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母の実家は子爵家。今のご当主は母の兄であるクルト伯父様だけれど、伯父様は懐の深い方で、奥様もご理解のある人なので、祖父母と同居し、嫁ぎ先から家出した母の面倒も見てくれている。
本当に、伯父夫婦には頭が上がらない。祖父母はともかく、自由奔放な母にまで振り回されて申し訳ない限り。
会う時も、母の実家であるメイフォード子爵邸に迎えに行き、外でお喋りをするよう心掛けているのだが、優しい伯父夫婦は時々お屋敷に出向いてくれる。頭が下がる。
子爵位であっても、功績上々、我が伯爵家よりも、実質的に力は大きい。
お屋敷は学園近くの街の中にどっしりとかまえていて、そこだけ別の空間のように場違いだ。
「ここが母の実家になります」
「なかなかセンスのある建物だな」
「まぁ。ユリィ様は建築にも興味があるんですか?」
小さな子供の上から目線はどうにもかわいくて軽い気持ちだった。難しい言葉でここがこうでああだからこの建物はそうなってつまり素晴らしい、と丁寧な説明がくるとは予想外。この子はやはり天才だ。
「俺のユリィは実に賢い!」
「お前のじゃない。愛称で呼ぶな。気持ち悪い」
アラン殿下にはさすがに辛辣。こうして見ると、父方の従兄の反抗期を思い出す。彼が反抗期だったのはもっと大きくなってからだったけれど。
対してディアは口数が少ない。先日会ったばかりで母からのダメージが癒えていないのに連れて来たからと思う。意地悪だけど、母に押されてタジタジするディアは可愛らしいので結構好きだ。だから無理に連れてきてしまったけれど、後で何かお詫びでもしよう。
「いらっしゃいミラちゃん」
「ひ……っ」
艶やかな声がすぐ耳元でして思わず悲鳴をあげてしまった。
「お母様…っ、やめてください」
今はユリィ様を抱っこしているんですから。
振り向いた先にいる母は相変わらず美しい。何故父に執着するのかわからないくらいに。良い人ならいくらでもいそうなのに。
艶やかな黒髪を綺麗にまとめてあげていて、凛々しい目元はきつすぎず、上品な印象。出るところはでていてすらりとしていて、まあ皺はあるのだけれど、若い愛人を作ろうとすればいくらでもできそう。
私が母から受け継いだのは癖の少ない髪質程度。色さえ父と同じ栗色で母とは一致しない。あとは母のパーツと父のそれなりかあるいは残念なパーツとが打ち消し合って中途半端な容姿。母と歩く時は平凡な自分が恥ずかしくなることもある。
母は悪戯が成功した少女のように口を半円にしクスクス笑う。
「まあ、可愛い。あなたたちもこんな時期があったわねぇ」
ユリィ様を見た母は私からユリィ様を奪い去って頬ずりを初めた。アラン殿下の時ほどではないけれどユリィ様が困っている。
あなたたち、と言って母がさしたのは私とディアである。ディアは盛大に苦笑して軽い会釈だけをした。
「お母様、ユリィ様は王子様ですよ。アラン殿下もいらっしゃるんですから、ご挨拶を」
「あらまあ、よくできた娘ねぇ」
ちょっと唇を尖らせた母は、にこりと綺麗に笑んで、ユリィ様とアラン殿下に簡単な挨拶をする。さすがにマナーはしっかりしているけれど、抱っこしたままなのでいまいち格好がついていない。
アラン殿下がさりげなくユリィ様を取り返して、ユリィ様はまた激しく暴れて脱出。私の後ろに隠れる。
「はじめまして、マダム・クレア。噂通りお美しい。ミラベル嬢は貴女に似たのでしょう」
アラン殿下は母の手にキスを落とす。母も満更でなさそうなので、娘としては複雑だ。
「まあ!まあ~!ディアと同い年とは思えないほど、優秀な方ね」
ディアをいじめるのはやめてあげてください。
「うふふ。そうでしょう?ミラちゃんはわたくしとウィルの子ですもの。かわいくてかわいくて……貴方は幸せ者ねディア」
「それについては、同意しますね」
子供の頃から刷り込ませるようにディアに言うから、少々不憫だ。また、こうして母が圧力をかけるせいで余計、婚約解消の話が出せない。伯父夫婦同様、ディアにはご迷惑をおかけしすぎてどうすればいいか。
後ろのユリィ様が私の腕をひっぱって、「かがめ」の合図をよこす。その通りかがむと、予想通りの質問をされた。
「本当にウィリアムの妻か?」
「そうですよ」
「ミラの母は……視力が弱いのか?」
「いいえ。五感は自然に生きる生物と同じだけ冴えわたる人ですよ」
もっとも、恋は盲目と言うから、母には父の姿が大分誤って見えているのではと疑うこともある。
「よもすえだ…」
「そうですねえ。ユリィ様はとーっても正直ですね」
つまりあの父にこの母は勿体ないと。とてもよくわかる。私も、物心つくころには不思議でならなかった。一体何があれば、異国に名をとどろかせるほど美しい母と、お人よしのおまぬけ伯爵の父が夫婦になるのか。
母に聞いても父に聞いても、互いの一目ぼれと言う。父の方はともかくとして母は絶対嘘だと疑ってやまない。
「あらあら、ユリエル様にはおびえられてしまったかしら」
二人でヒソヒソ話していたのに気付いた母は、ユリィ様に目線を合わせるためにしゃがみこんだ。
ひくっと頬をひきつらせたのは、ガツガツした女性に近頃苦手意識を持ってしまったからだろう。私の後ろに立ったまま、ユリィ様はボソボソ挨拶をする。初期の威張った態度は落ち着きつつある。
母とアラン殿下はなんとかユリィ様を抱っこしようとするけれど、本人は頑なに拒否。結局私と手をつなぐ形を維持。個人的にはとても優越感。
「今日はどこへ行きましょうか。隣街のカフェにでも……ディア、そんなに体調が優れませんか?」
「いや…うん…、うん。帰ってもいいかな」
「駄目ですよ…」
アラン殿下とはそれほど交流がないし、母は元気溌剌。私とユリィ様だけ残して帰られたら恨みます。
「大丈夫です。守ります」
「今日ほど君を頼もしく感じたことはないよ」
先日は言いたい放題されていたから、期間を開けないで会わすのはさすがに悪いことをしたとも思っている。タジタジのディアも観賞するけど、危険になったらフォローはしましょう。
「今日は屋敷の中でお喋りしましょう!」
「……はい?」
「クルト兄様もお義姉様もいいとおっしゃっているわ」
いいと言われても遠慮しなくては!伯父夫婦にやたら迷惑はかけられない。
「しかし天気もいいですし、外を歩くのはどうです?」
さすがディア。
「つまらない男になったのねえユーディアス。それだから恋しい人に見向きもされないのよ。ありきたりな発想ありきたりな発言!平凡以下じゃないの」
「……」
ディアの目が帰りたいと訴えてくる。やだ、かわい……いやフォローを。
「お母様。ディアは最善の案を出したんですよ」
「相手によるじゃなあい?ミラちゃんは、天気がいい日はどうしたいのかしら?」
「晴天の日ですか?日の光は嫌いなので…」
引きこもります。
「天気がいいという理由だけで無理にデートに誘う男はどうかしらねえ」
「それはちょっと鬱陶し……私個人の話ではないでしょう」
口元に手を当てオホホと笑った母は、顎をあげ、ディアを見下すようにしている。ディアはディアでやや恨めしそうに気弱な視線を私に向けている。やだ、かわい……ではなくて。
「伯父様にご迷惑はおかけできませんよ」
「ハンナもレイスもミラちゃんやディアに会いたがってるのよ」
「俺に会いたがっているのは嘘でしょう」
「あらバレちゃった」
隠してくださいお母様。ハンナとレイスは今年七歳になる双子の従姉弟。よく懐いてくれているけれど、あんまりいい子すぎて甘えてくれない。それが寂しかったり。その分までユリィ様には甘えてほしい。
「ユリエル様と仲良くなれるかもしれないし」
「それは……」
たしかに、ある程度年の近い子との交流もユリィ様には必要かもしれないけれど…。
「伯父様も伯母様も、おじい様もおばあ様もミラちゃんに会いたがっているのよ」
「それは…ありがたいですけれど……」
特に伯父様伯母様には合わす顔がなくて、自らあがることはない。
「さあお入んなさい。皆首を長くして待っているんだから」
流されるままとはこのこと。母に逆らえないディアと事情を知らないアラン殿下はずんずん進む。私とユリィ様だけ残るわけにもいかない。
国王候補を連れて来たということで、今回は、とても心苦しいけれど、アラン殿下を連れて来たことでチャラにしてもらおう。
伯父夫婦は気にするなというが、無理な話である。
***
「お久しぶりです、ご無沙汰しております、クルト伯父様、リディア伯母様」
型どおりの挨拶をした私を、興奮気味の伯母様がむぎゅっと抱きしめた。不快感のない薔薇の香りがする。
「お久しぶりミラベル。お元気だった?お話したいことが沢山あるのよ。ああ、例の作家の新作は読んだかしら」
伯母様とは読書仲間である。年齢不詳のおそろしく若い伯母は、母そっくりの美形な伯父が惚れこむ素敵なレディ。なかなか子供ができなかったのもあり、私によくしてくれている。
「はい、伯母様。お手紙も、いつもありがとうございます」
ただ、お話は後ほど。
アラン殿下を見た伯父様は目を見開いている。次期国王最有力候補のアラン殿下が、優秀とはいえいち子爵家に訪れるなんて普通はありえないことだ。
積もる話もあるだろう。となると伯母様も同席しなくてはいけないだろうし、私はアラン殿下を生贄に、母のミニミニお茶会に参加しなくては。ディアは、いっそ自分を殿下と一緒に置いて行ってほしいと言ったが却下。母のお気に入りのディアがそう簡単に解放されるわけがない。
「伯母様、また後ほど。おじい様とおばあ様にもご挨拶をしなくてはいけませんから」
「お義父様とお義母様なら、今はご旅行でいらっしゃらないわよ?」
まあ、貴重な情報をありがとうございます伯母様。つまり母は若干の脚色を加えて私の逃げ道を塞いだと。今更お茶目な母につっこむまい。
それにしても祖父母は元気。今年でおじい様は八十。おばあ様は七十三のはず。聞けば七泊で南の方まで泳ぎに行ったとか。七十過ぎの貴族が海水浴。十代で引きこもり予備軍の私とは大違い。
あ、ユリィ様、今私を見て笑いましたね。引きこもりを見て笑いましたね。
「失礼します」
「失礼します」
やっと伯母様が離れたところに、高めの声が二つ、重なって聞こえた。双子のお出まし。
伯母様と同じプラチナブロンドのウェーブのかかった髪と、ぱっちりお目々の可愛らしいのがお姉さんのハンナ。
伯父様や母と同じ真っ直ぐな黒髪で、理知的な顔立ちの落ち着いた方が弟のレイス。
私たちの姿を認めると、殿下方、ディアに挨拶をした後、私の前まで来て二人そろってにこりと笑う。
「こんにちは、ミラ姉様」
「お久しぶり、ミラ姉様」
お行儀良い挨拶に思わず拍手してしまいそうになる。
「二人とも少し見ないうちに大きくなったのね。最後に会ったのは半年前かしら」
「はい。ハンナはミラ姉様を恋しく思っていました」
「僕もミラ姉様に会いたかったけど、押しかけたらご迷惑かと思って」
もう!かわいい!欲を言えば、飛びついて来てくれてもいいのに!!もっと甘えてくれていいのに!!
二人に手招きして思い切り抱きしめると、二人は驚いたように目を見開いた後、クスクス笑い合った。ああやっぱり、この子たちの精神年齢はきっと私よりずっと高い。
「ミラ!!」
あらぁ?と体が後ろに傾く。服の背中の布を、ユリィ様にひっぱられていた。その勢いで双子から離れてしまう。
頬を膨らませ唇を尖らせたユリィ様は、両手を私に伸ばしてきた。抱っこの合図。
くっと笑いをこらえて、おおせのままに、抱っこする。
「やきもちですか?」
「ちぎゃ…ちがう!」
珍しい。噛んだ。
「ミラは、俺のミラだ」
「ふふ……。そうですね」
双子が何か言いたげにユリィ様を見つめ、母はどこか愉快そうに口元をおさえていた。