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ぼやぼやしてると・・・・・・《3》

「ところで二人とも知ってる?」


 文芸部の部室とは名ばかりのコンピュータ室の片隅。

 そのまた片隅の部長席に鎮座した沙耶が言った。


「何を?」


 と優。片手にはカフェオレのパックが握られている。


「最近、小火ぼやが多発してるんだって」

「ふ~ん」

「ふ~んって、カイト。これは重大事よ。寮も小火だったじゃない」

「そう言えば、そうか」


 あの小火が原因でアスカが家に来たんだよなぁ。

 あれから早くも一週間とちょっとが過ぎていた。


「ついこの間も峯崎さんとこがそうだったんだって」

「知ってる。たしか家は大丈夫だったんだよな」

「すぐに消火器で消したから大事にならなかったけど。大変よね」

「冬だもんなぁ。うちも乾燥してるから気を付けてって回覧板回そうかなぁ」


 沙耶は、あまいわねカイト、と言いたげに人差し指を振った。


「付け火よ。付け火の方が有力なんだって」

「付け火って、そんな時代がかった」


 と、突っ込む優。


「い、良いじゃない別に」


 実は彼女、時代劇ファンだったりする。


「とにかく、付け、放火なのよ。証拠だって残ってるし」

小火のあった近くで不審者を見たとか、灯油を染み込ませた紙が火元になっているとか、次々と証言や証拠となりそうな事を上げていった。

「もしかして、沙耶」


 ジト目でカイトは彼女を直視した。


「な、何よ」


 心なしかたじろぐ沙耶。


「小火の現場で色々と聞いて回っただろ」


 優が続ける。カイトも無言で、そうだろと言う視線を送る。


「いや・・・・・・その・・・・・・ははははっ」

「笑って誤魔化すってことは」

「やっぱり、行ったんだ」


 そう言って頭を垂れる優。そして、溜め息を吐き出すカイト。

 付き合いは長い。こう言うことはお互い何となく分かってしまうもんだ。


「今後の研究の為にと思って・・・・・・大丈夫よ。鎮火した後だから」

「犯人とかに見つかったら危ないだろ」


 諦め半分に優はそう忠告した。忠告したところで止める沙耶じゃないことは十分に分かってるつもりだ。


「それにこういう放火犯って言うのは得てして犯行現場に戻ってくるもんなんだから。これ以上、深入りしない。いい!」

「・・・・・・うん」


 苦笑いしながら沙耶は頷いた。ここで、うんと言っておかないと何時間も説教されるのは十分に分かっている。


「分かれば宜しい。・・・・・・カイト?」


 見れば、カイトは一人腕を組んで珍しく思案顔だった。


「いやぁ、さすがは推理物の小説を書いてるなぁって思って」


 二人は思いっ切り嘆息した。

 カイトの変なところで一テンポずれた性格は分かっていても溜め息をつきたくなる。

 気を取り直したように沙耶は顔を上げた。


「そうよ、小説よ」


 しまった!! 何て、ボクはバカなんだ。

 カイトは思いっ切り後悔して、自分のバカさ加減を嘆いた。


「二人ともちゃんと書いてる? まだ、設定とか見せて貰ってないけど」


 そう言って、彼女はしげしげと二人を見る。


「まぁ、ぼちぼちとな」


 と言ったのは優。


「一応、ネタは出来上がって、今は頭の所を書いてる」

「順調に行ってる見たいね」

「まっ、ぼちぼちとね」

「じゃ、カイトは・・・・・・カイト?」


 キョロキョロと辺りを見回すがカイトの姿は何処にもない。

 一瞬、透明人間になったのかと思い、沙耶は彼のいた席の辺りを手で触ってみるけど、空を切るばかり。そこにいないんだから当然だ。

 机の下を探す沙耶に優は呆れ返るだけだった。


「沙耶、沙耶」


 彼は沙耶に小さく声を掛けると無言で指さした。

 そこにはこそ泥歩きをしているカイトがいた。

「カイト!」

「は、はい!」


 大変良くできましたと、花丸を上げたくなるような良い返事がコンピュータ室に響く。


「カイト」

「・・・・・・・・・・・・」

「諦めろ、カイト」

「カイト、何処に行く気?」


 妙に感情の無い声で沙耶はカイトに問うた。


「いや、ちょっと、トイレにと思って」


 ギリギリと首を後ろに向け、ぎこちない笑いをするカイト。

 それはさながら油の切れたブリキの木こりさん。


「ふ~ん、あたしに嘘つくんだ」


 沙耶は抑揚の無い声と冷視を浴びせかけた。

 カイトはもろ直撃を受け、冷凍光線を受けたように固まる。

 それは美術部がモデルとして持って行きたいほど見事なもの。


「・・・・・・・・・・・・」


 この光景を前に優はあたふたしている。

 友として、男としてカイトを助けなければと言う使命感と沙耶を敵に回す事への恐怖が今、激しく優の中で戦っているのだ。


「まぁ、良いわ」


 沙耶は優の葛藤の結果を待つ事無く、そう言ったのだ。

 その瞬間、カイトは解凍され、元に戻る。その影で優もホッと胸を撫で下ろす。


「元々、カイトがやってるとは思ってなかったし」


 た、助かった。

 心の底から安堵の息を吐き出すカイト。


「だったら、ここで設定だけでも書かせれば済むことだからね」

「無理だよぉ」

「無理してでも書く!」


 結局、カイトは書かされることになるのだった。

 がんばれよ、カイト。




 カイトが二時間もの長時間、脳みそを総動員し、ブレイクダンスを踊らせて作り上げた設定は何処にでもあるようなものだった。

 勇者とその巫女の物語。

 ただ、魔王を倒すとか世界を救うとか壮大なものじゃなくて、とある町で のちょっとしたお話なのだ。

 少し、巫女の性格なんかがアスカと似ていたりする。

 沙耶もこの設定に「カイトらしいわね」とOKを出した。




 学校を出るともう、すっかり暗くなっていた。

 道を照らす街灯の光が凄い自己主張している。

 その街灯に群がるように蛾などの虫が群がっている。


「何で、虫って明るいところに集まるんだろう」


 と言った優の一言に、カイトは、


「明るいからじゃない?」


 と答えた。


「人間と一緒ね」

「どう言う意味?」


 カイトは訝しげに沙耶を見る。


「そのまんまよ」


 彼女は意味深な笑顔でそれだけ言った。

 カイトと優はお互いに顔を見合わせ、首を傾げるしかなかった。


 う~、う~、カンカンカンカンカン・・・・・・


 遠くでサイレンの音が聞こえる。

 その瞬間、カイトは自分の右腕が強く握られたことを感じた。

 それは優も同じだった。


「行くわよ。二人とも」


 沙耶の目は輝きまくっている。瞳の中の宇宙と言う表現と奇麗に符合する。

 彼女にとって好奇心をくすぐるものは服飾品よりも価値があるのだ。

 やれやれと二人が溜め息を着いた頃にはもう、彼女は走り出していた。

 カイトと優の二人を引っ張って。




 沙耶に引っ張り回されて、小火の見物に付き合わされたカイトが帰宅した頃にはもう、七時を回っていた。


「ただいま~」


 心底疲れたと雄弁に語る溜め息が漏れた。


「やっぱり、回覧板作っとかないとなぁ」


 今日の小火の現場を見て、改めてそう思うカイト。

 いつもの調子で靴を脱ぎ、廊下を歩いていると彼は異変に気付いた。

 いつもだったら、カイトの「ただいま~」に続いてアスカの「おかえりなさい」が返ってくるはず。

 カイトは一度、小首を傾げたが、コンビニかどこかで買い物してるんだろうと勝手に納得することにした。

 だが、それは間違いだった。とんでもない間違いだった。

 リビングを横切ったとき、カイトはそれが間違いだったことに気付いた。

 異常な存在感と威圧感を感じる。

 振り向くとそこには俯いてこたつに入っているアスカがいた。


「あっ、いたんだ。ただいま」


 カイトが彼女に声を掛けるとアスカは機械的な動きで首上げ、「おかえりなさい」と言った。そして、強烈な視線と怒気がカイトに向けて照射した。

 それはカイトをたじろがせたはしたが、沙耶のように恐怖を抱かせるほどではなかった。しかし、アスカが放っていると言う意味でカイトは困惑していた。

 今までこんな事は一度もない。それに彼女を怒らせるようなことをした覚えもない。


「ど、どうしたの」


 取り敢えず、理由を聞かないと。

 何事も情報収集が必要だと言うことをカイトは沙耶との付き合いで身にしみて分かっていた。

 男は傷つく度に強くなるものだ。

 カイトの祖父、正義の言葉が思い出される。


「・・・・・・待ってたのに」

「えっ」

「約束したのに」


 アスカは頬を膨らませ、カイトを睨み付けた。

 怒った顔をしているのだが、可愛いだけに迫力が微塵もない。

 のだが、カイトにとっては十分、驚異的だった。

 彼女と一緒に暮らすようになってから、一度も彼女の怒った顔は見たことが無かったからだ。拗ねることはあっても、怒ることは無かった。

 あたふたと怒らせた理由を再度検索したが、やっぱり出ては来ない。

 朝御飯も食べたし、部屋の掃除も昨日した。お弁当も残さず食べた。学校で居眠りはしたけど、それは関係ないだろ? じゃ、何でアスカが怒ってるの?


「早く、帰って来るって、約束したのに」


 このアスカの言葉でカイトはようやく事情を把握した。




 今朝のことだ。

 双樹家の朝はひじょ~に慌ただしい。

 一般家庭にゴキが駆け回ってもここまで慌ただしくはならないだろう。

 もっとも、慌ただしいのはカイト一人なのだが。

 起きてすぐに鞄に教科書を詰めて、トイレに急ぎ、そして、食事をする。

 忙しく口をもごもごさせているカイトをアスカは笑顔で頬杖をついて見ている。

 いつもの光景だ。

 時計の針が八時十五分を指している。


「それじゃ」


 と、彼女はテーブルの側に置いている鞄を手にして立ち上がった。

 いろいろと世間体って言うのがあるからと、カイトの提案で二人は少し時間をずらして学校に行くことにしている。

 学校全体がマンションと同じ状況になったら困るのと何となく気恥ずかしいからと言うのがホントの所だ。


「今日は早く帰ってきてね」

「ふぁんで?」


 カイトは口をもぐもぐさせながら聞いた。


「もちろん、修行のためよ。それじゃ、行ってきます」


 と、爽やかな笑みを残して学校に出かけていった。

 一人残されたカイトは口の物を飲み込むと一つため息をついたのだった。




 確かに約束した。返事はしてないけど、約束したのだ。

 その事に気付いたカイトの行動は素早く、鮮やかなものだった。


「ゴメン!」


 素早く頭を下げると今までの経緯を簡潔に説明する。

 部で二時間拘束されていたこと、小火を見に行くと言い出した幼なじみに引きずられたことを話した。しどろもどろになりながらも、要所要所はちゃんと掴んだ説明をした。

 カイトの必死の言い訳に耳を傾けたアスカは緩やかに怒りを沈静化させていく。


「忘れてたわけじゃないんだ。ただ、記憶になかったんだ」

「それを忘れてるって言うの!」


 怒り再燃。彼女は立ち上がり、自分の部屋に入ってしまった。

 思いっ切り扉を閉めた拍子に壁に掛けてあるパズルが落ちた。


「ア、アスカ・・・・・・」


 ドアの前で情けない声を上げながらカイトはへたりこんでしまった。

 あぁ、ボクって、やっぱりバカだ。

 カイトはアスカの部屋のドアの前で項垂れるしかなかった。

 その日の夕食は久しぶりのインスタントだったことは言うまでもない。

 そして、当然の事ながら彼の脳裏から小火に注意して下さいの回覧板を作ることは完全に失われることになる。




 そして、翌日。今日も元気だ日曜日である。

 まだ、朝靄の晴れやらぬ頃、カイトとアスカ、そして、じっちゃんの三人は双樹神社にいた。

 早朝の神社と言うのはそれはそれで神聖な雰囲気を感じさせる。

 夜に感じる神秘さとは違い、清々しさで周囲を包み込んでいる。


「ふぁぁぁぁ・・・・・・」


 盛大な欠伸をするカイト。見ているだけで眠くなりそうな欠伸だ。

 低血圧と言う理由じゃないが、夜型人間のカイトにとってこの時間帯に起きる事、自体が試練と言っても良い。特に日曜日はそうだ。

 だけど、昨日のこともあって彼はがんばって起きたのだ。エライぞ、カイト!!

 日曜日であるにも関わらずこんな早朝に修行をすることになったのには当然、理由がある。


「夕日の猛特訓がダメなら、早朝の秘密トレーニングじゃ」


 じっちゃんのこの一言が理由だ。

 指導者であるじっちゃんの時間指定は絶対。その事はアスカも承認済み。

 もっとも、じっちゃんにとってこの極端な時間設定は、人目を忍んで猛特訓をする、と言う燃えるシチュエーションの下でやりたかっただけのこと。

 本当は修行場のメッカである南米でしたかったのだが、時間と旅費の関係で断念せざるを得なかったのだ。


「しかし、アスカくん。良く、この時間にカイトを起こすことが出来たのぉ」


 感心しながらじっちゃんは言う。

 実際、カイトを知る人がこんな時間に彼を起こしたと知れば、驚くか関心するかしかない。


「わたしが起こす前にカイトくん。起きてましたから」


 じっちゃんは訝しげに首を傾げた。

 どこかカイトに対してそっけない口調だったからだ。いつもの笑顔もない。


「しかし、イベントに行くとき以外に早起きするとは、何かあったか?」


 突然、じっちゃんに振られてカイトは欠伸を中断。少し、胸が気持ち悪くなる。

 それ以上に昨晩の事を思い出して、少し狼狽した。


「べ、別に何もないよ」


 カイトは昨晩の事を話す気にはならなかった。

 話したところでからかわれるのが落ちだと思ったからだ。


「ふむ。・・・・・・痴話喧嘩か」

「そんなんじゃないよ!」


 何故か、顔を赤くするカイト。

 図星じゃな。内心そう思うじっちゃんだが、敢えて口には出さない。

 代わりに意味深な笑みを見せる。


「まぁ、良い。修行開始じゃ」


 言うが早いかじっちゃんは高らかに飛び上がった。

 一回転宙返りを決め、つま先から見事に着地した。鳥居の頂上に。

 肩幅に足を広げ、腕を組む。それを合図にじっちゃんの背にライトが当てられる。


「修行の第一段階はこれじゃ!!」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」


 妙な沈黙が流れる。

 二人はぽか~んと口を半開きにして、じっちゃんの姿を見ていた。


「ンナ事出来るかぁぁぁっ!」

「勇者ならできる!!」


 と、じっちゃんはビシッとカイトを指した。


「じ、じっちゃん・・・・・・」


 勇者である身が呪わしい。


「当然、いきなりこれをやれとは言わん。初心者向けとして、そこの灯籠に乗るのじゃ。本当はいきなり電柱の方が良いかと思ったんじゃが、まだ、無理じゃろうからな」


 再び、カイトは口を半開きにした。今度は呆れたからだ。

 そんな彼の心境を知ってか、知らずかじっちゃんはカイトを見下ろしたまま、


「どうじゃ、カッコイイじゃろ」


 得意げだ。光を背にしているにも関わらず、じっちゃんの白い歯はキラリと光る。


「うっ」


 一瞬、カイトはたじろいだ。

 確かにある種のカッコ良さがある。不思議と惹き付けられるカッコ良さが。

 やってみたい。むしょ~にやってみたい!!

 カイトの心は今、ぐらぐらと揺れていた。

 その証拠に額に玉の汗が浮かんでいる。冬の真っ直中だというのに。


「カ、カイトくん!?」


 アスカは彼の突然の変化に戸惑っていた。

 あんなに嫌がってたのに、今や彼の目は危険な輝きを宿している。


「高い所から人を説教したいとは思わんか。ん?」


 額の玉の汗が流れ始める。それと同時に鳥肌が立つ。


「高いところに立つのはある種、男の本能じゃ。カイトよ。今こそ男に、いや、漢になるのじゃ! お前はそんな所にいるような漢ではなかろう!!」


 じっちゃんの説教にカイトは今にも奮い立ちそうになる気持ちをぐっと堪えていた。男の本能を抑え付けるだけのモノが彼の中にあるのだ。

 そう、彼は高所恐怖症なのだ!!

 バカと煙は高いところが好き。の言葉通りでは無いのだ。

 バカが高いところが怖くたって良いじゃないか!!

 このカイトの高所恐怖症はじっちゃんも良く知っている。

 分かった上でじっちゃんは言ってるのだ。

 恐怖を努力と根性、愛と勇気で乗り切るのじゃ!!

 じっちゃんはそう語りかけるようにカイトを見つめていた。


「カイトよ。これを身に付ければ、敵と戦うとき優位に戦えるのじゃぞ」

「えっ」


 心配そうにカイトを見ていたアスカがじっちゃんを見上げた。


「敵を見下すことにより精神的優位を得ることが出来る。その上、高いところに立つんじゃ。当然、広い視野を得ることが出来る!!」


 じっちゃんのこのセリフにアスカは感動した。

 さっきまでただの決めポーズの練習かと思っていたからだ。

 こんな事でカイトを怪我させたら大変。不安定な灯籠の上に立つのだ危険に決まってる。止めさせた方が良いのかも知れない、とか必死に悩んでたのだ。

 だが、じっちゃんのセリフはアスカの考えを改めさせた。

 さすがはおじさま。


「カイトくん、がんばって。わたし、応援してるから」


 アスカ必殺のキラキラ期待光線がカイト向けて照射される。

 もはや、高所恐怖症はカイトを躊躇させるだけの効力を失わせていた。


「や、やってみるよ」

「カイトくん!」


 アスカは両手を組んで、がんばってね、と笑顔で励ます。

 じっちゃんも滂沱しながら、何度も頷いている。

 完全にシチュエーションに酔っている。

 灯籠の上に立つ。

 この行為自体がかなりバカバカしく変な行動であるにも関わらず、カイトとアスカはその辺の事に全く気付いてはいない。真剣そのものだ。

 当然、じっちゃんも。


 よじよじ、のぼのぼ、よじのぼり・・・・・・


 何とか灯籠の上によじ登ったカイトだったが、巧く立ち上がることが出来ない。

 中腰のままカイトは何とかバランスを取ろうとするが、なかなか巧くいかない。

 灯籠の頭の部分がぐらぐらと揺れる。


「がんばって、カイトくん」

「がんばるんじゃ。漢の夜明けが待っとるぞ!」


 カイトは両手を灯籠の頭の部分から離し、両の足で立ち上がろうとする。

 アスカは祈るように両手を組み、カイトを見守る。

 じっちゃんも真剣な眼差しでカイトを見下ろす。

 ぐらぐらと揺れる中を彼は必死に立とうとする。

 がんばって、カイトくん。

 アスカの目の端に光るものが滲み出る。


 そして・・・・・・立ち上がった。カイトは見事に立ち上がったのだ。

 偉業を成し遂げた漢を祝福するかのように朝日がカイトを照らす。

 朝日に照らされたカイトの顔はいつものどこかなさけないものはなく、偉業を成し遂げた漢の顔をしていた。拍手!!

 アスカは目の端に涙を浮かべ、カイトを讃える拍手をした。

 じっちゃんも何度も頷きながら滂沱する。


「どうじゃ、カイト。高い所に立つのは気持ち良いじゃろう」

「うん。じっちゃん」


 カイトは清々しい気持ちで朝日を見ていた。

 朝日を見てこんなに感動したのは生まれて初めてだった。


「うむうむ。カイトよ。こう言うときは天高く笑うのじゃ。一つの事をやり遂げた時は笑うに限る。さぁ、共に笑おうぞ!!」

「うん」


 カイトは思いっ切り息を吸い込み、そして、


 ツルンッ


「えっ!?」


 世界が90゜ずれた。


 ドサッ・・・・・・ゴンッ!!


 とことん、お約束なやつである。

 ・・・・・・合掌。




 目を覚ますとそこには見慣れた天井があった。本殿の隣りの大広間だ。

 起き上がると鈍痛がカイトの頭を襲った。


「つつっ」


 頭の痛みを抑えるように右手で頭を抑える。

 布団の上に布巾が落ちていた。


「大丈夫、カイトくん?」


 心細そうな声が聞こえた。誰だかは分かっている。アスカだ。


「うん、大丈夫」


 本当は鈍痛がかなり残っているのだが、彼女は申し訳なさそうな顔を見ていると言い出せなかったのだ。


「少し、鈍痛が残ってるけど」


 言い出せなかったけど、口には出てしまう。結構、痛いのだ。


「本当にごめんなさい。・・・・・・わたし」

「大丈夫だよ。こう言うことなら馴れてるから。ほら、学校の階段から落ちた時も大丈夫だったろ?」


 笑みを見せる。


「・・・・・・うん」


 あの時の事を思い出したのかアスカはくすくすと笑いだした。

 カイトもあの時の情けない自分を思いだし理由も無く笑った。

 笑っている間にあの鈍痛もどこかへ消えていた。

 もしかして、ボクの頭蓋骨って相当分厚いのかも知れない。

 自分の頭を撫でながら、そう思った。

 その可能性は十二分にある。

 何せ、彼の頭に灯籠の頭の部分が落ちてきたにも関わらずたんこぶ一つ作っていないのだから。

 今度、レントゲン取ってみようかな。

 にへにへ笑っていると突然、カイトのお腹が鳴った。


「あっ」

「今、おじさまがお弁当買いに行ってるから」


 腹の虫に気付いたアスカは笑顔でそう言った。

 カイトは照れ臭くて苦笑をするしかなかった。

 壁に掛けられている時計を見るとそろそろ十二時を指そうとしている。

 今日はいつもより早く朝食をとったから、早くお腹がすく。当たり前の事だ。


「そうだ」


 カイトは布団から出ると大広間の隅に置かれている机の前で腰をおろした。


「カイトくん?」


 アスカは小首を傾げ、彼が何をするのか見ている。

 机の中からA4サイズの紙とペンを取りだした。


「何しているの」


 彼女はカイトの横から顔を出し、机の上のものを見るとそこには『小火に注意』とデカデカと書かれている。


「あっ」

「ほら。最近、小火とかが多いだろ。だから、昨日、回覧板を作ろうと思ったんだけど、忘れちゃってね」


 落ちたときのショックで思い出したのだ。


「・・・・・・・・・・・・ごめんなさい。わたしが」


 昨晩の事が思い出される。


「別に誰のせいでもないよ。ボクが忘れてただけだから」


 カイトは笑顔でそう言った。

 それでも、アスカは申し訳ない気持ちがした。

 ごめんね。口には出さなかったけど、彼女はもう一度心の中でカイトに謝った。


「ねぇ、アスカ」

「なに?」

「そろそろ、じっちゃんが帰ってくると思うから、お茶の準備とかしてくれないかな。向こうに台所があるから」


 そう言ってカイトは自分から右手方向を指さした。


「うん。分かった」

「それじゃ、お願いね」

「うん」


 気を取り直したのかアスカは台所に向かった。

 話の方向を変えて、彼女の気持ちをフォローする。

 と言うことは彼の脳裏にはない。ただ、純粋にそう思っただけ。




 カイトはまじまじと自分の書いた回覧板に見ていた。


「う~む」


 日頃からやらさされている生徒会会報や学年だよりなんかの手伝いがこんな所で役に立っている。

人生、どんな所でどんなものが役に立つか分からないものだ。


「まっ、こんなところかな」


 誤字も脱字もない。・・・・・・多分。


「はい。カイトくん、お茶」


 満足げに回覧板を見ていると横から湯飲みが差し出された。


「あっ、ありがとう」


 カイトはお盆から湯飲みを受け取るとふーふーして一口。


「出来たんだ。見て良い?」

「うん。一応、誤字脱字とか無いと思うけど。はい」


 傍目には同人関係の会報のようにも見えるが、要点はしっかりと書かれている。

 回覧板の空きスペースにキャラクターが描かれているところは彼らしいと言えば彼らしいところか。

 アスカはそんな事を思いながら回覧板を見ていた。


「後はじっちゃんにこれで塗って貰えば完成だな」


 アスカはそういったカイトを訝しげに目を細めた。

 彼の手にはこの回覧板を書いたであろうペンが握られている。

 カイトもアスカの視線に気付いたのか、


「じっちゃんはペン画のプロなんだよ」と言った。

「ペン画って」

「水墨画の親戚みたいなもんだよ」


 水墨画と同じ様な感じでペンだけを使って描く絵のことだ。

 じっちゃんの話によると戦時中は絵の具を手に入れることが非常に難しかったそうだ。だから、じっちゃんは絵の具よりも比較的手に入れやすい墨を使ってキャラクターを書いていたのだ。このペン画はその時、培ったものなのだ。紙自体も貴重品だったのだがこれは新聞紙で作ったざらばんしを使っていた。


「そう言えば、じっちゃん。遅いなぁ」


 時計の針はすでに十二時三十分になる。

 そろそろ、帰ってきてもおかしくない時間だ。


「なに、列んでいる時間がちと長かっただけじゃ」

「えっ!」

「のわっ!?」


 アスカはじっちゃんの突然の登場に驚き、お盆を盛大に振り上げた。

 その際、お盆がカイトの顔面を直撃する。

 お盆に乗せていたのはカイトの分だけだったから心配無用。


「・・・・・・じっちゃん、いきなり登場しないでよ」


 カイトは鼻をさすりながらそう言った。


「ゴメン、カイトくん」


 お盆を口元に持っていき、謝る。


「大丈夫」

「わたし、お茶の用意してくる」


 そう言って、彼女は小走りに台所に向かった。

 じっちゃんはアスカの背中を見て思った。


 絵になるのぉ。


 そして、アスカの背中を見送るとじっちゃんは弁当を机に置きつつ、


「相変わらず、お約束なヤツじゃな。カイトは」

「好きでそうなんじゃないよ」


 ひりひりする鼻をさすりながらカイトは言った。鼻血の心配は無さそうだ。


「まぁ、良い。昼飯を済ませ次第、特訓の続きじゃ。いいな」

「・・・・・・・・・・・・」

「次は決めポーズの特訓じゃ!」


 な、何か楽しそう。

 顔に引きつり笑いを張り付けていたカイトだったが、何故か突然馬鹿馬鹿しくなった。

 どう考えても子どもの戦隊ごっこと一緒じゃないか。

 ようやく、彼はその事に気付いたのだ。

 ボクはもう、ごっこ遊びは卒業したんだ。

 しかし、コスプレは結構好きだったりする。

 それはさておき。

 溜め息を一つ付くと、


「何か、じっちゃんの方が勇者って感じがする」


 少し、皮肉を込めて言った。彼にしては珍しい。

 言われてじっちゃんは満更でもないと言った風な顔をする。


「そうじゃろう、そうじゃろう。TRPG草創期からやりこんでおるからのぉ。年期が違う。年期が」


 何故か妙なポーズを取り出すじっちゃん。


「だったら、じっちゃんがやってよ。勇者」


 アスカの前では絶対に出せない本音がポロリとこぼれ出た。


気持ちは分からないでもない。


「わしは一向に構わんぞ」


 意外な答えが返ってきて少し驚いた。


「・・・・・・それじゃ」

「じゃが」


 カイトが続きを言う前に遮られる。

「じゃが、そうなると、わしが主人公になると、当然、ヒロインであるアスカくんはわしがゲットするぞ。良いのか。ん?」

「・・・・・・・・・・・・」


 カイトはじっちゃんのゲットの言葉に息を飲んだ。

 じっちゃんの言うゲットとはアスカのハートを射止めると言う意味だけではなく、当然、その先の事も含まれる。つまり、男と女の共同補完作業。


「どうなんじゃ?」


 カイトの耳にじっちゃんの言葉は届いていない。現在、いけない推測が頭を駆け巡っている真っ最中。

 じっちゃんのそっちの趣味は美少女ゲームでどんなものか良く知っている。

 はっきり言って、コワイ。ひじょ~にコワイ。

 あんな事をアスカにさせるわけにはいかない。


「どうした、カイト?顔が少し赤いぞ?」


 ニヤニヤしながらじっちゃん。

 実はちょっと、リアルな想像をしていたカイトだった。


「やっぱり、・・・・・・ボクがやるよ」

「うむ、そうじゃな。それが一番じゃ。良く言ったぞ。カイト」


 心なしか残念そうに見えるのは気のせいだろうか。


「どうしたんです?」


 お盆の上にお茶セットを乗せてアスカが戻ってきた。


「いや、なに。カイトが気持ちを新たに特訓に打ち込むと誓ったところじゃ」


 じっちゃんの話を聞いてアスカは喜び、じっちゃんはじっちゃんで熱血している。

 何か、熱血だな。・・・・・・何だかなぁ。

 何となく、取り残されたように思ったカイトだった。




 昼食と回覧板の仕上げをすると三人は再び、表に出た。


「さっきも言ったとおり、続いて、決めポーズの練習じゃ」


 その言葉を聞いて、呆気にとられるアスカとため息をつくカイト。


「お、おじさま?」

「何しろ、勇者と言えばヒーローじゃ。ヒーローが決めポーズの一つも無いのはやはり、まずいからのぉ。わしが夜も寝ないで」

「昼寝して、何て言わないでよ。じっちゃん」


 ジト目でつっこむカイト。

 じっちゃんはこのつっこみに息を飲み、後ずさる。


「も、もちろんじゃ」


 冷や汗を額にうっすら浮かべながらもじっちゃんは持ち直した。

 図星だな。

 と、瞬時に見抜く。生まれる前からの付き合いは伊達じゃない。


「あの、おじさま」

「何だね、アスカくん」

「決めポーズに何の意味があるんですか?」


 些か彼女の声に疑問の色が含まれている。

 さすがにこれには彼女も呆れるしかない。

 しかし、じっちゃんは、


「もちろん、カッコイイからじゃ!!」


 と、腕を組み、胸を張って堂々と言ってのけた。

 恐るべし、じっちゃん。

 カイトは改めてじっちゃんに畏敬の念を憶えた。


「は、ははっ」


 顔を引きつらせて、乾いた笑いをするアスカ。

 だが、彼女はすぐに漲る気力を駆使して復活する。


「でも、ポーズを決めている間に魔物に襲われたりしたら」


 彼女が心配なのはここだ。常識的に考えて、ポーズを取っている間に攻撃されるに決まっている。防御の姿勢もなにもなくて攻撃を受けるのだ。

 はっきり言って危険極まりない。

 こんな事になったらカイトが大怪我するかも、いや、死んでしまう可能性だってあるのだ。

 アスカは本気でカイトの身を案じていた。

 そんな彼女の真摯な気持ちを知ってか知らずか、じっちゃんはこう言ってのけた。


「心配無用じゃ! 古今東西、ヒーローがポーズを決めている間、悪は攻撃しちゃならんことになっとる。それが悪の鉄則じゃ!!」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」


 もはや、ここまで言い切られてしまってはアスカにはどうしようもなかった。

 それはカイトも同じ事だった。

 そして、アスカはこう割り切ることにした。

 練習するぐらいだったら、怪我もしないし・・・・・・大丈夫かな。

 カイトも思った。

 なんだかんだ言っても、やるしかないんだよな。アスカがあんな事になったら可哀想だし。

 再び、カイトはいけない想像をして、密かに顔を赤く染めた。


「二人とも納得したところで、特訓再開じゃ!!」


 じっちゃんは右の拳を振り上げた。

 三人の上を鳥がのんきに飛んでいったのだった。

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