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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

怖い噺

無限地獄

作者: 齋藤 一明

 無限地獄


 二人の日本人がいる。

 頭脳明晰、体力抜群、運動能力にも危機管理にも優れた二人である。

 他の支援を得られない閉鎖空間で、二人は日本人初の、純粋に日本人の手による宇宙実験に取り組んでいた。


「船長、もう少しで回収できます。次の目標は捕らえていますか?」

 マニピュレータを操作しながら次の確認をしたのは、三十代後半の丸坊主である。

「しっかり捕まえているよ、心配しなさんな」

 頭が薄くなった四十がらみの男が応じた。

 レーダー画面とともに肉眼でも針の先ほどの物体を捕らえていた。


「もう少し待ってくださいよ、……もう少し……」

 ミミズが這うような速さで掴んだ物体を貨物室に引き込んでいる。あと三十㎝ほどで投射機に固定できそうであった。


 この二人が何をしているかを知られると決定的な外交問題になり、ともすれば、そのまま戦争への坂を転げ落ちることは目に見えている。というのは、各国の軍事衛星を無力化するために存在するのである。

 いったいどうやってかというと、電力供給源を破壊し、通信アンテナを破壊し、低軌道めがけて打ち出すのである。なぜか? 地上へ落下させるためである。大気圏突入の熱で本体が燃えてしまえば、誰が工作したのか謎のままだからである。

 ただし、そういう目的だからこそ、本土との通信は厳しく制限されていた。


 細いレールの上に物体が固定された。固定しさえすれば、あちこちからとび出ているアンテナや太陽電池パネルを引きちぎって隙間に押し込むだけである。軍事衛星であっても基本的にペラペラの部材しか使用されていないのだから、そんな作業は簡単にすんでしまう。

 マニピュレータを一捻りするだけで全ての部材は引き千切られてしまうのである。


「船長、射出準備できました」

 角刈りの報告に、薄頭がキーボードを叩いた。

「よし、計算結果が出たぞ。いいか、下げ三度、装薬一。射出まで九十秒。用―意、テッ!」

 薄頭の号令で、角刈りが時計の軌道スイッチを押した。


 この二人、軍事衛星の無力化のために、ひそかに地球を飛び出てきたのである。名目上は気性観測衛星ということになっているが、その実、純国産往復型有人宇宙船であった。

 が、日本には巨大なロケットなどないので、ほんに小型の宇宙船なのである。居住空間は二人がやっと。各部のリブを利用して五日分の食料した搭載していない。そのかわり、居住区画の背後に伸縮式のマニピュレータと射出装置を備えている。


 同航で外国の軍事衛星を捕獲し、地上に落下させるのはさほど難しくはない。衛星の飛行速度を下げてやればよいだけのことである。

 そして、衛星捕獲のための燃料を節約するために、火薬式の射出装置を採用していた。

 だから、射出に際しては、次の目標を捉えていることが望ましいのである。

 秒速八㎞で飛んでいる衛星を、たとえ時速百㎞でも二百㎞でもいいから逆向きの速度を与えればよいのであるが、実際にはもっと速い速度で、しかも地上に向けて打ち出している。。


 時計の数字が三十になると、自動的に固定していたレールが後退した。


「ホルダ後退完了。点火五秒前、三,二、一、点火」

 コンピュータが無機質な声で点火を告げた。


「船長、速度が出ていませんよ。装薬が少ないようですね。どうします?」

「だめか? どれくらいの速度だ?」

「まだマニピュレータの操作範囲です。もう十秒経過しています」

「わかった、捕まえてくれ。装薬三にしてやりなおそう」


「船長、準備できました」

「わかった。ちょっと待てよ……。よし、射出機、下げ五度。発射まで九十秒。用―意、テッ!」


 二度目の射出は見事に成功した。星がギラギラと輝く空間めがけて凄い速度で遠ざかって行った。あの衛星は見た目より質量があったのだろう。案外攻撃型の衛星だったのかもしれないと薄頭は考えたのだが、角刈りが注意を促した。

「船長、合成速度が上がっていませんか? 当初の計算上では秒速九㎞のはずでしたが、もう五回も射出を繰り返したのですから、そのたびに二百㎞としてもすでに千㎞ほど合成速度が上がっているはずです。へたをすれば脱出速度に迫ってしまいます」

「だが脱出速度には達していないのではないか? そんなに心配か?」

「はい。さっきの射出速度はおそらく二百㎞でしょう。五回で千㎞ですよ」

「何を勘違いしているのかね……。秒速一㎞を時速になおすとどうなる? どうして脱出速度を超えるのかね?」

「あっ、そうか……。うっかりしていました」

「よし、いいか、次の目標をしっかり捕まえるのだ。そうすれば合成速度が僅かでも減るはずだ」


 二人の願いも空しく、十分な操作範囲に接近したというのに、マニピュレータの爪は太陽電池パネルを掴むどころか物体に衝突して千切れてしまった。

 そりゃあ当然である。対象物との相対速度が違いすぎるのである。

 マニピュレータが千切れるとともに、機体がすごい勢いで回転を始めた。

 対象物の当たった衝撃は、短に機体を回転させただけではなく、軌道を上へ、つまり、地球から遠のくようなベクトルを与えていた。


「ちょっと待てよ、回復させるからな」

 薄頭が小刻みな噴射で機体制御をこころみても容易に静止してはくれない。二人とも機体制御に気をとられるあまり、燃料の残りをうっかり忘れていた。まず水平方向の回転を止めるのに必死になっていた二人の耳に、ピュルルルという警告音が飛び込んできた。

「何のアラームか調べてくれ。もう少しで……」

 薄頭は、ただ回転を止めるのに夢中である。

「しまった、強すぎた……」

 ようやく水平旋回がおさまると思った矢先、静かに静止した機体が逆に回り始めた。

「船長! 警報の原因がわかりましたよ……」

「何だった?」

「……燃料が、帰還用の燃料が足りません……」

「何?」

 薄頭は、思わず振り返る時に噴射ボタンを押してしまった。

「帰還用が足りない? もう一度調べてくれ。急いで!」


 薄頭は慌てた。あまりに作業がうまく進んで、欲を出して少しづつ高度を上げていたことを忘れていた。そこへむけて、意外に質量の大きな物体を減速させたために、そこでも軌道を押し上げていたのである。そして、捕獲に失敗して姿勢維持のために燃料を使ってしまった。

 元々の予定では、約三百五十キロくらいの高度からの帰還を想定していた。大気圏突入時の姿勢制御もあるし、いくら滑空を主体にといっても航続距離を考えたら補助的にモータを動かさねばならない。空気密度が増えるにつれ、燃料消費も増える計算である。

 ところが、いつの間にか、予定外の高度に達しているのであろう。対象物のない空間では、速度も高度も認識できないのである。

「船長、やっぱり足りません。まだ姿勢が安定していないから降下できませんし……」

「最善の方法を考えてみよう。が、なんにしても機体を静止するのが先だ。大気圏内の補助モータを諦めるしかあるまい」

「センターに連絡しましょうか?」

「連絡してどうなる? 救助が来るなんて呑気に思うのか?」

「しかし、連絡くらいは……」

「おい、この任務が国家機密だというのを忘れたのか? いくらフィルター通したってバッチリ聞かれてしまうんだぞ」

「ですが、我々はどうなるんですか!」

「お前……、こうしてるのがばれたら戦争だぞ。それに、救急車が来てくれるのか? えっ?」

「最悪でも外国の機が来てくれませんかね」


「おい、水と食料を考えてるか? 酸素の余裕があるか?」

 帰還用燃料には余裕がないのである。それは角刈りにも十分わかっている。

「じゃあ、どうするのですか! だいたい、あんたが掴めって言わなきゃよかったんだよ!」

 船長と呼んでいたのが、あんたに変った。

「なら聞くがな、どうして掴もうとした? 俺のせいにしたって解決せんだろうが。少し落ち着けや」

「こんな状況で落ち着いていられるか! 死ぬかもしれないんだぞ!」

「だから落ち着けっていうの! なんとか助かる方法を考えないと、絶対に助からん。時間がない、考えろっ」

「こんな時に考えるなんてできるかっ!」

「そうか。考えがないのなら俺のやることに文句言うなよ」

 薄頭は角刈りに念を押して再び姿勢制御に集中することにした。

 まず、錐を揉むような回転を止めねばならない。その次に転がりを止めれば姿勢が保たれる。

 小刻みに噴射を繰り返して錐揉みが治まった時、すでに燃料は底をつきかけていた。

「おい、馬鹿みたいに無駄な噴射すんじゃねぇ! ガス欠寸前じゃねぇか!」

「なあ、落ち着けって言っただろ? そんなガキの言葉を使うんじゃない。姿勢を安定させなきゃ始まらないだろう? まだ死にたくないから悪足掻きしてるんだ、黙ってろ!」

「なんだと? このハゲが、エラッそうにこきやがって。ぶち殺すぞ!」

「やれよ。そのほうが楽に死ねるから大助かりだ。 俺が死ねば酸素も食料も余裕ができるからな。だがな、いずれ金魚みたいに口をパクパクさせて死ぬことに違いはない。そのほうが苦しいだろうよ」

「くだらねぇこと言う暇があったら働け! クソハゲがっ」

 人は死に直面すると本性がむき出しになるようである。操縦技術に自身のない角刈りは、口汚く罵るしかできなかったのである。


 小刻みに、小刻みに、一発で姿勢を安定できるように……。

 薄頭の願いはむなしく、燃料が底をついてしまった。


「どうすんだよ! えっ? どうすんだよ! どうやって還るんだよ!」

 居室は狭い空間である。普通に話すだけで十分会話ができるのに、角刈りは怒鳴り続けていた。

「最後の手段がある。だが、一度しかできん。それに、うまく高度を下げられても速度を殺すことはできん」

「だからどうだって言うんだ!」

「大気圏突入で弾かれて惑星旅行だ。運がよければ火葬、このままだと人工衛星だ。どうするか選ばせてやる」

「ば、馬鹿か! 全部だめだってことじゃねぇか!」

「せっかくだからお前に決めさせてやる。ボタンもお前が押せばいい。俺は文句言わん」

「最後の手段って何だ! いい加減なこと言いやがったらテメェ、ぶち殺すからな!」

「喧しい奴だな。これだから小僧はいかん。腹が据わってないのも程がある……。いいか、射出用の装薬を燃焼させる。かなりの高さまで来てるから少々では役に立たん。一発勝負だ」

「冗談だろ? おい、まだ転がってる最中だぞ!」

「ゲームで鍛えたのじゃないのか? といっても、リセットできないし、一つ間違えたらお陀仏だ。慎重にやってくれ。よけいなことだがな、船外服を着たほうがいいぞ。ヘルメットもきっちりとな」

 言うなり、薄頭は船外服を着に後ろの狭いスペースへ向かった。


「さて、装薬をどれだけ燃焼させるか決めてくれ。お前に任すからな。上手くやってくれよ」

 薄頭は、すでに頭まですっぽりかむった完全装備で操縦席に座っていた。

「そ、装薬……、装薬……」

「おい、声が上ずってるぞ。装薬をいくつ燃やすんだ?」

「ひ、ひとつ……」

「ひとつ? そんなもんで上昇が止まるか?」

「ふ、ふた、……つ」

「お前、それじゃあ静止するだけだぞ」

「み、み、みっつ……」

「三つだな? 本来の軌道に戻るのに時間がかかるけど、いいんだな?」

「よっつ、よ、よっつだ」

「四つだな? よし、わかった」


「装薬完了。いつでも押せ」

 薄頭が静かに告げた。

「押せって、こんなに速くころがってるのに、いつ押すんだよ!」

「窓をみながらタイミングを計れ。あとは、運だ」


 角刈りの息遣いが激しくなっている。一秒ほどで一回転しているのだからタイミングがとれないのである。それに度胸が……。

 糸のように細い眼をまん丸に見開いて、真っ赤に充血させた眼を瞬きすらできずにいるのだろう。指は押しボタンのはるかに上でブルブル震えているばかりである。

「早くしないと、どんどん高度が上がっているんだぞ。どっちにしても助からんのだ、早くやれよ」

「助からん……、助からん? 最後のチャンスじゃなかったのか!」

「最後のチャンスだ。だがな、限りなく成功なんかしない! いい加減、あきらめろ」

「成功しない……、あきらめろ……」

 角刈りの腕から力が抜けた。腕を引き上げていた筋肉が力を失い、伸ばす筋肉が働いた。

 コチッ。


 後部でズンという衝撃があった。クルクル回っていた機体の回転速度が衝撃で打ち消され、確実に地球から遠のく方向に速度が上がった。


「ああっ、ぎゃ、逆、ぎゃく……」

「……」

「逆だー! だめだ! 還るんだー……」

「お前がやったんだからな。俺のせいにするなよ」

「違う! てめぇがドジ踏むからこうなったんだ! 俺のせいじゃない!」

 蔑むように見ていた薄頭は、主電源を切った。

「おい、いっそ楽にしてやる。こっちへこい」

 薄頭は、角刈りのベルトを掴むと出入り口へ引っ張っていった。そして、エアーロックを開放して空気を逃がし、出入り口も開け放った。

 出口から角刈りを押し出そうとすると、必死になって腕を突っぱねている。

 薄頭は、角刈りの腹の部分を掴み、鋏で切り取ってしまった。そこへ鋏を突き立てる。

 機密が破れた服から、空気と共に血が吸いだされた。見る間に全身の水分が吸いだされ、角刈りは宇宙服を着たミイラと化してしまった。

 フワッと船外へ出た薄頭は、角刈りの横で服に大穴を開け、そして腹に鋏を突きたてた。


 地上約千㎞。大気圏の上縁を小型宇宙船が周回していることなど誰も知らない。

 乗員が無限地獄にいることも、知られてはいない。

 この先もすっと……


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― 新着の感想 ―
[良い点] 実際有り得る話かなと感じるところです。 極限状態に置かれると人はどこまで変わるんでしょうね。 [一言] 現代モノだとハサミで刺すだけで残酷描写なんですかね。 ファンタジーだともっと酷い描写…
[良い点] どうしようもない事はどうしようも無い、この事実を突きつけて貰いました。 [気になる点] あと一尺ほどで投射機に固定できそうであった。 この様な部分は、尺貫法の使用と「何の」投射機なのかが…
[一言] あっ、そっちのオチですか。 私はてっきり薄頭なおっさんが、 「お前は不合格だ!」 と怒鳴って終わる、シュミレーター系のオチかと思ってました。 人間の心理を描いたよい作品だと思います。
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