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「くそっ…! 何故だ? 何故伝わらない…!」
困った王子殿下だ。いっそ気色が悪い。
「何故俺のこの愛は伝わらないんだ…!!」
「本気で気持ちが悪いよ」
いくら人通りの少ないといってもここは廊下だ。こんな発言が聞かれれば、誠実実直真面目な第一王子のアラン殿下が駄目になるほど女に溺れていると思われても仕方がない。
あるいは最悪の場合、鉢合わせるタイミングが完璧だったなら、一緒にいる俺に愛を叫んでいると誤解されかねない。俺を巻き込むのだけは勘弁してほしい。
「やはりスウェイン嬢の存在が俺の計画を邪魔しているのか…!」
「いや、君の人柄のせいだよ」
「そこをどけ! 俺はすぐに医務室へ戻りスウェイン嬢からユリエルを取り返さねばならん!」
「自分が気持ち悪いことに気づいていないから面倒な奴だね」
そりゃユリエル殿下もこいつをさけるわけだ。
なにを企んでいるかと思えば、がっかりするくらい残念なことしか考えていなかった。俺はすっかり忘れていたわけだ。我が国の第一王子殿下は、生活面については抜けた残念な男であったと。
俺にとってやっかいな存在はユリエル殿下。そしてアランにとって邪魔になりえたのはミラベルだったということだ。
つまりかなりの確率で国の将来を担うと思われるアラン王子殿下は
「失礼なことを言うな! 俺はただ弟を愛しているだけだ!」
「触らないでくれるかな」
こういうイタイ奴だったというだけだった。
家族を大切にする点に関しては否定しないが、度を超えるのもよくない。少なくともこんな兄がいたら俺は全力で逃げる。目を血走らせて自分を追ってくる男兄弟なんていらない。
「お前に俺の気持ちがわかるものか!」
「別にわかりたくもないけど」
「愛でようにも年が近いせいですぐに生意気になった二人目。義母のせいで可愛がる前に俺に嫌悪を示すようになった三人目! あの末弟は最後の砦だ」
「家族が大好きなようで」
「あの義母だけは好きになれんがな」
ただ大好きすぎて気持ち悪がられると。ユリエル殿下にしても、しつこくしすぎたせいで逃げられたそうだ。しかしまだ五歳。希望を捨てるには早いと思っているのか。俺が教えてやるべきか。もう手遅れだ。手なずけるのは不可能だと。そしてまたこうしてしつこくするせいで嫌われることを察せと。
他の殿下方と違い、アランはユリエル殿下の母上にも懐いていたそうだ。それが余計あの第四王子を守らなければという意識に拍車をかけたのだろう。
「世話になっていてこう言って申し訳ないが、なぜ俺よりスウェイン嬢なんだ!」
「それは言うまでもなく、君のような変質的愛情を持つ兄よりも清く美しく愛らしい俺の婚約者殿の方が存在価値からして俄然上だからだろうね」
子供だって気色の悪い兄よりも知り合いの優しいお姉さんに懐くに決まっている。
「あいつめ、スウェイン嬢が初めて自分を褒めてくれたと言っていた。俺だって散々愛で褒め頭を撫でて来ただろう!」
「ふぅん。それはさっきの話し合いで聞きだしたのかな」
この様子じゃ中身もなにもなく適当に褒めていたのをユリエル殿下に見透かされていたんだろうが。
気絶したミラベルを抱える俺に殴り掛かってきたユリエル殿下を捕獲したアランは殿下を抱きかかえて頬ずりをしていた。それはもう、全力で嫌がられ殿下は鳥肌をたてていた。
「貴様! ユーディアス・ローデリック!! ミラに何をする気だ! おい! 俺に触れるな変態王子!!」
アランの顔を押しどけながら俺に怒鳴る殿下に少し意地の悪いことをした。
「さあ、俺のような人でなしに純粋な婚約者がどうされるかなど……ませたユリエル殿下にはおわかりになるのでは?」
まったく大人気ない。反省しなくては。
二人きりの殿下とミラベルを見つけたアランはかねてからの計画通り俺にミラベルを任せユリエル殿下と二人きりになった。アラン曰く、二人きりの時間をつくりきちんと話せば弟の気持ちも自分に戻ってくるだろうと。恋人同士か。そして戻るも何ももともとお前の元に弟王子の気持ちはない。
呆れはしたが、俺もミラベルとゆっくり話す機会がほしかったのでボンクラ王子のくだらない計画に付き合ってやったというわけで。
「どうやら君の思惑通り、殿下の気持ちを手にすることはできなかったようだね」
「スウェイン嬢の居所を知った途端生徒会室から医務室に走って行ったからな」
無駄なところで頭が回る。へたに空き教室を使ったりせず、人が来ないうえ医務室から遠い生徒会室を使うとは。計画的で余計気色が悪い。
「お前こそどうなんだ。スウェイン嬢とはどうなった」
「あの子は強情だからね。君の弟君とは今後も仲良くするようだよ」
頑固なところのある子だ。これ以上俺が何を言っても無駄だろう。あまり言いすぎても俺が避けられる。
「そうじゃない。何を話したではなくどうなったと聞いているんだ。十七の男がまさか何もしなかったのか。惚れた女を前にして?」
「何かできていたなら今の俺はもっと晴れやかに笑っていただろうね」
ああ。それは少しはしたよ。頬にキス。それだけ。我ながらよく我慢した。そしてよく泣かなかった。
本当ならそのまま唇にしてもよかった。だが顔を近づけた時のあの子の顔。まるで他人事のようで照れもしないし顔を赤らめもしない。俺に気のないのが明らかだった。たとえ俺に何をされても、あの子は犬に噛まれたくらいに思うのだろう。
伊達に何年もあの子に片思いしているのではない。自分が不利な立ち位置にいるのは重々承知しているがそれにしてもなかなかこたえる。
「根性のない奴だな」
「返す言葉もないけどね。それでも俺はあの子の息子になるのだけはごめんだ」
「誰の息子になるんです?」
「だからミラベルの……」
ミラベル……が……
「私も貴方の母親になるつもりはありませんが」
「どこから聞いていたんだい?」
「本当に今さっきですよ。アラン殿下が貴方に根性なしと言うところから」
本当に今さっきだ。
ユリエル殿下と手をつないだミラベルは苦笑して俺を見ている。
「なぜそんなお話になったのかはわかりませんが」
「いや…それは……。……君、は……」
君は、ずっと俺のことなど眼中にないと知っていたから。
「君は……俺の、父を……慕っている…だろう…」
「え…?や、いやだ!いつの話をしているんですか?もう!恥ずかしい…」
俺が顔をよせても赤くならなかった頬を真っ赤にしたミラベルは手でそこを覆った。
「もう!もう!!他の方のいるところで人の淡い初恋をあばくなんて酷い人。もう昔のことなんですから忘れてください!」
「昔の…?君は今も、父を」
「もう!私がユリィ様くらいの話でしょうっ?いつまで覚えているんですか!」
……では今は、違う、と?
俺と父が伯爵家へ行けば、あるいはミラベルがローデリックの屋敷へ来れば、どこにいても、たとえ俺が傍にいても、ミラベルの視線は父のフィオン・ローデリックに釘付けだった。俺と話していても上の空で、父に声をかけられれば真っ赤になり。
本当はミラベルは俺のことなど好きでもなんでもない。それでも俺に好意的に接してくれるのは、俺に嫌われれば父と会うことすら叶わなくなる。だからだと……。
しかし、違うなら。
よかった、のか?
いいわけが、ない。
俺には確信があった。父の存在がある限りミラベルは俺から離れない。しかし憧れの心はあっても既にミラベルに父への恋心はない。確信は消えた。
それだけではない。父に想いをよせているなら、俺に振り向かないのも無理はないとあきらめもあった。しかしこうなると、ミラベルには俺のまったく知らない相手がいるか、特殊な性癖があることも疑わなければならない。
もし、だが。
もしもミラベルに特別に想う相手がいたら?たとえばあのマリアン家の長子だとか。ユリエル殿下が囲うそれより先に駆け落ちでもするかもしれない。
状況は、悪化、したのか…?
「ミラは、ローデリック公爵が好きなのか…?」
わずかに震えたユリエル殿下ミラベルの手をぐいと引っ張る。
「あら、悲しそうな顔をしないでください。今はユリィ様が一番ですよ」
「お、俺もミラが一番だぞ!」
「俺とてお前を世界で一番愛しているぞユリエル」
「黙れ変質者が」
ふん、と鼻を鳴らしたユリエル殿下がミラベルの後ろに隠れる。
「スウェイン嬢、手荒な真似をしてすまなかったな。こうでもしないと弟は俺についてきてはくれなかったんだ」
「いえ……」
ミラベルに謝罪をするならユリエル殿下を見ながらではなく本人を見て言え。
「おい、ミラ、行くぞ!そいつと同じ空間なんて吐き気がする!!」
「まあユリィ様…お兄様にそんなことを言ってはいけませんよ」
「ミラはそいつを知らないからそう言うんだ!!」
まったくだ。
「でも、仲がよろしいのでは?殿下の新学期の荷物の準備も手伝ったのでしょう?」
「あれは!眠っている間に縄で縛られてこいつの部屋に一日中カンキンされていたから目に入ったんだ!!」
弟に何をしているんだこの馬鹿王子は。
「仲良しなんですねぇ」
「どうしてだ!俺の勉強道具には開くたびに毎回新しい手紙が入っていたんだぞ!『愛している』しか書かれていないアランの筆跡の手紙が、部屋にずっとしまってあるはずの本にだぞ!!」
「まあ、文通までしていたんですね」
「気持ち悪いだろう!!」
その子は少しずれているのに加えて、兄弟がいないせいでそれが正常かわかりかねているのだと、教えてやるべきか。
加えて、ミラベルのいとこたちはミラベルを年上から年下までそろって猫かわいがりしているので、むしろ違和感がなくおもっているだろう。
俺も俺でいとこがいるが、俺が男なので、そういうものがいかに気持ち悪いかはわかっている。
アランの行為は嫌がらせの域だ。
「朝起きて全裸の男が自分のベッドに入っていたらどうだ!!」
「私がされたら問題ですけれど。ご兄弟ならいいのでは?」
「よくない!俺は本当に吐いたぞ!」
五歳の子供にどれだけ心の傷をつくっているのか。そもそも全裸になる意味がわからない。後で聞いたら、その方がより体温を感じるからだそうだ。友人をやめたいと思った。
「何故だユリィ!俺はお前をこんなにも愛しているのに!」
「愛称で呼んでいいいのはミラだけだ!!」
ミラベルを間に挟んで騒がしい兄弟はぎゃーぎゃー騒いでいる。
「午後の授業は…この時間ということは終わってしまったんですね。そうです、ディア。今日は少し二人で出かけませんか?母をお茶に誘おうと思うのですが、以前久しぶりに貴方とも会いたいと言っていて。よろしいですか?」
「うん?構わないけど…」
「折角ですもの。アラン殿下とユリィ様も、お二人でゆっくりしたいでしょう?」
なるほど。ユリエル殿下には拷問だな。
五歳の子供のここまで落胆した顔は見たことがない。
「俺…っも…っ!ミラと行く!!」
「ごめんなさいユリィ様。母に、もしユリィ様を連れていく時は三日前から伝えるようにと言われていて。王子様に粗末な格好では会えないと。ですから、今日はお兄様とゆっくりしてくださいな」
ミラベルとしては気を遣っているのだろうが……。喜んでいるのはミラベルのかわいいユリィ様ではなく俺の恥ずかしい友人だけだ。
心のうちで手を合わせながら俺はミラベルと先に進んでいく。
さて俺の気を引き締めなくては。
背筋を伸ばす俺に、ミラベルがクスクス笑った。
「貴方は本当に私の母が苦手ですものね」