思うほどじゃないよ」


 ただ生きているだけなのに死ねばいいと思われてもどうすれば。というかその言い方じゃあ、相手によっては死ねばいいと思っているのか。

 うちに来たのがかわいいユリィ様でよかった。この人は小さい頃からこうだったのだろうか。だとしたらその子をかわいいと思えるか少し不安だ。


「ああやって外で取り乱すのは初めて見た。やっぱり君と直接接触するのはケインによくないみたいだね」


 俺の大切な友人に近づくなみたいなことを言っているのか。でも面白がっているし。


「今頃自分の失態にへこんでいるだろうから、慰めてやらないと。……面白い物をみせてくれた君に特別に教えてあげるよ。兄上は君に何かと吹き込んでいるだろうから、君も気になるでしょう?」


 なにを、と訊く前に、ロメオ殿下は一歩前へ出て、私に耳打ちをする。


「ケインは僕の味方ではないよ」


 しらをきるために何か言う隙もあたえてくれず、それだけ言ったロメオ殿下はのんびりとケインの後を追っていった。


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