表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/18

マンション町中な人々《3》

 日曜日のAM8:00頃。

 吐く息が白い。思わずゴジラのまねをやりたくなる衝動にかられる。

 休日になると少し遅めに朝は動き始めるのだが、その類に入らない者も当然いる。

 その朝の冷たい空気を切り裂くように歩く二人組。


 沙耶と優だ。

 向かう先はマンション町中七階のカイトの部屋だ。

 目的はカイトに小説を書かせること。

 優は寝ているところを沙耶に叩き起こされて、ここまで連れてこられたのだ。

 もちろん、原稿用紙と資料を手にしてである。

 ちなみに優の両親は現在出張中。

 二人がマンション町中の前まで来ると知った顔と出くわした。


「よっ。二人とも早いな」


 青色のマウンテンバイクの側にリュックサック姿の青年が立っていた。

 マンション町中403号室在住の長瀬祐介である。


「おはよう。祐介さん」

「兄さん。また、どっかに行くの?」


 彼は沙耶の兄。受験勉強の為に一時的にマンション町中に住んでいる。

 現在、一浪中。趣味はふらりと姿を消すこと。予定では二浪する事になっている。


「海がおれを呼んでるんだ。じゃぁな、二人とも」


 爽やかな笑顔を残して祐介は出かけていった。

 彼はこのお話とは全然関係ないので妙な勘ぐりをしないように。


「二浪決定ね」

「だな」


 二人は祐介の背中を見送りながらそう呟いた。




 祐介を見送った二人は真っ直ぐにカイトのいる702号室目指して階段を上っていった。二人とも息は乱れない。良いペースだ。

 カイト宅に到着すると沙耶はインターホンを押さずにポケットから鍵を取り出す。「カイトのところも?」


「そうよ。おじさんから預かってるのよ。カイトが餓死しないように時々見てくれって」

「もしかして、おれのところも同じ理由?」

「うん。そうよ」


 事も無げに言う沙耶。

 今と同じ様に彼女は優宅の玄関から堂々と入り、真っ直ぐに優の自室に突入。

 布団をひっくり返して、ハリセンで優の頭部に一喝加えて起こすと、すぐに着替えさせて家を引っぱり出したのだ。

 従って、優は何故沙耶が自分を引っ張ってカイトの家に向かったのか理由を知らなかった。彼もある意味流されやすい性格なのかもしれない。

 彼女は自分の家であるかのように玄関のドアを開けた。

 ドアは予想外の力を受けて開かれる。


「およ?」


 出てきたのは有馬だ。彼には珍しいスーツ姿。


「おじさん!?」


 突然、意外な人物の登場に驚く二人。


「おぉ、沙耶ちゃんに優くんか」

「お、おはようございます」


 動揺しながらもしっかりと挨拶をする優。


「おはよう」


 挨拶を交わすと有馬は顎に手をやりながら、しげしげと二人の顔を見た。

 二人ともここに来たって事はカイトに用があるってことだよな。

 そのカイトは夢の中。仲が良くて結構結構って状況だ。

 もし、この状況で二人を中に入れたら・・・・・・面白いことになるな。

 しかし、それを親心というのか?否!!


「二人とも、今日、暇だよな」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「暇・・・・・・だよな」


 妙に低く凄みのある声で有馬は二人に迫った。

 普段、絶対に見せないような凄みがある。

 二人は有馬の背に因幡の白兎が跳ねているのが見えた。


「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「よしっ!二人とも暇なんだな。よしっ、暇だ。暇に決定。と言うわけで一緒に来なさい」


 有馬は瞬時に二人の襟首を掴み上げるとズカズカと歩いていった。


「ちょっと、おじさん」


 沙耶は抵抗しようとしたが、それは徒労に終わった。

 優は思った。

 もしかて、おれってカイト以上に流されやすい性格なのかも。

 こうして、事件が一つ未然に防がれたのだった。




 一方、マンション町中702号室カイトの部屋では。


「くぅぅぅぅ・・・・・・」

「すぅぅぅぅ・・・・・・」


 二つの寝息が聞こえていた。

 カイトのベッドで寄り添うようにカイトとアスカは寝ていた。

 酔い潰れた二人を有馬とじっちゃんの二人がこうしたのだ。

 二人が起きたときどうなるのだろうか。それは神のみぞ知る。

 酔っぱらいのすることは恐ろしいのだ。




 ところ変わってここは双樹神社。

 本殿の隣りにある大広間、通称宴会の間に数多くの人が集結している。

 かなり、騒々しく和やかな雰囲気をこの場の人々は作っている。

 円を描くように各人が座っており、その前にはお膳が置かれている。

 それにはお弁当とお茶が乗せられている。

 お弁当とお茶が御馳走とお酒だったら、宴会となっているはずだ。

 そんな楽しげな騒々しさがあった。

 林海学園職員会議。教育委員会からも疑問視されている会議。通称円卓会議。


 朝の八時半に開始された職員会議も、いつの間にかお日様が高くなる時間になっていた。職員の前に出されているお弁当はお昼ご飯だ。

 お昼にもなるのに会議はまだ終わる気配がない。

 終わるどころかようやく前半戦が終わりかけているところなのだ。

 それというのもこの会議のスタンスの一つとして職員一人一人の意見をちゃんと聞くと言うのがあるためだ。出された意見はしっかり議論してから次の職員の意見に、となっている。

 職員会議と言うと教師陣と理事長だけと思われるがそうじゃない。

 事務員、経理、用務員もしっかり含まれているのだ。総人数128人。

 その一人一人が意見を言うんだから、時間が掛かるのも当然だ。

 学校運営や授業のやり方、生徒達とどう接するかなどの真面目な議論から、自分の身の上相談や車の買い時相談などの世間話的な議論までと本当に幅広い。




 一通りお弁当を食べ終わると議長役の校長が立ち上がった。

 林海学園の校長は女性だった。キリリとしたおばさんではない。

 颯爽とした女性だ。歳は35と若い。校長としては全国平均よりもかなり若い。

 それは彼女が才気溢れる人物である事の無言の証明とも言える。

 まさに才色兼備を体現したような女性である。


「これより、今日の本題に入ります」


 結城凪校長はそう宣言した。

 数日前の学生寮火災の報告、事後処理の検討が本題だ。


「まずは教頭先生に警察、消防から届いた現場検証の報告をお願いします」

「はい」


 教頭は立ち上がると複数枚の用紙を手に取った。これが送られてきた報告書だ。

 他の職員達にはこれのコピーが配られている。

 教頭は棒読みに報告書を読んだ。はっきり言って読んでいる方も聞いている方も詳しい内容は良く分からなかった。ただ、結論だけが端的に全てを現していた。


「結論を申し上げますとこれは放火による火災であると推定されるそうです」


 だったら、始めからそう言えよと、言いたくなるがそれを言う者はいない。


「ありがとうございます。誰も怪我をしなかったのが唯一の救いですね。補足として、現在、我が校は警察に協力し、生徒達に不審者を見かけなかったか聞いているところです。続いて、保険会社の日の出保険さんからの報告です。お願いします」

「はい」


 職員達に混じっていた保険会社の担当さんは立ち上がった。


「日の出保険の柏木浩一と申します。今回の火災は私自身、胸が痛む思いです。では、保険料の支払いについてですが、今回は放火との事ですので・・・・・・」


 これまた、聞いている方は分けの分からない説明を彼は始める。


「と言うことでして、保険料は全額お支払いする事となっております」

担当の柏木さんは深く頭を下げると席に着いた。

「ありがとうございます。続いて、建設会社の錦組さんからの報告です。お願いします」


 と言った具合に今回の火災に関係する企業から今後の対応についての報告を受けた。その後、当然、質問の応酬を受けたが彼らは見事に答え職員一同を納得させた。それもそのはず、ここに来ている担当さんは全員この林海学園の卒業生なのだから。母校に対して疎かな対処をするはずがない。


「続いて、寮生への対応ですが・・・・・・」


 現在、学園周囲のアパートを借りられるか交渉中だと言うこと、寮生達が現在どうしているかなどの事が報告され、今後の対策が協議された。


「理事長、今回の不手際申し訳ありませんでした」

「悪いのは放火魔ですから。校長が気になされる事じゃありませんよ。それにアスカさんとは家で仲良くやってますから」

「うち?」


 校長の眉がピクッと反応した。


「えぇ。それと、少し遅れましたがこれが渡されていた書類です」


 書類とは寮生を預かることの了承、本人の了承、寮生の家族の了承の三つで構成され、サインとはんこを押せば成立するものである。

 つまり、預かり先に一時的に寮母としての権限を与える書類なのだ。


「・・・・・・!!」


 その書類に目を通した校長は一瞬だけ硬直し、瞬時に有馬を睨み付けた。

 明らかに怒っている。視線だけで大根が切れそうだ。


「理事長。ちょっと、こちらへ」


 妙に冷めた声。有馬は少しだけ戦慄を感じた。

 この声を聞いて、ただで済んだ者はいない。

 校長は襟首を捕まえると強引に隣りの本殿に引っ張っていった。

 それを見た職員達は一斉に笑みを浮かべた。

 始まった。

 一部を除いた全職員がそう思った。




 校長はしっかりとふすまを閉めると有馬を離した。

 その表情は沈着冷静な校長のものじゃなかった。


「ちょっと、有馬。何考えてるのよ。預かって貰ったのは女の子なのよ。その辺、良く分かってるの?」


 そう言いながら振り向いた校長の手にはどこから取り出したのか不明な竹刀が。

 それを流れるような動きで有馬に振り下ろした。


「思いっ切り分かってる。どうみてもおかまさんには見えないからな」


 有馬も負けずに真剣白刃取り。額には汗。

 書類の転居先住所欄にはマンション町中703号室と書かれていた。

 それがどう言う意味かを校長は熟知していた。


「ふざけないでよ。家にはカイトがいるのよ。まぁ、カイトだったら有馬と違って、間違いは起こさないと思うけど。それでも、年頃の男の子なのよ。あれでも」


 竹刀を有馬の手から外すと再び勢い良く振り下ろす。後ろに飛んで避ける有馬。

 校長は昔、全国大会で三位の成績を残す実力者。

 対する有馬は近所のお子さまと戦隊ごっこが出来る実力者。もちろん、怪人役。

 もう、お分かりだろう。彼女こそがカイトの母なのである。

 では、何故、名字が違うかというとそれは有馬と凪の二人が法的な結婚をしていないからだ。つまり、役所に婚姻届を出していないのだ。

 その理由は有馬と凪の年齢とカイトの年齢を考えれば自ずと分かるだろう。

 何はともあれ、二人が夫婦であり、カイトの両親である事に代わりはない。

 豪放磊落で傍若無人の有馬と才識兼備で文武両道の凪からどうして、のんぽり劣等生のカイトが生まれたのか。それは林海学園七不思議の一つである。


「有馬のことだから一週間に一度とかしか家に帰ってないんでしょう?」

「いや。最近は三日に一度は帰ってる。邪魔をするのは悪いと思うけど、将来の為にコミュニケーションとスキンシップをはかるのは重要だからな」

「ちょっと!」

「将来、義理の娘になるんだ。スキンシップをはかるのは当然だろ!」

「ちょっと、何言ってるのよ!」


 この間も二人の応酬は続いている。一進一退の攻防が続く。


「アスカさんとカイトが良い仲だって事だ。凪も一度、家に帰って来いよ」

「何を根拠にそんな突飛な事を。確かあの娘はこの前、転校してきたはずよ」

「玄関に顔を出したカイトにいきなり抱きついたのが良い証拠だ」

「そんな事で勝手に決めつけるんじゃないの。二人に迷惑でしょ」

「凪だってそうだろ。いきなり、おれに抱きついてきただろ!」

「なっ。勘違いしないでよ! あれは階段から落ちたところを下にいた有馬に助けて貰っただけじゃない」


 しかし、この事件がきっかけとなったのは事実である。


「とにかく、この一件は受理しないからね」

「アスカさんはなカイトには勿体ない良い娘なんだ。いや。良い娘だ!」


 有馬がここまで人を持ち上げるのは珍しかった。

 その気迫に凪は押されてしまう。だが、土俵際で堪える。もう、意地だ。


「ダメよ!責任者として倫理に反することは受理できない」


 別に凪はアスカの事をどうとも思っていない。むしろ、好感を持っていた。

 有馬があそこまで褒めているんだから。

 好感を持っているからこそ、反対するのだ。

 自分という一つのモデルがあるからだ。

 高校生でカイトを出産して、一流大学入学。そこで夢だった教員免許取得。

 そして、現在。決して平坦な道のりではなかった。

 この苦難の道をアスカはどうかは分からないが少なくともカイトが歩けるとは凪には思えなかった。それは教育関係者としての冷静な判断とも言える。




 一方、大広間では。


「何か、凄いことになってますね」


 ふすまの方に顔を向けたまま、中川由利子はそう言った。

 そこには無数の職員達が集って、中の様子を探ろうとしている。

 彼女の顔は呆れつつもホンの少しだけ紅く染まっている。


「そうか。中川さんは初めてだったわ。職員会議」

「はい」


 彼女は今年の冬に赴任してきたばかりだった。担当は古典。


「これが林海学園名物竹刀プレイよ」

「竹刀・・・・・・プレイですか?」


 プレイという言葉に少し動揺する中川。


「そう。理事長と校長は職員会議の度にあれをやってるのよ」

「こんなにたくさん人のいるところで、ですか」

「あれも一つの夫婦関係のなのよね」


 何故か両腕を組んで感慨にふける。

 職員全員、有馬と凪が夫婦である事は知っている。


「それにしても、さっきから漏れ聞こえる声って何か」


 声が尻つぼみになる。それと反比例したように彼女の赤面の度合いは強くなる。


「スキンシップだからね」


 スキンシップと言う単語に、もう中川は完全無欠で赤面した。

 彼女が勘違いしたのも無理はない。

 大広間側に聞こえてくるのは二人の会話の『!』がついた文のみ。

 抜粋してみよう。


 ちょっと。スキンシップをはかるのは当然だろ。

 ちょっと、何言ってるのよ。いきなり、おれに抱きついてきただろ。

 勘違いしないでよ。良い娘だ。ダメよ。


 以上の単語をちょっとした想像力で調理すると何とも恥ずかしい推測が生まれることになる。ふすま越しと言うのがそれに拍車をかけていた。


「先生が考えてることは良く分かります」

「宜しければ、書いてみましょうか?」


 優と沙耶だ。二人の連行先はここ双樹神社だった。

 ここで資料の配布やお茶汲みの手伝い、弁当の注文などをやらされていた。

 早い話が強引に雑用係にされてしまったのだ。ちなみに時給320円。

 持ってきていた原稿用紙にシャーペンの軌跡が唸りを上げて描かれていく。

 描かれた文字は焼き印を押されたように黒々としている。


「さすがは文芸部部長。恐ろしいわ」

 中川はあまりの凄さに感動と共に戦慄もした。

 彼女は生徒会の手伝いもしているので、部長会議で沙耶の顔を知っていたのだ。


「ふぅ、こんなものかな」


 シャーペンが置かれる。そして、完成した原稿用紙を中川に見せる。


「えっ・・・・・・えぇぇっ!」


 中身を見た中川は再び赤面した。

 沙耶の仕上げた原稿の内容はこうだ。


  以下のお話は沙耶の作ったお話で本編とは何ら関係ありません


 凪は後ろ手にふすまを閉め、真っ直ぐに有馬の胸に飛び込んだ。

有馬は彼女を優しく抱きしめた。


「寂しかったのか?」

「えぇ、ちょっと」


 有馬の胸から少し離れ、顔を上げた凪の目にはうっすらと涙があった。

 普段から激務に追われている二人にとってこの職員会議はお互いに会える数少ない場。どうしてもお互いの顔を見ると弱くなってしまう。

 その涙を人差し指で拭うと有馬は凪の唇を塞いだ。

 突然の事に驚いた凪は目を見開き、有馬の身体を突き飛ばした。


「そんな、いきなり」

「夫婦なんだから、スキンシップは当然だろ」

「ちょっと、何言ってるのよ。こんなところで」


 語気を荒げるが彼女の頬は僅かながら上気している。


「いきなり、おれに抱きついてきただろ。それなのに」


 有馬は一歩前に踏み出した。だが、凪は避けるように一歩下がった。


「勘違いしないでよ」


 伏せ目がちに凪は言った。

 そんな彼女のもとに駆け寄り、抱き締めた。


「良い娘だ」

「ダメよ」

 言葉では嫌がってはいるがもう、凪の身体に力が入らなかった。

 そして、二人はゆっくりと床に倒れていった。




原稿用紙一枚ちょっとではあるが、かなり想像させる文章である。

中川は食い入るように何度も二枚の原稿用紙を読み続けた。

漏れ聞こえてきた声だけでここまで話しを飛躍させるところが物書きの性分か。

それとも沙耶のトラブルメーカーとしての素質故か。それは定かじゃない。


「もっともこうなってる保障はどこにもないけどね。多分、また竹刀片手におじさんを追いかけ回してるんじゃない?理由は分からないけど。ねっ、優」


 笑顔の沙耶とは対照的に真剣な表情を彼はしていた。


「一つ気になることがあるんだけど」

「何?」

「沙耶。もしかして、こういう系の本読んだことあるの?」

「えぇ、あるわよ」


 妙に爽やかな笑みに優は少しイヤな予感がした。


「優の部屋で」

「のわああああああぁぁぁぁ・・・・・・」


 予感的中。優は仰け反り七転八倒した。


「何で押入の奥にある秘密ボックスの事を知ってるんだよ!」


 あまりの衝撃に優は人が聞いているのを忘れ、叫びまくった。


「そうか。押入の奥にあるのか。よしっ、帰りに襲撃するわよ」


 と、ニヤニヤしながらそう言った。


「のぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・・」


 沙耶の事一言は優を奈落の底に突き落とした。


 は、はめられた!!


 優は七転八倒の体勢、ブリッジ、のまま固まった。


「一度読んでみたかったのよね。兄さん持ってるみたいだけど巧く隠してるから」


 優は白く固まっていた。きっと、金槌で叩いたら粉々になるだろう。


「大丈夫よ。優も男の子だもん。持ってたって軽蔑しないから」


 春の小春日のような笑顔を優に投げ掛けた。

 そのお陰か少しだけ優の心が氷解し始める。


「でも、モノによっては非難するかも」


 優は思った。

 さようなら。さようなら、輝ける世界。

 こうして、優は心を閉ざしたのだった。さようなら、優。

 そんな優の気持ちを余所に沙耶は彼に話しかけ続けた。


「ねぇ、カイトのエッチゲームとどっちが面白いの?」


 この一言を聞いた優は顔を上げ、見えないはずの空を見上げた。

 青く晴れ渡った空に雲が浮かんでいた。見ているだけで清々しい気持ちになる。

 空にはカイトの笑顔があった。この空を見て優は思った。

 カイト、ありがとう。ありがとう、我が友よ。

 こうして、優は心を開いたのだった。お帰り、優。


 これと似て否なる光景が大広間に広がっていたのだった。

 恐るべし、林海学園職員会議。


 そんな中、一カ所だけ静寂と緊張とが同居している場所がある。

 周りが余りにも騒がしい為、その静けさをさらに引き立てていた。

 その静けさを宿した人物の眉間に皺が寄っていた。

 時折、ピクッピクッと頬が動く。

 顔中に彫り込まれた皺の数だけ彼は苦労していた。

 何度、胃潰瘍になりそうになったか、何度、便秘になりそうだったことか。

 それは彼の皺の数が物語っている。

 その彼がゆっくりと立ち上がった。

 それだけで一同は静かになった。


「はっ、始まった」


 化学教師 佐山は小さく呟いた。

 彼の額には珠のような汗が浮かび上がった。


「最終兵器 教頭アタックが始動した」


 一同の視線を浴びつつ、教頭はゆっくりとした足取りでふすまの方に歩み寄った。

 近寄っただけでふすまに張り付いていた職員達は一斉に道をあけた。

 その威厳に満ちた姿はエジプトを脱出したモーゼのようだった。

 ふすまの前まで来ると教頭は目を閉じ、深く息を吸った。

 一同も同じ様に深く息を吸う。

 目を閉じたまま、ふすまに手を掛けた。

 そして、カッと見開かれると同時にふすまは開け放たれた。

 そこには有馬と凪のイヤ~ンな光景・・・・・・はない。

 竹刀を振り上げる凪と迎撃体勢でいる有馬がいた。

 教頭の頬が痙攣した。


「お二人とも何をしているんです!今は職員会議中です!!」


 教頭の一喝が本殿に響き渡った。

 馴れていない新米職員の数名はこの一喝で少しだけちびった。

 この一喝をまともに浴びた二人は瞬時に正座をして、ごめんなさいをしたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ